第60章 劇薬
雨。ガドライン国の全域に、バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。
信じるか否か。エナは、ケンに聞かなかった。答えが分かっているから。病院には薬品があるとは言え、無断での使用や、「これを調合したものをください」なんて言えないだろう。でも、相談相手はいる。ローズリーの担当医師だ。ただ、相手にしてくれるだろうか。ダメ元で担当医師であるバウドフ・ストゥー医師のもとへ。
「この薬を作って欲しいって?」
「お願いできませんか……?」
エナが頼み込むと、バウドフ医師は「うーん……」と唸り、
「この調合に関する情報はどこから?」
「あの……、患者本人からです」
ここは嘘をつく必要はないと思い、事実を伝えた。
「確か、君も医療知識があると聞いたが……、これを見てどう思った?」
と、バウドフ医師は意見を求め、紙をエナに見せる。
「刺激の強い劇薬が混ざっているのは、私も目を疑いました。が……、それでも、患者は研究者であり……、自身に投与した神経毒薬を打ち消す薬だと話しており……、正直、その投与した神経毒薬が分からないので……、特効薬なのかも判断付かないです。ただ……、患者は神経毒薬に蝕まれ、投与されない場合は、自身の命を絶つとまで言っており……」
エナは、上手く本当のことと嘘を混ぜ、さらに困惑の表情で、最後の方の言葉を濁らせた。
「院内で自殺されては困る。しかし、見ず知らずの調合薬を患者に投与したとなると、もしものとき、病院側の立場がない。調合薬自体を作ることに関してもだ」
バウドフ医師の言うことは尤もだ。責任問題になる。エナは、諦めモードになったが、バウドフ医師はさらに続けて、
「しかし、大学病院なら、研究に協力できるかもしれない。調合まで、という約束だが」
「それって……」
「知り合いの大学教授を紹介する。これは、君が1ヶ月の間、ここで多くの患者と関わり、病院に協力してくれたお礼だ。でも、紹介のことは、口外してはならないぞ。それが条件だ」
思わぬ展開で、特効薬らしき薬を入手できそうだ。エナは、1ヶ月の間、つまりケンに再会する前から、このルトピア中央病院でサポートとして働いていた。看護師としては、資格などの理由で限られているが、サポートとして真面目に、積極的に活躍していた。
「大学教授の彼は、私と同級生だが……。研究者の界隈では、変人と呼ばれている。ヤバイ劇薬をよく作っている。一応、研究目的だが、……実際は、本人の興味本位によるものだ。間違いなく、調合については協力してくれるだろう」
「ありがとうございます」
「医師として働く間は、彼とは関わらないと思ったが、まさか私が紹介状を書くとは」
そう言って、彼のことを思い出したのか、バウドフ医師は笑顔で笑った。
紹介状をエナに渡すと、バウドフ医師は
「患者は退院まで、まだ少しかかるだろう。条件をもうひとつ。投与は、退院後2日以上後にしてくれ。退院の当日や翌日に死亡されては、場合によって、病院側の判断ミスと言うことになる。ただ、いずれにせよ、患者自ら、劇薬を投与したとなれば、その劇薬がどこで作られたか捜査されるだろうな……」
病院側のリスクは大きい。それでも、バウドフ医師は、エナを信じてくれている。エナは「ありがとうございます」と、深々と礼をし、「決して、バウドフさんと病院には迷惑とならないようにします」とも伝えた。エナは紹介状を手に、大学病院を目指す。
*
雨が弱まり、時刻は午後4時。クガイダ大學は、長閑な丘の上にあった。周辺は田畑が多く、大きな川が流れている。町外れだが、ルトピア中央病院から電車とバスを乗り継ぎ、3時間ほどで着いた。神託の国には、大学や学校はなかった。發達の国には、専門学校は存在するが、こちらも大学は存在しない。エナにとっては、未知の世界である。
大学の正門で、守衛さんと話をしてゲスト用の入館証を受け取った。研究室は、東研究棟の地下1階とのこと。門の近くにある構内図を見ながら、守衛さんから行き方を教えて貰った。
東研究室の扉を入館証で解錠し、階段で下へと降りる。インターホンは見つからず、地下一階の大きな扉をノックして開けると、研究室である。生徒はおらず、奥に教授らしき人がいる。
「すみません。バウドフ医師からの紹介で尋ねた者ですが……」
「バウドフ? あぁ、さっき電話で聞いたよ。久しぶりにかかってきて、驚いたよ」
教授はなかなのイケメンである。研究者の界隈で変人と呼ばれていると言われ、どんな人かと思えば。
「初めまして。私が、キヤマーク・グレリア。君が、エナ・キュメルちゃんだね? バウドフから聞いていたが、16歳にして、医療知識が豊富だと聞いたよ。優秀だね」
エナは、現在16歳。ちなみに、ケンやアキラ、ヤイバ、ハガネ、ジンも16歳前後である。エナは謙遜して答え、紹介状をキヤマーク教授に渡すと、少し考えた後、
「……あとで読もうか。それよりも、調合の情報を教えてくれないか?」
「調合に関する情報は、このメモに」
エナは、ローズリーが書いたメモをキヤマーク教授に渡すと、
「ほう。いくつか神経を刺激するような劇薬があるな」
「患者が、というか……、知り合いが研究者で、自身に投与した薬の特効薬とのことです」
「特効薬? これがか?」
キヤマーク教授は驚き、メモを見直して笑い、
「一体、その研究者とやらは、自分に何を投与したんだ? ……そそられるね」
最後の一言に、エナは聞き間違いかと思った。変人と呼ばれる理由が分かった気がする。
「さて、今日からこの研究を始めようか。君も助手として、手伝うかい? こんな神経系の劇薬をいくつも扱う機会なんて、医師や調剤師でも、そうそうないだろう」
その日から、研究室で様々な方法で試薬をいくつも作り始めた。完成まで時間が思った以上にかからず、4日後に完成した。
早く完成した理由は、3日後に、ローズリーが退院し、車椅子でケンと共に研究室を訪れたからだ。その際、エナが薬について、
「作っているのは、ザザアのパンデミックに効果がある薬、という理解で合ってますか?」
「そうだ。ザザアは、かつて、全ての民にある紋様に着目した……。少年から聞いたが、”ザザアの意思を継ぐ者”と彼らは言ったようだが……、彼らは意識を奪われた状態にある」
「それじゃあ、ボロック国王様やアキラ達は……」
ケンが熱くなり、エナはすぐに
「ケン。落ち着いて。そのための特効薬でしょ」
「順を追って、話そう……。紋様。一部では、印とも呼ばれている……。正式には、”生体管理情報唐草文様印”。上が管理するために、君たち1人ひとり、首元に小さく存在する。ただ、それは……、わかりやすく言うと、グループAと呼ばれる者たち。グループBは、極小のマイクロチップが首元に付着している」
そう言われて、ケンとエナは互いの首元を確認する。しかし、印もマイクロチップも見当たらない。
「紋様は……、特殊な光に当てないと見えない。それに、グループBは限られている……」
ケンは、首元を摩りながら、
「そういえば……、小さなチップが落ちたことが……」
確かに、ケンは”7年後の世界”でそれを見ていた。ということは、ケンはグループBだろうか。
ローズリーの話は、初めて知ることばかりだ。さらに、話は続く……
To be continued…
『黒雲の剱』は、2008年8月2日から書き始めた作品で、今年の8月2日で丸11年。結構長い期間、彼らと旅してますね。『小説家になろう』だと、まだ2年目だけど、ブログ版は2010年12月1日に開始して、2012年11月30日に完結しました。ブログだと2年間(+α)だったけど、『小説家になろう』ではどのくらいかかるのやら。さて、12年目突入の今回第60章は、エナが主人公の回でした。さらに、ローズリーからの話が重要な回でもありました。




