14.孤児院で微笑む
その日シェリーは皇都内の、とある孤児院を訪問していた。
弱者救済が国の基本方針の一つであり、高貴たる者市井の暮らしを知り弱き者を助けるべし、というのがこの国の貴族の矜持なのだ。だからこの国の貴族は高位であればあるほど慈善事業や寄付を熱心に行う。これが出来る内は国家の経済状況が良好と言える。そして現在この国の経済は好景気だった。シェリーというか専属侍女リアーナの行った投資の全てが成功したのが主な要因だった。
シェリーが訪問する孤児院は毎回違っており、その選定はもちろん専属侍女のリアーナが行っている。実はシェリー個人の資産は日々膨れ上がっている。以前リアーナが留守中に決まってしまった投資が失敗しても目立たないようにと、リアーナの裁量で厳選した投資の数打ちをした結果、最初の投資を含め全ての投資が成功し大きな利益を出しているからである。リアーナは投資家としての才能も在るスーパー侍女だった。それにしても利益の出方がリアーナの予測以上だった。まるで幸運の女神に微笑まれているかの様だ。
本日シェリーが訪れたのは皇都の外れにある寂れた孤児院だった。ここの孤児院は国の援助ではなく、教会の援助で運営されている。だから孤児たちの面倒を見ているのは神に帰依した者達だった。
この世界で教会は”神殿”の中の下位組織である。
神殿は、この世界を創った創造神である女神を祀る組織だ。ちなみに女神に名前はない。いや在るかもしれないが、人間が呼ぶのは不尊である為、”女神様”として長く祀って居る内に名前に関する記憶も記録も無くなってしまった。
女神を崇め、祀り、神事を取り仕切るのが神官達であり、神官をまとめる組織が神殿だ。この世界でほぼ全ての国に神殿組織は浸透しており、その総本山である大神殿が此処デデルンビア皇国の皇都にあるのだ。
そして以前説明した聖女は神殿組織の中、最も位が高い。初代聖女にあったされる聖なる力は女神が授けたもの。つまり聖女は女神の力の代行者と考えられているのだ。神殿組織を運営する長は大神官であるが、聖女は神殿の象徴とも言える存在だった。
今や各国が独自に聖女を擁立しているが、特に皇国の聖女は大聖女と呼ばれ、他の聖女より格が高いとされる。
そして教会組織は、女神の教えを遍く世界に広める為に作られた組織だ。神官を区別するため神父やシスターと呼ばれる神の元に帰依した者達が教会組織で活動している。
神官と神父、シスターには明確な違いがある。神官は、神殿が運営する神学校を卒業しないとなれないのだ。そして神父やシスターは教会組織に所属するだけでなれる。教会や孤児院を任されるまでになるには修行が必要だが、それは教会の実務活動の中で行われる。
神学校卒の中でも特に優秀な成績だった者たちは皇都にある大神殿やそれぞれの国の神殿支部に配属される。優秀な成績を収めた者達は重要都市の神殿や教会組織の重要ポストへ、普通の成績だった者達は地方神殿へ、成績が悪かった者は神官になれず、教会組織で神父やシスターになるか神の組織の元を去るか選択する事になる。
さて、シェリーは訪れた孤児院は教会が運営しているので、教会に併設されている。まずシェリーは教会で祈りを捧げた……フリをして思考を停止した。シェリーは思考停止できる機会は決して逃さないのだ。祈り(周囲にはそう見えている)の後は神父と歓談し、孤児院で奉仕作業を行うのだ。
シェリーが子供達に本の読み聞かせをしている時に、孤児院を訪れた者がいる。
「こんちはー…ん? げ!なんでアンタいるのよ!!」
シェリーを見つけるなり叫んだのはプルパールだった。プルパールがやって来た理由は子供達の反応が示していた。
「あ、パールお姉ちゃん。こんにちはー。わー、約束通りケーキ買ってきてくれたんだね」
子供達が喜んだ通り、プルパールの手には有名ケーキ店の箱があった。子供達はプルパールに戸惑うこと無く自然に受け入れていて、プルパールの元に群がりだした。子供達の打ち解けた様子はプルパールがこの孤児院をよく訪れている事を示していた。
プルパールは前世の記憶があるが、前世でも今生でも信心深くは無い。前世での死に様は惨めなものだった。その記憶を今生に記憶を引き継いでいるので尚更女神を信じる気にはならない。只、起こっている現実を受け入れて今生での最善を目指しているだけである。
そんな彼女が、伯爵家の令嬢となった今も護衛を引き連れてこの孤児院を訪れているのは慈善活動ではない。云うなれば懺悔か償いの類だろうか。プルパールは前世で何度も堕胎し、最後は子供を埋めない体になった。死の間際、もし子供を産んでいたら…自分が子供を可愛がるとは到底思えないがせめて看取って貰えたかもしれないと思いながら生を終えた。
そして今生で生活に困らない商家の娘として生まれた。この孤児院を訪れた最初の動機は打算だった。立派な心根をした娘を演じる為で、実家から一番近かったのが此処だっただけだ。そこで子供達の人気を得ようとしたプルパールは逆に癒やされてしまったのである。
子供達は無邪気だった。それ故残酷な場合もあるが。表面を体裁や嘘で塗り固めた自分や大人達より好ましく思ったし、自分を飾らないでいられたのだ。残念ながら世話をした事もある子供を看取る事もあった。そうして活動する内に前世の行いが罪深いことを知った。
だからかプルパールは自らの野心に子供達への願いを乗せた。皇后になった暁には子供達にお腹いっぱい食べさせてやるのだと思うようになったのである。
「あら、プルパール様こんにちは。貴女も慰問でして?」
「私はそんなんじゃない。アンタみたいに気まぐれで来てるんじゃないわ」
(あら、今日もご機嫌斜めみたい。ひょっとして嫌われているのかしら?)
場は剣呑な雰囲気に包まれた。当然ながら先の発言は公爵令嬢のシェリーに対してしていいものでは無い。プルパールは伯爵家の養女なのだ。ましてここは学園内ではない。シェリーの侍女リアーナはその態度と発言を罪に問いたかったが、この場でそれが出来るのはリアーナでは無く、主のシェリーだけだ。そのシェリーは困ったような表情を浮かべるだけで何も言わないのだからリアーナからは言えなかった。
「パールお姉ちゃん!喧嘩はだめだよ」
プルパールからケーキの箱を受け取った女の子の一言でその場の緊迫感は消し飛んだ。
「そんなつもりじゃ…只わたしは…」
言葉が詰まるプルパール。何の事はないプルパールは只々自分の居場所を荒らされたくないだけだった。その態度が弱点だと知らせていることに気付かない。リアーナは気づいた。そしてシェリーは…何も考えて居ない。
とりあえずシェリーはプルパールを叱った女の子とプルパールに向って微笑んだ。
「……はぁ、全く何を言われてもそんななんだから張り合うのが馬鹿馬鹿しくなるわ。まぁここで争いは良くないわね。いいでしょここでは一時休戦よ」
そう言ってプルパールは恥ずかしそうに少しだけ笑顔を見せた。それを見たシェリーがまた笑みを深める。
「とりあえず皆でケーキを頂きましょう? 馬車にまだ積んであるから、全員いっぱい食べれるからお行儀よくするのよ」
シェリーの微笑みに耐えれなくなったプルパールは、そっぽを向きながら誤魔化すように提案するのだった。
続く




