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“Hello World !!”

 もう夜はとっくに更けており、窓を通して見えるものといえば丘の上にある家々の明かりぐらいといった時間だ。 窓から外を見ると、荷馬車が寂しげな音を立てながら、荒れた道に沿って遠く離れて行くのが見える。 夜道は危険が多いことは子供だって知っている。 夜の深い闇を好む悪魔に襲われたという話は枚挙にいとまがない。 それでいて、この夜の中をあの荷馬車は行くのだ。 きっと急ぎの用事なのだろう。 僕はこれが自分の仕事だから、というわけではないが窓越しに旅の無事を祈っておいた。

 これが、最後の地上での見知らぬ誰かへのお祈りとなるのだろう。 修道士、いや元修道士である少年は思った。


 悪魔と呼ばれる凶悪な種族が跋扈するこの時代だ。道ゆく人々たちは、旅立ちの前や道中に、こういう教会に足を運び、少しでもと旅の無事を祈るのが習わしとなっていた。馬車の車輪がよく引っかかっていて、持ち上げる手伝いをよくさせられた教会の前のいびつな石畳も、いざ離れるとなると懐かしいものだと。


 窓の外を見ると、ちょうど小さな幌馬車がかっぽかっぽと蹄の音を立てながら門の外へと出ていくところが見えた。先ほど、この教会で旅の無事という些細な願い事が神々に届くよう祈ってもらったのだろう。この世界は数多の神々が力を合わせて創造したと伝えられている。そして、その世界を創り給いし神たちはいつもどこかで暖かく見守ってくれているのだ。


 僕がまだ小さい頃、生意気にも僕は神々になぞ祈っても何もしてくれないと思っていた。そもそも神なんていないと思っていた。なぜなら、その姿を見たことも、その声を聞いたことも、どちらも一切なかったから。商会の丁稚として働いていたせいだろうか。物事には合理的な説明というものがどうしても欲しかったのだ。

 自分がかつて暮らしていた場所は、奥深い山にひっそりと佇んでいるような農村だった。 とにかく山に囲まれて閉鎖的だったもんだから、外に目がいかず、未だにそんな迷信にすがりついているんだと冷ややかな目で見ていた。あるとき、自分が暮らしている村がひどい不作に見舞われた。

豊潤だと言われていたはずの備蓄はあっという間に底をついた。食べるものを失い、瘦せ細り、体を壊した者は、あるものは病魔に、あるものは狂気に憑かれていった。どうしようもなくなった村人はついに、村のはずれの遺跡の神の像に向かって祈り始めのだ。最初に祈り始めたのはシャーマン見習いの魔族の女の子だった。それが一人、二人と自然と人が増えていき、ついには山奥に引きこもって魔術の研究をしている隠居した先代シャーマンのおばあさんまで現れて、みんなでなんとかしてくれと祈った。

 ばかばかしい、そんなことしている暇があったら田畑を耕すなりするのが先だろう、そっちの方をなんとかしろよと僕は思ったが、当時の僕にはそんなことなど言えるはずもなく、頭を垂れてみんなに合わせてなんとかしてくれと祈るほかなかった。仕方なく膝をつき、僕が祈り始めた時。その時、予想だにしていなかった奇跡が起こったのだ。

 神を象ったのであろう目の前の古ぼけた像が、突如淡い青白い光をまとい始めたのだ。そしてそれは徐々に一本の線に纏まりつつ勢いを増していき、一直線の筋となって空の彼方へぐんぐんと伸びていき、やがてそれは一つの形になり始める。それは天にかかる長大な青い橋だった。


 そこに現れた、淡い水色の常に水が滴る不思議な衣に身を包んだ神様いわく、水の波動の流れが『ついてなかった』らしい。神力で流れを引きつけてくれたようで、水も豊富になり、次の年から作物も豊富に実り、村からは飢えの文字は消え去った。 

 それが、僕に聖性に対する適性があるとわかった最初の出来事だった。現れた神様の、神への祈りは聖性を秘めてなければ届かないことを教わり、それで僕に聖性があるとわかったのだ。

 シャーマンのおばあさんに教会で過ごしてみてはどうか。そっちのほうが世の中のためになるだろうと後押ししてくれて、僕は今さっきまで、この教会で修道士として人々に祈りを捧げてきた。


 だが、それも今日で終わりだ。今晩、いよいよ天使として神の元へゆくのだ。

 法力と呼ばれる聖なる力を扱う適性のある子供が天子として教会に勤め、そこで修行をして試験に合格すれば晴れて天使として、神の元で働くことができるとされている。普通ならばかばかしいと思うだろうが、なにせ僕は実際に神に会ったことがある。だから天使として神に仕え、そして故郷に恩返しができたらなぁと考え、日々、必死に修行をした結果、なんと天使となることができたのだ。


 そわそわした気分をなんとか落ち着けようと、司祭のルーミスおじいさんがお守りにとくれた、なんでも神の書かれたという曰く付きの古びた本をトランクから取り出し、広げて読んでみる。あまりに古く、なんだか壊れそうなので今まで読むのをためらっていたが、なんとなく読んでおきたいと思った。天界文字で書かれたそれを頭の中で翻訳するのはそこそこ大変で、まあまあいいトレーニングになる。ありがたいお言葉の一つでもあったら胸に刻んでおこうかと、翻訳を始めて妙なことに気づく。

得られる文章といえば熱、激しさ、物質、状態、境界といったまとまりのない単語の羅列。その後に続くのは、見出しのような位置に構成の文字。あとはひたすら法則の見出しと単語の間に挟まる不必要な音節記号の数々。いったいこの本はなんなのだろうか。

結局、真意どころかろくな文章が見つからない。短いながら文章はあった。ただ、その文章は全て 『/* */』の枠で囲まれており、『すること』、『定めよ』、『XXX』といった語の後に要調整とか、変えたいとか書いてある。


「天界かあ、いったいどんなところなんだろう」


 僕は冷たい冬空の月明かりに向かってひとり呟いた。

 むき出しのごつごつした石の壁や狭苦しくてちょっと嫌だったベッドも、いざ離れるとなると少し寂しい気がした。 それで、このベッドでの最後のゴロゴロを堪能していると、コンコンとドアがノックされる。


「はい、今開けます」


 現れたのは司祭のルーミスおじいさんだった。ルーミスおじいさんは昔と変わらない優しい笑顔だったが、その裏、少し寂しそうにも見えた。


「リヒテルや、たった今、神様がお見えになった。荷物はまとまっておるな?」

「はい、もちろんです!」


 ついに迎えがきたようだ。神に仕える間は天界という異世界で生活するらしい。異世界で生活という言葉に胸踊る一方、不安もあるっちゃある。だがそんなことよりも新生活への期待の方がはるかに大きい。 


「人の役に立って、神になって、戻ってきます!」

「ほっほっほ、その意気じゃな。 じゃが、リヒテルや、無理をしすぎてはいかんぞ。風邪とかにも気をつけるのじゃぞ」

「はいっ! では、行ってきます!」


教会のシスターやルーミスおじいさんに見送られ、僕は入り口の大きな両開きの扉を開いた。

もう夜も遅く、外には寒い空気が立ち込めている。地平線の向こうは炭を流したかのような漆黒の闇だが、そんな景色に似つかないような白銀に輝く衣をまとった女の人が目の前に立っている。


「君が、新しく天使になる子……リヒテル君ね」


 月の光をそのまま糸にして織ったとでも言わんばかりに煌めく衣に身を包み、燃えるような橙のショートカットを風になびかせながら凛とした目で僕を見つめる、その姿に目を奪われた。間違いない、彼女が女神様だ。


「こんばんは。 私が光の女神、ルミエラよ。 よろしくね」

「はい、よろしくお願いします……」


 女神、ルミエラさまは僕の手をそっと引いた。すると、なにやら不思議な感覚に身を包まれる。

体が軽い。すっと足が地面と離れていく。

柔らかな光に包まれながら、どんどん地面を離れていく僕とルミエラ様。足元にちらりと見える慣れ親しんだ教会は、どんどん小さくなっていき、次第に大地の闇に溶け込んで、きれいさっぱり見えなくなっていった。

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