5:建物飛ばし
間に合う!
それを聞いて力が抜けた。
よろよろと壁際まで後退し、背中を滑らせて座り込む。
プシュウゥゥ...
「死ぬかと思った……」
「ということで要、彼を生かして差し上げなさい」
「えっ、…僕が?」
要さんは困惑したように父を見る。
「自分が一度祓を仕切って始めた以上、最後まで責任を持つこと」
「それは、そうだけど……」
な、何が問題なんだろう。
この界隈に疎過ぎてわからん。
壁際でポケッと呆けていた俺の元に、この神社の宮司さんがやってきた。
「君に取り憑いている蛇神は、おそらく誰がお祓いを試みても取れない。それはジャージのお方も同じだ。
...だから、君本人が短期間で霊能力の制御を身に付けて、相手を御そうという話なんだけど…
そのとても難しい事を、息子さんにやれと言っているわけだ」
なるほど。
今も湊父の表情は、先生の顔のままだ。
得難き教材の務めとして、大人しくしていよう。
しかし、霊能力の制御か。無闇に物を飛ばしたり燃やしたりせずに、内部の敵だけなんとかする能力を身につける、って事だよな。
さっきも感激している時に、それを妨げる縄があったから思わず「これが無ければいいのに」と感じた。
それだけで発火するとか、怖すぎね?
そんな奴を教育するとか、難題だわ。
常に燃えにくい繊維の服を着て、ヘルメットでも被るべきだろうか。
存在するだけで脅威、か。
普通にあっさり死んでいた方が、誰にも迷惑掛けなかったかな。
「違いますよ。これはチャンスなんです」
五峯さんの声がした。
また心を読まれた? やっぱ霊能力=超能力なんじゃ…
「貴方が通常のようにたちまち取り殺されていれば、夜刀神は大幅に力を増した後、再び世に放たれていた。
しかし理由はわかりませんが、ソレは今、貴方に囚われて逃げ出す事ができない。
凄いことをやっているんだと自覚してください」
彼女を見ると、水鉄砲とバケツを構えて笑っていた。
「無理に感情を抑えなくてもいいですよ。
物が飛び交っても、各所が同時発火しても。矢束さんに近づいても消耗しない私が、できる限りなんとかしてみせます。
――運動神経だけは、自信がありますから」
じんわりと目頭が暖かくなった。
感謝・喜び――「正」の感情が膨れ上がる。抑えなくていいとは言われたが、これは...抑えられない。
しょうがないよな。
だってまだ、修行してないんだから。
使い過ぎると寿命が縮まるみたいだが、少しくらいなら。
死ぬと言われ、死なないと言われ。
居ない方が良いと思ったら、存在を肯定されて。
短い間だが、抑え込んでいた感情を素直に、表に―――
ゴゴゴゴゴ……
ミシミシミシ……バキッ
と、拝殿が揺れた。地震か!?
細かい振動は無いのに、床が大きく上下左右に揺れ動いている。どういうこと!?
立っていた人達がしゃがみ込み、驚いたように俺を見ている。
「これは凄い...
こんな所に、建物を浮かばせる人間が存在しようとは…」
「父さん、喜んでる場合じゃないだろ。
無意識ってことは、着地が...」
「さすがにコレをなんとかするのは無理ですーー!
前言撤回させていただきます。
謝ってももう遅いけど、ごめんなさい!」
嘘だろ、俺が拝殿を宙に飛ばしてる、って?
―――いや。
認めざるを得ない。確かに、俺が浮かばせていることがわかる。なんとなく。
人的被害を出すわけにはいかない。
...外からよく見て、元の位置に戻さねば。
思うと同時に立ち上がり、入り口に向かって駆け出していた。
開いたままの扉を迷う事なく通過し、下に落ちる事なく、振り返る。
拝殿は10メートルほど、宙に浮かび上がっていた。
今にも、後ろに控える本殿の屋根と接触しそうだ。
ゆっくりと下に降ろしたいが…どうやれば動くのか、わからない。下手に「降りろ!」とか念じれば、勢いよく墜落してしまいそうだ。
――焦るな。焦ると、もっと上に飛ぶかもしれない。
困っていると、俺を追うように白い人影が飛んできた。
要さんだ。人間って、飛べるんだな...
彼は俺の背中に片手を当てて、落ち着いた声音で告げる。
「今なら制御できるはず。
動かしたいように、ゆっくりとイメージしてごらん」
頷いて、掌を上に向けて片目を瞑った。
建物の基部が掌の上に乗っかるようなイメージで、崩壊することのないように、重量を下に集める。
そうとも、ミニチュア拝殿が俺の掌の上にあるだけだ。
後はそれを、丁寧に下へ下へと...
心臓がバクバクしているのを必死に気にしないようにして、絶対に取り乱さないように集中する。
失敗したら中の人が死ぬなんて、考えない。
大丈夫。
―――動き始めた。
…斜め下へと。
「まっ、真下に行かない...!」
「じゃあ、逆の…右下へ降ろすつもりで」
右下、右下……
流れに逆らおうとしたのがいけなかったのか、動きが止まってしまった。
…ヤバい、ストレスで叫び出したい。
「いざとなれば、中の父が全員を助けられる。
だから落ち着いて、建物を降ろすことだけを考えて」
「わ、わかった」
それを聞くと、少し気が楽になった。
同時に、無駄に力んでいた力がスッと抜け、スムーズに建物への流れの道が繋がる。
動かしやすい。
ラジコン機能が付与されたようだ。
徐々に、右下に降下させ始める。
やや水平に回転もしてしまったので、向きを戻して――しまった、戻しすぎた。
入口が斜めを通り越して、真後ろを向いた!
ああ、でも今は安全な降下が最優先だ。いつ自分のコントロールが利かなくなるとも限らないし。
一回転させて戻そう。
反時計回りに捻りつつ、元の位置にゆっくりと...着地。
ズン……
と地響きを立てながら、拝殿は無事に元の位置に着陸した。入口が斜め左に30°曲がって正面を向いてしまったが。
「ふおぉぉぉぉ...」
「よく頑張ったね」
心臓がバクバクし過ぎて止まりそう。非常に体に悪そうな勢いで猛り狂っている。
俺もふわーっと降りて、そのまま地面にへたり込んでしまった。
続いて降りてきた要さんを見上げて、ぼそっと呟く。
「人間、飛べたんすね…」
「手段さえあれば、ね」
向きがズレた建物の入り口から、中の人たちが出てきた。
皆、やや興奮しているように見える。楽しそう。
「思わぬ空中浮遊を体験してしまった」
「いやぁ、駆け付けた甲斐がありましたよ」
「最近の日本で、建物飛ばした奴いたっけ?」
「将来有望だねー、矢束くん」
建造物を飛ばすと将来有望なのか。
超危険人物だと思うけど…
「驚かせてすみませんでした!
拝殿の向きを変えてしまって申し訳ありません!」
ガバッと頭を下げる。
真っ直ぐに本殿を拝めなくなってしまった。
「いやぁ、いいよいいよ! 気にしないで。
すぐに、余裕で元に戻せるようになるだろうから」
あ、やっぱり俺が戻すんだ。
やらせていただきますとも。
少し迷うように何やら考えていた五峯さんが、宮司さんの前に進み出た。
「矢束さんに、無責任にも「感情を抑えなくていい」なんて言ってしまったのは自分です。私にも…拝殿を正しく配置し直す義務があります。
ですから、それまで彼のお手伝いをしたいと思います」
「了解~
特別ボーナス出そう」
「えっ!?
あ、ありがとうございます!?」
なんだか平和に事が進んでいるぞ。
湊父が、要さんの肩をポンポンと叩く。
「じゃあ要、頑張るのだぞ」
「......」
彼は非常に複雑そうな、迷うような表情を見せていたが――やがて小さく頷く。
「それから、矢束くん。物の存在価値とは、どうやって決まると思う?」
「? ええと...貴重さ×役立ち具合、ですかね…?」
唐突な質問に咄嗟に答えるも、彼が求めていた解答ができた気はしない。
「なかなか合理的な答えだ。
――では、生存への健闘を祈る!」
湊父は「バァイ」と手を振ると、夕闇の中に溶けるように歩み去っていった。
◇
俺は現在、家までの帰り道を、要さんと五峯さんを伴って歩いている。
あの後、
「まずはどうすればいいのですか、師匠!」
と拝んだら、「部屋の掃除から」と彼に言われ、「掃除ならバリバリお手伝いできます」と彼女に言われ、今に至る。
この時間なら、家族はもう帰ってきているだろう。
二人の事をなんと説明したものか...
俺が、服の後ろが土でドロドロで帰ってくるのも変なのに。友達をほとんど家に招いたことの無い息子が、いきなり変な格好の青年と女の子を連れてきたら...
「なんと説明したものでしょうか、師匠……」
「その師匠呼びと敬語をとれば、更なる混乱は招かなくて済むと思う」
「私のことはそのまま説明してください。お掃除のバイトだと」
「男子大学生が、実家の自分の部屋に清掃バイト頼みます!?」
聞いたら、五峯さんの名前は「梨生」さんで、一人暮らしの大学1年生だと。
要師匠は学校には通っていないそうだが、学年で言えば3、4年生くらいだと思う。
悩んでいるうちに、家に着いてしまった。
もういいや、なるようになれ...
鍵を開けて玄関に入ると、母親が出迎えてくれた。
「遅かったわね。旅行から帰った後、そのままどこかに行ってたの?
―――あら? お友達?」
「…そう。神社で滑って転んだら、助けてもらった。
神社でコケると寿命が縮まるらしくって、ちょっと部屋片付けてお祓いするから…バタバタするかも」
あらぁ、まあ~~と、母は二人に向き直る。
「うちの愚息がお世話になります~。
ささ、どうぞ上がってください~」
「お邪魔します」
「失礼します」
意外とイケた。
2階の自室へ上がろうとして、ふと、要が立ち止まっていることに気付く。
仏間の方を見ているようだ。
「...ちょっと向こう、行ってみていいかな?」
「どうぞどうぞ」
ついていくと、案の定仏間に入った。
彼が見上げているのは、仏壇ではなくその上の神棚だ。
――榊が、両方とも完全に枯れている。特に右の方は、禍々しささえ感じられるほど真っ黒に干からびていた。
要はおもむろに浮き上がると、神棚の扉を全てパカパカと開ける。
踏み台の必要が無いって便利だな。
「やっぱり」
中の御札を3枚全て取り出す。
見るとそれらは、濡れた後のように半紙がふやけて縮れ、朱と黒の墨が広がって文字が滲んでいた。
床に降り立ち、俺に御札を渡してくる。
「まだ半年以上残ってるけど、今年の御札はもう使えない。
新しいものに替えるといい」
「ひぇぇ……これは…俺を護ろうとしてくれたんで…?」
「そうだね。夜刀神に反発したけど、敵わなかったんだろう」
手の中の御札を見る。
申し訳ない、せめて炎で浄化したい、年末のお焚き上げまで待てないな...
思ったら、ボッ! と発火した。
吃驚して立ち尽くす俺の足元に、タオルのような布が投げつけられ――次の瞬間には、燃える御札が水を浴びて鎮火していた。
ポタポタと垂れて落ちる水を、床のタオルが自動的に吸収している。
顔を上げると、水鉄砲を構えた五峯さんが笑っていた。
「この程度なら、いつでもどうぞ」
「はっ…はぃ……」