第三十四話・玄関前にて・後編
モナカは玄関に回り、サンダルを履く。ヨンの声がまだ響く。
「三家族目は、いつまで続くやら。松元さんも物好きじゃ。先に自分の身体を治したらいいのに、あんたらを呼びつけて工事をさせるのじゃなあ。金も松元さん持ちで、どこまでお人好しやら」
玄関では食事をすませたおじいさんがセメントを大きなたらいに入れて練っているところだ。縁側の方にまわると、頼子の方と目があった。頼子はすぐ目を地面に落とした。そういえば相槌の声は一切なかった。ということはこのヨンが一方的に話しかけていたのか。ヨンはモナカを認めると片頬だけをあげて笑った。そしてモナカがいないようにふるまって、立ち上がり「ほんじゃあな、畑に戻るけえ」 と言った。そしてモナカを振り返りもせず、大きな後ろ姿を見せて足早に去った。
モナカはとっさに声をかけられなかった。こういった非常識なふるまいをされたのは初めてだ。どれほどヨンから軽く見られているのだろうか。唖然としていた。モナカがいるのをわかっていて、わざわざ悪口を言いに来ること自体信じられなかった。
ヨンが立ち去ると頼子がモナカを見上げてうなずいた。おじいさんも作業の手を止めている。
頼子は小声で言った。
「聞こえたでしょう、不快だったでしょう。大きな声でなあ……」
モナカは聞いた。
「あの人と知り合いですか」
「ご実家と我が家が近所なだけです。特に親しいわけではないです」
「あの人は昔からああだったのですか」
するとおじいさんの方から声がとんだ。
「おい、頼子。手伝ってや、わしが水をかけるでお前は混ぜろ」
「はい」
モナカが立っているとダイフクの軽トラが見えた。ダイフクが車から降りるなり、造園業者の挨拶もそこそこにモナカは手招きをして、ヨンの発言を伝えた。
「畑の方を見たら池田の奥さんの後ろ姿が見えて、珍しいなあと思った。そうか、ここに来たのか」
ダイフクは話の内容を聞くとやはり怒った。
「ぼくたちが、いかに軽く見られているかというか。どうしてすぐに反論するなり、追い出すなりできなかったのか」
「舐められているのはわかるけど、頼子さんもいる前でヨンさんを怒鳴って追い出すのは私の性格では無理よ」
ダイフクは北側の窓を少しだけ開けた。こうすると池田要塞のような畑が見える。その前には軽トラがある。まだいる。
そこへ頼子たちがあいさつに来た。
「今日はここで失礼します。明日も九時ごろに来ます」
ダイフクがきっぱりと伝えた。
「明日からは私が田んぼか畑にいますので、客が来たら声をかけてください」
モナカは頼子たちを見送るために再度外に出たが、おじいさんの方は軽トラに乗る前につぶやいた。
「あの子も昔はあんなではなかったが、かわいそうにのう」
モナカが「どういうことでしょうか」 と聞いても首を振るだけだった。その日はそれで終わった。
翌日頼子がおじいさんの作業を手伝う合間にそっと教えてくれた。
「私はヨンさんとは、一回り年齢が下なので詳しい話は知りません。ヨンさんの父親は早く亡くなられて兄弟も多くて苦労されています。戦中は、炭焼き小屋で生計をたてていて、兄弟そろって手足や顔を真っ黒にしていたのを覚えています。
ヨンさんの結婚相手が警察官だというので、すごく自慢していました。玉の輿だといってね。
でも私たちが作業している間に、わざわざ悪口を言いに来た理由はわかりません。喪井さんは悔しかったでしょうが、よく我慢されましたね」
モナカは頷いた。
「ヨンさんのご主人が警察官というのは知っています。でも移住者は気に入らないのなぜでしょうか。初対面から嫌がらせを受けています」
頼子は顔をゆがめた。
「あまり気にしないことです。ここでずっと暮らしたいなら細かいことは気にしないこと。気にすると田舎ではやっていけません」
桃園造園の親子は作業が終わると片付けもすませ、ていねいに会釈して軽トラで去った。
「さよーならー」
アンキチがキリンを抱っこしたまま手を振る。頼子が手を振り返した。下りの坂道なので軽トラはあっという間に見えなくなった。
そして玄関は立派になった。これでいくら雨が降ってもぬかるみにならぬだろう。
「よかったな。ではほうれん草の水やりをしてくるよ。明日からは出荷作業に入るからな」
「お願いね」
ヨンについては、もやもやした気分をこれ以上ひきずりたくなかった。嫌な気分になっていたらヨンの思い通りになってしまう。でも、やられっぱなしもイヤだった。




