魔王、弟子を取る
「ま、また断られた……」
美しい筆記体で書かれた皇子の文字に、私はがっくりとうなだれる。手紙を持ってきたナキアは別に珍しいことでもないだろうに、という顔をしていた。
「なんでダメなの? 王国一の美少女じゃないから? せめてどこがイヤだったかくらいは教えてほしいんだけど」
「魔王様。お言葉ですが、ご自分で足を運ばないのが原因かと」
「だっていきなり現れて結婚してくださいなんて有り得ないじゃん!」
「手紙で言うのと直接言うのと、違いはそうあるとは思えませんが」
ルベルモン王国の北に位置する小ぢんまりとした村。メーヌ川がすぐそばに流れることからそのままメーヌ村と名付けられ、人間はほぼ住んでいない。ウサギやリスなどの小動物が自由に暮らし、人がいないことから「メーヌ村に足を踏み入れたら二度と戻っては来られない」などという噂まで立っている。失礼しちゃうな。住んでる人いるっちゅーねん。
という噂はさて置きで、メーヌ村に人が住んでいないのには理由がある。ルベルモン王国自体は大きな国で、国自体の住民は十万人を超え、立派な城も存在している。国王の名はデンゼル・ダ・ブランドン。息子はランジット・ダ・ブランドンといい、彼はメーヌ村から戻ってこない人物の一人だ。戻ってこないのではなく、戻っていないだけだが。
ランジットは次期国王として幼少から英才教育を受けており、剣技の才能があった。ルベルモン王国における剣技は決闘や人殺しをするためだけのものではなく、重たい剣を持ち、いかに美しく動けるかというものを競うものだ。体重の半分ほどもある重さの剣を持って踊る(というと貴族は怒るが、私からしたら舞だ)わけなので、当然鍛えている者が有利だ。なのでルベルモンの男たちは皆屈強である。しかしランジットは筋肉を鍛えることをせず、己の体重と同じ重さの剣を優雅に振るった。生まれながらにして怪力だったのだ。
これにデンゼルは大喜び。舞がメインではあるが、勿論その剣で人を斬ることもある。腕試しに、とランジットをメーヌ村へ送り込んだのだ。帰還した者が一人もいないといわれるメーヌ村へ自慢の一人息子を送り出すデンゼルの気持ちはよく判らないが、それでもランジットは剣を背負い単身村へと進んだ。噂通り人っ子一人現れない様子に慄きながらも、城塞を発見した。白く小さなその城には、強大な魔王が住んでいるという。魔王を倒し、国へ戻ればランジットは英雄だ。
ランジットがメーヌ村へ旅立って二年が経つ。彼は未だ、国へは戻っていない。
「魔王様、またフラれたんですか」
ガシャンと大きな音を立てながら、笑顔の成年が部屋へ入ってきた。背負った剣はとてつもなく重い。ナキアはひょいと持ち上げてみせたが、流石に振るうことは叶わなかった。彼女は以来筋トレに明け暮れているが、多分あれを持って踊るには数百年かかるだろう。
「口を慎めランジット。またではない」
「またまたまたまたまたまた、くらいでしたか?」
「これで二十八回目。貴様が住むようになってからは、十二回だな」
「流石ナキアさん、物覚えが良い」
「そういう問題じゃないと思うんですけど」
ランジット・ダ・ブランドン。ルベルモン王国次期国王は、ここ数年メーヌ村に住み着いている。彼はメーヌ村から出られないのではなく、自分の意思で国へ帰っていない。
「まあ魔王様がフラれるのはいつものことですしね。そんなことより俺に稽古をつけて下さいよ」
「《そんなこと》って……私の結婚とあんたの稽古、どっちが大事だと思ってんの」
「俺の稽古に決まってるじゃないですか。そして強くなった俺と魔王様が結婚。玉の輿ですよ玉の輿!」
剣を背負ったまま、部屋の中で準備運動を始めるランジット。こうなってしまうともう稽古を付けざるを得ないので、私はナキアに杖を持ってくるよう指示した。木々が生い茂るメーヌ村では、魔力がより通りやすい杖を作ることができる。これを売って一商売してみたかったのだが、《魔王の杖》なんて商品名では誰も手にはしなかった。
「魔王様、準備できました」
「はいはい」
片手で剣を持ち、二の腕で額の汗を拭うランジットに向かって杖を向ける。
「――我は魔導王、クリスティン・ハウエル・ウィルコックス。参る!」
魔王なんて言われてるけどね、別に私全然怖くなんてないのよ。魔導王なの魔☆導☆王。ちょっと人より魔法に秀でていただけで、誰かを殺したりしたこともないし、危害を加えたこともない。ただ天涯孤独の身で、生まれたときからずっとそばに居てくれたナキアとふたりで静かなところで暮らせたらいいなと思ってこの城を作っただけなの。でも気付いたら魔導王が魔王に省略されてたし、魔王って言葉の響きだけで皆が恐れて近付かなくなっちゃっただけ。いや人がいないのはいいんだけどさ静かな方が好きだし。
「魔王様、ありがとうございました!」
「しっかりクールダウンしておいてねー」
「はい!」
私の教えた水魔法で簡単なシャワーを浴び、余った水で剣を磨くランジット。彼が国へ戻らないのは、私の弟子になったからだ。
国王に言われた通り魔王を倒すつもりだったランジットは、村にあった城へと侵入する。出入り口には魔法結界を張っていたが、魔法に疎いランジットはそれに気付かなかった。この結界自体は侵入を防ぐためのものではなく、異変があったことを知らせるものだったので、ナキアがすぐに出動。夕食の時間だった上に、久々の客人だったため、ナキアは少しトサカに来ていたようだ。ランジットはあっという間に敗北。ナキア特製スープを飲み終えてからエントランスへ向かうと、ナキアが成年の頭を足でぐりぐりと踏んでいるところだった。
「魔王様、侵入者です。めちゃくちゃ弱かったですが」
「見れば判るけど……え、一撃だったの?」
「はい。そもそも結界に気付いていなかったようなので、魔力はクソザコですね」
「う、うう……はっ! 魔王!?」
単語に反応したのか、踏まれていた成年ががばっと体を起こす。鞘から抜くひまもなかったのだろうか、背負っていた剣をこちらに構え直した。
「いかにも。そこにいらっしゃるのが、我が主君にして最強の魔王。クリスティン・ハウエル・ウィルコックス様である」
「なるほど……魔王クリスティン! 俺はルベルモン王国第一王子、ランジット・ダ・ブランドン! いまここに一対一の決闘を申し込む!」
「ブランドンって、え、マジもんの貴族じゃん」
「黙れクソザコ貴族。魔王様はお前のようなザコ敵と戦うヒマなどない」
「部外者は口を挟むな! さあ魔王、俺との決闘を受けてもらうぞ。来ないのからこちらから行く」
こうして《魔王》に挑む勇敢な人間は少なくない。が、噂を耳にして意気消沈してしまう者が大変多かったため、実際にやってきた人数は片手で足りるほどだった。いや別に戦ってあげてもいいんだけど、ナキアが一撃で倒しちゃったってことは、多分……勝負にならないと思うんだけどなぁ……。
「ランジット殿。私は無用な争いを好みません」
「いや、ここまで来たからには貴様の首を持って帰らねばならない。この部外者の女と共に、闇へ葬り去らせてもらおう」
「無理だっつーのクソザコ剣士」
部外者、と呼ばれただでさえ口の悪いナキアが更にひどくなっている。彼女のためにもこの勝負を受け、逃げ帰ってもらうしかなさそうだ。それでなくとも、彼に引く気はないらしい。
「判りました、その勝負受けましょう」
「魔王様! 不要です、私が消し炭にして差し上げます」
「ナキアは審判を。と言っても、不要だとは思いますが」
「……魔王様がそう仰るのであれば。おいゴミ男、魔王様の温情に感謝しろ」
ゴミ男って。ただの悪口じゃん。
「我は魔導王、クリスティン・ハウエル・ウィルコックス。参る!」
階段の踊り場から、私は動かなかった。杖もない。が、手のひらがひとつあれば十分だ。ランジットは鞘から剣を抜き大きく跳躍。私は左手を振りかぶる。
「ウインド」
瞬間、エントランスは暴風に見舞われた。飛んでいたランジットはバランスを崩す。が、私の目的は彼を叩きつけ殺すことではない。そのまま強い風を彼の下へ集中させ、私の前へ姿を現した。
「ま、魔王。これは一体」
「低級風魔法です。私が使うことによって、最上級にもなり得ますが」
「わざわざここへおびき出したということは……斬られる覚悟があるということだな!」
ランジットはニヤリと笑い、剣を大きく振りかぶり私の脳天目掛け一直線に振り下ろす。ちらりと下にいるナキアを見ていたが、そもそも勝負を見てすらいなかった。
「傲ったな魔王! 貴様の敗因は、その傲り――」
「アイス」
重量剣が振り下ろされることは、なかった。ランジットを乗せた風ごとすべて凍らせてしまうと、ナキアが「お疲れ様でした」と私を見上げる。
「最初から炎魔法を使って燃やしてしまえばよかったのでは?」
「人殺しはしたくないって言ってるでしょ。そもそもこの人、私を魔王って呼んでたし。勘違いだよ」
つまらなそうな顔をするナキア。私は凍ってしまったランジットに触れ、ヒーリングをかける。凍った《人》のみを解凍し、風魔法は凍らせたまま。別に難しくもなんともないのだが、同じことができる人間はこの国に存在しないらしい。
「……俺を殺さないのか?」
「そもそも私は魔王ではありませんし……争いは好みませんから」
「本当に心の広いお方のようだ。温情、感謝する」
「いえ。それでは」
「待ってくれ、いや、お待ち下さい!」
踵を返したところで呼び止められる。とっくに階段を登ってきていたナキアは、「まだ何かあるのか」とでも言いたそうな表情だった。
「魔王様、俺は魔法の類が一切使えません。人生の全てをこの重量剣に費やしてきました。魔王様が放った低級魔法にも、為す術がありませんでした」
「ていうか魔法のセンスが皆無だろ」
「ナキア、静かに」
「俺はルベルモン王国の次期国王。国王ともあろうものが、剣技しか使えないなど言語道断。ぜひ不肖、ランジット・ダ・ブランドンを弟子にしてはいただけないでしょうか!」
凍った柱の上で頭を下げる《次期国王》。私の記憶では、国王が剣と魔法に長けている必要があったかどうか……定かではない。そもそもそんなザ・貴族のことなんて知りもしないし。そしてランジットは恐らく、ナキアが言う通り魔法に向いていないだろう。あれだけ重たそうな剣を振り回せるのだ、十分な特技だと思うが……。
「黙れ負け犬。魔王様はいま婚活にお忙しいのだ。そんなことをしている時間はない」
「ちょ、ちょっとナキア! なに言ってんの!」
「コンカツ……ああ、結婚相手をお探しですか。それでは是非この俺、ランジットの元へ。俺が国王になるのは、絶対に覆らない事実です」
「はああああ!? あんたもなに言ってんのランジット!」
「お前のような輩に魔王様はやれん。国へ帰れ」
「メーヌ村も俺の国だ。つまり帰る場所はここだ」
「二人とも! なんの話してんの!?」
「魔王様、俺を弟子にして下さいましたら、他国の貴族を紹介致しますよ。皆名門中の名門貴族。お眼鏡に叶う者もいることでしょう」
貴族を紹介。
「だから黙れと言っている。魔王様の結婚相手はナキアが選ぶと相場が決まっているのだ」
「でも貴族ですよ! 美形の! 玉の輿ですよ!」
玉の輿。
「ええい拉致があかん、帰れ帰れ! お前の父ちゃん国の王ー!」
「待ってナキア!」
べ、別に貴族と結婚なんて考えたこともないし。お金や住む場所だってちっとも困ってないし。出来ないことなんてほとんどないし。いままでの人生困ったことなんてないし。私を愛してくれれば美醜なんて気にしないし。
……いやマジで。本当に。
「ランジット・ダ・ブランドン。あなたを弟子として迎えましょう」
「えっ! ちょ、魔王様、正気ですか!?」
「貴族や玉の輿、美形に釣られたわけではありません。私もルベルモン王国の住民、次期国王が魔法に秀でているとなれば、私の地位も確率されることでしょうし……」
「本当ですか魔王様! ありがとうございます!」
ランジットは目を輝かせ、柱から身を乗り出して私に抱きつく。ナキアがそれを突き飛ばし、三人ともども踊り場に倒れ込んだ。どんがらがっしゃーん。
「ありがとうございます! 身を粉にして働きます!」
「ナキアは認めてない。泣くまでこき使ってやるからな」
「あ、あはは……」
なんか、まだ未婚なのに大きい子どもが二人できた気分だよ。