第三十二話・公民館の掃除・後編
ヨンはいきなりモナカに向き直る。
「喪井さん。あんた、今何月かわかるか」
「八月です」
「八月じゃろ。四月にここに住み着いて常会の参加は八月からか。遅いがな」
そこへテルが言った。
「ヨンさん。あんた、喪井さんは小さい子がいるけえ、慣れるまで常会はよかろうって松元さんが言いなすったんで、ええがな」
ヨンは、テルにくってかかった。
「いんや、何でも最初が肝心じゃ。常会長の佐枝さんがいないときはこの私がはっきり教えてあげないと都会モノは、とんでもないことをするから」
ヨンの顔は醜く歪んでいる。たかだか公民館の掃除になぜここまで言われないといけないのか。新しい移住者をなぜここまで嫌うのか。
「喪井さん。今まで掃除に来なかったことをまず謝りんさい」
モナカはこういった人には慣れてないが、穏やかに返事をした。
「池田さん。遅い参加になりましたが、今月から常会に参加いたしますのでよろしくお願いします」
上蚊掻がヨンをたしなめる。
「常会は引っ越したその月から開始とは決まっておらん。ヨンさん、若い人が来てくれてよかったがな、それでもういいじゃろ」
上蚊掻の方がヨンより年上だ。しかしヨンはそれで納得しなかった。
「なんでも最初が肝心じゃ。謝りんしゃい」
テルがあきれたように言った。
「もうええ。私は用事があるから遅くなると困るよ、早く掃除をしよう」
ヨンが吠えた。
「予定があるのは私もそうじゃ、私も主人と一緒に今日は町に出たい。じゃから早く謝れ」
そもそも常会は入ってくれるか? と聞かれてモナカたちは紙耐の住民である以上は入るのが当然と思った。四月から活動しなかったのは松元の配慮である。モナカはヨンに言った。
「池田さんは、新入りを嫌う人なのでしょう? 私たちは元から住んでいる村の人たちとも仲良くなりたい、そういう思いでいます。でも今の話はどうでしょう。私が常会の皆様に対してなぜあやまらないといけないのですか」
ヨンの顔色が変わった。
「なんじゃと? よくも年上の、そして昔からいる私にそんな言葉を言えたな? じゃから都会の生まれ育ちの悪い若い者はダメなんじゃ。年上に対する気遣いのかけらもねえ」
論点をずらした。モナカは穏やかに話を続けた。
「とにかく、今月から参加させていただきます。よろしくお願いします」
「あんた、すみませんの言葉が言えんのか。目上の年上に対する言葉遣いがなっておらん。あやまりんしゃい」
ふと気が付くと、蚊掻たち、テル、エコばあちゃんが視線を床に落としている。広木でさえも。
ヨンの大きな顔の中にある小さな目を見ているのはモナカ一人だ。ヨンは憎々し気に言う。
「なんちゅうことじゃ。昨日は私がノドが弱いので農薬を撒くなと頼んだのに撒いて。あんたら新入りは、年寄りに対する配慮のかけらもねえ。ひどいことじゃ。私らをばかにするのもたいがいにしんしゃい」
ヨンの言葉は理不尽だ。常会の参加が八月からだと遅いというのなら、もっと早くに言いにくるなり、松元に話をもっていくなりできたはずだ。そして都会育ちがこれに何の関係があるというのか。農薬の件でもダイフクは気遣って風のない日を選んで再度撒いたのに。
モナカはヨンとの会話は続けられぬと思った。
「みなさん、早く掃除をしてしまいましょう。私も子供を置いてきていますし」
するとヨンは叫んだ。
「よくもアタシに逆らったな。もうええ。あんたら都会モンが紙耐でやっていけるのかどうか、見せてもらうわ」
モナカも思わず叫んだ。
「あなたはそうやって、村の移住者をいじめたのですね」
ヨンはモナカをにらんだ。手元からいきなり「ぶいーん」 と大きな音がした。ヨンが立ったまま手探りで掃除機のスイッチを押した。そのままで二,三歩後ずさりをした。それからくるりと後ろを向いて掃除の続きをはじめた。
他の皆も掃除を始めた。黙々と。誰もしゃべらなかった。モナカも窓ふきをした。エコばあちゃんは座ったままでつくえを拭く。彼女は何度も同じ場所を拭く。誰もしゃべらず、最後まで静かだった。
常会長の佐枝が不在なせいか、誰もまとめの言葉を言わず、掃除が終わると皆で手を洗いそして掃除のために開けた窓やふすまを締めた。それから裏蚊掻がカギをかけた。それで終わりだった。
田中がエコばあちゃんを迎えに来た。ヨンも池田が迎えに来た。池田夫婦はモナカを憎々し気に見つめながら話をしている。
モナカはもやもやした気分で坂道を上がって帰途につく。後ろでテルが歩いてきたので一緒に帰ろうとしたが、テルは「足が痛むのでゆっくりと歩きたい。先に行って」 という。しかも視線を合わせない。会話をしたくないということか。
モナカは月に一度とはいえ、この状態がずっと続くのを不安に思う。帰宅後、ダイフクに告げると意外な反応をした。
「謝る必要はないが、黙っていてもよかったかな」
「まあ」
ダイフクは池田夫婦の農薬散布の件で困ったので田中と呆レに相談したという。すると田中からは、無視しろという。
「いつものことじゃ、相手にしないでそのままやればよい」
モナカの場合、それをしたら、正面きってケンカをすることになる。できるだけ波風をたてずに仲良くとはいかなくとも、穏やかに話ができるようになりたい。
ダイフクは続けて話をしてくれた。
「ぼく、きみが入院中に草苅の話があったので参加した。農道や国道に通じる道をみんな総出でやる。草刈り機があれば持参。なければスコップ。
そして一家につき一人が出ることになっている。ぼくは三区の人たち、川向こうの二区の人たちをはじめてみたけれど、老人特におばあさんばかり。
草刈り機を持参できる人も年寄りばかり。田中さんや吊レさんだって六十過ぎているがそれでも若い部類に入る」
「ここは過疎ですもの。若い人を雇う会社もないし、農業だけでは現金収入も乏しいでしょうし」
「ぼくが言いたいのはそうじゃない」
ダイフクはため息をついた。
「若いというだけで、みんなから注目されるということさ」
「あなたも何か言われたの」
「いや、目立つって言いたいのさ」
「その時に池田さんのご主人は来られていた?」
「いたよ。でもあの人、集団の中では何も言わない。川の隅の方で黙々と草刈機で草を刈っていた。誰も池田さんに声をかけなかったし、彼も何も言わない。どちらかというと奥さんの方がクレーマーなので孤立しているのではと思う」
話はそこで止まった。しかし池田夫婦はなぜああなのだろう。それが楽しいのだろうか。