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異世界恋愛(令嬢モノ)

王子殿下のエロ本を見つけてしまったら求婚されました。意味がわからないので婚約破棄してください。

※頭空っぽにして笑い飛ばしてください。


 とんでもないエロ本(モノ)を見つけてしまった。


 大事なところがあけっぴろげなのもさることながら、縄だのロウソクだの、「ナンデスカソレハ?」なアイテムが目白押しだ。体中の血が沸騰するような感覚に襲われつつも、私の指はおそるおそるページをめくってしまう。子供にはとても見せられない刺激的で緻密(ちみつ)な絵が続いていて、私の体温はどんどん上がっていった。


 ――な、なにこれ? なんでこんなエロ本がアドルフ殿下から返却された本に挟まってるの!?


 意味がわからない。アドルフ殿下はこの国の第一王子だ。容姿端麗、文武両道、人当たりもいい。天に二物も三物も与えられる人間っているんだなあと、感心せずにはいられないほど完璧な〝王子様〟――それがアドルフ殿下。そんな人が、王立図書館に返却する本に、どうしてこんなどエロい本を挟んでるんだろう。そして私は、どうしてこんなものを手にしてしまったんだろう。


 私はただ、王立図書館の館長をしているお父様に忘れ物を届けに来ただけのはずだった。なのに、


「ちょうどいいところに来た! すまん、ちょっとだけ手伝ってくれ!」


 と、返却された本を棚に戻す仕事を頼まれたのだ。いくら司書の病欠が重なったからって、職員じゃない娘に手伝わせるってどうなのよ。そりゃあ子供の頃から暇さえあればこの図書館に通い詰めているから、本を見ればどこに戻すべきかくらいわかるけど。


 お父様は娘づかいが荒いと悪態をつきながら、王宮から返却されたばかりだという本を棚に戻していた。分厚い本の表紙の下に挟まっていた薄い冊子が落ちたので、軽い気持ちで開いたらエロ本だったのだ。


 み、見なかったことにしよう!


 最後のページまで見てしまってから、冊子を閉じる。他にもあるんじゃないかと嫌な予感がして、返却された本の全てを調べたら、合計五冊のエロ本が挟まっていた。最初の一冊はSMものだったけど、他の四冊はそれぞれ別の特殊性癖ものだった。つい全ページ見ちゃった。


 なんで私、こんなもの読んじゃったんだろう。

 アドルフ殿下、こういう趣味の人だったの?

 変な方向に趣味が広いのね……?


 人は見かけによらない。完璧で絵に描いたような王子様も、蓋を開けてみれば煩悩(ぼんのう)の塊であるらしい。とんだムッツリ王子じゃないか。っていうか、アドルフ殿下、まだ十七歳って話じゃなかったっけ? こんなの持ってちゃだめじゃない? いや私もまだ十六歳だから見ちゃだめなんだけど、これは事故だ。たぶん。


 どうしよう。何も見なかったことに、何もなかったことにするにはどうしたらいいんだろう。第一王子の特殊な性癖を知ってしまったなんてバレたら、一族もろとも消されるかもしれない。うちみたいな領地もない弱小男爵家なんて、吹けば飛ぶ。アドルフ殿下の気持ち一つで簡単に歴史から抹消されかねない。


 エロ本を棚に入れるわけにもいかず、本を運ぶためのワゴンに乗せた。とにかくこの冊子を秘密裏に捨てなければ……! まだ火照った頬と、ドキドキしっぱなしの胸を押さえ、気持ちを落ち着けようと目を閉じる。深呼吸しよう。


 でも、


「……中身、見たのかな?」


「ひゃい!?」


 すぐそばで声がした。慌てて目を開くと、金髪碧眼の美青年――アドルフ殿下が立っていた。


 サアっと血の気が引いていく。見てませんと弁解しようと思うのに、唇が震えてうまく動かなかった。穏やかな笑みを浮かべているアドルフ殿下の後ろでは、真っ青を通り越して真っ白な顔色の若い騎士さんが表情を失っている。


 藍色の髪の長身騎士さんは、ここ数年の式典でいつも殿下のそばで控えている人だ。騎士さんが真っ白になっているということは、殿下の本をチェックもせずに返却したのは騎士さんなんだろうか? いや――今は騎士さんなんかよりアドルフ殿下だ。どうにかこの場を乗り切らなければ明日はない!


「な、なんのことでしょうか……?」


 だめだ、声が震える。目も泳ぐ。顔もまだ熱いし、これじゃあ「はい見ました」と答えているようなものだ。


「そう」


 アドルフ殿下のにこやかな笑みが逆に怖い。笑顔が厚い仮面に見える。


「場所を変えて少し話せるかな?」


 逮捕ってこと!?

 口封じのために処刑台直行ってこと!?


 やばいやばいやばい! 家族で夜逃げしなきゃ! いや今すぐにでも王都を出よう!! 今ならまだ私がどこの誰なのか、殿下は知らないはず! 後ずさりして逃げ出そうとした私の背後で、


「娘が何かご無礼をはたらきましたでしょうか」


 今度は困惑気味のお父様の声がした。

 なんで出てきちゃったのお父様!?

 しかも今、娘って言った? 言っちゃった!?


「ああ、スコット卿。久々だね」


「ご機嫌うるわしゅうございます」


 ほらバレたー! 身バレしゃったー!! どうするのよお父様! 今この瞬間に、うちの家系は終わったよ!?


 変な汗が吹き出てくる。ああ、短い人生だった。子供の頃にこの図書館で仲良くしていた栗色の髪の男の子にもう一度会うっていう夢も、叶わないまま終わっちゃったなあ……。倒れそうになって遠い目をしていたら、


「無礼なんてなかったよ。僕が彼女に一目惚れしてしまったから、求婚しようとしていたところ」


 笑顔を崩すことなくアドルフ殿下がそう言ったので、私の表情は家出した。


 な、何言ってんの!?


 とっさにこんな大嘘を思いついて、表情を変えずに言えるんだね。アドルフ殿下ってすごいね。


「うちの娘にですか!?」


 お父様が私の背後で図書館中に響きそうな大声を上げる。あっやばい、これ喜んでるやつだ。ガチガチに固まった首をどうにか動かして振り向くと、お父様は歓喜にうち震えていた。目の輝きが違う。


「彼女に婚約を申し込みたいのだけど、許してもらえるだろうか。スコット卿」


 とは、アドルフ殿下。

 やめて。


「もちろんでございます!!」


 とは、お父様。

 やめて!?


 なにこれどういう状況? まさか、私たちが夜逃げできないように逃げ道を塞がれたの? それともこの場を切り抜けるためだけの嘘?


「では、正式な話は後日。その本を回収しても構いませんか?」


「ど、どうぞ……」


 私が差し出した問題の本は、まだ青い顔をしている騎士さんが受け取った。五冊とも表紙だけは真っ白だから、お父様は何の本だかわかっていないだろう。


「ねえ、あれってアドルフ殿下じゃない?」


「えっなんでこんなところにいらっしゃるの!?」


「今日も素敵……」


 周囲でこちらを見て小声できゃいきゃい言ってる女性たちも、殿下が特殊性癖のエロ本を回収しに来たなんて思うまい。さすが王子様、現れただけでいつも静かな図書館をざわつかせている。ギャラリーがどんどん増えていく。


 アドルフ殿下たちが去ったあと、


「こんなことってあるんだなあ!」


 と上機嫌なお父様に、気力が尽きた私は何も言えなかった。


 ねーよ。




   ◇




 その日のうちに私とアドルフ殿下の婚約は確定したらしい。信じられないけれど、そうらしい。アドルフ殿下は十七歳になってもまだ婚約者が決まっていなかった。貴族の派閥争いで決められないとか、殿下にはすでに心に決めた人がいて話を全部蹴っているとか、王妃様がなかなか決めたがらないとか、出元のわからないうわさなら耳にしたことがある。


 でも全部デマだったんだろう。だってこんな一瞬で、私みたいな弱小男爵家の娘に決まったんだし。っていうか、なんであの流れで婚約なの? 意味がわからない。夢なら今すぐ覚めてほしい。それにまさかとは思うけど、アドルフ殿下と結婚したらあのエロ本みたいなことをさせられるの? 絶望している娘をよそに、両親は大喜びだ。


「カタリーナの結婚相手が見つけられなくてどうしようかと思っていたが、まさか殿下に見初められるとは。さすが我が娘。うちの子は可愛いからなあ」


「ええ、本当によかったわ。カタリーナは可愛いものね」


 こんなときに親バカを発揮しないでほしい。何かおかしいって疑ってほしい。


 うちは貴族と言っても下の下の領地なし男爵家。裕福でもなければ目立った功績も特にない。パーティーに参加しても王様やアドルフ殿下のことなんて、会場の端っこから遠巻きに見るしかできない。私も話したことはなかった。そんな家の娘が第一王子の婚約者なんて釣り合わないでしょうよ。


 弟だけは、


「姉さんはアドルフ殿下の弱みでも握ったの?」


 と怪訝な顔をしていたけれど、まだ十三歳の弟には刺激の強すぎる本のことなんて言えなかった。


「婚約を破棄できないかな。その、殿下とは趣味が合わないと思うの」


 私がそう言ってみても、


「殿下は読書家だと聞くし、本好きのお前とは趣味が合うと思うぞ?」


 と、お父様はきょとんとしていた。違うの。そういう健全な趣味の話じゃないの。それに私の婚約者については、ずっと前からお父様にお願いしていることがあった。


「私の初恋の男の子を探して婚約させてくれる話はどうなったの?」


「そんなもん、アドルフ殿下が優先に決まっているだろう。どうせ見つかってもないし、もう諦めろ」


「お父様のばかっ!」


 婚約パーティの日取りが勝手に決められ、王宮からドレスの採寸係が派遣されてきて体中を調べられた。やっとアドルフ殿下の婚約が決まったと、王都では盛大なお祭りも開かれるらしい。


 話したこともないような人からお茶会のお誘いが届いたり、刃物の入った郵便物が届いたり、婚約を破棄しろという趣旨の怪文書が届いたり、展開についていけないことばっかりだ。もうやだ……早くこの悪夢から抜け出したい。


 どんどん大事(おおごと)になっていくせいで、あのエロ本が忘れられない。泣きたい。なんで読んじゃったんだろう。図書館の本を上限いっぱいまで借りて部屋に持ち込み、家に閉じこもっていたら、アドルフ殿下から私的なお茶会への招待状が届いた。


「お断りしよう! 私、王宮に着ていくような立派なドレスは持ってないし!」


 何度も首を横に振ったけれど、


「あら、大丈夫よ。とっても素敵なドレスも一緒に届いたわ」


 お母様がアドルフ殿下から届いたプレゼントの箱を開けてしまった。確かに高そうなキラキラしたドレスだし、質のいいものなんだろうけど、素直に喜べない。だって昔読んだ本に「男が服を贈る時はあとで脱がすことが前提」って書いてあったから! 着るのが怖い。


「う、うちには馬車もないじゃない? 徒歩で王宮に入るのって恥ずかしいじゃない?」


「迎えをよこしてくださるって」


「私、お茶会の作法も怪しいと思うの」


「そうね、今から改めて特訓しましょうね。大丈夫、なんとかなるわ」


 お母様が慈愛に満ちた笑顔で私の逃げ道をふさいでくる。


 うう、助けて。


 でも殿下のエロ本を見つけてしまったなんて、今から話したところで信じてもらえるとも思えない。婚約破棄したくて苦し紛れに適当なことを言っていると思われるのがオチだ。でも待てよ。考えてみればアドルフ殿下と直接話せるなんて、またとないチャンスだ。よし、口外しないことを固く誓って婚約を破棄してもらおう!




   ◇




 お茶会の日、私が案内されたのは王宮内の庭園だった。高い生垣に囲まれた広い庭園は、様々な花が咲きほこる別世界に思える。とても静かで外から切り離された、美しい空間。庭園の中央には、大きな鳥かごみたいな形状の建物が一つ。中には白いテーブルと白い椅子が置かれている。私がそこに案内されたとき、アドルフ殿下はまだ来ていなかった。一人で静かな庭園を眺めていると、頭の奥がぼうっとしてくる。


 いいなあ、こんな庭園で読書してみたいなあ。待たされることになるなら、一冊くらい持ってくればよかった。


 ぼうっと庭園を眺めながら待っていたら、騎士さん一人と給仕のメイドさん二人を連れたアドルフ殿下が現れる。殿下の金髪を目にするなり、私はさっと立ち上がっておじぎをした。会話ができるほど近くに殿下がくるまで、じっと礼を維持したまま待つ。


「アドルフ殿下、このたびはお招きいただきありがとうございます」


「こちらこそ、誘いに応じてくれてありがとう。顔を上げてくれるかな、カタリーナ」


「はい……」


 図書館ではエロ本のことで頭がいっぱいだったけど、殿下と話すのなんてこれで二回目だと思うと緊張してしまう。できるだけゆっくり顔を上げる。ちゃんと心の準備をしたはずなのに、アドルフ殿下のやわらかな笑みが目に飛び込んできて、心臓が暴れだした。


 キラキラと光を反射するサラサラの金髪は眩しいし、空よりも濃く青く澄んだ瞳はこれまで見たどんな宝石よりきれいに見えた。色白の肌の上で、頬がほんのり色づいている。アドルフ殿下の笑みがただただ優しくて、私の頬が熱を帯びた。


 こ、こんな笑い方をする人だったっけ……?


 遠目で見てきたアドルフ殿下は、たしかにいつも穏やかな笑みを浮かべてはいたけれど、こんなにやわらかく優しく笑う表情なんて見たことがない。


「贈ったドレスを着てくれたんだね」


「えっ、あっ、はい」


「その色にしてよかった。やっぱり君の薄桃色の髪にはアザーブルーがよく似合う」


「これ、まさか殿下が選んでくださったんですか?」


「そりゃあ、婚約者へのプレゼントだもの。よく似合ってるよ。とてもきれいだ」


「あ、ありがとうございます……」


 アドルフ殿下の声に耳をくすぐられた気がして、恥ずかしさについ顔を伏せた。私みたいな弱小男爵家の娘を口説いてくる貴族男性なんていなかったし、こんなふうに甘い言葉をかけられることに慣れていない。


 な、なに? 殿下はなんでこんな――はッ!


 これは色仕掛け作戦(ハニートラップ)なのでは!?


 私を惚れさせて黙らせようってこと!? なんという策士。なんという役者。危なかった。普通にドキドキしちゃった。ばっと顔を上げると、アドルフ殿下はきょとんとして首をかしげた。


「そろそろ座ろうか」


「はい」


 殿下のペースに飲まれちゃだめだ。気合を入れ直そう。騎士さんは建物の柱を背にじっと立っている。メイドさんたちがお茶を入れてくれるのを待つことなく、私は口を開いた。


「アドルフ殿下にお願いがございます。どうか私との婚約を破棄していただけないでしょうか」


「理由を聞いてもいいかな」


 いや、聞かなくてもわかるでしょうよ。なんで私と婚約したか考えようよ。


「婚約なんてしていただかなくても、私、例の本のことなんて喋りません。固く誓います」


「……そう。そういえば、大事なことを確認していなかったね。カタリーナには、今は想い人はいるのかな?」


 どうしてそんなことを聞かれるんだろう。ぱちくりと目をしばたいてから、ここで「いません」と答えたら押し流されそうな気がして、私はこっそり気合を入れた。


「い、います!」


「へえ、誰だろう」


 アドルフ殿下は相変わらず微笑んでいる。でもなんだか空気が凍った気がする。メイドさんたちはお茶を入れ終わるやいなや、そそくさと退出していった。騎士さんは柱を背にしたまま動かないけれど、私たちからは視線を外している。誰、と言われて適当に名前を挙げられるほど仲のいい男性なんて私にはいない。そもそも嘘は得意じゃないし、ここは素直に話すしかない。


「名前はわからないんですけど。私がまだ六歳くらいの頃に、あの図書館でよく一緒に本を読んでいた栗色の髪の男の子のことが今でも好きなんです」


 この気持ちを恋と呼んでいいのか自分でも自信がないけれど、好きだと言い切っておこう。


 結婚相手をそろそろ探そうとお父様が言ったとき、どうしてもあの子がいいと思った。十年くらい前によく王立図書館に来ていた男の子。多くを話したわけじゃない。一つの机に向かい合って、お互い別の本を読んでいた記憶ばかりだ。


 一冊読み終えて、ふっと顔を上げたときによく目があった。その時に男の子が見せてくれた笑顔や、男の子が本を読んでいるときの真剣な表情が今でも忘れられない。なぜか彼が急に来なくなってしまって、今でもどこの誰だったのかわからないんだけど。


「へえ、そうなんだ」


 アドルフ殿下はにこやかに笑ってお茶を口にした。流れる空気は穏やかに戻ったけれど、会話はそこで終わってしまった。


 ……。

 …………。


 あれっ、流された? そうなんだ、で、終わり!?


「あ、で、婚約破棄は」


「しないよ」


 今の質問なんだった?

 流すだけならなんで聞いたの!?


 いやっ、ま、負けるな私!


「それに、ほら、私みたいな男爵家の娘なんて不釣り合いだと思うんです。王様も王妃様もご納得されていないのでは……」


 第一王子の婚約者は公爵家のどこかから選ぶのが通例だ。各公爵家では自分の家の娘を婚約者候補として教育していると聞いたことがある。最低限の礼儀作法と読み書き程度を身につければいいってレベルのうちとは違う。アドルフ殿下はにこりと笑った。


「僕の婚約者選びについては、母は昔から僕の味方になってくれていたから問題ないよ。父は確かに反対していたけれど、例の本を父に渡して、君に見られてしまった話をしたんだよね」


 自分の親に手持ちのエロ本を見せたの!?

 しかもあんな特殊なやつ!?

 アドルフ殿下の心臓には毛でも生えてんのかな!?


「その上で父上に『一番穏便に口を閉じていただく方法は、共犯者になってもらうことだと思うんですよ』とお伝えしたところ、やっと首を縦に振ってもらえたよ」


 共犯者ってなに? やっぱり私にあのエロ本みたいな特殊プレイをやれってこと!?

 口元がひくつくのを抑えられない。どうして殿下はそんな話を、笑顔を崩すことなく言えるんだろう。やだ涙浮いてきた。視線をうろうろさせていたら、にこにこ顔で私をみつめていたアドルフ殿下が、


「ふっ、……ははっ!」


 突然ケラケラと笑い始めた。今までの上品な笑みはどこへやら。大口を開けてお腹を押さえ、いたずら好きの少年みたいな顔で笑い転げている。


 ――うわ。


 不覚にもまたドキドキしてしまった。アドルフ殿下、そういう笑い方もするんだ。さっき話をしたせいか、思い出の男の子の笑顔とダブって見える。年は近いだろうけど、目の色も似てはいるけれど、あの男の子とアドルフ殿下は髪の色が全然違うのに。アドルフ殿下の輝く金髪を茶色になんて絶対見間違えない。あの子の髪はたしかに栗色だった。


「えっと……」


 どういう反応をすればいいのかわからなくて困っていたら、ずっと黙って端に立っていた騎士さんがアドルフ殿下に顔を向けた。


「殿下、あの、そろそろ誤解を解かれては……」


「こら。今日は僕がいいって言うまで黙ってる約束だよ、ルウ」


 殿下が椅子の背に手をかけて騎士さんを見る。なんだか気安い雰囲気だ。


「そういう約束でしたが、このままではカタリーナ嬢の中の殿下のイメージがどんどん悪くなっていく気がします」


「もとはといえば誰のせいだと思ってるのさ」


「返す言葉もございません。ですが、発端は俺でもそのあとは殿下の悪ふざけです」


「言うね。……まあ、僕も浮かれている自覚はあるよ」


 二人の話についていけない。


 誤解って何だ? あのエロ本は実体を持って存在していたよ?? アドルフ殿下が私を見てまたおかしそうに喉を鳴らす。


「そうだね、カタリーナも『なにがなんだかわからないから説明してほしい』って顔をしているし」


「えっ! 私、そんな顔してますか!?」


 思ったことがそのまま顔に出てるってこと? そ、そういえば昔から「本当に嘘が下手な子ね」と言われてはきたけど……。


「うん、君の百面相はいつも面白いよ」


 とはアドルフ殿下。


「そこまでわかりやすいと、喋れなくても難なく生活できそうですね」


 とは騎士さん。

 いやそれは無理でしょ。


「それは困るな。声は聞きたい」


「仮定の話ですよ」


 何の話だよ……。半目になって二人を眺めていたら、「ごめんごめん」と言ってアドルフ殿下が立ち上がった。


「ゆっくりティータイムを楽しみたいところだけど、まずは君の疑問に答えようか。少し付き合ってくれるかい?」


 殿下が立ち上がって近づいてきたので、私も椅子から降りる。差し出された手に自分の指を乗せようとした途端、殿下の腕がさっと動いて手を握られた。


 ぐい、と手を引かれる。バランスを崩したら、殿下に抱きとめられた。


「!?」


 不意打ちされて顔が熱を帯びる。心臓がうるさい。アドルフ殿下を見上げたら、茶目っ気たっぷりにウインクをされた。




   ◇




 アドルフ殿下に案内されたのは王宮の外れにある小さな離れだった。二階建ての建物に入ると、慣れた紙の香りが鼻をくすぐる。玄関のすぐ向こうは広い書斎になっていた。私の背丈より高い本棚がずらっと並び、どの本棚も本がびっしり詰まっている。部屋の中央には机と、机を挟んで向かい合うように置かれた椅子が二つ。たぶん本を読むための場所だろう。


「これ……っ、読んでもいいですか!?」


 アドルフ殿下を見上げると、殿下は笑顔で「好きな本を選んでいいよ」と部屋の中を示してくれた。書斎の一番奥の本棚に駆け寄って背表紙を眺める。王立図書館で見たことのある本もあるけれど、知らない本がたくさん並んでいた。


 あれもこれも全部読みたい。ああっ何から読もうかなあ! まずは背表紙を全て確認しよう。端から順に本のタイトルを眺めて回る。難しそうな本が多かったけど、私が子供の頃大好きだった本がたくさん並んでいる棚を見つけ、つい足を止めた。誰が選んだ本かは知らないけれど、いいチョイスだ。わかってる! どの本も面白くて大好きなものばっかり。


 でも、どうしてこんな子供向けの本が混ざってるんだろう? まいっか、そんなことより久々に読みたくなっちゃった。


 特に好きだった本を三冊かかえて書斎中央の椅子に座る。図書館で何度も読んできた本だけど、久しぶりに読むとまた夢中になった。笑いあり涙ありの物語を最後まで一気に読み切って、満足して本を閉じる。それでようやく、アドルフ殿下が向かいの席に座って私に目を向けていることに気がついた。


 さぁっと血の気が引いていく。一緒にいる殿下を無視して本に夢中になるなんて、下手をすれば不敬罪にあたるのでは!?


「あっその、すみません、つい夢中になってしまって……!」


「いや、楽しそうで何よりだよ」


 机に頬杖(ほおづえ)をついて微笑む殿下が、また過去の光景とダブって見えた。


 たくさんの本棚に囲まれた静かな空間。

 子供の頃、よく私と向かい合って座っていた男の子も、今のアドルフ殿下と同じ体勢で笑っていた。


 ――あれ?


 どうして殿下とあの子が重なって見えるんだろう。目をしばたいていたら、アドルフ殿下が口を開いた。


「僕、昔は読書が好きじゃなかったんだよね」


「そう……なんですか?」


 あれ、アドルフ殿下は読書家だってうわさを聞いたんだけどな。


「うん、昔はね。読んで学ぶことが王位継承者の義務だと思って、義務感だけで本を読んでいたんだ。でも、子供の頃にお忍びで本を選びに行った図書館で、楽しそうに本を読む君を見つけたんだ」


「私……?」


「そう。図書館の人気(ひとけ)のない席で、笑ったり泣いたり怒ったりと表情がくるくる変わる君が面白かった。そうか読書は楽しいものなんだって、あの頃の僕には大きな驚きだった。それから図書館へは君を見に通ったよ。カツラで変装して、ね」


 カツラで変装? たしかにあの男の子の目の色は殿下と同じだったと思う。でも、あの子って、こんなに格好よかったっけ……? 期待に高鳴る胸を押さえ、首を傾げてみる。


「じゃあ、私がよく図書館で会っていた男の子はアドルフ殿下なんですか?」


「そう。疑うなら君が当時よく読んでた本のタイトルを挙げようか。だいたいそこの本棚に揃ってると思うけど」


 アドルフ殿下が指で示した本棚は、さっき私が本を選んだ場所だった。私が子供の頃に好きだった本が並んでいたコーナー。じゃあ本当に私が探していたのはアドルフ殿下だったんだ。栗色の髪と青い目、年頃を目印に探していたから、見つかるわけなかったのか。

 頬が熱い。まさかこんな形で再会できるなんて。


「どうして急に来なくなっちゃったんですか?」


「全寮制の初等学校プレパトリー・スクールに入学したから。そのあとのパブリック・スクールも全寮制だったしね」


「私のことは知ってたんですか? 当時、名乗りあったりしなかったのに」


「だって君、僕が行かなくなってからもずっと図書館に通ってたでしょう。ちょっと人に聞けばすぐわかったよ」


「私に気づいてたなら教えてくださればよかったじゃないですか」


「僕もそうしたかったんだけどね……」


 アドルフ殿下が苦笑してため息をついた。


「七年前かな。僕の婚約者を誰にするか、そんな話が持ち上がったときに、僕は君がいいって言ったんだ。僕に本の面白さを教えてくれた女の子がいいって。母上は賛成してくれたけど、父上がね。あの人は、家柄や慣例を大事にする人だから」


 王妃様のことは式典で見かけるだけでよく知らない。優しそうな人という印象があるだけだ。王様は……うん、立ち振る舞いやスピーチから、厳しそうな人だという印象はある。


「父上から、君を婚約者に迎える条件を二つ提示されたんだ。一つ、婚約するまで君とは会わないこと。一つ、文武ともに努力して、次期王にふさわしい立ちふるまいを身につけること。まだ幼かった僕は、バカ正直にそれを信じて努力したわけだ。父上はただ、僕が君を忘れるまで放っておこうとしただけなのに」


 文武両道、人柄もいい、絵に描いたような王子様。私も含めた周囲の人間がアドルフ殿下に対して抱いていた印象はそうだった。


 それが努力で身につけたものだっていうのは。


 私との婚約の条件だっていうのは。


 あれ? それって、つまり……。


「で、殿下はその、私のことを好いてくださっているのですか……?」


 震えそうになる声で、どうしても確かめたくなって、疑問を投げかける。目を丸くしたアドルフ殿下は、ふっとやわらかく微笑んだ。向けられた視線の熱に当てられて、心臓の中で何かが暴れ始める。


「うん。僕は君が好きだよ」


「でっでも、子供の頃に一緒に本を読んでただけで、大して話もしなかったのに」


「それはお互い様。君だってさっき、僕のことが好きだって言ってくれたじゃない」


 確かに言ったけれど、あれは言い切っておこうと思っただけで、恋心だという自信はなかった。でもこうして向かい合っているとドキドキするのは、体温が上がるのは、やっぱり恋だってことなんだろうか?


「君の意思を確認せずに話を進めたことは悪かったと思ってる。ただ、父上が思考停止しているうちに簡単には撤回できないところまで進めてしまわないと邪魔されそうでね」


「もし、私と実際に接してみて違うなって思ったらどうするんですか……?」


「それはその時考えようよ」


「でも、あの、私――」


 両手を机の下でぎゅっと握る。


 言いづらい。でも、どうしてもこれだけは言わなくちゃ……!


「私、あの本みたいなことは難しいと思います……っ!」


 両目を閉じてどうにか声を絞り出す。周囲の音に空白が生まれ、しんと静まり返ってしまった。どうしよう。気まずい。目を開けるのが怖い。


「ははっ」


 アドルフ殿下の笑い声が聞こえてきたので、おそるおそる目を開けた。


 殿下はまた子供っぽい顔でケラケラと笑っている。その後ろでは騎士さんが片手で顔を押さえていた。


「殿下、そろそろ話してもよろしいでしょうか」


「うん、いいよ」


 アドルフ殿下が足を組み、頬杖をつく。手を下ろした騎士さんが眉を寄せて難しい顔をしているなと思ったら、騎士さんががばあっと勢いよく土下座した。


「申し訳ございませんでしたあっ!!」


「!?」


 アドルフ殿下と騎士さんを何度も見比べる。殿下は騎士さんを見下ろして微笑を浮かべている。騎士さんは頭を床につけたまま動かなかった。


「カタリーナ嬢が見られた例の本は、殿下のものではないんです」


「えっ、じゃあ」


 土下座している騎士さんのものってこと!? それはそれでびっくりだ。真面目そうな顔で立ってるから、固い人なのかと思ったのに。


「いえ、あれは俺の趣味でもありません」


 じゃあなんであんな本があるのよ。


「殿下が周囲のご令嬢たちからアプローチされても全く興味を示されないので、色事に興味を持っていただかねばお世継ぎの危機だと思いまして」


「世継ぎの危機って、発想が飛躍しすぎなんじゃ」


 ぽかんとした私の向かいで、殿下があきれ顔でため息をついた。


「そうなんだよ。そもそも僕は色事に興味がないとは言ってない」


 思わず殿下に視線を向ける。興味はある、のか。そっか。騎士さんはまだ顔を上げない。


「殿下の好みがわからなかったので、いろいろ取り揃えてみたんです」


 なんでいろいろ取り揃えちゃった!? しかもあんな、上級者向けっぽい特殊な方向性のものばっかり。


「普通のでよかったのにね」


 殿下が言う。普通のってなんだ?


「じゃあ、どうして図書館の本に挟んだんですか?」


「隠されていたほうがお宝感があるかと思って。読むために借りた本なら開くだろうと」


 お宝とは……? だんだんツッコミを入れることに疲れてきた。


「そんなわけだから、あの本のことは忘れていいよ」


「インパクトが強すぎて忘れられません……」


「ははっ」


 歯を見せて笑った殿下が、視線を私に止める。それだけで脈が跳ね、体温が一度上がった気がした。


「大丈夫、すぐ忘れるよ。あんな変なこと求めやしないから、これからは僕のそばにいて」


 アドルフ殿下の手が私に伸びてきて、頬をなでる。長い指が私の耳に届き、髪をすくっていった。


「……はい」


 私の声と、私の心臓の音、どちらが大きかったんだろう。そんなことを考えてしまうくらい小さな声でしか、私は返事ができなかった。


 ちなみに後日、「聞いてくれる? 実は僕の好みはね……」「む、むーりー!!」というやりとりがあったことは、二人だけの秘密。




(終)




最後まで読んでいただきありがとうございました。

もし面白かったと思っていただけましたら、広告下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると嬉しいです!

(23/4/8追記)全体的に改行を修正し、オチを付け足しました。


広告の下に、読みまわり用リンク集を置いています。

よければ見ていってください!

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異世界恋愛、ハイファン、現実恋愛など、色々書いています(*´꒳`*)
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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 最後のオチも良いですね。 [一言] 初めまして、本羽香那と申します。 今回、この作品にレビューさせていただきました。
[良い点] 楽しかったー!笑っちゃいました。 でもアドルフ殿下、意中の女の子にそんな誤解をされたなんて、頭の中真っ白で挽回に必死だったのかな……とか思いました。 ブルーのドレスも渾身の一撃みたいな気持…
[気になる点] カタリーナに「むーりー」と言わせた殿下の好みって、なんだったのでしょう? [一言] お世継ぎ問題は確かに重要ですが、周囲に勝手に進められてしまうと、それは面白くはないですよね。 多少の…
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