12:咄嗟の判断
ヒラヒラと手を振るミヅキ氏に見送られ、滝からやや横に離れた場所にある、少しだけ傾斜が緩やかになった岩壁の前に立つ。
階段っぽく削られた崖の表面に錆びた鎖が這わせてあるだけの、登りの道。
「命綱とかは…」
「無い無い。落ちる時は落ちるし、その逆もまた然り」
登山家に聞かれたら怒られそうな事を平気で曰う師匠。
だがこの人の生徒である以上、否やは無い。
「梨生が先行で。少し距離を空けてから玲史がついていって」
「わかりました」
軍手を装着した彼女は岩肌を掴み、身軽にヒョイヒョイと登っていく。たまに鎖に手を添えるも、まだほとんど使っていない。
俺だって別に運動神経は悪くないのだが、梨生の前世はアイベックスか何かなのだろうか。体重移動の安定感が人間離れしている。
間をおいてこちらも登り始めたが、とてもではないが鎖から手を離せない。
要はまだ下から見上げている。
頼る気は無いが、万が一落ちても本気で死ぬ前には助けてくれそうだ。
やや安心して両手両脚を動かしつつ、ふと頭上を見上げると、空高く鷹が舞っていた。
―――途端、憎しみにも似た不快感が突き上げた。
当然、俺自身の感情ではない。夜刀神だ。
なぜ!? なんでこんな時に!?
と、一瞬気を取られたのが不味かった。
動揺した僅かな隙をついて、ヤツが浮上する。
最近大人しかったのは、力を温存しつつ、俺を油断させてチャンスを狙っていた為だ――と、直感した時には遅かった。
慌てて心を落ち着けて敵を支配下に置こうとするも、その前に、ボッ! っと自分の服が発火する。
「わっ、何!? 熱つつつつ…!!」
上から声がしてハッと見ると、梨生が、周囲を飛び回る複数の火の玉に襲われていた。
それに注意が向くのと同時に、俺の手は鎖を離し、足が岩壁を蹴っていた。
...と言うとまるで俺が宙を飛んで助けに行ったようだが、何のことはない。
身体の操縦権を乗っ取られ、普通に落っこちただけである。
◇
ピィ……
と鷹の鳴き声が聴こえてすぐに、玲史の霊力が乱れた。
それを下から見上げていた要は「マズい」と思った。
上の二人は碌に動けない危険地帯におり、何か起きても適切に対処することが難しい。
油断していた訳ではないが、自分も気を抜きかけていたかもしれない。
予想以上の二人の成長速度に、小さな問題程度なら自分たちだけで対応が可能だろうと、少しだけ慢心していた節があった。
玲史の周りに何十個もの火球が発生し、それぞれが意思を持つかのように飛び回っている。
衣服に火が付いた彼が、岩肌から離れて落ちかけた。
それを見て思わず、宙で受け止めようと霊力を伸ばしかけ―――
やめた。
代わりに、地面に霊能力でクッションを顕現させる。
鎮火ならできる。
火傷も治せる。
落下して命を落とさせることはしない。
だから...ギリギリまで、見守ることにした。
◇
落ちる落ちる落ちるぅぅぅ!!
空中で仰向け状態になり、自然と上を見上げると、数瞬前まであった全ての火の玉が消えていた。
!?
梨生が何かしたのか?
…それより、早くなんとかしなければ。
視線の先、空の向こうに、俺が今こうなっている原因である鷹がまだ優雅に飛んでいる。
――翼をください、だな。正にこの状況は。
落ちなきゃいいやなんて思わずに、ちゃんと飛行方法を確認してから壁登りにトライすればよかった。
...。
...翼? …作れる?
なんとなくそう思った。
廃病院で、梨生が右手に霊力を集中させたように。
夜、鏡の前で確認した、全身から腹に集まる霊力の流れを…今は、両腕に。
バッと腕を広げた。
これを骨組みにした、飛行機の翼をイメージする。大き過ぎるくらいに巨大な両翼を。
霊力が勿体ないとか言っている場合じゃない。
体重を支える空気抵抗を作り出せる面積の分、ありったけ、薄く広くエネルギーを放出する。
すると。
ふわ、と落下速度が落ちた。
その隙に体勢を立て直し、なんとか頭を上、足を下に持ってくると――今度はいきなり、斜め下前方に急速に進み出す。
当たり前だ。大型鳥類のように、いきなり風を掴んで滑空なんてできるものか。
「うわうわうわ…!」
コントロール不能のまま飛ぶこと約2秒、目の前に滝が現れた。
避けられるはずもなく、流れ落ちる水流に突っ込んでいく。
さすがにこのままだと滝の奥の岩壁に激突するので、翼は諦めて咄嗟に両手をスプリングのように壁と身体との間に挟み、追突ショックを免れた。いつの間にか、服も濡れて鎮火している。
「むぐわぁぁ!!」
先程まで登っていた道と違い、こちらは人間が取り付く仕様にできてはいない。
顔面激突を回避しただけでも良しとしよう...
高度もやや落ちたし、今なら落下しても運が良ければ足の捻挫程度で済みそう。
そう考え、水流と共に落ちていく先で、驚いたようにこちらを見上げているミヅキと目が合った。
◇
要が連れていた二人が岩壁の道を登り始めるのをなんとなく眺めていた弥月は、ヤバい霊体に取り憑かれた青年の方が落ちていく様子を見た。
崖下で要が救助クッションを作り出したというのに、それを避けるように斜めに飛んでいく青年。
膨大な霊力出量で、無茶苦茶な飛び方をしている。
翼を作って飛行する人間なんて、聞いたことがない。やろうと思っても、普通は真似できないだろう。
そしてあろうことか、自分が気持ちよく水飛沫を浴びている滝に向かって突っ込んできた。
岩壁を蹴ったのか、すぐに飛び出すように滝と共に落下してくる。
「...ああいうツバメどっかに居たよね」
思わず呆けて呟いたが、急いでなんとかしないと自分も巻き込まれる可能性がある。
こういう時、無駄に器用な要ならば、あっさりと優しくキャッチするのだろうが…生憎自分にそんな芸当はできない。
できるのは―――
素早く、網目状に編んで強度を増した結界を、盾のように右手に展開させる。
それを掲げ持ち、驚愕に目を見開いた青年の真下に飛び込んだ。
普通の人間ならば、結界で受け止める事などできない。
ファンタジーの世界でもあるまいし、物理を通さないバリアを作るのは非常に難しいのだ。
だが、強力な悪霊に取り憑かれた者だったら。
霊魂が体内に留まり続けている以上、質量まで支えられるはずだ。
―――という理論の元に、迷いなく決行した弥月だったが、すぐに後悔した。
彼が抱える悪霊のレベルが想像を超えていた。
これは最早、霊魂じゃない。もっと上の――
◇
上から降ってくる俺に向けて、ミヅキが片手を突き出した。一瞬にして、細かい網目状の銀の盾が作り出される。
そのまま突っ込むと、全身に凄まじい圧力がかかった。
ヤツがまだ表面の方に居るせいだな……っ!?
梨生に受けた九字は、切り刻まれるような「攻撃」だった。
対してこちらは、見た目からも「防御の盾」だ。おそらくミヅキの結界。
本来は夜刀神のような悪霊・悪神を自分の近くに寄せつけない為のもの。それは正しく作用しているのだが――
バリバリバリ…!!
と、雷に打たれた木が裂けるような音が鳴った。俺を見事受け止め、地面に放り出した銀の盾から。
もう役割は果たし終えたというのに、未だ消失しない盾とこちらとの間に、放電現象が起き続けていた。
落下は止まったのに、身体にGに似た負担と、パチパチと弾ける電流が流れ続けている。
受け止めてくれてありがとう、さすがにそろそろ深く息を吸いたいかな…とミヅキを見ると、非常に焦った表情で左手で右手を押さえていた。
彼女の身体にも、盾からの放電が流れ込んでいる。
...ひょっとして…解除できない?
ヒヤリと背筋が冷たくなったところで、師匠が梨生を連れて駆け寄ってきた。
「梨生、霊力の流れの阻害できる!?」
「……無理です!
互いの引きが強すぎて、多少乱れたところで意味がありません!」
「...だよね。
弥月、吸着消滅の要素を結界に混ぜた?」
「いつものクセで思わずね! わかってるなら何とかして!」
どんどん顔色を悪くしながら、弥月が叫ぶ。
「普通ならこんなレベル、ほっといても離れるのに…!
滝の霊力のおかげで、期間限定綱引き状態よ!」
―――吸着消滅。今だけ綱引きの状態。
なるほど。
弥月の結界は、おそらく低級霊などを引き寄せて消し去る、ゴキブリホイホイのような仕様だったのだろう。
だが神聖な滝のほぼ直撃下にいることで、彼女の能力は実力以上に格上げされ、俺のヤツも実力以下に格下げされている。
よって奇跡的に均衡が生まれ...って、そろそろ酸欠でヤベェ。
「ば……場所を、ずらせば……」
「...うん、それしか無い。…二人とも、ちょっと酔うけど我慢して」
少しだけ考えて躊躇った要だが、すぐに俺と弥月の間に割り込んできた。
――それぞれの方に両手を伸ばして霊力の綱を辿って自らのエネルギーを送り込むと、同時に宙に浮かばせる。
なっ...なんだコレ。超気持ち悪い。
自分・滝・弥月・要の霊力が交錯してグッチャグチャに入り乱れている。「酔う」ってこういうこと…。
間に彼を挟んだ事で、一歩も動けぬような膠着状態が少しだけ緩和される。
要の思惑通りに滝の下から脱出させられた俺たちは、今まで反対の極だった磁石が反動で同極同士になったかの如く、エネルギーの反発に振り飛ばされてそれぞれ山の斜面に墜落した。
◇
「湊甚平!
よくわかんないけど、引率者はこういう不測の事態をもっとスマートに対処してみせるものじゃないの!?」
「返す言葉もございません」
「それから、そのヤバいモノに憑かれたMr.!
何なのそれは!?」
「夜刀神です。それから俺は矢束玲史です」
飛ばされた後に斜面の木の上に引っかかって、救助された弥月はぷりぷりとお怒りである。
要を正面の岩に正座させつつ、携帯裁縫セットにて衣服の破れた部分に応急処置をしていた。
「あぁもう、腹立つ…自分にね!
咄嗟の対応がまだまだなのはわたしも同じだわ...
落ち着いて考えれば、他にもやりようがあったのに…」
ぶつくさ言いながら針を操り、ピタリと指を止める。
そして、バッと俺を振り返った。
「蛇神夜刀神!?」
「イエス」
「あのねちっこい粘着力はそういうこと...!」
...たぶん違うと思います。
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