26:鹿狼
地面に倒れ伏し、微かに呻き声をあげる者たちの脇を抜け、二人はまず麻多智の元へと向かった。いつまた同じ事が繰り返されるかもわからなかったからだ。
黒焦げになった者たちの中心に佇んでいた彼に、そっと要が声をかける。
「箭括様。これは...」
「…何故だ。今のは確かに、玲史による極大攻撃の余波。霊力が尽きた玲史はたちまち夜刀神に負けるはず。
なのにいまだ、我にも身体にも変化が無い...
よもや相討ちか? 双方、生きるまま…」
独り言のように呟いた彼は、ゆっくりと地面に膝をついた。
境内の、全ての倒れた者たちを一人一人見回して、両手を組んで目を閉じる。
「全ては我の不徳の致すところ。存分に恨み給え。
申し訳は無い」
そして立ち上がり、要と梨生に頭を下げた。
「今の我では術を使えない。彼らを頼めるか」
「はい」
頷いた要の結界が、ふわりと広範囲に広がる。
「梨生。僕の結界内に、みんなを集められる?
救急車が来るまでに、少しでも回復させる」
「わかりました」
重傷を負っている者には、迂闊に触れない。
梨生は自分の霊力を、倒れ伏す者たちの下へそっと滑り込ませる。
そのまま…持ち上げた。
浮かび、上がった。
麻多智は拳を握りしめ、あまりの強さに爪が皮膚に食い込んで血が滲む。
その手にそっと触れるものを感じ、閉じていた目を開くと、鹿狼が身体をすり寄せていた。
「其方らは……そうか……」
「れーし、とめる」「のぅ、とめる…」
「…いく、れーし」「たすける、れーし」
4対のつぶらな瞳に見つめられて、自然と彼の拳が弛んだ。
血の滲んだ掌を、鹿狼の一頭が舐める。
その瞬間、4頭全てが掻き消えた。
◇
余波だけで外部に絶大な被害を生み出した攻撃を直接受けた夜刀神は、祓われてこそいなかったが相当深手を負っていた。彼ですらこの状態なのだから、縋っていた千人は当然のように皆、消失してしまっている。助かった者はいない。
その攻撃を放った本人は、霊力がすっからかんになった事で意識を飛ばして蹲っている。特殊な空間なので倒れるような真似はないが、暫くはこのままだろう。
それを確認した夜刀神もまた、術を使うことも一歩も動くことも叶わない。例えると、生きながら全身の骨が溶け去ったような状態だったのだ。
「人にしては有り得ぬほどの霊力だとは思っていた...
まさか吾をしてここまで...」
精神のイメージすら保つ事ができなくなった彼は、自らの消滅を避けて回復するために、小さな球体に閉じ籠る。
少し後、鹿狼が出現した。
契約者の血を道標に、玲史の元へと導かれた彼らは殺風景な空間にキョロキョロし――
そして、口を開いた。
「いんや、マジぱねぇわマスター。マジパネーって」
「して、何処じゃろうな、愛しき玲史は」
「じっちゃん、気色悪いからその言い方やめてー」
「…なんて味気ない場所なんでしょう。一秒でも早く連れ戻して差し上げないと」
もう一度言う。鹿狼である。
彼らの実態は――…軽い青年と、孫をゲットした爺さんと、素直な少女と、上品なお姉様であった。
「...あっ、いたよマスター!」
灰色の霧の先に、困ったように佇む大量の人間がいた。
その中心付近に玲史を見つけ、皆で駆け寄る。
「玲史、大丈夫かぁっ!? 止めてやれんで、すまぬのぅ…!」
「やべぇよ、スリープモードだわコレ。どうやって起こすよ」
「...ねぇ皆様。あちらに浮かぶ球、ヤトじゃありませんこと?」
お姉様が角で示した先の球を、少女が咥えて戻ってくる。
「…穢れ、付きません?」
「なんか大丈夫そう。あの攻撃食らったんなら、いくら神でもタダじゃすまなかったんだろうね?」
「つーか、なんで神クラスの威力出せんだろな」
青年と少女によって、羽付の羽のようにポンポンと角で遊ばれ始めたヤト球を眺めながら、お姉様と爺さんが相談する。
「どうやって連れ戻しましょう…」
「無理に引っ張ってゆくのも危なそうじゃのぉ」
「かと言って、目覚めるまで待つのも…それにヤトをどうするか…」
その時、爺さんが名案を思いついた。
「――食わせればよいのじゃ!」
「誰に何をです!?」
「玲史にヤトを、しかないではないか」
「彼の中のヤトの中の彼にヤトを入れて…あぁもう無理です、何が何だか…」
クラッときたお姉様は、諦めて単純に考えた。
今は、玲史が自らの中のヤトに入った状態ですわ。
ならもう一度、その一つ先に進めば、身体は元に戻るのでは?
二重に内側に閉じ込めれば、ヤトが表に出るのも難しくなりそうですし。
「よい考えですわね。それでいきましょう」
「ちょ待てよ。このウジャウジャいる人間どうすんだよ?
今それをやったらコイツらごとになるぜ」
地味に話を聞いていた青年が戻ってきた。
だが、本人たちが静かに彼らに近寄り、答える。
「――もう無いも同然だった、魂の続き。それを彼が取り戻してくれました。
この方が亡くなれば、我々は夜刀神からも解放されるでしょう。長くても後たった数十年程度、待てぬはずがありません」
代表して言った者の言葉に、周りの人間も頷いた。
「あ、そう? ならいっか」
「でも、この趣味の悪い空間に居続けるのは哀れですわね。
なんとか外だけでも見えるようにしてあげられないかしら」
鹿狼は今は玲史一番だが、基本的に人間には優しいのだ。
少女が無邪気に提案する。
「じゃあさ、穴開けようよ!
弱っちくなってるヤトの空間なんだから、きっと頑張ればぶち抜けるよ」
「うぃ~、サンセー。貫けウォール~」
「そうじゃの。...おっ、あの辺りの場所が脆そうじゃぞ」
という訳で、爺さんが脆そうだと言った箇所を中心に、三角錐を作るように等間隔で4点に広がり位置取った鹿狼たち。中央に向けた角からパリパリと放電が走る。
ペットのように扱われて忘れられがちだが、彼らも上位の妖怪である。
爺さんが音頭をとった。
「あそーれ、真ん中、に向っけてっ!」
「わっしょい、わっしょい!」
「のっぞきっ穴~!」
「目っのかったちぃ~」
「「「「シュワッチ!!」」」」
同時に放たれた四方からの電撃(?)が中央に収束し、バリバリバリ……! と音をたてながら空間が裂けた。
巨大なアーモンド型の、目の形に。
透明な薄いガラスのようなバリアがあって外には出られないが、くっきりはっきりと外界の様子が見える。
救急車と、荒れた境内、救急隊員が見えた…と思ったら景色が左右に大揺れし、大きな掌のようなもので覆われたり(この時は音も途絶えた)、地面が見えたり青い空が映ったりする。
「うっわ、酔うわぁー…」
本当は酔わないが、青年が言う。
するといつのまにか、人間全員がアーモンドスクリーンの前に集合し、食い入るように見つめていた。
「800年後の日の本だわ…!
そんな感覚は無いけど…!」
「わぁ、なんだろうあの白い大きな箱の上で光る赤いやつ。
――あっ!? 箱が…滑った…!」
「怪我人を運ぶ機械だよ。クラウンじゃなくなったのかぁ」
「...あぁ、音は聞こえるけど暗くなっちゃった。この網目は…なるほど天蓋を被ったのね」
自我を取り戻し、人間たちは未来へ旅行に来たようにはしゃいでいる。
「ふふっ、良かったね。――じゃあ」
その様子を見て笑った少女は、角でヤト球をお手玉しながら、蹲ったままの玲史に突っ込んだ。
近くまで寄って、最後にひときわ強く球を送り出す。
「いっ……けぇぇぇぇーー!!」
彼女の予想では、スルッと球が身体に取り込まれるはずだった。
だが実際には、玲史の肩に当たったボールの衝撃で彼が吹き飛ばされ...そして、目覚める。
「いっ……でぇぇぇぇーー!?」
肩を抑えて叫んだ。
◇
左肩が吹き飛ばされるような痛みを感じ、俺は強制的に自主覚醒をせざるを得なかった。今起きないと何度も同じことが繰り返されそうな、恐ろしい予感を本能で感じ取ったからだろう。
えーと、今は何をしていたんだっけ。
確か夜刀神に全力の一撃をぶつけて…その後か?
奇妙な形のスクリーン? に群がっていた人たちがこちらを見つめ、何やら拝み始めた。...ひょっとして今度こそ、俺、死んだ?
「マスタァーー!!」
「貴女お馬鹿ですか。狼ではなく馬ですの?
普通は飲み込ませません?」
「玲史ぃぃぃ!」
「いやぁいくらなんでも喉通らねぇだろ」
女の子、女性、爺さん、若い男の声が聞こえて振り向く。
――そこには、立派な鹿の角を持つ、美しい金茶の毛並みのしなやかな肢体の獣4頭がいた。走れば力強そうな脚は、どちらかというと狼に近い。
...鹿狼さん方デスヨネ。
イッタイ、ナニガオキテイルンダ。ここはどこ、俺は誰。
特に少女(?)と爺さん(?)に揉みくちゃにされながらポカーンとしていると、青年(?)が小さな夜刀神の入ったボールを咥えて戻ってきた。
「よっし。コレを腹に押し込むんだ、マスター」
「え゛!?
夜刀神を…なんで!?」
「オレらの予想だと、身体が元に戻るぜぇ♪」
「胸の方が良いと思うがのぅ」
「飲み込むのが確実ですわ」
全く状況は理解できないが、取り敢えず頷いた。
とにかく取り込めばいいんだな?
俺の攻撃を受けた夜刀神にダメージが入って、こんな状態になったのかな。こいつを取り込むとか少し不安だが、所詮素人の俺より彼らの言の方が信頼できる。
球体を両手で包んで目を閉じ、彼我の境が溶け消えるようにイメージする。
フッと感触が柔らかくなった気がしたので、勝手に手が動くままに球を鳩尾の辺りにそっと押し当てた。
体内に滑り込んだボールはゆっくりと落ち、腹の底に沈んで止まる。
...特に何も変わった気はしないが、これでいい…のか?
すると、スクリーンから誰かの走る音が聞こえ、急に外の景色が映った。
これは…神社?
場所は建物の影か。大きく揺れる土の地面と、時折前を横切る掌…か? そして俺…いや、今は麻多智が驚いたように「角が消えた…」と呟く声がする。
「何だこれ!?」
「ここにいる人たちが退屈しないように、外の景色が見える穴を開けたんだよ!」
「塞げば音も消えるようじゃぞ」
まじか!
鹿狼、凄っ!
感動していると、鹿狼たちが「ついてこい」というように歩き出した。
「さ、帰ろーぜ。戻ったら麻多智と交代だ」
「ああ。...なぁ、夜刀神に最後の一撃を入れた時に縋っていた人たちはどこに行ったんだ?
それまでに成功した千人くらいしか居ないみたいなんだが…」
人数が増えていないのを不思議に思って問いかけると、鹿狼が足を止めた。つられて、俺も停止する。
「……?」
「それは私たちからお話しましょう」
黙ってしまった彼らに代わり、人間たちが進み出た。
「貴方が最後に放った攻撃の威力は、想像を絶するものでした。あの夜刀神が、消滅を免れるために小さく固まって眠りにつかねばならないほどに。
そして1000人は見事に一度に祓われ、耐えて戻ってきた者はおりませんでした」




