第四十三話・目撃
その夜は寝付けなかった。モナカは紙耐の人々と今後も仲良く暮らせる自信が揺らいでいる。
モナカたちが町で外食せずに帰宅していれば放火はなかったかもしれない。逆に帰宅がもっと遅ければ納屋どころか家まで全焼していた可能性もある。こんな状態でアンキチを育てていくことができるだろうか。
流産してから二カ月がたつ。流産後の生理はまだきていない。おかしくないか。ここまで思って、モナカは起き上がった。時刻は午前四時だ。階下に降りた。外は雨のようだ。台所の引き出しの一番奥に入れていた妊娠判定薬を出してトイレに行った。
尿をかけた瞬間、判定薬にマークが出た。妊娠していた。モナカは判定薬の小さな棒を両手で持って呆然とする。
「流産して次の生理がこないまま、妊娠してしまった。でも今度こそ流れないようにしたい」
二階に戻りいつもの習慣で外を見た。まだ午前五時前。天気がよければこの時刻は東の空に明るみが見えるが、雨のせいで薄暗い。車の音が聞こえた。裏側の窓のカーテンの隙間から透かし見ると軽トラが一台、田中家を通るところ。この道を通るのは池田のみだ。
「畑仕事は熱心だな」
ところが池田は己の畑の前でなく松元から貸与されたダイフクの田んぼの前に停まる。前もそういうことがあった。モナカは嫌な予感がした。
田んぼの前に車を停めてどうするつもりか。田中家から今の池田の車の位置は把握できない。そこまで計算しているかもと思い付き、モナカは息をこらして降りてきた池田を見つめる。池田は片手で何か白いものを持っている。雨が降っているが傘もささずに田んぼの前に立つ。そしてその白いものをぱっと放った。白いものは粉状で雨にかき消されたように一瞬で散る。
……うそ。
池田は田んぼの中に何かを入れた。モナカは急いでダイフクを起こした。
「起きて。池田さんが田んぼの中に白い粉をまいたわ。はっきりと見たわ」
ダイフクは起きてカーテンを次に窓を全開にした。雨音が大きく響く。池田はすでに車に乗り、自分の畑の前に停めている。ダイフクはパジャマ姿のまま階段を降り、外に出た。モナカはアンキチがよく寝ているのを確認してから後を追う。
「ダイフク待って」
田んぼの稲はだいぶ穂が垂れてきている。来月には収穫だ。雨に打たれて稲穂がそよいでいく。東の空が少し明るくなってきた。
ダイフクは池田の軽トラの前に来た。そこで初めてモナカに口を聞いた。
「どの位置からだった?」
粉を撒いた位置を聞いている。モナカはあそこだと指さす。ダイフクは裸足になり、田んぼの中に入っていく。すでにずぶぬれだ。田んぼの水は干上がってはいるものの、この雨で泥だらけになるだろう。
「ダイフク、危ないわよ」
「白い粉はわからないな、どれだろう」
「雨が降っているのよ、そんなもの撒いた瞬間雨に溶けちゃうわ」
「だからこそ、この雨の中を来たのだろ」
モナカたちは池田が何かを撒いたのを前提に会話している。モナカは改めてぞっとした。
ダイフクは険しい顔つきで田んぼから上がってきた。昨夜火元にホースで水をまいたときと同じだ。全身泥だらけの姿のままで、池田の軽トラの後ろを横切り池田の畑の前に立った。モナカはダイフクに傘をさしかけて横に立つ。
どのくらい時間が立ったのか、やがて池田が畑の出入り口の網をぱっと開いた。そのまま無言で軽トラに乗ろうとする。ダイフクは口を開いた。
「池田さん、うちの田んぼに何をいれたのですか」
「わしゃあ、何もしとらんぜ」
「一体何をいれたのですか」
「朝早ぅから何を言いよる、わしゃあ、本当に何もしとらんぜ」
池田はダイフクに視線を合わせない。
「池田さん」
「わしゃあ帰るんじゃ」
「これは犯罪ですよ。あなたは元警察官でしょ、私の言っている意味がわかりますか」
「わしゃあ、何もしとらん」
「何の粉を撒いたのですか、なぜぼく達にこんなことをするのですか」
「都会の若いもんの言いよることは何もわからん」
「警察に連絡しますよ」
「わしゃあ、何も知らん」
池田の顔は蒼白だ。ダイフクを押しのけるようにして運転席を開け、それから向きを変えて急発進した。彼は逃げるように去った。




