3:鈍感は美点
「近づけてるじゃない…」
「慣れてきただけですっ!」
「コレに慣れるって凄いよ…?」
玲史はふと立ち上がり、両手は組んだまま、五峯の背後に回って声をかけた。
「...ばぁ」
「ぎゃあぁぁぁ!!」
「ブフォォッ!」
彼女が咄嗟に振り回した手が顔面に直撃し、後ろに倒れ込む。
「ス…スミマセンデシタ…」
「やっぱり、ちょっと触れたくらいじゃ何も影響受けてなさそうだね」
「いえ! 何か、悪しきモノが流れ込んできた気がします!」
「い…今の一撃で、悪しきモノが驚いたようで、身体の主導権がさらに少し戻りました…
ありがとう…」
仰向けに倒れ、手を組んだまま目を閉じて祈るような仕草をする玲史。
顔を赤くしたまま、五峯はそんな彼に塩水霧吹きを再開する。
「ぐ…ぐおぉぉぉ…!」
「あっ、ごめんなさい、つい…」
「いえ…続けてください...なんか今、よく効いている気がします…」
「は、はい……(?)」
首を傾げながらも、彼女はプッシュを続けた。
その様子を、宮司を含めた大人たちは面白そうに眺めていた。
「彼女は…大丈夫そうですね」
「しっかり守護されてるのもあるけど、アレがそう簡単に彼から抜けられないみたいだ」
「それに意外と、物理的なモノが効きやすいらしい」
「十字架や聖水よりも、やはり日本のものの方が効いているようじゃしな」
そう。
観察するうちに、どうやら神式の手法が一番効力を発揮しているらしいことがわかってきた。
しばらくして、誰かが軽食を運んできてくれた。
俺も有り難く頂くことにして、塩おにぎりにかぶりつく。
そして、昏倒した。
倒れつつも、食べるのは止めないが。
「はむ、はむ…美味い、はず...オエェェ……腹痛い…」
「神前に供えた水・米・塩を使って作ってあるからね。
強すぎる薬...毒とも言うかな?」
ならば、薬だ。
今度こそ、絶対に吐かないようにしよう。
内部でヤツが苦しんでいる。
非常に怒っているようだ。
そしてとうとう俺の体力が尽きたらしい。
全然、眠ってなかったからなぁ…
フワァァァ…と、意識を手放した。
◇
玲史が唐突に寝て、周囲はホッと息を吐いた。
皆、緊張していたのだ。
取り憑かれている本人が色々な意味で強すぎるため、客観的に見れば然程緊迫した光景でなかったのは確かだが…
事態の深刻さを捉えきれていないのは、玲史と五峯くらいであった。
「よく、建物が発火しなかったものだ…」
「吹っ飛んだ物も無かったし、ね」
「多少、あてられた者もいるようだが」
「あのレベルの霊体を、彼が一人で内部に抑えきれている、か…
霊能力は意識して使えていなさそうだから、恐らく精神力だけで…?」
そんなにヤバかったのか…と思いながら、眠る玲史の頭の下に、五峯は棒を使って枕を差し込んでやる。
彼女は「怖いオバケが憑いているから近づきたくない」と感じる程度だが、プロたちは流石に違うようだ。
感心しつつも、鈍感で良かった…としみじみしていたら、誰かが新たに到着した。
拝殿に入ってきたのは、黒い甚平とゆったりとしたズボンの上から白い長羽織を羽織った、妙な格好の青年だった。
なんだろうこの人は…? と興味をひかれつつ、新しいお茶を用意する。
青年は、スーピー眠る玲史をちらっと見ると、無造作に告げた。
「この人、あと1週間保たないね」
五峯はその言葉に目をぱちくりさせたが、他の者たちは納得したように頷いた。
「やはり、そうでしたか」
「無意識に、全力で抑え込んでいたということで?」
「そう。使い方を知らないから、初めての使用なのに常にフルパワーで垂れ流してる。
このままだと霊力が尽き次第、生命力を消費する」
甚平青年が玲史の額に手を翳し、何やら呟いた。
その瞬間、室内の物がいくつも浮かび上がる。
それを見て驚いたのは、周囲の者だけではない。
何かした本人すらも、目を瞬かせている。
「ほんの少し、負担を減らすために霊能力を抑えただけなんだけど…ここまで、彼が意図せずにコイツを封じていたとは…」
言って、青年はパチンと手を叩いた。
「さ、お祓いの準備を始めよう。
整い次第、彼を起こして開始だ」
◇
誰かに肩を揺すられて、目が覚めた。
「起きて。お祓いやるよ」
おはらい。
―――そうだ!
…おにぎり食べて寝こけてしまった。
赤ん坊か。
俺を起こした人に、見覚えはない。後から来たのだろう。
線の細い茶髪の彼は…自分よりも少し年上だろうか?
対して変わらない年齢なのに、周囲の大人たちに指示を出している。
すごいな、力のある人? なんだな。
ちょっと眠ったせいか、僅かに体力が回復した気がする。
拝殿内の物の位置が少し変わっている。
額縁を下ろしたのか、畳の上の壁際に並んで立てられているな。
人が増えている上に、元から居た人たちも正式っぽい衣装に着替えている。
Gジャン男性も神職の格好だし、作務衣だった霧吹きの子も、「ザ・巫女さん」スタイルになっていた。
そして彼女は、100均で売っていそうなオモチャの水鉄砲を2丁、両手に構えていた。
何してるんだろう...
「はい君、矢束くんっていうんだってね。
では矢束くん。お祓いの間、拘束させて貰うので、大人しくお縄についてくださーい」
青年ににこりと笑いかけられ、キョトンとする。
「こっ、拘束」
「そう。危ないからね。
意識を失った時に自分で首絞め始めたら嫌でしょう?」
確かに。
「わかりました、よろしくお願いします」
そして俺は、両手を後ろに縛られた上で、柱に固定された。
身体が猛反発していたが、頑張って抑え込む。
水鉄砲を構える巫女さんと目が合った。
―――あの水鉄砲、絶対に俺に撃つ用だよね。
な、な、何をする気だろう…
俺はどうなってしまうんだ...流石に不安になってきたぞ...
白い着物で柱に拘束された俺を取り囲む、大勢の着物の人たち。ピストル含む。
なんつービジュアルだ。
非日常が極まり過ぎて、逆に落ち着いてきたぜ。
ドMで結構と自ら誓った手前、抵抗も致しませんよ。
さあ、存分にお願いします。
頭が割れそうに痛い。早く、我に日常を。
◇
おもちゃの水鉄砲を持った様子を怪訝そうな玲史に見られ、五峯は居た堪れなくなる。
紅白の巫女服に安っぽいピストル。何の羞恥プレイだと叫びたい。
片方には御神酒、もう片方には塩水が入っている。
「いざとなったら撃って」と言われたが、いつが「いざ」でどう使い分ければいいのかもわからない。
その上、どこに向けて放てばいいというのだろうか。
普通は顔だろうが、可哀想な気もする。(彼女は既に、土の地面で玲史を引き摺ったことを忘れている)
顔に出さずにオロオロしていると、お祓いが始まった。
通常通り――対象が拘束されている時点で、既に通常ではないが――、宮司が祝詞を奏上し始める。
いつもと違うのは、それに同じ台詞を被せる幾人もの声がある事と、全く別のお経が複数人によって同時に読まれ始めた事だ。
黒い甚平のままの青年ーー「湊」と名乗った――は、特に何も唱えたりする事なく、玲史の様子を観察していた。
祓われ始めた本人はというと、実に、苦しんでいる。
バタバタと暴れようとしても全く手足が動かせないので怪我の恐れは無いが...歯を食いしばって目の縁に涙を滲ませ、えずくのを必死に堪えているように見える。
五峯には、ただ見たままにしか目に映らなかったが、湊は違ったようだ。
眉を顰め「こりゃ、僕にもダメだな…が、一応…」と呟くと、柱に近づいた。
顔を上げた玲史の目を覗き込むと、彼がフッと気を失う。
おや? と思う間もなく、再びキッと顔を上げた。
その表情を見て、彼女は思わず一歩後ずさる。
玲史ではなかった。
同じパーツでありながら、全く別の者にしか作れない表情になっていた。
不気味なほどに落ち着いた、無表情の顔面。
それなのに何故か、奇妙な風格を漂わせている。
「これを...ほどけ……」
「解かないよ。君は誰?」
「......」
「茨城の祠に居たらしいね。その格の高さのヘビは――」
湊が続けようとした言葉は、遮られた。
突然、玲史の着物の袖が発火したのだ。
湊が何かしようとしたようだが…それよりも先に、五峯が動いていた。
自分でも何故動けたのかわからないくらいの反応速度で、着火した部分に向けて塩水鉄砲を撃つ。
一瞬で鎮火した炎を見て、玲史の顔をした悪霊がギロリと彼女を睨み、大きく口を開けた。
その瞬間、今度は御神酒鉄砲を口の中、喉の奥へと見事に命中させる。
悪霊は呪いの言葉を吐き散らしながら、御神酒を吐き出した。
その頃には、五峯は足元に置いた塩水バケツから水鉄砲のタンクに塩水チャージを完了させている。
再び水鉄砲を構えた彼女を睨みつけた悪霊が見たものは――いや、見えるはずなのに視界に映らなかったのは、いつの間にか目の前から消えていた湊の姿だった。
「どこへ行った...!?」
「こういう時って、大抵後ろにいるもんだよ。
…はい、お眠り」
柱の後ろから彼の声がすると同時に、一瞬気を抜いた隙をついて左右から伸びてきた両腕が、玲史の額に紙の御札を貼り付けた。
完全に不意打ちを食らったため、彼の表層に出てきていた悪霊が、モロに呪符の影響を受ける。
「ぐっっ……」
悔しそうな憎悪の表情で、目の前の手と視界に映る五峯と、祝詞やお経を唱え続けている者たちを睨むと、ソイツは玲史の奥深くに下がっていった。
代わるように、穏やかな表情の玲史がパッと顔を上げる。
「き、消えた!?」
「いや。一時的に力が弱まって潜んだだけ。
...君も、みんなも疲れただろう。とりあえず今は一度、切り上げよう」
湊が言い終わると同時に、響いていた声がピタリと止み、バタバタと皆がその場に頽れた。
仰天した五峯が、慌てて介抱して回る。