第三十九話・地蔵盆・前編
紙耐の人間は盆の行事を大切にしている。県外に出た子どもたちが帰ってくる日でもある。そのお盆の中日だけ、第三区公民館で地蔵盆をするという。公民館前にある小さな祠の前でお供えをして、皆でそのおさがりを食べるという。お酒も出るが、アンキチにはジュースとお菓子を用意してくれるという。誘ってくれたのは蚊掻たちだ。
「六時すぎに始まる。昔は人数が多かったので屋台も出たし盆踊りもやった。が、今は座って飲むだけじゃが」
「行きます」
「常会として準備や片付けは手伝ってほしいが、いいだろうか。葬式のときよりは楽じゃよ」
「わかりました」
モナカには一度しか手を通していない浴衣があった。朝顔の夏らしい柄でそれを着ていくことに決めた。アンキチには町に出て子供用の甚平を買った。それらにアイロンをかけていたら上蚊掻が迎え団子をくれた。小さいお餅にきなこと砂糖を混ぜたものをまぶしただけの素朴な餅だ。
「仏壇に供える。毎年十三日が盆の入りで迎え団子を供える。十五日が盆の開けで送り団子を供える。作り方は一緒でお供えした後に食べる」
上蚊掻は大きなばあちゃんを失くして新盆になる。団子はそれぞれがラップにくるまれている。
「すぐに固ぅなるから、早ぅ食べんしゃい」
家には仏壇はないが、モナカにも流産した子がいる。その子のために流し台を片づけて団子と水を供えた。玄関前の小さな白い花も摘んでこれも供える。手をあわせて拝み、団子を下げて皆で食べた。ダイフクもアンキチもおいしいと食べている。モナカは言った。
「作り方も教えてくれた。炊いたお米に塩を入れて、すり鉢に入れてよくこねてお餅にする。それからきなこと砂糖を同じ量を入れて混ぜるだけ。自分でも作ってみるわ」
ダイフクはほうれん草の出荷も少量ながら順調で機嫌が良い。最盛期なので安値だがそれでも毎日数千円の収入がある。
紙耐は標高が高いので八月でも蒸し暑さはない。逆に朝は寒いぐらいだ。田んぼの様子が変わってきた。田んぼの上に盆トンボと言われる赤いトンボが旋回している中、ダイフクが笑顔で言う。
「稲は毎朝少しずつ伸びている。葉に見えるところをめくると、もうお米になる粒というか芯ができている」
ダイフクは青い米粒をつまむ。
「ほら、こうすると指で簡単につぶれて白い水になってしまう。これが堅くなって米になる。田中さんによると、もう来月末には刈れるらしい。時間がたつのは早いなあ」
「ほうれん草のことといい、順調ね」
ダイフクは日焼けしており、都内でスーツを着て営業していた面影はない。多分モナカもそうだろう。制服を着て一日の大半をつくえに向かっていたなんて信じられない。
ダイフクは吊レの依頼で山の伐採もするようになった。腰を痛めたのでやってほしいとのこと。少しだが現金もいただける。そのうち他の集落からも「やってくれないか」 と依頼が来るようになった。喪井さんなら安く伐採をしてくれるといううわさがたった。二週間で三人の依頼が来たが全員年寄りばかりだ。うち一人はお金の代わりに稲コキする道具を譲ってくれた。
稲コキは収穫した稲から米粒をはずす行程をいい、棘の間に稲をはさんで稲粒だけを落とす。本来は不要だが、ダイフクは手動で使う機会もあるだろうともらってきた。
伐採の仕事を受けるようになり、ダイフクの腕は肥り胸板も厚くなった。もう畑仕事の後にも筋肉痛で悩むこともなくなった。体力勝負の仕事に慣れてきた。
またアンキチも、あれから喘息の発作は一度も起こさない。なによりも土遊びをするようになってからたくましくなった。軽トラが使えないときは、モナカと徒歩で中央公民館まで行く。
ダイフクは木登りの練習をアンキチと始めた。親子して上るとモナカは心配で木の下をうろうろしてしまう。落ちてしまった時に備えて座布団を用意した。近くの山にはよく登った。野鳥や珍しい生き物、ムシを見つけてアンキチは喜ぶ。理想の田舎生活を満喫できている。
朝夕には畑に通う池田の軽トラが通る。助手席にいたヨンと目があってもヨンは目をそらす。モナカはこの夫婦に関しては相手にしないと決めたからもう動揺はない。
そろそろ地蔵盆のために浴衣を着つけようと思っていたら、吊レが来た。渋い顔をしている。
「改まって話があるのじゃが」
ダイフクは怪訝な顔をした。
「どうぞ部屋にあがってください」
「いや、ここで話す。喪井さん、ほうれん草の事じゃ。わしは一袋につき二百グラムを入れろと教えたはずじゃ」
「はい」
「増量したじゃろ。なぜそんなことをした」
「ほうれん草の重量のことですか。うちは少量の出荷ですし初心者だからという意味で一割、つまり二十グラムほど余分に入れました」
「そないなことをしてはいけん。みんな同じように二百グラムずつ入れているのに抜け駆けしようったっていけん」
「抜け駆けのつもりはないです」
「なんじゃその言い方は。わしが二百グラム入れろと言っていたのに勝手に多く入れるとはどういうことじゃ」
そこへダイフクの携帯電話が鳴った。ダイフクは吊レに断ってから通話した。
「時本さんですか。吊レの藤期さんは、ここにいらっしゃいます」
会話をしつつもダイフクの顔は曇り、納屋の方に行った。残されたモナカはアンキチを抱っこしたまま、吊レと気まずい思いをした。
幸い、ダイフクはすぐに戻ってきた。
「吊レさん、時本さんからも伺いました。ぼくのほうれん草の出荷番号は四番です。吊れさんは一番。
紙耐のほうれん草はすべて卸の業者さんが買います。だけどぼくの四番の指定が多くて、その分、高く買われたということですね。今まで吊レさんの一番指定でなく」
「そうじゃ」
「吊レさん、ぼくからの出荷といっても毎日四キロのみです。つまり二百グラム入りを二十袋だけです。それで大箱一つです。
初心者ですが一箱あたりやすい時で三千円、台風で近隣の集落が出荷できなかったときは高値で一万円以上で買い取っていただいたことがありました」
「ふん、たったの一箱しか出せないくせに、四番指定で指値がくるとは、偉いもんじゃがほめたもんではねえ」
「どうしてですか」
「二百グラム指定で皆がそれを守っているのに四番だけ増量していたらそりゃあ四番だけの指名は来る。それが迷惑じゃ」
吊レの顔が赤くなっている。彼は怒っている。
「喪井さん、田舎暮らしを続けたかったら皆と歩調をあわせないといけん。四番だけが増量してはいけんのじゃ、わかるか?」
「吊レさんの識別番号が一番で紙耐で一番多く出荷されているのは知っています。でも、二百グラムのところを百八十グラムしか入れないのは安く指値されても仕方がないのでは。吊レさんに限らず紙耐の農家が全員少なめに入れてはダメでしょう」
モナカはやっとここで事情が呑み込めた。
ダイフクは二百グラム入りと称したほうれん草を二百二十グラム入れて出荷した。一方吊レたちは逆に二十グラム少なく百八十グラム入りで出荷していた。
表記よりも一割少なく出荷していては、ダイフクより出荷量が多くても安く卸値を決められても仕方がないではないか。
「なんじゃ喪井さん、誰のおかげでほうれん草の出荷や伐採の仕事ができると思うのか」
「感謝しております。要は吊レさんも一袋二百グラム入れたらいいだけの話ではないでしょか。ぼくはまだ初心者なので、ちょっとだけおまけしているだけです」
「その根性がいけん。わしらと同じようにしんさい」
今度はダイフクの顔色が変わった。
「時本さんから事情を聞くまで紙耐の出荷物が少なめということを知りませんでした。ずっとそうだったのですか? そんなごまかしをしていたら、卸番号がいくら一番でも安く買いたたかれても仕方ない。卸の業者さんはプロですよ。一番と四番では総重量の重さが違ってくると値段も差がつくのは仕方ないし、現に四番さんもっとたくさん出荷できないですかと問い合わせが来ますが、当たり前だと思います。吊レさんは、出荷量も多いし大箱を出す量が減っても信用をつける方が大事でしょう」
「ほう、卸からもっと出荷してくれと言われたことがそないに自慢か。ようもバカにしたな」
「いえ、ちゃんと表示通りに二百グラムを入れて出荷したらいいだけの話だと言いたいだけです」
「いんや、お前はわしらのことをバカにした。都会から来た家族は三組目だがまたこれか。恩を仇で返すとは何ということじゃ。わしはもうお前には教えることはないぞ、ええな、わかったな」
ダイフクはきっぱりと言った。
「ぼくはあなたに感謝しています。だけど二百グラム入れるところをあなたと足並み揃えて減らせということは聞けません。それは恩を返すことと違います」
「もうええ」
吊レは軽トラに乗り込みエンジンをかけた。もうダイフクや私たちを見ようともせず真っ直ぐ前を見つめている。そして車窓に手をかけて話しかけているダイフクを振り切るように去った。坂道なので吊レの車はすぐに見えなくなった。
モナカはダイフクの後ろに立つ。アンキチはおとなしく抱かれているが吊レが怖かったのだろう。モナカの二の腕に顔をこすりつけている。
マンマエのテルが二階の窓からモナカたちの様子を眺めている。テルは目を細めてモナカたちを見つめる。先ほどの会話を聞いていたに違いない。テルは、モナカが家を見下ろして監視しているようなことを言ったが実際は逆ではないか。でも吊レが悪いのは明白だからわかってくれるはずだ。
モナカはアンキチを抱いたまま、テルに向かって会釈をした。テルは会釈を返さず黙って窓をゆっくり閉め、カーテンもゆっくりと引いた。
ダイフクが言った。
「家の中に戻ろう」




