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異世界から日本に帰ってきたらなぜか魔法学院に入学 この際遠慮なく能力を発揮したろ  作者: 枕崎 削節


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297 闘武館

実家に戻った聡史と桜は……

 翌日、朝早くに目を覚ました聡史は一家の主婦として父親の出勤を見送る。


 ほぼ同時刻に桜は、近所を流れている荒川の河川敷で鍛錬すると言って家を飛び出していく。実家に帰っていようとも日々の鍛錬を欠かさないのは感心であるが、適当に体を動かしてから牛丼屋かファミレスでモーニングメニューをたらふく食べてくる算段であろう。


 聡史が自分と母親の分の朝食の準備を整えていると、その母親が昨日よりもやや元気な表情で1階に降りてくる。



「母さん、気分はどう? もっとゆっくり寝ていても大丈夫だよ」


「ありがとう聡史。でも病気じゃないから大丈夫よ」


 我が子が家に戻ってきた嬉しさのせいか、このところ苦しんでいたつわりも今日はさほど気にしなくても大丈夫なレベルらしい。だが聡史は「新たに生まれてくる兄弟に何かあっては」という長男としての気遣いが高じて、母親に対して腫物を扱うような超過保護な態度で接している。



「一応母さんが口に出来そうなものを準備したから、無理しない範囲で食べてくれよ」


「ええ、ありがとう。それではいただきます」


 聡史が用意した朝食は、トースト、サラダ、ベーコンエッグ、パイナップル入りのヨーグルト、オレンジジュースという内容。昨夜のうちに食べられそうな食材を母親から聞き出して、わざわざ深夜営業しているスーパーに買い出しに出掛けるという念の入りよう。



「美味しいわ。聡史はいつの間にこんなに料理が上手になったのかしら?」


「異世界に行っている間は、もっぱら俺が桜の分まで料理をしていたんだよ」


「まあ、何事も経験なのね~。お父さんにも見習わせたいわ」


「親父は茹で卵でさえまともに作れるか怪しいからな~」


 世の中の父親は率先して家事や料理を手伝うタイプと一切何も出来ないダメ人間に区分されるケースが多いが、楢崎家の父は間違いなく後者というのが確定する。話題が父親の話になった時に、聡史が早朝目撃した気になる出来事について母親に尋ねる。



「そうだった。その親父なんだけど、今朝ずいぶん早起きして庭で竹刀を素振りしていたんだ。一体どういう風の吹き回しなんだろうな?」


「あら、ずっと続けているのね。お父さんったら子供が生まれると聞くなり『強い父親を目指すぞ~』って張り切っちゃって、10年以上仕舞い込んでいた竹刀を持ち出して毎日出勤前に振っているのよ」


「急に始めて大丈夫なのか? ずいぶんブランクがあるのに」


「好きにやらせてあげましょう。それにねぇ~… 学生の頃剣道をやっていたお父さんはとっても格好良かったんだから」


 母親の目が遠い過去を振り返るように彼方の方向に向けられている。


 そもそも楢崎家の両親の馴れ初めは高校時代まで遡る。今はすっかりメタボ体型になって当時の見る影もないが、剣道に熱中していた父親のりりしい姿に母親が一目惚れしたのが、二人が将来結ばれる切っ掛けだったらしい。


 ちなみに聡史たち幼い頃、妹とは真逆のインドア派だった兄を心配して剣道場に連れて行ったのも何を隠そう父親であったという話。


 こんな半分のロケのようなセリフを聞かされた聡史は、やや胸やけでも起こしたかのような表情。



「ハイハイ、夫婦で仲が良くて羨ましい限りですよ。ごちそうさまでした」


「あら、聡史だっていつもとっても可愛い女の子に囲まれっ放しじゃないの。誰を彼女にするのかちゃんと決めたのかしら?」


「そ、そういうのじゃないから」


 思わぬ方角から飛んできた母親の鋭い追及。聡史は何とか誤魔化して逃げを打つのが精一杯。当然ながら母親の疑惑の目は聡史に注がれるが、どうにか情けを掛けてもらってこれ以上深掘りされることはなかった。





   ◇◇◇◇◇





 当面主婦を務める聡史は午前中から掃除や洗濯に汗を流す。いつの間にか桜も戻っていたが、自分の部屋の掃除以外は一切手を貸すこともなしにすべて兄に丸投げを決め込んでいる。


 昼食を終えて聡史が台所で洗い物を片付けていると玄関のチャイムが鳴る。モニターを確認して玄関を開けると、そこにはスポーツバッグを肩に掛けた学が立っている。当の学は、ドアの内側から現れたエプロン姿の聡史に目を白黒。というか「どこから突っ込もうか」と言わんばかりの表情。



「聡史先輩、その格好はどうしたんですか? さすがに似合っているとは口が裂けても言えませんが」


「そんなに変かな? まあ、これも親孝行の一環だよ。そんなことよりも学君、暑い中ご苦労さん。桜は部屋にいるけど上がっていく?」


 どうやら聡史のエプロン姿というのは途轍もなく似合っていないと判明する。学がだいぶオブラートに包んで発言したおかげで、聡史にはその不似合い具合がうまく伝わらなかった模様。



「聡史先輩、今日は桜ちゃんとの約束で道場に顔を出すんです」


「ああ? よくあんな地獄の1丁目みたいな場所に行く気になるな~。まあ好き好きだから止めはしないけど… 今呼ぶから待ってくれ。お~い、桜、学君がきたぞ~」


「は~い」


 地獄の1丁目とは一体どういう意味であろうか? 何やら意味ありげな含みを残した聡史が2階の自室にいる桜に声を掛けると、いつものように威勢のいい返事が聞こえてくる。しばらく待っていると、学同様にスポーツバッグを肩に掛けた桜が階段をドタドタ降りてくる。


 やはり桜がいるだけでこの家は何かと騒がしくなるのは間違いない。



「学君、お待たせしましたわ」


「今来たところだから全然待っていないよ。それでは聡史先輩、いってきます」


「お兄様、いってきますわ」


「ああ、夕飯は用意していくから、遅くならないうちに帰ってこいよ」


 暑い盛りにわざわざ稽古をしに道場へ出向く二人を見送った聡史はそのまま台所に戻って、途中だった食器洗いを続けるのであった。





   ◇◇◇◇◇





 桜と学は連れ立って道場への道のりを歩いている。



「桜ちゃん、今日は35度を超える猛暑日らしいよ」


「寒かろうが暑かろうが、武術を極める修行には関係ありませんわ」


 どう考えてもカップルらしからぬ話をしながら、二人はアスファルトに覆われてこれでもかというくらい輻射熱が襲い掛かる歩道を歩いていく。


 ところで昨日の桜と祖母の会話を覚えているだろうか? 確か桜は祖母に「明日おジイ様の所に顔を出す」と伝えていたはず。ところが今は学と一緒に道場に向かっている。なぜこのような成り行きになっているかというと、実際に道場に到着してみれば正確な事実が明らかになるだろう。


 あまりに暑いので途中のコンビニでアイスを購入して食べながら歩くこと15分、二人の目の前にはいかにも旧家という造りの趣ある門構えの屋敷がドーンと存在感を主張している。


 桜が勝手に通用口を開いて中に入り込むと、若い女性がちょうど洗濯物を取り込んでいる最中。彼女は門から庭に入ってきた来客に気付く。



「よう、桜じゃないか。学少年も一緒だったんだな」


「茜お姉さま、お久しぶりですわ。お正月に挨拶して以来ですね」


「師範代、ご無沙汰しております」


 洗濯物を取り込んでいたのは、桜の従姉にあたる本橋茜もとはしあかねで、現在花も恥じらう21歳。その外見は桜をそのままちょっと大人にしたロングの黒髪が良く似合う女性というのがパッと見の印象。


 より正確に述べると、桜と茜は親戚一同が口を揃えて「婆ちゃんの若い頃にソックリだ」と驚くくらいによく似ている。約半世紀前の祖母の写真を確認してみると、確かに現在の桜や茜に瓜二つの美貌として撮影されたものが何枚もアルバムに保管されている。


 もちろんこの二人は祖母からすると直系の孫なので、その血を受け継いで顔立ちがよく似ることもあるだろう。だが従姉にも拘らずあまりによく似ているせいで、親戚からは「桜と茜が双子なのでは」とよく言われる。多分にこれは冗談ではあるが、顔立ちに関しては父方の遺伝が強い本当の双子の聡史と、母方の祖母ソックリな桜がまったく似ていない点をからかっているのかもしれない。


 見てくれがよく似ている桜と茜と述べたが、実は中身もほとんど大差がない。茜は桜同様に脳筋にして戦闘狂の血が色濃く受け継がれている。外見は穏やかな祖母似だが、その極めて危険な性格はちょっとヤバい祖父の影響かも知れない。


 そして茜に対して学が「師範代」と挨拶した通り、この屋敷は桜の母親の実家であると同時に古武術を学んだ道場でもある。


 茜が道場の正式な後継ぎとして師範代に就任したのは18歳の時。当時桜は毎日道場で汗を流しており、茜とどちらが師範代を襲名するか門弟たちの注目が集まっていた。そして桜を蹴落として実力で跡継ぎの地位を手に入れたのは茜というわけ。


 こと古武術に限って言えば、桜は「百年にひとりの天才」と称される。だがそれすらも上回るこの茜は「千年にひとりの天才」なのかもしれない。


 ちなみに道場の師範は桜の祖父がいまだ現役で務めている。ついでに言うと聡史は祖父と茜が大の苦手で、あまりこちらの家には近づこうとはしない。


 祖父からは「男ならば武道を学べ」と無理やりやりたくもない古武術を強いられそうになったし、茜はそこまで無理強いしてこないものの、妹の強化版がもうひとり増えたような気がして家にいる時の2倍以上の勢いで振り回されてしまうので、大事な用がある時以外は足を向けないようにしている。


 洗濯物を取り込む手を止めないままに、茜が喋り始める。



「ジジイだったら道場にいるから顔を出してきなよ」


「お姉さまはどうなされるのですか?」


「私も洗濯物を畳んでから顔を出すから、先に挨拶ぐらいしておくといいよ。ジジイは強がっているけど、桜が滅多に顔を出さないせいで寂しがっているからね」


「それではお先に。久しぶりにお姉さまとも手合わせをしてみたいですわ」


「訊くところによると桜もだいぶ腕を上げたみたいだな。楽しみにしているよ」


 洗濯バサミを外しながらニッと笑う茜。その表情はどこか学院長を思わせる凄みを感じる。やはり桜の従姉であり古武術の好敵手でもあるこの女性は只者ではないのが伝わってくる。ごく当たり前のように洗濯物を取り込んではいるが、その一挙手一投足にはどこにも隙が見当たらない。


 茜に促されるままに桜と学は母屋とは別棟の道場へと向かい更衣室で道着に着替える。道着とはいっても柔道や空手のような姿ではなくて、男性は白衣に紺袴、女性は白衣に白袴という装束。合気道の道着を想像していただけるといいだろう。


 道場の入り口で二人並んで一礼すると、それまで組み合って乱取りをしていた数人の門弟が手を止める。



「おお、桜お嬢に学少年じゃないか」


「久しぶりだな。あとで手合わせしようぜ」


「さあさあ、師範の前へ」


 門弟たちが見守る中、桜と学はどデカイ掛け軸が壁から吊るされる床の間を背にしてにデンと胡坐をかいて座っている師範の前へ。この人物こそが例の桜の実の祖父にあたる本橋権蔵もとはしごんぞうご本人。茜に言わせると「ジジイ」その人となっている。



「師範、お久しぶりでございます」


「師範、ご無沙汰しております」


 二人が床に手を付いて挨拶の口上を述べると、それまで厳しい表情で口を真一文字に結んでいたジジイの表情が一気に緩む。



「桜と学少年、よう参ったな。ゆっくりしていくがいい」


「おジイ様、学校が休みになりましたので、2、3日通わせていただきます」


「師範、変わらぬご指導の程、どうぞよろしくお願いいたします」


「よいよい、好きなだけ顔を出して稽古に励むといいだろう。ほれ、お前たちが来ただけで若い者の顔色が変わっておるぞ。存分に手合わせして鍛錬に励め」


「「はい」」


 あの傍若無人の桜が、師範の前では借りてきた猫のように礼儀正しく振る舞っている。明日香ちゃんがこの光景を目撃したら即座に救急車を呼ぶレベルの豹変ぶり。



「それでは道場の隅を借りてしばし体を解します」


「うむ、良いぞ」


 実の祖父ということもあって桜はさほどでもないが、学は師範とこうして言葉を交わすだけでもう額には汗が浮かんでいる。それだけ目の前の老人から受けるプレッシャーが尋常ならざるものという証明といえよう。


 挨拶を終えると、学を相手にして二人組で柔軟体操や受け身の練習を開始する桜。何事も基本が大切とばかりに一切手を抜くような姿勢はない。


 準備を終えると学が桜に組み掛かっていく。もちろん桜は軽く捌いて学は何回も床板に転がされる。ちょうどその時、道場には着替えを終えた茜が入ってくる。



「学君は他の門弟と組み手をしてもらえますか。私は久しぶりにお姉さまと手合わせいたします」


「桜ちゃん、頑張ってね」


 学に見送られて桜は茜の元へ。当の茜は師範の隣に座って道場の様子を見守る。



「茜お姉さま、乱取りの相手をしていただけますでしょうか?」


「そうだな、私も桜の腕が気になるから、ひとつ手合わせといこうじゃないか」


 二人並んで道場の中央に立つと、それまで盛んに組み手を行っていた門弟たちが一斉に壁側に並んで座り込む。どうやら二人の組み手を見守るよう。武術の世界では〔見取り稽古〕といって、上級者の動きを見るのもまた修行のひとつでもある。


 道場の中央で一礼をしてから互いににらみ合う桜と茜。二人の目は髪の毛一筋の隙も見逃すまいと、相手の動きに集中している。しばしにらみ合ったまま、互いに出方を窺うような瞬きひとつできない時間が過ぎていくが、その間両者の脳内には囲碁や将棋の名人が数十手先まで相手の差し筋を読んでいくのと同様に、苛烈な動きの読み合いが無意識レベルで繰り広げられている。


 先に動いたのは桜。先の先を取るべく前に出している右足爪先をわずかに踏み込む。だがこれはフェイントで、その実は左足に重心を移して一気に茜の左側に高速移動して脇腹に一撃を叩きこもうと回り込む。


 ご存じのように桜が身に着けている古武術は〔打つ〕〔投げる〕〔極める〕の三身一体。打撃で相手のバランスを崩してから投げて体を横たえ、最後に関節を極めたりトドメの打撃を叩きこんで勝負が決する。要は何でもアリの総合格闘技に似ている。だが金的攻撃や目潰しすら有効と認められている点では、より過激な格闘術ともいえよう。



「もらいましたわ」


 桜がフック気味に放った中段の打撃が茜の左脇腹に届くと思われたその瞬間、茜の体は滑るように一歩後退して逆に伸ばされてきた桜の腕を取ろうと掴み掛る。これは不味いと判断した桜は、大慌てで身を翻して茜の手が届かない後方へ退避。



「ビックリするほど素早い当身だったが、この程度で私から一本は取れないぞ」


「もうちょっと細工をする必要がありそうですわ」


 実際には桜の中段フックが身に迫ってきた茜は内心で冷や汗をかいている。しばらく見ない間に桜の攻撃が何段階もレベルアップしているのを目の当たりにしてのギリギリの対応。だがそれを悟られまいとして、無理して相当な強がりを口にしているのはここだけの話。


 対する桜は、こちらも相当に驚いたよう。茜とこうして手合わせをしていたのは異世界に赴く以前の話。現在のレベル700を誇る桜ではない中学生の時分にあたる。それが最初の一撃をあっさりと躱されただけではなくて後の先とばかりに反撃に出られたものだから、茜のこの期間の驚くべき技の進歩に目を丸くしている。


 もちろんではあるが、けっして桜が手を抜いていたのではない。普段頼朝たちに訓練を付ける程度にはパワースピード共に発揮している。むしろこれ以上の力を出してしまうと、床板を踏み抜いたり壁をぶち破る懸念が出てくる。つまり茜はレベル100程度の頼朝たちを難なく捌ける実力があると断言して構わない。スピードやパワーなら当然ながら断然桜に分があるのだが、茜は純粋な古武術の技量によって最初の一手を桜と互角以上に渡り合っていたというのが歴然たる事実として残されている。


 その後も桜が攻めかかっては茜がカウンターに出るという息が詰まるような攻防が続く。互いに攻め手を欠いており、約10分間に及ぶ組手は決着が付かないまま。



「そこまで」


 ここで師範の口から終了の合図が。互いに決着がつかないまま不完全燃焼の表情の桜と茜だが、師範の口から思いもよらぬ発言が飛び出る。



「桜、ずいぶん腕を上げたようじゃな。よい機会ゆえに、ワシが自ら相手になってやろう」


「お、おジイ様が直々にですか?」


「左様、しばし息を整えよ」


 道場内はシンと静まり返っている。師範が直々に組み手の相手をするなど、よほどのことがない限りこれまで見たことがない門弟がほとんど。一体どのような成り行きになるのかと固唾を呑んでいる。


 そんな中立ち上がった桜の祖父は、構えも取らずに自然体で道場に中央に立ちはだかる。桜の目に映るジジイは、まるでそこに巨木が聳え立っているがごとく。


 かつて大正時代に生まれた合気道家で塩田剛三というひとりの天才がいた。154センチという小柄な身でありながら来日したアメリカ副大統領の前で演武を行い、ついでに面白がって掛かってきた2メートル近い身長のSPをポンポン投げ飛ばしたという伝説的な逸話が残されている。ある種の武術の神髄を極めた人間は体格や腕力など関係なく、いかような状況に置かれてもその力を発揮するという実例であろう。


 そして今、祖父である師範を前にした桜は、あたかも学院長と同様な雰囲気を湛えるその姿に戦慄すら覚えている。レベルなどには関係なく自ら極めた純粋な武術で他者を圧倒する存在がここにいるかのよう。



「好きなように掛かってくるがよい」


 相変わらず自然体で立っているだけの祖父。だがその立ち姿を見ただけで、桜にしては珍しく精神的に追い込まれている。一か八か小細工など無用とばかりに桜が真っ直ぐに突っ込んでいくと…



「あっ」


 次の瞬間、その小柄な体は宙に浮いている。祖父から投げられたと理解した桜は本能的に受け身を取る態勢になって、床に叩き付けられる衝撃を何とか回避する。ギリギリ受け身が間に合って床板への直撃は避けたものの、その衝撃の勢い余ってそのまま床をゴロゴロと転がる。



「桜ちゃん、危ない」


 学が決死の覚悟で体を張って転がってくる桜を受け止める。もし学の助けがなかったら、桜はそのまま壁に衝突しておそらくは壁を突き破って外に転がり出ていただろう。



「桜よ、相手の力すらも己の技に利用する。これこそが武の神髄のひとつであると覚えておくがよい」


「恐れ入りましたわ」


 どうやら祖父は桜が突っ込んでくるスピードをそのまま生かして投げ飛ばしたよう。もし受け身が間に合わなかったら、もし学が体を張らなかったら… 一歩間違うと大事故に繋がったかもしれない。


 この光景を目の当たりにした茜や門弟たちは言葉を失っている。目にも止まらない刹那の攻防の中に武術の神髄が凝縮されていたとあっては、その内容の一部始終を理解しようと必死。だがそれはおそらく凡人には叶わないはるかな高みに至る道程であろう。一握りの許された人間だけが修行の途中のある段階を超えた際に理解可能なのかもしれない。


 ともかく怪物ジジイとの手合わせを終えた桜は、その後も学や他の門弟を相手に2時間ほど稽古を続ける。一段落したところで茜が桜に話し掛けてくる。



「桜、ちょっと相談したいことがあるから、稽古を上がったら母屋に来てもらえるか。学少年も一緒に来るんだぞ」


「相談? お姉さまが改まって一体何事ですの?」


「それは母屋に戻ってからだな。冷たい飲み物くらいなら用意するから、着替えたら来てくれ」


「わかりましたわ」


 こうしてこの日の稽古を終えた桜と学は、茜に促されるままに母屋を訪ねるのであった。





   ◇◇◇◇◇





 着替えを終えた学と桜が母屋を訪ねると、昨日会ったばかりの祖母がニコニコしながら出迎える。



「桜、学君、ようこそいらっしゃい。さあ、早く上がりなさいな」


 孫の桜はともかく、単なる道場の門下生である学に対しても上にも置かぬ歓迎ぶり。どうやら学の素直で真面目な性格はジジババたちに愛されるよう。


 だからと言って学は将来的に安泰とは言い難い。こういうタイプの男子は往々にして同年代の女子からは「いい人なんだけど…」で話が終わってしまうケースが多い。果たして学はこの「いい人」という抜け出しがたい地獄の罠から脱却できるのだろうか?



 二人はそのまま茶の間に通されると、シャワーを浴びて小ざっぱりした茜が冷たい麦茶の入ったグラスを運んでくる。



「二人ともお疲れさんだったね。それにしても桜はとんでもない上達ぶりだったよ。魔法学院というのはどんな訓練をしているのか、ちょっと興味が湧いてきたぞ」


「質量ともにこの道場に負けないくらいの鍛錬はしておりますわ。それに常に実戦に身を晒していますから、おのずと体の捌きが洗練されていきます」


「実戦か~。ちょっと羨ましいぞ。道場では組手は出来ても命懸けの実戦は出来ないからな~」


「相手はダンジョンの魔物ですが、時には人型の個体もいますから、そんな折には古武術が大いに役立ちますわ」


「なるほど、やっと納得がいった。実戦に勝る鍛錬の場はないということか」


 確かに本物の命懸けの戦いというのは、武術を極めようと考える人間としては避けては通れない場面かも知れない。魔法学院に入学して常にそのような機会に恵まれている桜の立場は、茜からすると垂涎の的のように思えてくる。だがこんな話をするために茜に呼ばれたのではない。



「お姉さま、こんな話ではなくて、本題の相談とやらを訊かせていただきたいですわ」


「ああ、そうだったな。桜とジジイの一瞬の攻防についつい気を取られてしまった。その、何だ… 相談というのはお金の話だ」


「お金の話? どこかに借金でも作ったのですか?」


「いや、違う。元々道場はジジイの懐からドンブリ勘定で維持に必要な資金が拠出されていたんだ」


 本橋家は旧家だけに周辺にかなりの土地を所有しており、賃貸マンションや駐車場を経営している。今まではその収益の一部が道場の運営に振り向けられてきた。



「ところが最近になって税金対策で土地やマンションを会社組織の所有にしてクソオヤジが実権を握ってしまったから、今までみたいにジジイのポケットマネーとして好きに使うわけにはいかなくなってさ。ほら、住み込みの門弟の食費だってそれなりの金額が必要だろう」


 実はこの話にはもう少々裏がある。茜の父は一人娘の彼女が道場を継ぐのは本意ではなく、本心としては早く婿を娶って本橋家を継いでもらいたいと考えている節が窺える。


 そのため嫌がらせ的な意味で道場の運営費を1円も払わないように社長命令を出したよう。ごく一般的なサラリーマン家庭なら大した問題ではないだろうが、こちらのような旧家ともなれば相続する財産も多いので、彼女の父親のような考えも一概には否定できない。



「世知辛い世の中ですね~」


 道場運営も中々簡単ではないよう。桜は余計な金策の心配までしなければならない茜に同情を寄せている。


 ちなみに住み込みの内弟子が門弟で、桜や学のように自宅から道場に通っている弟子は門下生と区別されている。現在祖父が師範を務める古武術道場〔闘武館〕は5名の門弟と20名ほどの門下生を抱えている。門下生の中から希望者を募り、実力や人格を鑑みて門弟として認めるという昔ながらの仕組みをいまだに維持している。



「そこで桜に相談なんだ」


「お金は貸せませんよ」


「違うって! お前、最近金回りがいいだろう。やっぱりあれか? ダンジョンの探索は儲かるのか?」


 そう来たか… 桜は思わず学と顔を見合わせる。


 ちなみに学レベルの月収は10~12万程度。ひと月の半分程度ダンジョンに出掛けてこの数字だったら、一冒険者としてもかなり良い成果を上げている方だろう。


 これが桜レベルに至っては手取りが100万を軽々超える。本当はもっと稼げるのだが、ドロップアイテムの値崩れを招かないように、毎月買い取りに出すアイテム数に制限を掛けている。おかげで桜のアイテムボックスには不良在庫と化したドロップアイテムが溜まりに溜まっている。



「まあ、手慣れてくればそれなりの収入になりますわ」


「そうなのか。今は住み込みの門弟たちがアルバイトに出て道場の運営費を稼いでくれているんだけど、ダンジョンで収入が得られるとなったら実戦も経験できるし一挙両得だよな」


「それはそうかもしれませんわ」


 雲行きが完全に怪しくなってきたのが桜と学には理解できる。どうやら茜の目論見は、道場の門弟たちとパーティーを組んでダンジョン探索に乗り出そうという話らしい。



「ということで桜、この道場の金欠を救う意味で協力は惜しまないよな。ダンジョンでどうすれば稼げるのか教えろ」


「人にものを頼む態度としていかがなものかとは思いますが…」


「歯切れが悪いヤツだな~。いいからさっさとアドバイスを寄越せ」


 押し売りが開き直っているようにしか聞こえない茜の物言いに、さすがの桜も閉口している。だが横で聞いている学は…


(桜ちゃんと茜さんって、本当に考え方が一緒だよな~。でも押しの強さで言ったら、さすがに茜さんに軍配が上がるかな?)


 などとツラツラ考えていると、いきなり茜が学に向き直る。



「おい、学少年。お前何か失礼なことを考えていなかったか?」


「と、とんでもありません。ナニモカンガエテイマセンヨ~」


 最後のほうは完全な棒読みのセリフ。素直で正直な学はウソや誤魔化しが下手過ぎる。このままでは茜の攻撃対象が学に向かいかねないと判断した桜。渋々茜の要求に従う決意を固める。



「しょうがないですわ。お姉さまの要求に従います。それで、何を教えればいいですか?」


「そうだな… まずは最初に準備する物品の一覧だな」


「服装は動きやすい丈夫なもの。あとはプロテクターや武器と防具ですかね~」


「武器か… どんな得物がいいんだ?」


「最初は取り回しのいい短剣や短槍がいいと思います。それから盾は必需品ですわ」


「盾か? なんでそんなものが必要なんだ? 魔物の攻撃くらい避ければいいだろう」


「狭い通路で魔法が飛んできた際に先頭を歩く人間が避けたら、後続は避け切れずにあっという間に総崩れに陥りますわ。通常の戦い方ではなくて、ダンジョンにはダンジョンに適した戦い方がありますの」


「なるほど、それもそうか… となると先立つものが必要になってくるな。桜、金貸してくれ」


「結局そうなりますか… 明日現物支給しますから、それで何とかしてください」


「よし、それで手を打ってやるか。楽しみにしているから、ちゃんと準備してくれよ」


 こうして桜は茜の強引な論法に押し切られて、パーティー装備一式の用意を請け負う羽目に陥るのであった。

 

またまたヤバいキャラ登場。従姉の茜でさえ十分危険人物なのに、桜を軽くあしらうジジイまで。恐るべき兄妹の家系の秘密が明かされました。次回はこんな危険人物たちを引き連れて桜が秩父ダンジョンへ…… この続きは出来上がり次第投稿します。どうぞお楽しみに!


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 怪物ジジイことお爺さんと学園長が戦ったらどうなるんだろうか?遠距離なら学園長だろうけど、接近戦になったらお爺さんが勝ったりするのかな? 桜はまだ本気でお爺さんと戦ってないからお爺さん…
[気になる点] 真夏日は30度、35度は猛暑日ですよ [一言] 桜がああなる下地はあったのですね
[一言] 植芝流柔術(合気道)には悪い印象が多くて・・・ カルト教団の武術(植芝以外の幹部が処刑されている)だし、創始者の人格的が疑問なので
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