3 家庭内の熱いバトル
聡史と桜が家に入ると、居間にはすっかり出来上がった彼らの父親が、お湯割りの焼酎を口にしている最中だった。
「なんだ、親父は帰っていたのか。久しぶりだな」
「お父様、娘の桜が帰ってまいりました」
「おや? さすがに呑み過ぎたようだ。家出したバカ息子と目に入れても痛くない我が娘が立っているぞ。しかもどういうわけだか、聡史と桜が二人ずついるじゃないか。俺もずいぶん酔いが回っているようだな」
呂律が怪しい口調で父親は独り言のように喋っている。子供たちが姿を消してから此の方酒量が目に見えて増えており、本日もすでに目のピントがはっきりしないぐらいのアルコールを摂取しているよう。この調子ではまともに話もできないのはひと目見ただけでも明らか。
聡史は父親のセリフにいくばくかの理不尽な格差を感じながらも、酔っぱらった相手に対して頭を下げる。こういうことは気持ちが大切だと、日頃から実践している結構律儀な性格なのだ。
「親父、心配掛けて悪かったな。俺たちはこうして無事に戻ってきたからどうか安心してくれ。それよりも今日は呑み過ぎだろう。母さんに迷惑をかけないうちに休んだらどうだ?」
「そうだなぁ… 夢にまで見た子供たちの無事な姿をこうして見られたから、満更酒は害になるばかりではないな。さて明日も仕事だしもう寝るか」
父親は席を立とうとするが、かなりの酩酊状態で足が縺れて一人では立ち上がれない。
「しょうがない親父だな。肩を貸すからしっかり立ち上がるんだぞ」
「おう、すまないな。ついでにトイレに連れて行ってくれ」
「要介護老人か」
こうして聡史は足取りの覚束ない父親を何とか寝かし付けると居間へと戻ってくる。そうこうしているうちに、キッチンで料理をしていた母親の呼ぶ声が聞こえてくる。
「聡史、桜ちゃん、もうすぐご飯ができるわよ」
「母さん、こんな夜遅くに何を用意してくれたんだ?」
「ちょうどお肉が買ってあったから、二人が大好物のスキ焼よ!」
「お母様はさすがです。帰ってきた日にまさかのスキ焼なんて、運命の巡り合わせのような幸運を感じます」
この素直に感情を表現する態度こそが桜が両親から信頼されている原動力だ。父親母親に可愛がられるコツを本能的に分かっているに違いない。
「さあ、お兄様、晩ご飯をいただきましょう」
そう言い残すと、桜の姿は一瞬で聡史の前から消え失せる。
呆れた表情でで聡史がキッチンに入っていくと、テーブルに瞬間移動したかの如く自分のいつもの席に桜がごく自然に座っている。すでに彼女の肩まで伸びている黒髪は後ろで束ねられて、今か今かと料理が運ばれてくるのを待っている模様。
「さあさあ、二人ともお腹いっぱい食べてね」
テーブルの中央にグツグツ煮えたスキ焼の鍋が置かれる。肉や野菜がちょうどいい塩梅に火が通り、まさに食べ頃である。
「夢にまで見たお母様の手作りご飯です。それではいただきま~す」
桜が鍋に箸を伸ばす。その箸先には3切れの肉がひと息に挟まれている。そのまま溶き卵にくぐらせると、熱々の肉を一気に頬張る。その食べ方は黒髪の美少女と呼ぶには不釣り合いなほど豪快で男らしい。
「これこそが、久しぶりの我が家の味です。お母様、ご飯を大盛でお願いしますわ」
「桜ちゃんがいっぱい食べてくれるから、お母さんも作った甲斐があるのよ」
母親はドンブリに山盛りのご飯を盛り付けると桜へスッと差し出す。その表情は、久しぶりに見た我が子の変わらぬ姿に嬉しさを隠せない様子だ。それにしても、重量感のある大盛ご飯である。優に茶碗3~4杯分はあるだろう。
「桜、俺にも肉を食べさせろ」
「お兄様、この際立場をはっきりさせていただきますが、肉の奪い合いは戦争です。食べたいのでしたら、私から実力で奪ってくださいませ」
「よし、その戦争、受けて立ってやろうじゃないか」
こうして聡史が肉を巡る戦いへと参戦するが、戦況は圧倒的な不利。そもそもが食べるペースが違い過ぎる。聡史が一口食べる間に桜は3回鍋に箸を伸ばすのだ。
こうして肉を巡る戦いに惨敗を喫した聡史は、野菜やシラタキで腹を満たすしか残された道はなかった。
そして、鍋がスッカラカンになった時…
「ふう、お腹がいっぱいです。やっぱりお母様の料理は最高… おやおや、なんで私の目の前でお兄様がしょげ返っているのでしょうか?」
「肉がぁぁ! 肉が二切れしか食べられなかったんだよぉぉぉ」
「お兄様! 二切れも口に入ったなんて腕を上げましたね。以前ならば一切れも食べられなかったのに」
「俺の分の肉まで食べておいてずいぶんな言い草だな」
聡史が涙目で惨敗を喫した戦いの結果に抗議している。だが馬耳東風とでも言わんばかりに、桜はそのようないわれのない抗議はスルーしているのだった。
「桜ちゃんの食欲が変わらなくて、お母さんはとっても安心したわ」
「母さん、それは誤解だ。むしろ以前よりもパワーアップしているぞ」
レベルが上昇すると当然運動量が増える。消費するカロリーが必然的に増えるので、食欲は益々亢進するのが当然といえば当然。桜の食欲は異世界に行く前と比較して軽く2倍と見積もってもよさそう。
もちろん当の本人である桜は、母親と兄の遣り取りなどどこ吹く風で聞こえないフリをしている。腹に収めてしまえばこちらのものという真っ黒な表情が、面の皮一枚捲ると出てきそうな態度。食べ物が懸ると肉親の情などどこ吹く風で、はるか彼方に捨て去るのが桜流の生き方でも言いたげな雰囲気を醸し出している。
こうしてスキ焼のどうでもいい反省会が終わると母親が話を切り出す。
「それはそうと二人が行った異世界というのはどんな場所だったのかしら? お母さん、ちょっと興味があるわ」
「お母様、どうせでしたらデザートでも食べながら和やかにお話するのがよろしいと思います」
要約すると「早くデザートを食べさせろ」という意味で間違っていないはず。スキ焼戦争で兄を圧倒した食欲怪獣なら、次に求めるのは甘いデザートと相場は決まっている。
「今夜は蒸すからアイスでいいかしら? 買い置きが冷蔵庫に入っているわ」
「私が取ってきます」
桜がこうして自分から申し出る場合には必ず裏がある。案の定アイスを4つ持ってきており、自分だけはしっかり2個食べるつもりのよう。
満足げにアイスのフタを開ける桜の様子に呆れながら、聡史が異世界に関する話を始める。
「俺たちが召喚された世界というのは剣と魔法が飛び交う戦乱に満ち溢れた世界だった。毎日が大変だったよ」
「お兄様、今の発言は大間違いです。毎日ワクワクするスペクタクルに満ちた冒険の日々でした」
「ワクワクで済むはずないだろう。日々命懸けで戦っていたのを忘れたのか?」
「お兄様、その捉え方自体が間違いなのです。戦いこそが人生最大のアトラクション。ネズミの王国のようなテーマパークです。入園料を払ってでも、もう一度出掛けてみたいですわ」
「入園料は、いくらなんだ?」
「基本無料ですが、時には自らの命を差し出さねばならない場合もありますね」
「それを命懸けと言うんだろうが」
一応の常識を心得ている兄と戦闘狂の妹の異世界に対する認識は、まったくの正反対。だが母親は二人の対立など華麗にスルーしつつ…
「まあ、異世界にも魔法なんて存在するのね」
「母さんが食いつくツボがわからねぇぇ」
魔法というフレーズに最も興味を惹かれている母親の態度につっこむ聡史。なんというか、こう、「そんな危ない場所からよく無事で帰ってきたわね。よよよ」といった温かい労いを期待していただけに、思いっきり肩透かしを食らった感だけが残る。だがそんな淡い聡史の思いはまるっと無視らしい。
「ほら、最近テレビでも魔法の話題とか取り上げられているじゃないの。お母さんも魔法で家事とか出来ないかしら?」
「うーん、そういう魔法もないわけじゃないけど、ある程度練習が必要だよ」
「そうなの… それじゃあ、面倒だからいいわ」
「あきらめ早やっ(早っ)」
要は母親は家事の手抜きがしたいだけなのかもしれない。日本の若い世代の間に魔法という認識が普及しつつある現在でも、主婦一般の魔法に対する認識具合は大体このようなものであろう。
「聡史はどんな魔法が使えるのかしら?」
「炎を出したり、氷を飛ばしたりといった、簡単な魔法だったら使えるぞ」
「まあ、それは凄いのね。桜ちゃんはどうなの?」
「お母様、私に魔法など不要です。全ての敵をこの拳一つで倒してきました」
要約すると「魔法の術式などちまちま組み立てるのが面倒。直接殴り倒した方が圧倒的にお手軽」という意味であろう。美少女キャラの外見とは打って変わって、戦闘狂で脳筋の手が付けられない暴れん坊なのだ。
こうしてよもやま話をしているうちに、いつの間にか時間が過ぎていく。
「あら、もうこんな時間ね。疲れているでしょうから二人とも早く寝なさい」
こうして兄妹の帰還初日は、夜も更けていくのだった。
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