第六話・引っ越し翌日・前編
モナカは人の声で目が覚めた。
はっとして飛び起きて時計をみるとまだ朝の六時前だ。頭の後ろが重い。昨日引越ししたばかりで、近所の人は歓迎会をしてくれた。就寝は遅かったしモナカは疲れていた。ゆっくり寝ようと決めていたが、甘かったようだ。
「喪井さん、おはようございまーすう」
ダイフクは私服のままで寝ていて、ぴくとも動かない。モナカは飲酒こそしなかったが寝不足。
この土地の老人たちのお酒の強いこと。歓迎会が終わったのは夜の十時ごろで、あれから疲れたからお風呂はなしにして寝た。しかし、モナカは寝付けず、やめてきた仕事のことを思い出していた。退職と同時に発表したダイフクとの結婚と田舎への移住の話。
そのための準備、そして夢を現実にしたのがつい昨日の話。
阿久津の説明、松元夫妻の笑顔、歓迎会、だけど歓迎会に来ない人もいた。たとえば貸与された家の前にある藤期さん。彼らには一番の近所になるから挨拶はきちんとしないといけない。
それとモナカたちの裏庭からは一番の近所になる田中さん。彼らにも挨拶しないといけない。
モナカたちは二階を寝室にしていたので、カーテンのすみっこをそうっと開けて下をのぞく。白髪頭が二つ見えた。
この早朝になんでまた?
モナカは、一階に降りて玄関のカギを開けた。玄関前には二人の老婆がエプロンらしきものをつけて、辛抱強く待っていた。二人とも昨日の歓迎会で会った人だ。名前は覚えていない。モナカは細目に開けた玄関の戸を全開にして頭を下げた。
「おはようございます、昨日はありがとうございました」
「喪井さん、おはようござぃます。きのうは楽しかったのう、それでまだ引っ越しの荷物はそのままじゃろ。手伝いにきたぞ」
「ありがたいお話ですけど昨日は夜が遅かったし、子供もまだ寝ていますので」
「じゃあ、家の中には入らんけえ、納屋だけでも掃除してあげようか?」
「いえ、それも私たちでやります。ありがとうございます」
「遠慮せんでええで?」
「大丈夫です」
「それじゃあ、子守りもいらんか?」
「いえ、それもいいです。落ち着いたら保育園も探すつもりですし」
「……そうかあ」
「ほんとありがとうございます」
やんわりと断り、なんとか引き取っていただいた。モナカは田舎の人情の厚さはこれをいうのかと思った。だがこんな早朝に来られても困る。老人は朝が早いというから仕方がないが礼を言いながらもきっぱりと断ったのだしもう来ないだろう。
モナカはもう一度玄関の鍵を閉め、二階にあがって布団にもぐりこむ。ダイフクもアンキチもまだぐっすり寝ている。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいたがモナカも二度寝を始めた。
十時頃に皆でやっと起きた。アンキチは、元気いっぱいだ。おむつをはずすと、いっぱいおしっこをしていた。アンキチのトイレトレーニングもすぐにでも始めたい。二歳も過ぎたらおむつがはずれてもいいころだ。
それから身支度をし、昨日買っておいた菓子パンと紙パックの牛乳で朝ごはんにした。それから荷物の整理にかかる。引っ越し当日は気付かなかったが、畳の部屋の隅に綿ぼこりがたくさんあり、モナカは掃除機を探して吸い取る。ダイフクは外の納屋の片づけをした。アンキチはモナカのそばで車や怪獣のおもちゃで遊ばせる。
ふと気づくとモナカのすぐ後ろに足が何本も見えてびっくりする。振り返ったら早朝のおばあさんたちだ。また来たのか。しかも二人から三人に増えた。
「びっくりしました。あの、今朝はすみませんでした」
おばあさんたちは、「ははは」 と声をあげて笑う。この人たちは勝手に玄関を開けて勝手に部屋に入ってきた。怒るわけにはいかない。たぶん何度も声をかけてくれただろうから。おばあさんたちの手には荷物が下げられている。
「喪井さん精が出るのう、もうすぐお昼になるから弁当を持ってきた」
「まあ、ありがとうございます」
「引越しは大変じゃ。子供さんはまだ小さいし夫婦二人だけの片づけは無理じゃろ。やっぱり手伝ってあげましょう」
「……ありがとうございます」
遅い朝食をとったばかりで空腹ではない。しかし、せっかくの好意を無下にしてもいけない。モナカは納屋まで行ってダイフクにも声をかけ、ポットのお湯でお茶の用意をした。
彼女たちは小皿や割りばしまで用意してくれていた。しかも小皿は五枚あって未使用のものだ。お化けのキャラクター柄で好みではない。
「もらいものじゃけえ、使ってくんしゃい」
「……ありがとうございます」
おばあさんたちは自分たちの昼食もこちらで食べるつもりのようだ。
台所のテーブルには椅子が二脚とベビーチェアしかない。お客がたくさん来ることを想定してない。私たちは居間の和室に行って東京で安く買えた炬燵にスイッチを入れる。小家族用なのでおばあさんプラス私たち夫婦の五人では狭かったがなんとか座ってもらった。
この人たちは二度も来られたので、モナカはこの好意に答えないといけない。大きな重箱に一つはおにぎりがぎっしり並び、たくわんをはじめとして漬物の大皿も重箱の上に載せられていた。おかずは大根の煮物と豆と牛蒡の煮物と何かよくわからない山菜の煮物だ。そして、おばあさんたちは健啖家だった。
「喪井さんところは昨日来たばかりじゃけ、疲れている。なんでも言いつけてくんさいや。なんでもするけえ」
「ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから」
おばあさんたちはモナカたちとゆっくり話をしたいようだ。ダイフクが煮物を頬張りながら聞いた。
「みなさんの家はどちらですか」
一番年かさに見えるおばあさんが言った。
「私は小倉で松元さんの裏手の蚊掻じゃあ、こっちは私の妹でこれは槙野。もう少し先の家にすんどる。これの屋号は上蚊掻じゃあ。それからそのとなりにいるのが私と一緒の小倉で義理の姉。これは下蚊掻に住んどる」
モナカは昨夜の自己紹介で同じ苗字を名乗る人たちが多かったのを思い出した。ダイフクはモナカと離れて座り、松元と集落の名称を聞いていたらしい。
「紙耐には、藤期、小倉次いで槙野という苗字が一番多いそうですね。だから屋号で呼び合うとか。ぼくは昨日、松元さんたちから屋号の呼び方や由来を聞きましたが酒のせいで全部忘れてしまいました」
おばあさんたちはおかしそうにどっと笑った。そこへ車の音がした。居間の窓から顔をだすと、昨日の歓迎会で顔を知った禿げ頭のおじいさんが軽トラの後ろにあるクワを出していた。
おじさんは家から出てきたモナカたちの顔を見て、「これもってきたぞ、使いんしゃい」 と言う。クワどころか、いろいろな農具を積んでいる。
ダイフクは驚いたように「納屋にもありますが、これは新品ですよ。いただいていいのですか?」 と聞くがおじさんは手を振って「今はわし一人じゃけえ、農具は使いきれんほど余っているのじゃ、息子たちは農家を継がんといって全員都会に出たし、あんたたちが使ってくれたらうれしいんじゃ」
ダイフクは恐縮する。モナカは、そばの蚊掻たちにあの人の名前はなんだっけ? と聞くと下蚊掻が「藤期のえっちゃんじゃあ」 という。屋号は吊レ(れ)で通っているらしい。
モナカは蚊掻シリーズの三人のおばあさんに聞いた。
「では藤期の屋号は吊レ(れ)というのですね、だったら前の家の藤期さんも吊レなのですか」
「屋号というものは集落ごとに決まっていたりしていろいろとややこしいんじゃ。藤期という苗字もすごく多い。前の家の藤期さんは、テルというばあちゃんと娘さん夫婦とで三人で暮らしちょる。あそこはわりと土地を持っているな。あんたたちがこれから米を作るが貸出された土地沿いに照ちゃんの畑がある。そうそう、屋号はマンマエじゃ」
「掃除が一段落したら今日の午後にでも挨拶しようと思っています」
「そうしんさい。マンマエはわりとそういうのにうるさい」
「わかりました」
モナカはマンマエのテルさんの人物評を聞いて、気難しい人ではないかと思った。こちらは引越ししたばかりだし、素直な態度を心掛けよう。他人の言動に厳しいことを言う人はどこにでもいる。上手に付き合いをしたい。蚊掻のおばあさんたちは話題を変えた。
「喪井さんはきっちりカギをかけるんじゃ? やっぱり都会の人は、泥棒が怖いのじゃな。このあたりは、じいさんばあさんばっかりじゃから、そんな心配はいらんよ? カギはかけないでも大丈夫じゃ」
「わかりました」
モナカはそう返事したものの、カギは使うつもりだ。それが当たり前の習慣だから。それなのに早朝から手伝いにくるつもり満々だったおばあさんたちは同じ話題を繰り返す。モナカたちが玄関のカギをしめて寝ていたのによほど驚いたらしい。
その驚いた、と言うのにモナカは逆に驚く。しかも蚊掻のおばあさんたちはアンキチと楽しそうに遊んで帰る気配も全くない。トイレに立って一人で個室に籠り、モナカはため息をつく。
おばあさんたちが帰途についたのは午後三時ぐらいだったか。アンキチが昼寝をしたので気を使ってくれた。モナカも帰ってくれた時は心底ほっとした。
モナカは寝ているアンキチにタオルケットをそっとかけてやり、足を投げ出して玄関から廊下につながる無償で貸与された我が家を見まわした。
築六十年のボロ家だ。松元さんの遠縁の家で後継ぎがなく、松元さんが買い取って移住者に提供を申し出たようだ。天井も低めでろう下も短い。農家の作りなので玄関の戸を開けるとすぐ広い土間になり、その横をあがって戸を開けると居間になっている。居間に寝室、それと小さい小部屋、トイレとお風呂。一部若い夫婦向けに改築したとはいっているが申し訳程度にしか見えない。が、無償で借りたので文句はない。
すぐ横に同じ敷地内に別棟の納屋がある。農作物を作るにあたり、必要なもの、機械類、肥料類、かご類、ぼろいけど運搬用の一輪車までつけてもらっている。場所を取る耕運機やトラクターは必要に応じて都度貸してもらう。
昔は、牛を買っていたとかで納屋にはまだその名残があった。天井高く、納屋の一角に木のしきりがしてあり、わらがしいたままだ。天井近くにはツバメの巣がいっぱいあった。ツバメの天敵には蛇がいるが、牛の近くには蛇はこない。牛小屋は安全だからツバメが巣作るとあとで蚊掻たちから聞いた。
とりあえず早朝から不意打ちのように来客があり、昼ご飯も一緒になった。
どうも阿久津はモナカたちのことを親を亡くした身寄りのない夫婦と説明していたらしい。だから親代わりに、世話をやきたかったのかもしれない。
蚊掻の三人のほかにも、顔見知りが来た。そのたびにモナカたちは、荷物の整理を中断して応対する。
都会のように自分のことだけをやっていればよいのではない。またそれも田舎暮らしの醍醐味だろう。
ただ……何も言わずに勝手にあがりこんで「だいぶかたづいたのー」 といきなり声をかけてくるのには辟易した。
悪気はないのはわかる。だけどそのたびに手を止めて応対しないと失礼になる。
ダイフクも「こりゃかなわん、インターホンをつけよう」 となった。日が暮れる前にと、その日のうちに街中に出てホームセンターで購入した。
モナカたちがインターホンをつけ、常時家にカギをかけたことに老人たちもまた驚く。
「都会から来た夫婦じゃけえ、泥棒が心配なんじゃろう」
あがりこみ禁止目的のインターホンだったが、泥棒が怖いからと思ってくれてよかった。
住民票の異動の届け出も早い方がよかろうとなって、紙耐振興センターで受け付けてもらうことにした。ついでにアンキチの保育園入園に関しての話など聞いてみよう。




