7.またもやお茶会で微笑む
婚約者候補お茶会の日がまたやって来た。シェリーはこの日はどの候補者よりも早くに来る。勿論真面目だからでも皇太子に良く見られたいとか前向きな理由ではない。お茶会の場所が皇族の招待でなければ入る事が許されない庭園だからだ。
シェリーは初めて入った時、その庭園の美しさに心を奪われた。彼女曰く思考を停止するのにとても良い景色なのだ。思考停止に良い景色とは?との疑問はさて置き、この庭園ならば日の出から日の入りまでずっと何も考えずに眺めていられる程、気に入ったので、一秒でも長く眺める為に失礼に当たらない程度で誰より早く庭園に突入するのだ。
この日も候補者がまだ到着していないのをこれ幸いに見事な庭園を眺めてぽけー、としていた。やがてそろそろ皆がやってくる頃だとシェリーの体内時計が告げた。シェリーの体内時計は大変優秀なのだ。本気を出せば、時計との誤差はわずか数秒ほどの精度を誇る。しかし今日はぼんやりと周囲を伺ったがまだ誰も来ていなかった。
(あら? 今日は皆様遅いですわね)
いつもなら既に皆集まっている頃だ。シェリーは知らないが他の令嬢達が一斉にお茶会をお休みしたのだ。勿論正式な辞退ではない。皆一斉に病欠しただけである。今、皇宮では対応で大忙しだった。そんな事情など知らないシェリーは不思議に思うだけだった。未だ時間があるならまた思考を止めただろうが、そろそろお茶会が始まる時刻なので流石のシェリーも意識を保ってじっと待つしかなかった。
(ふふふ、ちゃんと庭園を眺めるのもなかなかいいものだわ)
シェリーはじっと待つのも実は嫌いではない。庭園を久しぶりにしっかりと観察しながら鑑賞してみた。すると侍従長が数名の宮女を伴って庭園に入ってきた。そしてシェリーの前まで来ると一礼した。
「マークサンドス様。実は本日の会場が急遽変更になって御座います。ご案内致しますのでご足労頂けないでしょうか」
「そうでしたのね。ではお願い致しますわ」
思考を止めていさえいなければ、そこは公爵令嬢のシェリー、優雅な動作で近づいてきた宮女の手を取り立ち上がると、その宮女に美しく微笑んだ。その微笑みをまともに見てしまった宮女は顔が真っ赤になった。女性ですら虜にしてしまうシェリーの微笑みであった。
余談ではあるが、この宮女は男爵家の3女で皇宮に上がったのは良縁を求めてだった。男爵家の3女ともなれば貴族家へ嫁ぐのも難しく豊かな商人等の平民に嫁ぐパターンがお決まりである。しかしこの宮女は貴族家に嫁ぎたかった。貴族であることが宮女の誇りだったからだ。裕福ではない家の為に学校には行かなかったが兄より不要になった教科書を譲り受け独学で学んだ、作法は最初は男爵家の使用人達を見て学んだ。年1回の皇宮の宮女募集に応募し努力が報われて採用となった。皇宮に上る前に研修がありそこで宮女としての礼儀作法を学んだ後で皇宮に上がり1年が経った。皇宮を訪れる貴族の淑女を見てその所作、言葉遣いをそれとなく観察し自らに取り入れていった。そうして所作が洗練されてくると雑務の他にも貴族対応に駆り出される様になった。それは宮女の狙い通りであとは良縁に恵まれるの待ちだ。しかしそれから2年経ち宮女にもすこし焦りが出てきた。そんな時シェリーの微笑みを間近で見てしまったのだ。この後シェリーの微笑みに魅せられた宮女はあの美しい微笑みに少しでも近づきたいと、微笑みの練習をした。そしていつの間にか宮女は自身がが知らない内に貴族子息達の間で有名になっていった。宮女を正妻に迎えたのは家を正式に継いだばかりの子爵だ。宮女は見事子爵婦人になれたのだがこれはまた後日の話である。
☆☆☆
「あら遅かったですわね。それだけ余裕があるということかしら」
シェリーが部屋に入るなり話しかけて来たのはプルパールだった。プルパールにしてみれば既に宣戦布告済のつもりなのだからこれくらいの物言いは優しい部類に入る。一応相手は公爵令嬢なのだからという礼儀も入れているつもりだった。が学園内ならいざしらず此処は皇宮、そんな理屈が通用する筈がない。シェリーは公爵令嬢でプルパールは伯爵令嬢、身分の差は大きくプルパールの方から話しかけるなど許されないし、その内容も十分に不敬だ。シェリーが不敬を問えばプルパールは相応の罰を受ける事になる。しかしシェリーは一度パチクリと瞬きをしたものの、怒るでも咎めるでも無く柔らかい笑顔で受け流した。
「庭園が余りに素晴らしかったので見入っておりましたの。皇宮の方々にはいつもわたくしの我儘を聞いてくださり感謝しておりますわ」
シェリーの笑顔に毒気を抜かれたのかプルパールはぷいと顔を背け、それ以上シェリーに構おうとしなかった。これも失礼な態度だがシェリー怒ること無く席についた。
(この方は以前に食堂で前に座った方でしたわね。お茶会に呼ばれる家格の方だったのね。それにしてもイライラしていらっしゃるのはここに来るのが不本意だったのかしら)
シェリーがプルパールに関して思った事はそんな程度だった。
この場にシェリーを案内した侍従長は表情を崩す事はなかったが、内心では驚いていた。この様な身分を弁えない者がこの場に参加する許可を得ている事にだ。侍従長は内心ため息をついた。
今回のお茶会はいつものメンバーに加え、更に2名が加わる筈だった。しかしその2名の内の一人で、シェリーと並ぶ公爵令嬢のサマサリーヌは皇太子妃に相応しいのはシェリーフィアス様のみだという理由で正式に辞退したという。そして候補者達の当日一斉病欠。当日のキャンセルに皇宮内はテンヤワンヤになった。参加する令嬢が2名になってしまった為、お茶会の場所を室内に変更し、急ぎ整えたのだ。
この病欠が遠回しな候補辞退の意であるのは言うまでもない。彼女たちは療養という名目で皇太子の婚約者が決まるまで皇都から遠ざかるつもりに違いないのだ。候補がシェリーのみとなれば、否応なくシェリーで決まる。それはそう遠くないと彼女たちは考えたのだろう。
侍従長は思う。勿論自身に決定する権限など無いのは百も承知だ。でも思ってしまう。ジェンウェスニア家のご令嬢(プルパールの事)は駄目だ。それに引き換えシェリーフィアス様のなんと素晴らしいことか。今だってお茶会の会場が急遽変更になって準備中だった為、いつも早くに会場入りするシェリーフィアス様には既にセッティングしてあった庭園の会場に案内し待ってもらったのだ。それを理解した上で先程は自分の我儘と仰って下さった。いつも早くに来るから迷惑を掛けていると。準備ができていて当たり前のところを責めるのではなく、気遣って下さったのだ。しかもあれだけの無礼を働いた令嬢に対してさえ軽くいなしてしまった。優しさと聡明さを併せ持つ証拠だ。それだけで無く気品に満ち溢れていてしかも美しい。家格等の政治的部分も含め皇太子妃に相応しいのはどちらかなんて比較するのも馬鹿馬鹿しい。
侍従長もまたシェリーを聡明と信じて疑わない人だった。しかしシェリーが自分の我儘と言ったのはいつも一番に押しかけて庭園での思考停止を堪能したいという欲求で、それを許してくれる純粋な感謝だった。勿論皇宮の使用人への気遣いとかは無い。
そんな一幕があって皇太子が部屋に入ってきた。
席を立って挨拶をしようとするプルパールを皇太子は手で制した。それはこのお茶会特有の慣習に基づく。通常はホストが自らゲストを出迎える。ホストより身分の高いゲストの場合は身分順に着席させ、後は同時に着席させるのがこの国の作法だ。
しかし皇族がホストの場合は皇族ルールが適用される。皇族であるホストに出迎えさせるのは畏れ多いので使用人が出迎える。そして皇族は忙しく時間通りに参加出来ない場合があるのでゲストを先に席に着かせるのだ。場合によっては1時間以上も待たせてしまうことがあるからだ。そして皇族が来た時に先に座らせたのにまた立ち上がらせるのも大変なのでそのままで良いしているのだ。多くの令嬢達が席から立とうとすると使用人のエスコートが作法上必要になるし、ゲストが立つ早さで忠誠心の強さを競いだしてしまう傾向があるので面倒なのだ。皇族ルールに慣れているシェリーは皇太子が部屋に入って来ても美しい姿勢を乱すことはない。プルパールも伯爵令嬢ならば知っていなければならないことだった。
「待たせてしまったかな。ちょっと急な仕事が入ってしまってね。遅くなって申し訳ない」
皇太子が席に座ったところで、先ず遅くなった事を詫びた。これも常套句でゲストが先に座っている無礼を帳消しにする意味がある。
「そんな、お仕事ですもの。お仕事ご苦労様です」
プルパールが上位のシェリーより先に発言した。
「勿体無い御言葉ですわ。私達こそ失礼致しました」
やや遅れて発言されたシェリーの台詞も決まり文句で一番身分の高いゲストが先に座っている無礼を詫びる決まりになっている。
「では、お互い様と言う事で良いだろうか」
「寛大なるお心遣いに感謝申し上げますわ」
と、ここまでが決まり文句になっている。皇族ルールは貴族ルールより一層鬱陶しい。
尚、個別の挨拶は省略される。ホストがゲストの素性を知らないなど無いし、大抵は既に面識がある者同士が集められる。もし初対面同士の者がいる時は皇族が来る前に済ましておくのが礼儀である。そのための時間も設けているのだから。
こうして始まった異例のお茶会だが、マナーをまるで理解っていないプルパールがシェリーに喋らせまいとして一人で喋りまくった。普段男を手玉に取るプルパールにしては悪手である。しかし初めてづくしの事でプルパールも上がっていたのだ。
プルパールの発言は暗にシェリーを非難する内容もあり、皇太子は内心眉を顰めた。だがシェリーのことではないとプルパールが明言しているのでこの場で嗜めることはしなかった。更にいえば皇太子は本当に忙しいのでプルパールの話を半分聞き流し、政務の事を考えていた。
心の癒しを求めてふと皇太子はシェリーに視線を向けた。
(うん、この場はジェンウェスニア嬢に任せれると思って思考停止してしまったね。今日も見事な微笑みだ)
いつものようにシェリーは美しく微笑んでいた。
続く