14:麻多智と夜刀神
どよーんとした灰色の重苦しい空間を、歩く。
多分イメージに過ぎないのに、2本の足で全身を運んでいる。
いや~マズった。まさか戻れなくなるとは…
最初は、ヘビが何体いるのかを確認しに行くくらいの軽い気持ちだった。
もうちょっと深く…深く…と進んでいったら、突如帰り道が消え去った気がしたので慌てて振り返るも、なんか出れなくなっていた! orz!
...なんて冗談…じゃないけど言っている場合ではない。
多分だけど、夜刀神に身体の主導権を完全に渡してしまっている。だって今、俺の意識がここにあるんだから。
外に出ようとして戻れない。
ならば――内側に歩くのみ。
要に言われていたからな。「万が一ヤツに乗っ取られて、それでも意識があった場合は、普通と真逆の行動をするように」って。
生徒の権利として、師を信じようではないか!
おそらく向こうも、俺を信じてくれている…ことを信じよう!
早く脱出しなければ。
意識が無い内に街中で暴れまくって、気がついたら警察署の獄中!とかは嫌だ。
そういう事で、ひたすら深く中へと歩いている。
どこまで進めばいいのか、真っ直ぐ歩けているのかもわからないが、外に出れない以上これしかない。
足は全く疲れないが、体感的にはかなり長い時間が経った頃。
周りの空気が変化した。
「ん?」
辺りを見回すと、相変わらずの灰色の景色の中、透明な人影が多数蠢いていた。
...多数と言っても、数十人とかじゃない。
数百、数千……居るかもしれない。
影の数を認知すればするほど、空間自体も拡張されていく。
なんだ…彼らは。
ここに居るということは...まさか夜刀神に取り込まれた人たちか!?
あまりの不気味な迫力に足を止めて立ち尽くすと、誰かが一人、ゆっくりと近づいてきた。
何故かその人だけは、クッキリと見える。
霊魂が見えない俺の目には他の人たち同様、映らないはずなのに。
立派な体格に、やたらめったら古風な服装のその男性は俺をジロリと見ると、眉を顰めた。
「何故、この場にいる。まだ死んでいないだろう」
「うっかり、戻れなくなりまして…」
正直に答えると、彼はわなわなと震えた。
あーー怒らせた、かも。
「...うっかり、だと…!?
この―――タワケ者が!!」
「わ…すみません、確かにその…まぁ大丈夫だろうと、油断した面はあります、ごめんなさい!」
言説ごもっともな上、うっかり油断したタワケ者の自覚はあった。
「謝って済むことでは無い!」
「その通りです! だから内側に向かっています!
そして貴方は誰ですか、魂が無いんですか!?」
突然、名乗りもせずに怒鳴りつけてくる割に、不思議と相手に不快感は抱かなかった。
それどころか、奇妙な親近感すら覚える。
男性はフーフーと息を整えると、とりあえず名乗ってくれた。
「我が名は麻多智。魂は今、お前に在る」
「にょにょっ!?」
「ええい、奇怪な声を発するな!
それでも我が子孫か!」
また怒られた。というか…なんだって?
今の俺の魂がこの人の魂だった? だから見えるのか。
...ちょっと待って、ご先祖様?
それにマタチって、どこかで聞いたような。
「失礼ですが、その、苗字は…」
「1500年経っても変わらずとは奇跡だな。氏は箭括である」
「俺は矢束ですけど…」
「この阿呆め、同じ意味だろうが」
文字を見た訳じゃないから、ヤハズの漢字なんて知らんがな!
――あ。
「ひょっとして、夜刀神を退治した人!?」
「うむ」
「なんで取り込まれてるんすか!」
「うっかり、だ!」
...タワケ先祖と呼ばせていただいても?
麻多智は腕を組んでそっぽを向いた。
「仕方なかろう、ばっちり退治して祀ったから…油断したのだ」
「......」
「だがちゃんと、丸ごと取り込まれる前に、魂だけは解き放ったぞ!
だから今お前が居るのだ」
…生きながら魂を解放できる人って、何気に凄くないか。
というか、現代でも伝承に残る人だもんな。うん。
「めっちゃイカしてんじゃん、Mr.ヤハズ!」
「ふっ……この理解度の速さ。さすがは我が子孫だ」
俺たちは、がっちりと握手しあった。
「...はっ。こんな所で道草食ってる場合じゃなかった!
奥だ、もっと内側に行かねば」
メビウスの輪だか、クラインの壺だか。
中に行けば、いずれ外に出れるのでは。
さらに歩いて行こうとすると、麻多智に止められた。
「無駄だ、相手は蛇。
自らの尾を咥えているゆえに果ては無い」
「でも、真逆の行動をしろ、って...」
理論はよくわからないが、言いたい事は伝わった。
このまま進んでも、無限に出れない…のか?
「逆の行いか。お前の解釈が少し間違っているな。
――進む先は内側ではない。お前の中だ」
言われ、ハッとした。
完全に夜刀神の存在感が薄れて忘れていたが、確かに俺の中にもまだ、ヤツの気配が残っている。
それはそうか。現実の俺はまだ取り憑かれたまま、生きているのだから。
「もう一度、同じように潜るがいい。
果たして中の中が何処へ繋がるのかは断言できぬがな」
「わかった。ありがとうご先祖様。
―――なあ」
「ぬ?」
キョトンとこちらを見た彼と、周りをゆらゆらと漂う透明な人影たちを見回し、努めて自然に問うた。
「夜刀神を再び封印、もしくは消し去ったら…
ここに居る人たちはどうなるんだ? 貴方以外は、魂ごと居るんだろ?」
全員死んでいるとはいえ、生前の形を残したまま、長い時を存在し続けていた。
麻多智は顔を曇らせた。
「……封印ならこのまま、消失ならば共に消え去るのみ。
――既に、同化しているからな。もう分離は…不可能だ」
「...そうか」
この空間に集合して残っているのは、魂の残滓だったか。
......。
「この場の魂は、もう輪廻の輪に戻れない。
心置きなく、解放してあげてほしい」
「わかった。
ミイラ取りがミイラにならないよう、頑張るよ」
彼に感謝しつつ手を振り、俺は再び腹の奥の僅かな影に意識を集中させ、慎重に沈んでいった。
玲史の身体が薄れて掻き消えていったのを見届けた麻多智は、楽しそうな、心配そうな笑みを浮かべた。
「当時の我にも不可能だった、大妖怪 夜刀神の消滅。
幾度もの転生を経て、霊格を上げた我が魂よ。敵もまた、千年を超える時を忍び、力を増したぞ。
―――我等の宿命である。必ずその手で、我が一族…というか主に我一人でだが…が神格化させてしまった邪神を、祓うのだ!」
◇
梨生を連れて瞬間的に滝の下に移動した要は、不審そうに上を見上げて警戒していた弥月に簡潔に告げる。
「夜刀神が表に出た。玲史が戻るまで、全力で注意して」
「はあぁぁぁ!? ――わかったわよ、もう、まったく…信じらんない…!」
悪態をつきながらも彼女は言われた通り、素早く結界の準備をしつつ動き出した。
それを見届け、要は次に山の上の方へと飛んで向かいながら、取るべき最適な行動を模索する。
玲史には、このような事態への対応方法を一応教えてあるが、もちろん彼とてそれが正しく作用する確信など持ってはいない。だが今は、玲史が自ら戻ってくるのを待つしかない。それが出来なさそうなら―――
「要。どうするつもりですか?」
高速飛行しながらも、冷静さを保っていた梨生が聞く。
「多分、私を追ってきますよね」
「ああ。…その限りは、他への被害を出さない、かもしれない。だけど…」
「そんなまどろっこしい事はしない可能性も高いです。玲史を殺しますか?」
ちょっと出かけますか。…そんな軽い口調で問われ、要はさすがに言葉に詰まる。
「貴方が一人で彼の引率を引き受けたということは、万一の際の、依代の片をつける実力と役目をお持ちなのでしょう。…まあ、そうなったらすぐに私に憑いて、こちらもあっさり取り込まれそうですが」
「―――わかっていて、着いてきたの? それで…今もなお?」
梨生は頷き、少し笑った。
「成長しはじめた私まで取り入れられたら、大変でしょう? だから玲史を殺さないでください」
「彼は自分が二次被害を出すことを、何よりも嫌がりそうだけど?」
「その出るかどうかまだ不明な被害を防止する罪を貴方が一人で負っても、彼は嫌がりますよ」
遠く背後に、夜刀神が姿を見せた。
「取り憑いた霊魂の危機は、自らの生命の危機として感じる。常識ですよね。
それを踏まえると――玲史は、自分の生への執着が薄い。だからこそ逆に、最適な行動を冷静に、本能的に選び取ってこられたとも言えますけど」
「……よく、見ているね」
「それを最初から見抜いて、敢えて彼に「すぐ隣にある死」を見せよう――なんて考える貴方ほどじゃないと思いますよ」
凄い勢いで近づいてくる敵を眺めながら、要も表情を緩める。
「そこまでわかっていたなら、話は早い。今はその玲史を信じて、ギリギリまで待とう。
...まだ数日しか教えられていない事が、幸いした」
「要がギリギリを超えたと判断したら、僭越ながら私は妨害に回らせていただきますね?」
楽しそうに宣言する梨生と共に、地上へ…山の頂上へと下りる。
続いて降りてきた夜刀神は玲史の姿こそとっているものの、まるで違う存在になっていた。
彼がどれほど、無意識に相手を抑え込んでいたのかがよくわかる。
額には2本の角が生え、Tシャツの袖から覗く二の腕には鱗のような紋様が浮き上がり、瞳孔は猫のように縦長に細められている。
その圧倒的な風格に思わず溜め息を吐きながら、要は零す。
「まったく…本当に強いな、玲史は」
「同感だ。今までの連中も、別に吾が殺したわけではないのだぞ。
依代にしようと取り憑いたら、耐え切れず勝手に焼き狂って死んでいっただけだ…カス共と言えど、養分にはなったがな」
やれやれ、と首を振った夜刀神は梨生に視線を定める。
「霊力の強い、若い女。さらに巫女としての適性もある…
最高の生贄だ」
言うなり、伸ばした手の先から刃のついた鞭のように力を放出した。
彼女はそれを、物理的に身を躱して回避した。力の差が歴然としている場合では、この対処の仕方で正解である。
ピィィィィ……と要が指笛を鳴らすと、そこら中の木の影から、何十羽もの白い鴉が飛び出した。
「むっ…」
鴉に殺到され、相手は一時的に巨大な白い塊と化す。
「梨生、ここからは耐久レースだ。
僕は夜刀神の力を削ぎ続けるから、サポートは任せる」
要はそう言うと、両手を広げ、唱えた。
「奇一奇一忽ち雲霞を結ぶ。
宇内八方五方長男、直ちに九籖を貫き玄都に達し、太一真君に感ず。
奇一奇一忽ち感通、如律令」
彼の身体が一瞬、強烈に光った。
反射的に目を閉じた梨生がもう一度見る。
すると、彼女でもはっきりわかる程の莫大なエネルギーが、要の足元から流れ込んでいた。
「なるほど、ここは霊山の頂上。これは…」
「龍脈の出口。――さぁ、皆おいで」
彼に声をかけられ、鴉たちが次々に舞い来る。彼らはいつの間にか一様に、暗く染まりつつあった。
だが、広げた要の腕に止まると、みるみるうちにどす黒く染まった色が抜け落ちる。
そして元の白鴉に戻った後、再び夜刀神へと特攻していく。
「墨染めの雑巾を濯ぐ清流か。考えたな...されども」
鴉団子の中から、敵が邪悪に笑う声がした。
「吾もまた、この山では無尽蔵に等しい力を受け取るという事を忘れたか」
削ぎ落とされつつあった「穢」が、ぶわりと復活する。
それを受け、丁度夜刀神に触れていた鴉たちが瞬時に穢れに当てられ、地に落ちた。
だが。
透けて薄れゆく鴉が完全に消える前に、彼らを掴んで拾い上げた梨生が問答無用で要に投げつける。
「ほら皆さん、私が助けますから頑張ってください!」
「ちょ、り…ブフォ、かっ顔は……ってか近づくと危な...むぐっ」
白い鴉に絶え間なく集られる玲史(夜刀神)と、黒い鴉を浴びる要。
奇妙な絵面のまま、状況は膠着した。




