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私はこうして田舎が嫌いになりました。  作者: ふじたごうらこ
私はこうして田舎が嫌いになりました。
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第三話 引っ越し当日・前編


 二千二十某年の三月、喪井家は飛行機で都内から中国地方の岡山桃太郎空港まで移動した。年度末ぎりぎりまで仕事をしてお金をためて新しい田舎暮らしを始めようとした。

モナカたちのささやかな荷物は当日の朝にモナカたちよりも先に出立した。それらは現地到着後の夜に届けられる。

空港に到着すると阿久津が迎えに来てくれた。阿久津は地方で農業事業を推進しているNPO法人の代表だ。どんなことにも丁寧に返事をくれる優しい人だ。年は五十ぐらいだろう。阿久津の車で空港から二時間かけて紙耐に移動する。

 モナカたちには、入植の候補地がいくつかあったが、すぐに紙耐に決まった。

車さえあればどこでも行ける国道があること、アンキチが万一大きな喘息の発作を起こせばすぐに受診できる救急病院が国道沿いにあること。この二つが紙耐に当てはまっていた。

一応紙耐は無医村になる。しかし週二回、隣接した津山中央病院から紙耐公民館内の診療所まで医師が診察してくれる。また隣の桃園温泉にも内科と外科の開業医院が一軒ある。

そして土地が豊富にあり居住地も無償で提供され、中古になるが農業には不可欠な軽トラックや各種農具も提供されるのはこの集落しかなかった。というより、破格の好条件だ。農協からは農作業についての指導を受けられる。その上、向う五年間は各種税金が優遇される。阿久津一押しの候補地で現地視察もせず、即決した。


 道中、トンネルをいくつもくぐる。トンネルは短いのもあったが長いのも多い。空港から垂直に北上していく。トンネルを出るたびに景色が変わる。それは山や空の色、形であったりする。ダムがあったり民家がかたまっていたり、ドライブインではいろいろな土産物を売っていた。モナカたちはそれらすべてを旅行者気分で楽しんだ。

最初は一緒に、はしゃいでいたアンキチはだんだんと静かになり寝てしまった。アンキチはまだ二歳と少し。自分が今どこへ向かっていてどこで住むようになるかまだ全然わかっていない。

モナカはアンキチを抱っこし、アンキチは黄色いトラックのおもちゃを大事そうに抱っこしている。モナカたちは希望に胸ふくらませていた。国道をまっすぐに進むと二時間で紙耐に到着する。

「どういう方向音痴でも標識さえ読めれば紙耐へ行くのに迷子にはなりません」

 阿久津は自信たっぷりにそういってモナカたちを笑わせた。紙耐村到着後、阿久津はまず元村長さんの家に連れて行くという。松元という人で、モナカたちがこれから住む古民家と田畑の無償提供者になる。そこで家の鍵を借りる。

 またこの松元はモナカの家の近所になるので、集落の会合では必ず顔をあわせるし、村長の役職を退いた後、農業に専念しているのでモナカたちの農業の技術指導もしてくれる。

 ダイフクが阿久津に質問した。

「その人は、おいくつですか」

「松元さんは来年八十だとおっしゃっていました」

「なるほど」

「元村長だったこともあり、集落の人々からの人望も厚い。都会からくる入植者を村あげて歓迎する風潮になったのは松元さんのおかげです」


 阿久津のすすめに従い。紙耐の隣町である桃園温泉道の駅というところでトイレ休憩をした。

ここは県北で一番大きな道の駅だそうだ。売店をのぞいたが、三月末ということもあり、トマトやきゅうりなどの新鮮な農産物はなく、凍り豆腐や干しシイタケ、とうがらしなど保存のきくものが大半だった。

 それと桃園のロゴが入った温泉おまんじゅうと温泉せんべいが大小サイズを揃えて置いてあった。

 ダイフクは農業が軌道にのると、農協に農産物を卸し、こういった観光客向けに手作りの土産物を売るつもりだ。

桃園温泉は関東では知名度はないが、関西圏ではわりと知られていて観光客が年間五万人ぐらい訪れるという。紙耐の農家は農協のほか、この道の駅で野菜を卸すという。

 桃園温泉は別名美人の湯ともいわれる良質なアルカリ温泉が豊富に湧き出、秋には紅葉狩りの観光客が殺到するらしい。春には桜、夏にはカジカガエルが鳴く清流で川遊び、秋は紅葉で冬は温泉をアピール。中国自動車道とのアクセスもよく、関西圏からの日帰り観光客は増加しているらしい。

 阿久津も言う。

「紙耐の集落自体は小さく道の駅などはありません。が、この桃園温泉道の駅が一番近く、紙耐の農家の方々も皆出品されています。喪井さんもがんばってください。農業は天候に左右されるとはいっても、名物の凍り豆腐や、とうがらしは関係ありません。サラリーマンをしているよりよっぽどいいですよ」

 モナカたちは笑顔でうなずく。観光客として土産品用に商品を見るのと、売り手側として見るのとは大違いだが、楽しい。

売り物の農産物にはそれぞれの袋に生産者名と連絡先が明記されている。この中にもモナカたちの名前が入る。阿久津によると土日には農産物が完売する。なんて楽しいことだろう。

 この日は平日だった。にもかかわらず湯治客らしいどこかの団体客などでごった返していた。レジには行列がある。夏休みや紅葉狩りの季節には広い駐車場にもはみ出るぐらいの車で渋滞するという。紙耐は知名度がないが、この桃園温泉は知る人ぞ知る場所だった。


 アンキチにそこでおにぎりを買ってやり、桃園温泉道の駅を去る。そこから紙耐は国道で十五分ぐらいのところにある。国道沿いに紙耐の振興センター、福祉センター、公民館があった。集落の中心地になるらしく、小さなお店や簡易郵便局もあった。バス停もある。だが人影はない。

 そこをつっきり、最初の信号を右折して国道をはずれると行き交う車もなくなった。どういうわけか両脇にお墓が林立している細い道を通ると急に田畑が開けたように道一本まっすぐに行ける。紙耐は本物の隠れ里だった。古そうな木造の家が点在している。今どきの茅葺屋根もあり、昔の映画のワンシーンに迷い込んだような感覚だ。

 やがて一軒の家の前に止まった。元村長がいる松元家だ。駐車場や塀や垣根もなかった。だがその家は大きく、すぐ隣の納屋もまた家に負けずに大きい。納屋は開け放しになっていて、外から耕運機やコンバイン、電動機が見える。そして藁も山積みになっていた。

納屋の軒下には玉ねぎが葡萄のように藁で結わえられてたくさんぶら下がっていた。すぐ上には燕の巣がたくさん乗っていたが燕はどこにもいなかった。きっとまだ南の国からこっちに来てないのだろう。

 阿久津が改まった様子で松元さんのところでこれから住む家の鍵をもらいましょうと言う。

 車に乗るのに飽きたアンキチが口元にご飯粒をつけたまま、「わーい」 と歓声をあげながら下りる。モナカはあわててハンカチで口を拭いてやる。

玄関には松元夫婦がすでに待っていた。モナカたちは松元に挨拶をする。松元は遠方から来たモナカたちをねぎらい、家にあがるように言った。

 庭先にはまだ雪が少し残っていた。少し寒い。山桜の木があるがまだつぼみも膨らんでいない。東京では満開だったのにやはり標高が高いとまだ寒いのだとわかる。


庭を走り回っていたアンキチが玄関に入ってきた。ろう下にいる松元さんを見て立ち止り、そっと靴を脱いで上がってきた。そして小走りでモナカの背中に隠れる。それからこわごわと松元さんを見上げた。アンキチが人見知りをするなんて珍しいことだ。松元夫婦はその様子を笑顔で見ている。




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