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第2-1話 <夢見る都市の悪夢の日々>

 深淵しんえんを覗くとき、それは心が深い闇に飲み込まれていくのだと感じた。ブラックホールのようにその悲惨ひさんなる運命から逃れることはできず、もがき苦しみの末、やがて生気を失う。破壊された心身は、決して回復することはなく、荒廃こうはいのすえに忘れ去られて崩壊ほうかいする。

 それは深淵隊に支配された深淵領の各都市も同じだった。生命体による生活の営みがあるはずなのに、、廃墟はいきょのごとく荒廃し、衛生環境やインフラが死滅しめつした今では、ここが昔どのような輝きを持っていたか思い出すのが困難こんなんだろう。地下に埋められた電線や上下水道管、ガス管は所々《ところどころ》で地表に露出ろしゅつし、今にも崩れ落ちそうな外壁や、ヒビや陥没かんぼつが目立つ道路が、いかにこの都市が手入れや維持管理が行われていないのかを、納得させるだろう。

 もしも事情を知らぬ者がその風景を見た時、核戦争後の世界だと直感的に感じるだろうが、訂正すると実際は核戦争とは比にならない被害と破壊をもたらしているのだ。例えば大規模都市への爆撃ばくげきに使用されたのは“圧縮型あっしゅくがた反物質爆弾”であり、一発で数百キロを焦土しょうどにした。文字通りの焦土は、文明の痕跡を根こそぎ消滅させ、巨大なクレーターの出現させる……。都市郊外は致死性のある毒ガスが広範囲かつ大量に散布され、もはや生命体が住む環境でなかった。


「それじゃぁ、いってくる」


 崩壊した都市に立つマンションの一室。512号室のドアが開かれ、中から一人の少年が姿を見せる。やせ細った体、少し長い髪の毛。その瞳からは生気が失われ、しかし絶望に飲み込まれているわけでもない。少年は、黒の長ズボンに藍色のジャケット、ボロボロにすり切れたスニーカーに、大きなリュックサック。何よりその口元を覆い隠すマスク……いや、ガスマスクは、少年からただならぬ気配を醸し(かもし)出していた。


「うん、気を付けてね……」

「大丈夫、すぐに戻ってくるから……。鍵、ちゃんと閉めるんだぞ」


 玄関から顔をのぞかせる少女に眉を緩めて(ゆるめて)優しくほほ笑むと、崩落しかけている共用通路を通って階段から静かに、それも足音すら立てない慎重しんちょうさで階下へ降りていく。


―大丈夫、か……。


 少女……自らの妹にそう強がって言ってしまったが、深淵から込み上げ、飲み込もうとする恐怖心で少年の心はいっぱいだった。いくらこの残酷ざんこくな環境を受け入れても、それが本心から望んだことではない。生きるためにそう選択せざるを得ず、それに受け入れたとしても突然訪れる死からはどうあがいても抵抗できないだろうことを悟っていた。

 少年。スタンリー・パーディットはあの攻撃から生き残った一人として、そして深淵領の恐怖を知る経験者として、このあと警戒するべき行動を思い浮かべる。彼が命を懸けてでも外出するのには理由があり、その理由を目標として達成するためには……、


―……気配を殺す。

―……良心の呵責かしゃくを消す。

―……生きるためには手段を選ばず。


 念仏を唱えるようにそう復唱すると、エントランスホールには行かずに1階共用廊下の壁をヒョイと跨ぐ(またぐ)。マンション裏の駐輪場から大きく遠回りして出てきたのは、かつてスタンリーが小学校へ行く通学路の途中にある児童公園。滑り台やブランコ、うんていやジャングルジムといった懐かしい遊具が放置されていた。雑草が無秩序に生え、長期間の雨ざらしに加えて人の手が加えられなかった遊具は、遠目に見てもびついて時間の経過の早さに驚かされる。


―……たかが十年前なのに……変わり過ぎだ……


 その顔は、懐かしむようにも、しかし悲しそうにも見える。


―急ごう……


 時間がない。そう考えるまでもなく少年の歩みはまっすぐにその場所へ向かった。廃墟となり、そして薬と性に溺れた堕落だらくした大人の楽園と化した小学校の横を通り過ぎ、一軒家や小さな商店が点在する閑静な住宅街の路地裏をしばらく歩き、やがて大通りに出る。

 かつては国道として地域の物流や経済を支え、いまでは見通しの良さから“射殺場しゃさつじょう”の異名を持つ大通りを路地裏から顔を出し、慎重に……精神を研ぎ澄ませ、気配を探り深淵隊の存在がないことを確認する。

―深淵隊は……いない……のか?

 スタンリーは平静を保っていたが、内心驚き(おどろき)と警戒心でいっぱいだった。

 いつもなら、血に飢えた猛獣もうじゅうが数人いてもおかしくないだろうが、今の大通りは驚くほど静寂せいじゃくな空間により支配されている。深淵隊が見張っている場所次第では、大きく迂回する必要があるのだが、どうも本当に深淵隊はいないようだ。


わななのか?


 しかし、罠と思わせるトラップは確認できない。

 つまり、ここに深淵隊はおらず、スタンリーは意を決し前屈みになると、大通りを横断しようとした……。

 その時だった。


「……⁉」


 感じたことのない殺意の波動を感じ、思わずある方向を向く。最悪なことに、そこはスタンリーが大通りを覗いていた場所から見て死角に位置し、その異形を目視するのは大通りの中央分離帯に来てからのことだった。

 グチュグチュと身の毛がよだつ音を立てて、何かはスタンリーに背を向けて道路の真ん中に座っていた。ポタポタと液体が地面に滴る(したたる)おぞましい音、そして恐らく人型の何かは両手に何かを抱えて、まるで、そう……食事をするかのように、手を動かしていた。


―ヤバイ‼


 本能が激しく警告し、理性がいち早くその何かから視線を逸らすように警告し、高まった緊張がスタンリーの全身を支配して、機械的に動かそうとしていた。だが、それ以上に全身を硬直させる恐怖……腹の底が激しく熱を持ち出し、今にもほぼ空っぽの胃から胃液を逆流させようとしている。ドクン‼ ドクン‼ 張り裂けるように心臓が脈を打つのがわかり、それはもはや締め付けるような痛みを伴ってくる。

 ゆっくりと音を立てないように、そして可能な限り気配を殺しながら背後を通り抜けようと歩き出したその瞬間。

 ジャリッ


―ッ‼


 最悪なタイミングだった。

 靴とアスファルトの間に挟まった小石がアスファルトとこすれて音を立ててしまった。

 何かは今までの行動をピタリと止め、飢えた肉食獣のようにゆっくりと振り返り……スタンリーと目が合う。

 それは、もはや怪物だった。

 人の形をした何かは、大きく見開いた白目、灰色とも薄汚くねずみ色をした肌。手足が胴体に比べて異常に長い。口元をはじめ、なにも衣服を着ていない何かの前面は、びったりとこびり付いた赤黒い血に染まり、人間味を感じさせない異形。

 ヴゥウウ ヴゥウウと、その声はもはや動物。人ではなく、文明と理性を有する生命体でもなく、動物的本能を解放したかつて人間だったもの。

 何より鳥肌を立たせたのは、その何かが喰らいついていたのが、明らかに人間の腕であること。そして何かの足元には無造作に転がる肉塊が……


「ッ⁉」


 初めてこの世界に住んで良かったと思った瞬間、それは危機能力と反射的な行動が身につき、すぐさま大通りを横断しようと走り出せたことだった。


 ギギャァアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!

 怪物のうめき声は絶叫となった。一何かは全速力でスタンリーに向かって走ってくる。動物のように四足歩行で、人間であるとは到底思えないん速度で、理性を感じさせない狂気じみた表情で、獲物をみつけた肉食獣のように走ってくる。

 スタンリーは走った。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 元気いっぱいの昔とは違い、外に出れず家で軽い運動をするだけの今のスタンリーには、長時間全速力で走っていられる体力はない。しかもここは自由に逃げられる環境ではなく、背後から迫る恐ろしい何かに加えて、深淵隊と鉢合わせしないように近場をグルグル回って撒くしかないのだ。路地裏や道路をできる限り不規則に走り、視界に入らないように懸命に走る。

 すでに息を切らし、なんどか足がもつれそうになりつつも、心の底から湧き出る恐怖心が、無我夢中で足を動かしていた。

 と……。


「君、こっちだ……!」


 フードを被った男が、不穏なまでに黄色に染まった空と世界で主張するように腕を振ってアピールをしているのが見えた。一瞬、その男が深淵隊の関係者ではないかと疑うを持ったものの、気が動転しそれを深く考える余地を今のスタンリーに持ち合わせておらず、男が指し示した路地裏へと入る。

 異形な怪物はどうやらスタンリーを見失ったようで、ヴウウウウ……といううめき声をあげながら遠くの彼方に消えていった。


「……行ったようだ。君、大丈夫だったか?」


 スタンリーを助けたフードを被った厳つめの男。遠目では気が付かなかったが、左目を覆い隠すように黒の眼帯を巻いていた。


「えっ、あ、はい。大丈夫です」


 この世界で身内以外の人間は信用してはならない……という既知の事実があるのだが、少なくとも追われていたスタンリーを助け、あまつさえ常に他人どころか自分の身を守るので精一杯なこの世界で、気を遣う素振りを見せる男がどうしても敵であるとは思えなかった。


「助けていただきありがとうございます。えっと……」

「あぁ、自己紹介がまだだったな。俺はフローレンツ・フェルダーハイム。そうだな……元軍人と覚えておいてくれたらいいか。」

「軍人……ですか」

「元、だけどな」


 ニッと笑う男……改めフローレンツ。


「それで、君は?」

「あっ、すみません。スタンリー・パーディットです」

「そうか……随分若いように見えるが、歳はいくつだ?」

「えっと……、たぶん16歳だと……」

「16歳⁉ その年で、なんで白昼堂々《はくちゅうどうどう》出歩いているんだ……⁉」


 信じられないと絶句するフローレンツ。スタンリーの年齢が曖昧あいまいなのは、もはや時間の感覚が停止しているというか、時期や季節を感じられる行事やイベントが、もはや存在しないことも大きな理由だろう。


「知り合いから食料をもらいに行くところで……」

「食料となると、配給所からか。それでもいくら武装しているからと言って、未成年……まぁ、いまはそんな概念がいねんもなくなったけど、それでも未成年者が出歩いていいところではないと思うが……」


 チラリとフローレンツが視線を送る先に、少年の腰に巻いたベルトに装着しているホルスターに収まった拳銃がある。父親からの忘れ形見として、そして彼自身の命を守る手段としての拳銃は、かつてオルド・テック(Old Tec)と呼ばれる古い技術でつくられたものだった。コレクション品としては良いお値段で取引されるであろう。


「親御さんはどうした?」

「えっと……話せば長くなるんですが……」


 本当は見ず知らずのフローレンツに話すべきではないのだろう。しかし、あまりにも長い間スタンリーは一人で悩んできた。ある意味、その悩みをとにかく誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


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