第三十話・床上げをする・後編
ややあって、上蚊掻が返事をした。
「常会は大事なもので、一軒の家に一人は必ずでないといけない。一人暮らしで施設に入って家が無人の人は仕方がねえ、でも家族がいる場合はどういう人でも出さないといけない」
「でもエコばあちゃんは耳の聞こえも悪いし、足元もふらつきがありますよ」
「そういう決まりじゃ。モナカさんは出てくれるじゃろ」
「もちろんです」
三人はほっとした顔をした。
「前にここにいた人は途中から出てくれんようになって困った」
モナカは、はっとした。
「前の人はどんな人だったのですか」
「普通の人じゃよ。でも離婚した。今はどこでどうしているかわからん」
「ここに来てから離婚ですか」
モナカはヨンが夫婦仲を裂いたという話を思い出す。
蚊掻たちは言うべきかを迷っているようだ。
「前の移住者はここを去るときも、あいさつなしでいきなりいなくなった」
「その人は二番目だが、一番最初に来た人もひどかった。都会しか知らないんでいろいろと教えてあげたつもりじゃったが、常会もなにかも拒否した。喪中さんが三度目の移住者になるが今度こそ成功させてあげたい」
「そうそう、喪中さんが一番まじめで熱心じゃ。本音をいうと、わしらは松元さんにいくら過疎でも知らぬ人を住み着かせるのは無理じゃと反対していた。三度目の正直で本当に良い人が来てくれた。常会も葬式も手伝ってくれた」
モナカは閉鎖的な思考を持つ村人をここまでにしたのは松元の功績だと思った。
「おかしゃん、おばあちゃん。ごはんができました」
アンキチが段ボールのはしきれに泥をのせてもってきた。上には何やら葉っぱが何種類かのっている。
「これはなんでしょうか?」
モナカがていねいにアンキチに聞くとアンキチは得意そうに「おいしいケーキ、食べんしゃい」 と言った。泥製のアンキチのケーキは葉っぱをたてにさしている。そのまわりには小石が並べられている。ケーキというより何かの要塞のようだ。
そこへダイフクが帰ってきた。今日は農薬をまくといっていたがもう終わったのだろうか。ちょうど池田夫妻の軽トラが通過していった。ヨンの横顔も見えたが目礼一つないのはもうわかっている。ダイフクが不機嫌そうだ。
「どうかしたの、農薬でも吸い込んでしまったの」
「いや、今日は風がないから大丈夫だろうと思ったが、やはりクレームがあった」
「クレームですって?」
ダイフクがモナカと蚊掻たちに説明をする。
「池田さんだよ。先日散布をしていたら、夫婦で来て農薬が風で飛んでくるから風の強い日はやめてくれって。それで今日はいいだろうと散布したらやっぱり文句をいってきた」
「でも今日は風がないからって先延ばしにしてもクレームがつくの」
「ああ。今度は風ではなくて農薬そのものを撒かないでほしいという」
「無農薬でもいけるの」
「松元さんは米作りに完全な無農薬はありえないと言っていた。低用量ではいけるが農業がはじめてなら決められた量である程度の収穫が見込めるようにするために肥料はもちろん農薬をまくのも大事なことだと。
ぼくは松元さんや吊れの藤木さん、裏の田中さんのいうとおりにしている」
「池田さんにそれを言った?」
「言ったさ。だけど奥さんが気管が弱いのでやめてくれとしか言わない。呼吸が苦しくなるのでやめてほしいって」
「それでなんと返事を」
「いや、会話にならない。ぼくの話をまともに聞いてくれない。だがこっちの田んぼはここにしかないし、農薬を撒かないといけない。説明をしようにも、やめろの一点張りでね、もう強行した」
「まあ」
ダイフクが憤然と納屋の方に行く。そして水道の蛇口をひねって水をざあざあ流して散布器具を洗う。
すると蚊掻たちが「帰るわ」 といきなり立ち上がる。時間にしては早い。
「じゃあモナカさんは明日の七時に公民館にきてくださいよ」
「はあ……」
蚊掻たちは連れ立って坂道を下る。そこへアンキチが段ボールのお盆をもってやってくる。
「おかわりもってきたよー」
上蚊掻だけが返事した。
「また今度もらうね」
「じゃあ、あしたね」
アンキチは蚊掻たちを見送っていた。
ダイフクは黙って散布器具を洗っている。モナカが見守っていると振り返りもせず聞いた。
「起きていて大丈夫か?」
「ええ。明日、公民館の掃除に行ってくるわね」
「掃除はぼくが行こうか?」
「いいえ、行くわ」
「ならいい。でもな、モナカ……きみの入院中にもしかしたらぼくら、とんでもないところに引っ越したのかもしれないのかもと思うことがあった」
それきりダイフクは何も言わなくなった。
モナカは明日の掃除にその池田ヨンも来ると思い出してどきんとした。常会の一員だから来るのは当たり前だ。思わずため息をついていた。




