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霊戦  作者: 悠布
12/36

10:課題1.廃病院を浄化せよ

 生暖かく()えて澱んだ空気に包まれる。

 真っ暗な室内だが、懐中電灯で照らすと、テレビで見るような普通の?手術室だ。

 医療器具が散乱し、複数の靴跡で床が汚れてはいるが…侵入者が残していったゴミは全く無い。――いや、一つだけ。古いカメラが転がっていた。


 鈍感だなんだと言われる俺も、思わず身震いする雰囲気だ。しかし同時に、認めたく無いが…この空気感が嬉しい。身体に合う、妙に落ち着く。


玲史(れいし)、結界が緩んでる。惹かれないで」

「あ...」


 (かなめ)に指摘され、自分がぼけっと呆けていたことに気づく。

 ここに来る途中で教えられた、自分にバリアを張る簡単な結界術。誰にでもできる、ほとんど霊力を消費しない基本的な護身術を一応保ち続けていたのだが…確かに、無意識に弛めてしまっていた。


 急いで張り直そうと、深く息を吸って――しかしその空気が、穢れている。


 え…どうしよう。

 悪霊と似たヤツのフィールドの()を体内に取り入れて、平気なのだろうか。

 またコイツの力が強まり、地獄のようなあの(・・)状態が襲ってきたら――


 一度そう思ってしまうと、今まで普通にできていた簡易結界が張れなくなる。

 そればかりか、上手く息が吸えない。


 ...なんだ!?

 俺、こんなに精神弱かったか!?


 ドッと冷や汗が出て、軽くパニックになりかける。

 自分だけ重力の(くさび)から放たれたような、内臓の浮遊感が―――



 パン!


 という音がすぐ前から聞こえ、ハッと驚いて顔を上げる。

 不意を突かれて一瞬、逆に落ち着く。目の前に師匠がいて、両手を合わせていた。


「オン・アロリキヤ・ソワカ」


 何か言われた、と思った。

 その直後から、駆け出しかけていた心臓の鼓動が歩みを遅らせ、徐々に鎮まる。


「君は、しっかり心を保っていれば、絶対につけいられる隙は無い。覚えておいて」

「……はい」


 呼吸が戻っていた。

 

 大丈夫だ。

 冷静に、周りを観察する余裕を取り戻す。



 部屋の四隅に盛り塩を置いて回った梨生(りう)が、部屋の扉と窓に紙の御札を貼り付けている。


「繋がったかな…? 結べたってことにしよう…」


 やや不安そうにブツブツ言いながら、壁際のある一点(・・)に視線を合わせた。

 

 俺には見えないが、そこに居るのだろう。


 

 荷物から出した箱に入っていた風鈴の紐を指に引っ掛け、手首を振った。

 りーーん……と場違いに美しい鈴の音色が響く。


「トホカミエミタメ カンゴンシンソンリコンダケン

 祓い給え清め給え」


 そう唱え終わるのと同時に、彼女の周囲だけモヤが晴れたように感じた。


 続いて自分の足元に塩を撒き、床に膝をつく。

 懐から取り出した小袋を頭上に恭しく捧げ持った後、また丁寧に仕舞った。


「...掛けまくも畏き祓戸(はらえど)の大神たち。

 (もろもろ)禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)有らんをば、祓え給い清め給えと申す事の(よし)八百万(やおよろず)の神たちともに聞こしめせと、(かしこ)み恐みも申す」



 奏上し終わり、一拍置いて、ふわりと。

 梨生の周りの清浄な空気が、部屋全体に広がった…気がした。


 彼女の見つめる先の空間が一部だけ、揺らぐ。歪む。

 

 そして笑えることに、俺も苦しい。

 誰だよ「私はお祓いできない」とか言った奴は!

 そりゃあ、神職さんたちに囲まれた時ほどじゃないけど…十分に中の悪霊野郎が嫌がっている。


 要が感心したように、パシャパシャとスマホで写真を撮っている。


「わぉ、凄い。まさか御守りレベルの依代一つで、ここまでやれるとは…。さすが神社の助勤。塩と鈴だけなのに」


 俺が全身を襲う不快感と闘う横で、「低級霊は一掃されたね」と頷きながら、師匠がフラッシュを焚いて室内を撮影しまくる。

 

 パキッピシッ、コン、ガン! と壁や床が鳴っている。

 今度は明らかにネズミじゃない。


「これが限度ですね。今の私ではこの上何を重ねても、浄化できそうにありません」


 立ち上がった梨生が、一点から視線を逸らさぬまま要に問う。


「あの()が…失踪したという、院長でしょうか」

「おそらく。僕も霊視系はそこまで得意じゃないから、深くは辿れないけど...」


 彼も撮影を止め、壁際に目を向けた。


「怒りと後悔、彼は…自殺? ……いや、これは()さ――」


『おいで』


 要の言葉を遮って発せられた台詞は誰のものだ?

 

 ...って、俺じゃねぇか!

 勝手に喋んな夜刀神!



 とツッコんでいる場合ではなかった。

 おいでって…いや、おいでになられちゃ困る!

 なに、合体でもする気か……はっ、する気(・・・)だな!?


 どうやら()が動き出したようで、梨生が塩水鉄砲を、最初からややズレた位置へと放った。

 俺には普通に水が壁に掛かっただけのように見えるが、彼女は困惑したように眉を寄せる。


「貫通したのに、ほとんど効かない...?」

「彼の強い負の感情が穢れを呼び寄せているだけで、彼自身はそこまで堕ちた存在じゃなかったようだ。

 だから塩の浄化作用が通用しない」


 その言葉を聞いて、両手を組んで九字を切ろうとしていたであろう梨生が、動きを止めた。


「除霊は可哀想?」

「……はい」

祝詞(のりと)だって、怨念で動いている霊体に対しては、強制的に浄化するんだから…似たようなものだと思うんだけどね」


 師匠は一体何がしたいのだ。

 俺は懸命に足を動かして、頑張って逃げているというに。

 相手が見えないものだから、二人の視線の先から大体の位置を読んで特定している。


「玲史ならどうする?」

「今みたいな時間がない場合は、迷っている暇はありません。ヤツと合体すれば事態が悪化するので、確かに可哀想ですが、俺なら謝りながら祓います!」


 こっちには余裕が無いので、あまり深く考えずに叫ぶ。

 広くない部屋だから、相手との距離が縮まっていく。

 うおぉぉ、逃げろ逃げろ!


 バリアを強化しながら、カニのように横歩きで移動する。

 部屋の隅に追い詰められるのだけは避けねば。



「――そう、ですね。最初から完璧を求めるのが、間違っていたかもしれません」


 静かな声で言い放った梨生が、正面から俺をまっすぐに捉えていた。

 …いや。それ(・・)越しに、俺が居るだけか。

 

 ...ん?

 何をするつもりか不明だが、これ……勢い余ったら、直撃ルートなのでは。

 

 なにか飛んできてもいつでも躱せるように身構えていたら、彼女は普通に歩いてくる。

 え。歩いて…来る?


「ちょっ、梨生!」


 要が慌てたように思わず手を伸ばしたが、当然届かない。


「違いますよ、要。別に憑依させようとかじゃありません。

 確実に祓うだけです」


 窓際に追い詰められつつあった俺の前で足を止めた梨生が、右手の拳を握りしめた。


「貴方に悪気は無いのでしょうが、この廃病院は穢れの溜まり場になっています。今の私では天へ送って差しあげることができないので、祓われて下さい」


 目を据えた彼女から、凛と集中した気迫(気配)が立ち昇る。

 公園で見せた時の、ホワンとした雰囲気とはまるで違う。


 相変わらず霊感0の俺には、すぐ前にいるであろう幽霊の存在は全く見えないが――

 梨生の、エネルギーの流れは感じ取れた。開いて指を伸ばした右手へと、何か(・・)が集まっていく。さらにそのまま、何も無いはずの指の先にまでも。


 今回は腰に剣鞘を具現化(イメージ)する事なく、左脇に引いた右手を、一気に縦横に九閃した。

 ――恐らく、ゼロ距離で。


 (しゅ)を唱える声は聞こえなかった。

 なぜなら俺も、その余波だけで、今までに無いダメージを受けていたから。


 真正面から、弾ける電流が格子状に走り抜ける。

 息が止まり、心臓まで止まったかと思った。

 全身が硬直し、頭に霞がかかったかのように思考が働かない。内臓は沸騰しているのに、表面の肌は悪寒に震える。

 

 結界?

 あれは穢れを防ぐものだ。破邪の呪法は弾かない…って今知ったけど。


 

 薄れゆく意識の最後に、部屋全体が淡く銀色に光った気がした。



       ◇



 玲史が血を吐きながら昏倒して、梨生は茫然と立ち竦んだ。


「――え...?」


 全く、予想していなかった。

 院長の幽霊に向けて放った九字の余波が彼にまで行くかもしれないとは思っていた。だからこそ、正面から敢えてずらさなかったのだから。

 だがそれは、単純に「勿体ない」と考えての事だ。夜刀神にも少し効けばいいな、と。


「………」


 玲史が、ゆっくりと目を開いた。

 だが、この内心が読めない表情はーー彼ではない。

 そして静かに、双眸に怒りの光を(たた)えて梨生を冷たく見やる。


「この...小娘が。

 小僧を取り入れたら、次は貴様だ……」


 言い終えるともう一度、ゴフッと吐血して、再び気を失った。



「......。」

「ターゲットにされたね。

 もし玲史がソレに負けて取り入れられたら、君には手に負えない。そして君まで取り込まれたら、もう祓えない」


 よいしょ、と要が玲史の傍に屈む。

 上半身のシャツを捲ると、胸に、黒く焦げたような十字の傷がついていた。


「残りの七太刀…いや、六太刀分か。体内に届いたな」


 服を戻す。

 そして荷物から取り出した香水の瓶のような透明のガラス瓶に、木の枝を差して先端を濡らし、引き抜いた。

 先に付いた雫を玲史に振りかけ、「オン・アミリテイ・ウンハッタ」と呟く。

 続いて両手で印を結び、それを解き、「オン・バザラ・サッタ・ウンジャク」と唱えた。


「...あの…」


 梨生は何か言おうとしたが、言葉が続かない。

 

 こんなに有名な呪法がここまで危険だなんて、知らなかった。人間の身体にまで効果が刻まれる…などと。


「君の潜在霊能力を、低く見誤り過ぎた。安易に勧めた僕の責任だ。

 ――普通なら、霊に憑かれた人間に放っても、何の問題も起きないことが多いんだけどね。放ち手も受け手も強すぎたようだ」


 まさか一太刀目で、本来の目的の霊体が消滅するとは。要にも予想外だったのだ。さらに、続く八太刀が玲史(悪霊)に吸い込まれるようにクリティカルヒットしたのも。

 梨生が手の先にかなりリアルな剣を顕現させて放った事にも驚いたが。


「今ので、なんとなく霊力の使い方がわかったかな」

「…はい」

「じゃあ当初の目的達成だ。玲史も復活したし、結果オーライって事にしよう」


 ぱちっと目を開けた玲史を振り返りながら、要が微笑んだ。



       ◇



「大丈夫?」


 覗き込む師匠に頷きを返し、身を起こした。

 さっきまでよりも周囲の空気が澄んでいる上に、身体が軽い。口の中は気持ち悪いが。

 心配そうにこちらを見ている梨生に焦点を合わせると、こめかみがズキンと痛んだ。


「ぬぬっ…?」


 一瞬、憎しみにも似た不快感に襲われたが、すぐに消失した。気のせいか。


「無事に霊は祓えたよ。その影響で、この建物自体の穢れも徐々に薄まっていくだろうね」

「あの、玲史。傷つけてしまって、申し訳ありませんでした」

「僕からも謝る。彼女の力を見切れていなかったから。ごめん」


 んん?

 何があったんだっけ。


 確か、悪霊に呼ばれてフラフラと寄ってきた幽霊に向けて放たれた梨生の攻撃が、俺のところにまで届いて…

 その時は雷にでも切り裂かれたからと思ったが、今はなんともない。

 

 ふと下を向くと、襟元が赤く汚れていた。口元を拭うと、手に血が付く。


 あー、やっぱりダメージ受けたんだな。

 要が治してくれたのだろうか。

 

「俺は元気だから、気にしないでください。多分、回復させてもらったんですよね?

 それに最初より、身体が楽になっている気がします」


 なんとなく両掌を開いて見ると、ぼんやりと銀色に光って見えた。


 ...あれ?

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