第5-1話 <兄妹の闘争>
「ただいま」
生まれてから毎日のように言い続けてきた「ただいま」という言葉を忘却することはできず、癖のように言ってしまうのだが、今日はその後に別の言葉が合わさった。
「お邪魔する」
フローレンツはその豪快そうな性格に似合わず、やや恐縮した様子で家に上がり込んだ。
4LDKのマンションの中は、しっかり掃除されているおかげか、外見と比べ綺麗でシンプルな内装だった。とはいえ、フローリングや壁のクロスが剝れていたり、摩擦によって塗装が削れていたり、もしくは目立たないような箇所に亀裂が走っていたりと、やはり劣化というか、建物自体が崩落の危険性がある以上、こんな場所に人が住んでいることに普通の人なら驚きを隠せないだろう。
「ふむ……すごいな。めちゃくちゃ綺麗にされて……。君ら兄妹で掃除しているのか?」
「いや、主にエスがしてますよ。僕も手伝いたいんですけど、『兄さんは休んでて!』って手伝わしてもらえませんから」
主にスタンリーが外出しているときに掃除されていることが多い。
「ほんとは、昔みたいに掃除ロボットとか手に入れれたら、便利だし楽だと思うんですけど……」
「あぁ、確かにな。まっ、今ではほぼ手に入らない代物だな。俺だって、深淵領の誕生後で、科学だ! ってのを感じれたのは帝国に渡った時だったからな」
「……フローレンツさんは帝国に行ったことが?」
「……ん……あぁ。俺は元々、今の騎士団国のある地域出身だったからな。ややこしいかもしれんが、俺は元々、今とは別のレジスタンスに所属しててな。深淵隊と戦ってたんだが、騎士団国設立と同時に今の組織に移ったわけだ」
「へぇ……」
正確には複数のレジスタンス組織が合体して、今フローレンツが所属する組織が誕生したわけだが、そこまで説明するのも面倒なのでフローレンツが語ることはなかった。
そんな雑談を交わしつつ、リビングで荷解きをしていたスタンリーとフローレンツだったが、ふとスタンリーは食料品をテーブルの上に置く作業を止め、ためらいながらもフローレンツに尋ねた。
「あの、フローレンツさんは、なんでレジスタンスに入ろうと思ったんですか」
純粋な疑問だったが、フローレンツの表情が一瞬険しくなり、
「……どうして、そんなこと気になったんだ?」
そう聞き返してきた。
「……いえ、ほんと何となく、そう思ったからです。すみません……」
気に障るようなことだったのだろうか。触れてはいけないタブー話だったのだろうか。詰問口調にたじろいてしまい、大人しく撤退しようとしていたスタンリー。
「……あぁ、すまん。別に言いたくないわけじゃないんだ。ただ、まぁ、簡潔に言えば、個人的な怨みだからな……。堂々と言えるようなことじゃないんだ」
「……すみません。野暮なこと聞いてしまって……」
なにかデジャヴ感の強いやり取りである。
「いや、まぁ、最初にあった時割と俺も踏み込んだこと聞いてたから、お互いさまってことでな」
そういえば、つい数時間前にした会話で踏み込んだことを聞いて謝る、というやり取りを立場が入れ替わってやっているだけだった。
ニヤリと笑っていたフローレンツだったが、ふと表情を素に戻すと。
「だが、言ってしまえばレジスタンスにいる奴らが、どういう理由で加入してきたのかはその人によって違うぞ。俺のように、深淵隊に恨みつらみがあるような奴から、深淵隊の暴虐を止めようという正義感から入るような奴もいる。あとは、まぁ、仕事で入る奴も少数だがいるな」
そう述べる。
「仕事ですか」
「そう、たしかイーデンも仕事でレジスタンスに加入したって言ってたな。あの人、もともと帝国出身だったはずだし」
「へぇ……、イーデンさんって帝国出身なんですか」
言ってしまえばこの世界に似つかわしい風貌をしていたイーデン。たしかに帝国出身だと言われれば納得できるだろう。
「あぁ、たしか深淵省の役人だったはず」
「……深淵省?」
聞いたことのない単語に首をかしげざるを得ないスタンリー。
「騎士団国の深淵隊とか深淵領対策の機関だ。俺たちレジスタンスの支援……ほら、配給所の物資とかも深淵省が届けてくれるんだぞ。あとは、亡命関係も関わっているな。俺たちが恐らく今後お世話になる組織だな」
「ということは、フローレンツさんも深淵省の……?」
もっともな疑問にハハハと笑い飛ばしながら、フローレンツは否定する。
「いやいや、俺は普通のレジスタンスさ。まぁ、レジスタンスという活動自体が普通かは分からんが……。そもそも深淵省とかの騎士団国の役人は総じて騎士団員……言ってしまえば、軍人だからな」
フローレンツいわく、騎士団国の公職に就く者(公務員・役人、政治家、警察官、消防士、医者、学校の先生など……)は、総じて騎士団という軍隊に所属する兵士であるという。複雑なシステムだが、軍隊が国家を持ったというフローレンツの説明で、ようやくスタンリーも満足のいく理解を得ることができた。
「格式高い組織に所属できるほど、俺は誇り高い人間じゃないからな」
「そんなことはないと思いますけど……」
事実、彼はピンチに陥っていたスタンリーを助け、初対面の彼の人生に同情し、その身を案じ護衛してきてくれた人である。少なくとも、他人を気遣う心を持っている人は十分誇り高い人間であるとスタンリーは考えた。




