エデルカーネは学校へいく
中世ではなく、近世でもなく、古代でも現代でも未来でもない。それがわかってもらえると嬉しいですね。
一夜明け、エデルカーネこと私はラントグースと改めて対話することとなった。
「改めて、エデルカーネの父、ラントグースです」
「私は……」
しかし、ここで面倒なことが起こった。私は元の名前を思い出せなかったのである。仕方がないのでそれを説明すると、ラントグースは暫し思考に耽った後、このような提案をしてきた。
「では、これから先、あなたをエディと呼びましょう」
「エディ?」
「あなたは暫くの間エデルカーネとして生きていかなくてはなりません。この名ならば、愛称と言うことにして違和感なく使い続けられるでしょう」
ラントグースはそれから、少し目線を申し訳なさそうに落として、「エデルカーネの名をそのまま使うことができないことをお許しください」と呟いた。それはそうだろう。顔も知らぬ男を自分の娘の名前で呼ぶなど、どれ程耐えがたいことだろうか。
私は強く頷き、彼の提案を受け入れた。
「ラントグースさん、一ついいですか」
「どうぞ」
「エデルカーネは、ずっと寝たきりだったのですよね?中身が変わろうと、体に病は残っているはず。なぜ私はこのように大きな不便もなく動けるのでしょうか」
ラントグースは目を丸くした。
「エデルカーネの病は心に救った病魔によるものだからです」
「ふむ、鬱病に近いものなのかな」
「鬱病……?」
ここで、我々は互いに医学の常識が全く異なることに気づいた。なんでも、この世界の病気とは、病魔と呼ばれる存在が取りつくことで引き起こされるものらしい。
ラントグースは私の知る病気のシステムを説明すると困惑した様子を見せた。そして、このような会話が生じた。
「菌やウイルス……存じ上げない概念です」
「菌がない……キノコなどもないのですか?」
「キノコ……は菌なのですか?菌とは植物の一種なのでしょうか」
「ふむ……キノコが植物……」
根本的に、私の知る常識が成り立たない。これは、一から学び直す必要がありそうだ。
とにかく、エデルカーネの本体は、今も病魔とやらに犯されていることがわかった。私が表に出ていることで苦しみは軽減されているだろうということだが……(なんでも、感覚の発生は現実でのみ生じる事象であって、精神のみの存在ならば快楽は得られないが苦痛も感じないということらしい)。
「ラントグースさん。よろしければ、暫く勉強する時間をいただきたい。エデルカーネは助けたいが、どうにも私の常識とここいらでの常識は大きく違っているらしい。これでは、この少女を助けるための情報収集すらままなりません」
「ならば、学校へ行くとよろしい。学校では図書館が使えます。文字かわからなければ、司書の方に読んでもらうこともできる。まずは、こちらの世界のことを知って、それから後のことを考えましょう」
さて、色々と問題は山積みだが、ラントグースには仕事もある。当面の活動方針が定まった以上、貴重な朝の時間を無駄に潰させることもないだろう。
三人で朝食をいただき、私はラントグースに教わった通り学校へ行くことにした。
「エディさん」
エデルリーアが私を呼び止めた。そう言えば、彼女とはあまり話をしていない。……正直なところ、他人の奥さんと話すということにはどうしても若干の後ろめたさを感じ、最低限の会話しかしないようにしていた。
しかし、向こうから話しかけられたのであれば、応えねばなるまい。私は努めて紳士的に応答した。
「どうしましたか」
「……いえ。娘をよろしくお願いします」
いやに歯切れの悪い物言いであった。私は、エデルリーアは私のことを認めていないのではないかと思い至った。
「娘さんは必ずお返しします」
私は、こう答えるより他なかった。彼女とは、暫く気まずい関係が続きそうである。その事を考えても、ラントグースが働きに出ている間、学校という外出先が見つかったのは私にとって幸運なことであった。
「……そういえば、ラントグースは『こちらの世界』と言っていたな」
見上げれば、そこにあるのは真っ白な空であった。この世界の神は塗り絵が苦手なのだろうか。太陽も、月もない。私にはそれが不気味に思えてならなかった。
しかし、この世界の人々にとっては当たり前のことなのだろう。ここでは、異端者は私なのである。せめて、下手にボロを出して、このエデルカーネの評判を傷つけないようにしなくては。
そして、学校へとやって来た。勿論、この学校も私の世界の学校とは異なるシステムで動いている。クラスなどはなく、各々が自由に入り、自由に学ぶ施設となっている。
見れば、子どもだけでなく、様々な年齢の男女がそこにいた。識字率が高く、人々の学習意欲も高い。科学技術は私の世界に及ばないと見えるが、道徳観、教育観などはもしかすると、優るとも劣らない領域にあるのではないだろうか。
「学校で学ぶなど、何年ぶりだろうか」
私は、年甲斐もなく、期待に胸を膨らませて校舎に入った。幾つになっても……いや、歳を重ねたからこそ、未知を既知に変える喜びとはなんとも楽しいことである。