9:課題1.廃病院を探索せよ
1987年に建てられ、2001年に営業停止した「上北沢病院」。地域に根ざした病院ながらもその規模は大きく、入院用病床こそ少なけれど、手術も可能だったという。廃業の理由は、当時の院長の失踪による、一連の混乱の末によるもの。かなりゴタゴタしたらしく、設備の撤収や取り壊しもされぬまま、現在まで心霊スポットとして名を馳せ、廃墟好きや幽霊好き・地元ヤンキーの出没がよく見られるという――
「――って書いてあるな。このサイトには」
「うー、バリバリの廃病院ですねぇ…やっぱ止めません? 寝ている幽霊さんは、起こさない方が...」
スマホで検索した「群馬県の心スポ一挙公開」という黒背景のサイトに記された情報を読み上げると、梨生がそわそわと正面の建物を見上げた。
何を隠そう、暗ーい雰囲気を漂わせた眼前の廃墟こそがその「上北沢病院」である。
夜という時間帯も相まって、かなり不気味なのは確実だ。
「ここまで来てアレですけど、ほら、不法侵入になりますし…」
「あ、それは大丈夫。僕、「超常現象発生建造物に対する侵入・調査許可証」持ってるから」
要が鞄から取り出して見せたのは、クリアファイルに入れられた許可証のコピーだ。署名してハンコを押したのは……国土交通大臣!? アンタ何者だ!
「万一警察と遭遇したら、これを印籠のように翳そう」
「うぅ、わかりましたよぅ。それで幽霊もハハーッと下がってくれたらいいんですけどね...」
怖気付いていた梨生だが、観念したようにガクッと項垂れると、2秒後にはキリッと顔を上げた。
「よく考えたら、こちらには既にラスボス級の悪霊に憑かれた玲史がいるんです。
何も恐れることはありませんでしたね」
「どんな理屈でそうなるのかわからんが、取り敢えず良かった…な…?」
怖さが麻痺するということだろうか。
ものは考え方だな。
彼女も腰のポーチを探って、何かを取り出す。
それは…真っ黒な拳銃だった。
「ピッ、ピストル!!」
「何言ってるんですか。水鉄砲に決まってるじゃないですかー」
さっきトンキホーテで買ったんですよ、と言いながら、いつでも打てるようにしっかりと構える。俺ではなく、建物に向かって。
「さあ、行きましょう」
「おぅ…」
勇ましく号令をかける割には、俺と要の中間に位置どりながら。
◇
「廃病院を、丸ごと浄化するつもりでいこう」
移動中の電車内にて、師匠が言った。
「まだ最初だから、特に何も指示は出さないし、制限もかけない。梨生は持てる知識と知恵を総動員して、ガンガン祓っちゃって」
「了解です」
「玲史は、もしかしたら中の悪霊が動き出すかもしれない。
臨機応変に対応を」
「...了解っす」
臨機応変ってなんだ!?
いや、予測不能だからこそのそれなんだろうけど。
「要は何をするんですか?」
「僕は、その他の雑用とカメラマンを引き受ける」
撮影はともかく、その他の雑用…?
と、その時は首を捻ったのだが。
◇
壊れた門を潜り、敷地内の駐車場を抜け、開け放された建物の入り口から中に入る。
ここは受付と待合室の辺りだろう。地面には割れたガラス片やお菓子のゴミが散乱し、よくわからないゴザの残骸のような謎の物体も多い。
壁には妙にセンスの無い落書きが施され、そして――
建物の奥からは微かに、複数人が騒ぐ声が聴こえる。
「やはり先客がいるね。夏休みだから、肝試しかな」
要が鞄から蛍光緑の腕章を取り出し、左腕につけた。
「オカ研・部長」と書かれている。
さすが師匠、用意がいいな。身分証明の完了だ。
「あのぅ、もう思いっきりそこら中にウヨウヨいません…?
鳥肌が立ちっぱなしなんですが...」
「いるいる。だけどこの辺のはただの野次馬だから、相手にしなくていいよ」
軽く手を振って、部長がスタスタと奥に先行して行ってしまった。懐中電灯の光が遠ざかっていく。
俺たちも、急いで後を追った。
病院の内部に進むにつれて、空気が重く澱んでいくのがわかる。湿度はそれなりに高いのに、なぜか暑くない。
時折、どこからともなく「カタッ」「パキッ」と音が鳴る。
「おお、これがラップ音か」
「3割くらいね。あとは、ただの家鳴りとネズミ」
「いつも思うんですけど、廃屋のネズミって何食べて生きてるんでしょう…」
話しながらも、師匠の先導の元、二階への階段を上る。
すると、先客たちの声が大きくなった。
少し歩くと、声の主たちが現れる。
俺たちの足音と光を察知してか、ぴたりと静かになった彼らの横を、軽く会釈して通り過ぎる。要は腕の腕章をヒラヒラと翳してアピールしながら。
円満に通過しようとしたが――
「おい、アンタら。今俺たちの連れが二人、その通路の先で肝試しして戻ってくるんだ。だからもうちょっと待ってくれよ」
声をかけられ、こちらも足を止めた。
彼らをよく見ると、この場にいるのは男2、女1の大学生くらいの3人だ。5名で肝試しに来たのか。
雑用を引き受けると言った部長に、この場は任せる。
「あとどのくらいで戻ってくる?」
「わからん。今行ってる二人が最初だか――」
その言葉は、途中で遮られた。奥の方から、「キャアァァァ!」と悲鳴が響いてきたからだ。
「おっ。マイが叫んでら。なんかデタか?」
男の一人が面白がるのと同時に、通路の先から誰かの走る足音が近づいてくる。
懐中電灯を振り回しながら現れたのは、蒼白な顔を強ばらせた一人の女だった。
「はははっ、ショウはどうした。置いてきたのか?」
「…かっ、影が……入ったら、シ、ショウが、顔が...っ!」
「どうしたのよマイ、落ち着いてよ。影と、顔?」
仲間に迎えられ、へたりこんだマイは、振り返らずに後ろを指差す。
「は、早く彼を回収して帰ろう。ダメ、もう無理、もうショウも駄目かも……」
「だから何があったんだよ!?」
「…黒い影が彼に突っ込んだら、顔が別人になったの!!」
憑かれたね、と要が冷静に述べる。
「彼女の言う通り、早く連れて帰った方がいいよ。
長く滞在するほど、元に戻れなくなるかもしれない」
緑の腕章が光って見える。「オカ研部長」の説得力に押されてか、彼らは半信半疑で戸惑いながらも頷いた。
「あ、ああ。…メグはマイとここで待ってろ。ヒロ、行くぞ」
「わ、わかった。
...すみません、俺らが戻るまで、彼女たちを見ててくれませんか? いきなりで申し訳ないんすけど…」
要が、快く了承する。
「おっけー。気を抜かないで、頑張って」
遠ざかる男二人の足音を聞きながら、座り込んでメグに背中をさすられているマイに、要が問いかける。
「影に突っ込まれる前に、そのショウは何かした?」
「…何も。ただ、いつも強気なのに、珍しいくらい無口だった。私の方が少し前を歩いていたくらいに」
体質かな、と彼は呟く。
「霊感もあったのかな。友達間で肝試しに誘われると、引くに引けないからねぇ。特に男子」
「そんな……」
「推測に過ぎないけどね。当たっていても、自己責任には変わりないけど」
玲史は違うよ? と師匠が振り返る。
「君の場合は、不慮の事故」
「フォロー痛み入ります」
頭をかくと、隣の梨生がハッと表情を引き締めた。
すぐ後に、再び戻ってくる足音がする。
懐中電灯で照らすと、ショウを迎えに行った男二人が、その彼と思わしき男の腕を片方づつ掴んで、ずるずると床を引き摺りながら駆け戻ってきた。
二人とも、恐怖で顔が引き攣っている。
「ど、どう...何が…!?」
「…床を這い回ってた。この表情で……」
仰向けに倒れ、ピクリとも動かないショウの顔は、憎悪と悲哀に歪んだ獣じみたものだ。とても彼の年齢で浮かべるようなそれではない。
言葉を失った女子二人を立たせて、男の一人が焦ったように、階段の方へ押しやる。
「お寺でも神社でも何でもいい、この時間に開いてる、お祓いのできる所に…とにかく急ぐぞ!」
すると、建物を出ようとする気配を察知したのかーー引き摺られるままだったショウが飛び起きて腕を振り払うと、再び通路の奥へと姿勢を低くして走り戻ろうとした。
「――ショウ!!」
だが、梨生がスッと出した足に引っかかって、見事に転倒する。
彼女は荷物から「食塩」と書かれた白い袋を取り出すと、中身を手に取って、倒れた彼に振りかけた。
「落ち着きなさい。そのまま彼を乗っ取っても、良いことは何一つありません。
一旦出て、元の場所に戻りなさい」
彼の身体を引き起こして、背中の上の方を、パン! と叩いた。
途端、ショウの歪んだ表情がスッと抜け落ち、強張っていた体も弛緩する。
「出ました。…また憑かれないうちに、早く帰った方がいいですよ」
「え...え!?」
「嘘……」
彼の首根っこを掴んで仲間たちに引き渡した梨生が、目が笑っていない笑顔で告げる。
「もう少し勉強してから肝試しをしてくださいね。
…運も実力のうちですけど、毎回助かるとは限りませんから」
◇
やっと静かになった廃病院を、再び要の先導で進む。
「こっちの方が、居そうかな...」
「あ〜、やっぱり怖いものは怖い…いくら御大が近くにいるといっても...」
「さすがにこの辺は、落書きも無いな」
各自、好き勝手に喋りながら、テクテク歩く。
要はのんびりと、梨生はピストルを構えながら、俺はキョロキョロと。
「あ。この部屋」
師匠が立ち止まって見上げた扉の上には「手術室」と書かれたプレートがある。
「でたぁ、手術室! 廃病院のラスダン!」
「ラスダンは霊安室じゃね?」
ピャッと飛び上がった梨生に冷静に返したが、その俺にも要が落ち着いて答える。
「手術室には「怖い・嫌だ」という患者の念がこびりついているから、あながちラスダンで間違いは無いね。引き寄せという意味では、最強の部屋だ」
そうなの。
どうりで…寒いわけだ。
...この先で待っているモノに、悪霊が反応している気がする。神社や滝に入ろうとした時の拒絶とはまた違う、むしろ真逆のーー「進みたい」。
動き出そうとする足を床に縫い付け、じっと立っている俺の様子に二人も気づく。
「中、入りたい?」
「...ええ。不本意ながら」
「うわぁ、やっぱりそれなりのが居るんですね…」
興味深そうな要に聞かれて答えると、梨生が無意識に一歩退がった。
「おそらく、この部屋に居るヤツが、建物全体をこの雰囲気にしている元凶だ。部屋ごと祓ってしまおう。
――梨生、できそう?」
「やってみます。玲史は無理でしたけど、このレベルなら…」
彼女がお祓いをしたところはまだ見たことが無いんだが(さっきの背中バンはノーカン)、その言い方からして、神社で倒れた俺が背負っていたのがもう少し弱いヤツだったら、なんとかしてくれていたのかもしれない。
「玲史。もし余裕があれば、よく見ておくといい。
いずれ、似たようなことを自分でやるから」
「…はい」
余裕があれば、か。
......。
前に出たがる足を解放して、先頭に進み出た。
「では、行きます」
重い扉を、両腕で開けた。




