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17.暴言令息に微笑む

「シェリーフィアス!」


 大きな声だった。声の主はジェンウェスニア伯爵家令息レドグリンである。彼は酔っていた。だから気が大きくなってしまったのだ。レドグリンは義妹のライバルであるシェリーが疎ましい。シェリーさえ居なければ皇太子妃の座はプルパールのモノ。ジェンウェスニア家は大きな権力を持ち、その嫡子たる自分は皇太子妃の護衛騎士として名声を得て、やがては伯爵家を継ぎ権力を引き継ぐのだ。酒で気が大きくなってしまった所に勘違いが加わり、今のレドグリンは実に尊大になっていた。


 突然の大声にダンスも楽曲も止まり、会場の視線が一斉にレドグリンとシェリーに集まった。突如無礼に呼び捨てにされたにも関わらずシェリーは微笑んでいた。


 ジェンウェスニア伯爵は慌てた。今はまだ伯爵に過ぎないのだ。公爵家の令嬢を侮辱する失態など許される筈もなかった。階級の秩序を乱す者が高い権力を持つなど悪夢でしか無い。情勢は今夜を境に一気にマークサンドス公爵家優勢に傾くだろう。高位貴族達の伯爵家への糾弾も始まるに違いなかった。


 伯爵はここで即座に動き、酔った息子を取り押さえるべきだった。しかしとっさに反応出来なかった。


「貴様の様な悪女が皇太子妃になれるなど思い上がりも甚だしい。見た目は美しいが内面が醜いから今まで皇太子妃候補に選ばれなかったというのに義妹(いもうと)を差し置いて大きな顔をするなど許される筈もない。大方公爵家の権力を使ってしがみついているのだろう? 今夜だって義妹(いもうと)を参加させない様に裏で手を回したのだ。そうでなかったら今夜殿下と踊っていたのは貴様ではなく義妹(いもうと)だった筈だ。義妹(いもうと)がいれば自らの存在が霞むからといって姑息な手を使う悪女め! 殿下も迷惑されている。成敗される前に身を引くのが貴様の為だぞ!!」


 大声での暴言が会場に響き渡る。これは断罪劇と呼ぶにも値しない正に暴言だった。しかも無駄に大きな声なので会場にいる皆にその罵声が行き渡った。


 しばしの沈黙。ジェンウェスニア伯爵はしばらく呆然としていたが沈黙に耐えられなくなって膝から崩れ落ちた。

 

 突然目の前に現れ暴言を吐かれたシェリーだが、相変わらず表情を崩さず笑みのままだ。何も言い返さないシェリーに業を煮やしたレドグリンは「なんとか言え!悪女め」と言おうとして言えなかった。レドグリンより先に声を出した者がいたからだ。


「私が迷惑している?」


 大きな声ではない、しかし威厳に満ちていた。そして魔力を纏ったその声は会場にいる全員に届いた。その声はジェンウェスニア伯爵家は終わったなと皆に思わせるのに十分な冷たさを持っていた。


「え?」


 レドグリンの口から出たのはそんな間抜けた音だった。レドグリンの目出度い脳内では皇太子はプルパールに夢中で公爵家の横暴により已む無くシェリーを候補に残しているという事になっていた。その皇太子が味方である自分に冷たい声を発したのが信じられなかった。


 カツカツと音を立てて皇太子アルデルンがシェリーの元に歩いてくる。その音だけが静まり返ったホールに響く。やがてシェリーの前にたどり着くとシェリーに手を差し伸べた。その手を微笑みながら手に取り立ち上がったシェリーはアルデルンの隣では無く半歩下がった位置に立った。まだ婚約者ではないからこその立ち位置だった。


「直答を許す。名は?」


 アルデルンは辛辣だった。当然レドグリンを知っている。ジェンウェスニア伯爵に紹介もされたし、彼が皇国騎士団の一員である事も勿論把握している。


「は……レドグリン・ジェンウェスニアです」


 貴族家子息でしか無いレドグリンは、もちろん爵位称号を持たない。各爵位の称号は割愛するが名と姓の間に称号が入る。皇族の場合も同様でアルデルンは皇太子を示すデルの称号を持つ。アルデルン・デル・デデルンビアが正式な名前だ。デルが多すぎると本人は気にしている。なお皇位に就けばデルはソルに変わる。ちなみに皇太子妃の称号はディアである。だからシェリーが皇太子妃になればシェリーフィアス・ディア・マークサンドスとなるのである。結婚しても姓は変わらないが表立って姓を名乗る事は無くなる。


「それで、何故私が迷惑していると?そもそも私は誰に対してもそんな事を言った覚えはないのだが」


「そ、それは…」


 レドグリンは言葉に詰まった。皇太子の言葉を聞ける立場にないレドグリンが皇太子から直接聞いた筈がない。単に勝手に都合がいい様に思い込んだだけだ。

 おかしい、皇太子は義妹にぞっこんの筈なのに。それなのに明らかに悪女のはずのシェリーを気遣い庇っていた。


「答えられぬか……ジェンウェスニア伯爵はいるか?」


「は、只今!」


 転がる様にやって来た伯爵は即座にレドグリンの首根っこを捕まえ跪かせると、自らも跪いた。絶対服従のポーズである。伯爵からすれば権力を掴むどころではない。むしろジェンウェスニア家の存亡がかかった事態になってしまったのだ。


「さて伯爵。これはどういうことだろうか。シェリーフィアス嬢が公爵家の権力で私の妃に候補に収まっていると?」


「当家ではその様な不敬な考えは教えておりませぬ」


「そうか。ならばレドグリン個人の責任だというのだな」


 伯爵は家を守るため、嫡男を切り捨てる他無かった。幸いに息子はレドグリンだけでは無かった。その事が理解ったレドグリンの顔は一気に真っ青になった。酔いも一気に冷めた。

 レドグリンは気が大きくなってやらかしてしまったと後悔した。公爵家を侮辱したのみならず、公爵家の意のままになると皇室をも侮辱したのである。


「はい。当家の嫡男レドグリンは確かに無礼を働きました。弁解の余地もありません。今から廃嫡にしたとして家名で無礼を働いた事実は消えませぬ。ですがプルパールに免じてレドグリンの首でお納め頂けないでしょうか」


 伯爵はここで両膝を床に着き、頭をも床に着けて謝罪の意を示した。レドグリンもそれに習った。


「御慈悲を」


「ふむ。では直接言われた訳ではないから私への侮辱は目を瞑ろう」


「有難き幸せ。御慈悲に感謝し末代まで忠誠を誓いまする」


「だが、別にプルパールの免じた訳ではないぞ。レドグリンへの処罰が残っている。処罰が与える影響勿論理解っているだろう?」


「はは」


 伯爵家の嫡男が無礼を働き処罰されたとなれば、勿論プルパールが皇太子妃になれる可能性はかなり低くなる。さしたる名声もなく急浮上しただけで汚点のできた伯爵令嬢のプルパールと、高い名声を誇り汚点の全く無い公爵令嬢のシェリー。どちらが選ばれるかなど子供でも判るだろう。

 アルデルンはプルパールには悪いがここで一気に決める気でいた。シェリーは次期聖女候補でもある。せっかくチャンスが意図せず生まれたのだ、これ逃す手はない。聖女より先んじてシェリーを正式に皇太子妃に迎えると宣言してしまう気でいた。


 ここに至っては家の存続が最優先となった伯爵はプルパールどころではなくなった。なんなら養女関係を解消しても良いと考えた。


「そうか。ならばレドグリンを訴える権利を持つのは侮辱された公爵家とシェリーフィアス嬢だ」


 アルデルンの言葉を受けて状況を見守っていたシェリーの兄ランクレスがアルデルンの元にやってきた。


「お恐れながら申し上げます」


「うむ、発言を許す」


「殿下は寛大なお心を示されました。ならば皇家の臣たるマークサンドス家も直接言われた訳ではない不敬を問いただすことは致しませぬ。その権利を有するのは我が妹シェリーのみにございます」


「そうか。公爵は臣の鑑だな」


「勿体ないお言葉です」


「伯爵、頭を上げよ。そして寛大な公爵に感謝する事だ」


 伯爵はアルデルンの言葉を受けて頭を上げ、アルデルンに跪く体勢に戻るとランクレスに最大限の謝意を示し、頭を下げた。


「さてシェリーフィアス嬢。この慮外者をどうする?」


 皆の視線は一斉にシェリーに向った。流石に視線が集まっていいるのを感じたシェリーはこの状況について考える。


(あら? これはどういった状況なの?ひょっとして断罪劇? それで何故わたくしが注目されているのかしら?)


 シェリーはこの状況に焦っていた。アルデルンとのダンスが楽しかったのでその楽しさを300%楽しむ為、幸せの余韻を味わうべく思考を完全に止めていた。だからレドグリンが近づいて来たのも気付かなかったし騒いだのも全く聞いていなかった。不用心この上ない。兎も角音すらシャットダウンしていたので無意識に聞いてもおらず、レドグリンが言った言葉が浮かんでこない。なにか無礼な事を言われたのだろうとは推測できるけど聞いてないので怒りも沸かず、ただただ戸惑うだけだった。


 しばしの沈黙。ごくりと誰かの喉が鳴った。困ったシェリーあはとりあえず微笑んでみた。いつもはこれで何故かが事態が動くのだけど、今回ばかりは何も起きなかった。相変わらずの視線が痛い。

 突如シェリーは顔を赤らめた。そして意を決してシェリーはアルデルンにそっと耳打ちしたのだった。



『あの時、公爵令嬢が恥ずかしそうに殿下に耳打ちなさると、それまで厳しかった殿下の表情が一気に和らいで、笑顔になったのだ』


 この光景を見ていた貴族の一人は後にこう語っている。それほどアルデルンの表情の変化は劇的だった。


「ふ、ふふふふ。そうか流石はシェリーフィアス嬢」


 そう言ってアルデルンは笑った。シェリーの顔は真っ赤だった。よほど恥ずかしいのだろう。しかし困ったようにしながらも微笑みを絶やさなかった。

 困ったシェリーは自らの本性を知るアルデルンを頼った。本来ならあってはいけない事で皆の注目が集まる中で無作法をするのだから恥ずかしくて仕方がなかったのだ。

 一方のアルデルンはシェリーに頼られて、しかも耳元で囁かれて嬉しさのあまり先程までの怒りは一気に吹き飛んだ。皆の注目が集まっているので皇族の威厳を保つのが大変だった。


「レドグリン、頭を上げよ」


「はは」


 頭を上げたレドグリンはいきなり上機嫌になっているアルデルンに内心驚いた。


「良かったな。レドグリン、そして伯爵。シェリーフィアス嬢は何も聞いていなかったそうだ」


 その言葉を受けて皆はぽかんとしてしまった。会場にいた皆が聞いていたのだ。暴言を受けていた当の公爵令嬢が聞いていないなどあるはずがない。


「それは…どういう」


 暴言を発した当の本人であるレドグリンもそう言うのがやっとだった。


「だから言葉通りだ。シェリーフィアス嬢は何も聞いていない。聞いていないので特に何もしないそうだ」


 意味が理解らずレドグリンは思わずシェリーを見た。


(暴言を吐いた自分に微笑んでくれている……)


 根っからの肉体派であるレドグリンにもシェリーの意図が理解った。皇太子に習って不敬を問わない事にしてくれたのだ。聞いてないなんてあり得ない。その無茶な理由を押し通して聞いていないことにしてくれたのだ。聞いてないから不敬は問わないと。

 無理やりな理由であると理解っているからあんなに恥ずかしそうにしているのだ。


「無礼を働いたにも関わらず寛大なるお言葉……うう……」


 こみ上げて来る感謝に後は言葉にならななかった。


「レドグリン、伯爵も、次はないぞ」


「「はは、肝に命じまする」」


 アルデルンは周囲を見渡し、この沙汰に不服そうな者が居ないのを見て取ると、シェリーを連れて足早に会場を去った。顔が赤いシェリーが可愛すぎて誰にも見せたくなかったというのが真実である。


 この沙汰に会場に残された貴族達は感じ入っていた。あれ程の暴言を飲み込み聞いていなかったなど普通なら到底言えることではない。しかも殿下の威厳や寛大さを損なわない様に控え目に発言し、あれほど怒っていた殿下が大変に上機嫌になっていた。誰もが改めて皇太子妃に相応しいではなく、皇太子妃になって欲しいのはシェリーだと考える様になってしまった。



続く

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