3.孤独と絶望の魔女
それはその者の単なる気まぐれだった。直感に従って外出した際にとある村を見つけた。
だが、妙だ。村人と思われる多数の血まみれの死体。そして大きなオーガの死体。
状況的にはオーガが村を襲った?……いや、違う。ならばそのオーガを討伐したのは誰だ?
オーガというのはただの村人程度にどうにかできるような魔物ではない。それに村人の体にあるのはどれも切り傷だ。オーガは刃物を使う知性など持ち合わせてはいない。近くに落ちているのもただ引っこ抜いただけの木だ。ということは──。
そこまで考えた時に感じ取ったのは今にも消えそうな程に小さな鼓動。それは常人には聞き取れないほど小さな、魔力の鼓動だった。
それを辿っていくと、一人の血まみれの少年が倒れていた。
「……っ!!!」
「ん、気が付いたか?」
薄らと開かれた眼には光はない。いまだ意識は朦朧としているようだ。
「……う……ゲフッ……!」
「無理に喋ろうとするな。傷を無理やり塞いだだけだ。……それにしてもひどい有様だ」
その言葉に少年が視線だけであたりを見回すと、まさに惨状という他なかった。そして蘇る記憶。
「……うぁ……あああ……」
少年は立ち上がろうとするも途中で崩れ落ちてしまう。しかし、それでも這ってでも動くのを諦めなかった。
「とう、さ……かあ……さ……ん……」
「動くと傷が開くぞ。いったい何があったというのだ。この状況には違和感しか覚えん」
「……アイ、ツが…………勇者が……」
「……なるほど。異界より来たりし勇者、か。風の噂では聞いてはいたが、ここまで酷いとはな……」
「なん、で……っ、おれたちはっ、ただ……平和に暮らして……っ」
「人というのはどこまでも欲深くて愚かだ。欲しかったものを手に入れたら、その先を望んでしまう……」
「……アンタは、何者だ。アイツの……仲間か?」
「私は……人々に『魔女』と呼ばれている者さ」
「まじょ……」
「そう。力を持つあまり『最悪の災厄』とまで呼ばれ、忌み嫌われる存在さ。まあ、もう長いこと人前で力など使っていないから忘れられているかもしれんがね」
遠くを見つめながら答える魔女。
「ちか、ら……」
「強すぎる力は身を滅ぼし、孤独を呼ぶ。いいことなんてないさ」
「……結局、同じだ。力がなくても、こうしてすべてを失って……孤独になる。俺は……力がほしい。理不尽を、はねのけられるだけの力が。アイツに、復讐するための力が!」
「……復讐は更なる憎しみと悲しみを生み出すぞ?」
「それでも!何もしないわけには、いかない。俺たちが、何をしたっていうんだ!……こんなのっおとなしく受け入れろっていうほうが無理だろっ」
傷だらけの少年の瞳には光が宿っていた。暗い憎しみの光が。
「どういうつもりかは知らないが、俺を助けたならその責任をとってくれよ」
「責任とは?」
「俺を、弟子にしてくれ」
「悪いが弟子は取らない主義でね。……まあ、たしかに助けた責任というのはあるかもしれんな。勝手についてくると言うなら好きにするといい。何も教えることなどないがね」
そしてこの日から憎悪に生きる少年と孤独に生きる魔女の生活が始まる──。
魔女は葛藤していた。どうしてこうなった。
たしかに少年を助けたのは自分だ。気まぐれだろうがそれは変わらぬ事実である。それはいい。
しかし何故その少年が家にいるのだ!傷は治してやったのだからあとはゆっくり休んで好きに生きればいいというのに。
それが私に弟子入りしたいだと?知るか!弟子など構っている時間は私には……いやあるけど。めっちゃ暇だけど!そうではない。魔女の力を持つ私は普通の人間と深く関わるわけにはいかない。どうせ私のことを知れば離れていく。
そうだな、どうせ離れていくんだ。好きにさせればいい。数日も経って傷が癒えれば勝手にいなくなるだろう。
そう思っていたのに……。
それから数日経って失った血も戻り、体はすっかり治ったというのにアレクはまだ魔女の元にいた。
遺体を埋葬しに村へ戻ったが、それから当たり前のように魔女の家に帰ってきた。
魔女はずっと一人で生きてきた。だから同じ空間に他の人がいるというのはどうにも落ち着かない。
ここへ連れてきた時は血の流し過ぎで衰弱していてベッドに寝かせたままだったのでそこまで気にならなかったのだが、血も戻って起き上がれるようになり、こうして向い合せで座っているだけで気まずいことこの上ない。
しかしアレク少年は持ち前のポジティブさで話しかける。
まるで村が滅んだことなどなかったかのように。
アレクが質問して魔女が答えたり、アレクが自分のことを話すばかりだったが。
名前を聞かれた時に、長い時の中で自分の名前すら忘れてしまったことに気づいてため息が出しまったが、そしたらアレクは魔女のことを「師匠」と呼ぶようになった。
魔女は鬱陶しそうにしていたが、他に呼び方もなく妥協することにしたようだ。
それからアレクは庭で作物を育てたり、その作物で料理したりとした。
魔女はアレクが絶望で塞ぎ込んでしまうよりはいい、と好きにさせた。
『おはよう、おやすみ、行ってきます、行ってらっしゃい、ただいま、おかえり』
自分の発した言葉に返してくれる相手がいる。
魔女にとってはとても新鮮で、いつしか心地よいものになっていた。
そうして半年が過ぎ、アレクも魔女も、お互いがいるのが当たり前になっていた。
「──む?」
「師匠?」
「これはなかなか厄介な客が来たものだ。もう何年もここへ近寄る者はいなかったというのに」
「厄介っていったい──」
「人々を脅かす魔女!俺様が直々に退治しに来てやったぞ!さっさと姿を現せ!」
その声を聞いた瞬間、アレクの時が一瞬止まった。忘れもしない。忘れられるはずもない声。
脳裏にあの光景がフラッシュバックする。
体が震える。アイツに切られた箇所が熱を帯びる。
「お前はここにいろ」
そう言って扉から出ていく魔女。その背中を見た瞬間、背筋に寒気が走った。
このまま二度と会えなくなってしまうのではないか?
また何も出来ずに失ってしまうのか?
そう思ったら少年は立ち上がっていた。
「姿を現したな!悪しき魔女め!」
「やれやれ、そういう風に言われるのも久しいな」
「お前の存在は世界にとって脅威でしかない!おとなしく俺に討たれろ!」
「誰に唆されたのかは知らんが──」
「おい勇者、お前はこの人が悪さをするとこを見たのか?」
その問いかけは魔女の背後から飛んできた。
「なっ……人間!?……クソっ魔女め!人間を攫ってきて操っているとは!」
「相変わらず人の話を聞かねえヤツだな。俺は操られてなんかねえよ」
少年は勇者の言葉を否定しながら歩く。
「大丈夫だ!キミの洗脳は俺が必ず解いてやる!」
「だから操られてねえって言ってんだろ!俺は俺の意思でここにいるんだよ!」
先程までの恐怖はどこへやら、少年は叫んでいた。
「自分の意思で……?なるほど、魔女の信者か。ならば魔女諸共討つまでだ!」
「魔女の信者、ね。あながち間違いでもねえけどな。おい、ところで勇者様よ、俺の事覚えてねえのか?」
「……あん?悪いな。俺様は忙しくてな。会った人全員覚えてたらキリがないんだ」
「そうかよ。自分が殺した相手なんかいちいち覚えてないってか」
「あ?殺した?……そういやお前のその顔、どこかで見た覚えが……ああ、そうか。あんときのクソガキか。全員殺したと思ったがまさか生き延びてこんなとこにいるとはなぁ。だったら何度でも殺してやるよ!」
勇者が剣を抜き放ち踏み込んでくる。
少年は自分の感情が恐怖と怒りでごちゃ混ぜにになっていた。
さらにはその恐怖も、勇者への恐怖と、魔女を失ってしまうかもしれないという恐怖が混ざっていた。
見ず知らずの自分の命を救ってくれた魔女。彼女に何も恩返し出来ていない。
自分も彼女もここで死ぬわけにはいかないのだ。
しかし何を思ったとて、対峙しているのは勇者と武器すら所持していないただの村人。アレクの死はまたも目前に迫っていた。
だが今度は絶対に目を背けない。
そんな覚悟を決めたアレクに迫る勇者の剣。
その刃がアレクに届く寸前で何かに弾かれた。
「やれやれ、勝手に盛り上がってくれるなよ。少年、下がっていろ。こやつの狙いは私だ」
「でも、俺は……」
「お前がここで死んだら助けた意味がないだろう。なに、お前がいてくれる限り、私は勇者などには負けん」
アレクはとても悔しそうにしながらも渋々魔女の後ろに下がった。
勇者が剣を振りかぶり、そして振り下ろす。
「ブレイブ・スラーッシュ!」
「その程度、私に当たるとでも──」
「……え?ガハッ……!」
魔女が避けた剣から斬撃が飛び、魔女の背後にいたアレクを切り裂いた。
ニヤニヤする勇者と唖然とする魔女。
「ハハハ!油断大敵ってやつだ!斬った感触がねえからあんまりコレ好きじゃねえんだけどな」
魔女は我に返ってアレクの元に駆け寄るがアレクは崩れ落ちてしまう。
「真っ二つにするはずが浅かったか。ま、どの道致命傷だ。最期の別れを惜しむんだな!」
「そんな……そんな!」
魔女は前回と同じように傷を塞ごうとするも、魔力制御がいまくいかない。
何度も何度も繰り返すが魔力は霧散してしまう。
震える魔女の手をアレクがそっと握る。もういいと言うかのように。
「だ、ダメだ!こんな……私のせいで……っ」
「……違う、師匠のせいじゃ、ない……。俺は師匠に会えて良かった。……師匠に救われた」
「救われたのは私の方だ。私は……私は……っ」
その先は言葉にならず、代わりに魔女の頬に涙が伝う。
「はは……、泣き顔より笑ってる顔が見たかった、な……」
「そんなの、これからいくらでもっ……」
「師匠……俺──」
アレクはその先を言葉にすることが出来なかった。
なぜなら、魔女が聞きたくないとでも言うかのようにアレクの口を塞いだのだ。自らの口で。
少年は、体から力が抜け落ちようとする寸前、体に温かいものが流れ込んでくるのを感じた。
意識が戻って目を開けると、魔女の顔がドアップで写った。
よく回らない頭で思ったのは、もっと彼女を感じたい。ただそれだけだった。
そして少年は魔女の口内を蹂躙した。
魔女は驚くも、されるがままになっていた。
アレクは不思議な感覚に襲われていた。快楽とは別に、アレクの中に何かが流れ込んでくる。
それは、とある少女の記憶──。