8:心身も清浄に
シャーーーーッッ……
っと遠くから優しく響いているのは、セミの鳴き声である。
街中の、アスファルトに反射するミンミンゼミの大合唱とはまた違う、夏の山中特有の音。
現在俺は、群馬県の山を歩いている。
なんかもう凄い「ザ・自然の中」で、当然足元の細い道も舗装されていないんだが、特に登山の格好はしていない。ジーンズと運動靴に、普通のリュックを背負っているだけだ。
頭上の木の枝に陽射しが遮られ、涼しげな風でサワサワと葉が擦れる音がする。時折囀る鳥の声を聴きながら、気持ち良く足を動かしていると――
「ちょ…ちょっと休憩...」
遥か――とはいかないまでも、結構な後方から声がした。
足を止めて振り返ると、要が膝に手を当ててへばっている。
それを受け、俺も前を行く梨生に伝える。
「休憩入りまーす」
「…了解でーす」
前方で彼女が足を止め、Uターンする。その鞄についていた、熊よけの鈴代わりの風鈴の音色が大きくなる。
要がその辺の岩の上によじ登って、ペタッとうつ伏せに張り付いた。
「…できる……余裕だ余裕……」
と呟く声が聞こえる。
これは普通の人が言う「無理…もう無理…」に該当する、彼流の弱音である。と、学んだ。
なぜ山登りをしているのかというと、修行の一つだそうだ。この先にある滝の水を浴びるという。
今居る山自体が神聖な場所らしく、こうして登っているだけでも色々と良い効果がある。と説明された。
のは、いいのだが。
要が、えらく体力が無いのだ。小学校の低学年並みなのではなかろうか。
酸素が薄いのもあってか、すぐにへたばる。
さすがに今は甚平ではないが――
って、あぁそうだ。どうして街中でも甚平スタイルだったのか聞いてみると、
「軽くて通気性が良くて柔らかくて締めつけないから」だそうで。重くて硬くてきつい服装だと、それだけで余力を削られていくらしい。冬はどうしているんだろう。
とまあ、そのレベルに虚弱な彼だから、生きて山を登っているだけでも凄いと思う。
逆に梨生の方は、かなり体力があった。運動神経が良いだけでなく、歩くのも速くて身体の使い方が上手い。
要の歩調に合わせて進むと疲れるそうで、自分のペースで先行しては戻ってーーを繰り返して、距離が離れないように調節している。こっちも大変だな…
俺はその中間レベルに位置する。つまり普通。
自分だけが快適に山登りしてしまっているようで、微妙に申し訳ない。
岩にくっついた要が、真夏に冷房の効いた部屋に入った時のような顔をしている。
ふと、思ったことを聞いてみた。
「...何か、チャージしてます?」
「してる。この岩、優しい」
片言の言動が、野生の人間感を醸し出している。ちょっと日本のターザンっぽい。
目をすがめても、特にエネルギーの流れらしきものは見えない。
「梨生は視える?」
「…視えはしませんけど――わかる、ような気が。
...いえ、やはり気のせい、かな…?」
首を捻っている。
「二人ともそれで十分だよ。自然のエネルギーが意図せずともハッキリ見えたら、視界が不便だから」
素人目にも、体力が僅かに回復したことがわかる要が身を起こした。心なしか顔色も良くなっている。
「お待たせ。行こう」
◇
やがて着いた先は、渓流の上部。細い滝が岩の上から流れ落ち、ごく浅い滝壺の上に、滝の真下まで飛び石が続いている。
滝行の場をイメージした時の、岩にかかった注連縄やすぐ傍に鎮座する不動明王の祠など…そういう宗教的な物は一切無い。
近くに、ひっそりと小屋が一軒建っているだけだ。
「ついた...」
要が、その辺の大木にビタっと張りついた。また何か吸ってるな。
「順番にその小屋で、持ってきた水着に着替えて。
準備体操したら水浴びしてから、滝浴びてー」
てっ、適当!
白い行衣じゃなくて水着なのもそうだが、滝行の前の儀式的なものとか、浴びながら合掌して何か唱えたりとか……やらんでいいの!?
「あぁ、いいのいいの。宗教じゃないから」
確かに...って、また心読まれた。
梨生が俺に向けて「お先にどうぞ」という仕草をしながら、靴を脱いで水辺の石に腰掛けた要に問う。
「要はやらないのですか?」
「ふっ……。そんな事をすれば、下山する余力が無くなる」
そりゃそうか。
色々とツッコみたい点はあるが、とても納得した。
先に山小屋にて、持参した水着に着替えた。
軽くストレッチしてから、沢の水を掬って肩からかけて水温に慣らす。
さてやるか...と滝の下に向けて歩を進めようとしたところで、足が止まった。
おおぅ。この感覚、神社の鳥居を潜る前と同じだぜ。
悪霊のヤツの影響を受けにくくなっていたから、存在を忘れていた――わけではなかったが、本当に嫌な時にはしっかりと主張してくるんだな。
くっくっく……是非ともやらいでか。
固まった両脚と格闘し、ンギギギ…とロボットのように滝下へ到達した。そんなに大きくはない滝なのに、近くで見ると音と迫力が凄い。
嫌がる足をチビチビと動かし、立つ位置を調節する。
首の後ろを直撃する水流が重い、痛い、冷たい! 夏でよかった...。
さらに、舞いに舞う水飛沫で呼吸するのも地味に大変だ。
「し、ししょー! どのくらい当たれば!?
あと、ほんとに、な、何も言わなくていいんすか!?」
バババババ……と耳の後ろで鳴る轟音で掻き消されないよう、声を張る。
飛沫で霞む視界の向こうで、沢に足をつけてバチャバチャ遊んで(?)いた要が、うーん…と上を仰ぐ。
「とりあえず5分くらいかな。…5分後に声かけるけど、死にそうになったらその前に中断してね。
――確かに、何か繰り返した方が集中できるか。
じゃあ…「懺悔懺悔六根清浄」で」
「どういう意味っすかーー!?」
「知らぬまに犯している罪ゴメーン、五感プラス第六感の発達を願ーう」
「りっ、了解っす!」
本当は歩く時の台詞なんだけど、まぁいっか……と言う彼の呟きは俺には届かない。
「サンゲサンゲ・ロッコンショージョー!
サンゲサンゲ・ロッコンショージョー!!」
何度も繰り返しながら滝に打たれていると、最初は重かった水流が、だんだんと気にならなくなってきた。
身体が反発せずに、水を受け入れるようになったような。
気づけば、逃げ出そうとする足の動きも止まっていた。
「はい5分。お疲れー」
遠くから声が届いたので、一歩前に出て振り返り、自然と一礼する。
「滝さま! ありがとうございました!」
「おー、良い感じに整ってきた。グッジョブ」
要がパチパチと拍手している。
肩のコリが解れ、身体がポカポカと暖まった。エネルギーがチャージされ、戸棚の中の宝石とやらが磨かれた気がする。
待機していた梨生と交代し、小屋で身体を拭いて着替え終わって外に出ると、彼女はまだ滝行をやっていた。
「シンカセーメー・シンスイセーメー……」とか唱えている。
細く陽光の注ぐ中、祈るように両手を前で組み、滝の周囲に虹がかかったその様子は実に神秘的だ。
体内に悪霊を抱えている俺と違い、自然の精霊に歓迎されているようにも見える。
「はい、5分〜〜」
「ふわぁぁぁ、んー、気持ちよかったー。
滝さんありがとうー」
伸びをしながらあっさりと滝行を終える梨生。
余裕すぎん? 俺、結構膝にキテいたんだが。
だが彼女が横を通り過ぎる際に、ボソッと「滝汁ブシャー…」と呟いたのが聞こえたことによって、俺の小さく切ない想いは霧散した。
◇
着替え終えて師匠の前に集合した俺たちは、ついで有り難い説法でも聴くのかと思いきや...
「余計な雑念や穢れは落ちましたかー?」
「はい、たぶん!」
「自然の力もいただけました」
うむ、と頷いた要は、悩まし気に足をバチャつかせる。
「本来なら、このままひたすら穢れを落として霊能力アップを目指すのが定石です。しかし、我々には時間がありません。
なので、特別夏期講習を行います」
...なんだろう、若干嫌な予感がする。さっそく滝行の成果が出ているのか?
「普通は、絶対に行くなと言われる、あの場所。「低級霊のスラム街」の異名を持つ、通称「心霊スポット」。正式名称「穢れの吹き溜まり」に、これから向かいます」
通称しか聞いたことねぇ!
「清めて、穢れを浴びないように頑張って、また清めて。
除霊して浄霊して祓いまくって。質より量を。
夏にピッタリな、実践式集中講座です」
石から立ち上がって滝の傍に近づき、飛沫を浴びて目を細めながら要はキラリと笑った。
「僕の理論上では、これが最適な修行形態なんだ。
まだ試したことないから…実験に付きあって?」
「心スポは嫌ですー!
百害あって一利無しじゃないですか!」
梨生が瞬時に抗議の声を上げる。
これは――ああ、怖がってるな。昔、嫌な思いでもしたのだろうか。
「通常ならね。悪い影響しか受けない、害だらけの場所だ。
だけど――それを逆手にとる。
常に降り掛かる穢れから身を守るためにバリアを維持し続けることで、強制的に結界展開能力が鍛えられる。
それに…なんだかんだ言って、この世ならざるモノに触れるのが一番手っ取り早いんだよ。例えそれが、成仏できずに現世を彷徨う霊体でも」
なんだろう、マッド・サイキック感が。
「僕たちは、神職じゃない。
修験者でも僧侶でも、司祭でもない。必要以上に穢れを厭う理由は無いんだ。いつも綺麗にしておいて、汚れたらその都度祓えばいい。
――違う? 梨生」
彼の言葉を唖然と聞いていた彼女だが、問いかけられ、しばし考え込んだ後...頷いた。
「そう…ですね。神仏に仕えるわけではない以上、自身に障りさえ出なければ…その通りです。
……神社でバイトをしていたからか、「清浄こそ至高」だと、いつのまにか無意識に刷り込まれていたようです」
ちょ、梨生さん?
いや、え、清浄こそ至高でいいんじゃ…?
あれ俺がおかしいの?
「滝に雑念が流され、本質が浮かび上がってきました。
―――大丈夫です。行きましょう、心スポに!」
心変わり早っ!
それに本質って...あ。
九字。
彼女もそっち系大好き人間だったか...
「玲史は? 嫌じゃない?」
神職さんやお坊さんが何人も集まって祓えなかった、俺の悪霊。そしてそれは、師匠に託された。
実験だろうがなんだろうが、彼が「最適」だと言う以上、全力で信頼するに決まっているだろう。
それに―――
「心スポにコイツ以上の化け物が居ないとも限りません。
要の言う通り、実戦で鍛え、活かしましょう」
俺も、にやりと笑う。
なんのかんの、そういうのが好きなんだよなぁ。
懲りないと、自分でも思うがな。




