第二話 喪井家の三人・後編
撤退のきっかけは近所トラブルだ。これ自体はよくある話。モナカたちは過疎の土地に移住してきた新入りで、そこは娯楽的な施設もない土地柄。
もちろん大勢の善人がいる。だが、一部の悪人の性格が腐っていた。
善人は悪人を駆逐できぬ。田舎では特にそう。
警察は関係ない。悪人といっても犯罪ではない。モナカたちがいう悪人とは、新しい移住者、若い夫婦、小さな子供を嫌う。彼らは未来の希望に顔を輝かせている新入りが大嫌い。
しかし移住にあたってその悪人がどのくらいの確率でいるか誰にも統計はとれないし、悪人だって新入りが嫌いだと表立っては言わぬ。移住してきて初めてわかる仕掛けだ。
移住してきてそういう悪人と対峙するようになって初めて田舎の厭らしさを感じる。
喪井家が何をしたのか。
何もしていない。
田舎ライフにあこがれて移住してきただけ。
でも悪人はそれが気に入らない。じわじわと、わかるように意地悪を仕掛けてきた。
モナカたちは夢破れ悲しい気持ちで都会に戻った。空気の悪い、自動車の音が絶えないごみが散乱してカラスがやってくる草木のないごみごみとした治安も悪い都会へ。
そのかわり誰にも関心を持たれることもなく、誰が何をしようが犯罪でなければ何をしても自由で気楽な都会へ。
世間的なジャッジは当然悪人へ傾くが、田舎ではそうではない。田舎では新入りが全部悪いことになる。特にモナカたちのような農業が初めてでイチから教えてやらないとわからない人には。
農業就業者として集落のものである古民家や田畑を無償で借りておきながら短期間で出て行った家族という位置づけだ。
この集落の気風や習慣に添えない都会の人、軟弱もの、恩知らず。撤退したモナカたちのことを、今もそう言われているはず。
都会でも田舎でもどこでも悪人はいる。しかし、近所トラブルの対応のしかたが田舎特有の閉鎖社会を象徴する。つまり悪人に善人が染まる。そこまでいくともう田舎には住めぬ。
田舎はだめです。都会の人は田舎に住んではだめ!
田舎にはコンビニも本屋もない。住人はネットで情報を得たりすることもない。政治や経済に興味はない。そんなことはどうでもよいので新聞すらとらない。
彼らは田んぼと畑とテレビさえあればいい。テレビは演歌番組と旅行番組さえあればいい。年に一度のお祭りで、どこかの若い芸人や知名度皆無の自称演歌歌手が来ればそれでいい。
老人ばかりでその年の稲の具合や野菜の種の良しあしや自分の体の悪いところは熱く語るが、人聞きの悪い世間話が特に大好物。日がとっぷり暮れるまで白熱した噂話で盛り上がる。住民たちの人生はそれでとても充実している。モナカたちはその格好のネタにされた。
牧歌的な村でも、近所トラブルがあれば即時田舎モードが発動され、集団で陰湿で悪質としか感じられない精神的ないじめが始まる。
それでもあと二十年もすればこの「田舎」 の老人たちだって全員は死ぬ。話しぶりさえ聞いていればこの人たちは怖いもの知らずの不老不死だが、モナカたちも含めてみんな人間。
いずれ人の世話になって死ぬだろうにそれなのに田舎式陰湿モードが発動されるともう止まらぬ。
新入りが夢破れて出ていくまで話のタネにされるし、出て行ってからでも末永く生え抜きの田舎のおじいちゃんおばあちゃんの集会のときの楽しい思い出話の一つとして語り継がれる。
こんなに山に囲まれて雄大な景色が日夜拝めるというよいところなのに。
自然の厳しさはすごい、大雨、大風、氷雪、特に冬場の雪かきは大変。だから助け合いは当然ある。
それなのに、それなのに。
大自然の雄大さのふもとには人間の家が山の裾野に張り付いている。その中に人間が住んでいる。
それなのに、それなのに。
初めから行かなければよかった、田舎なんかに行かなければよかった。もうほかの田舎に行くという選択肢はモナカたちにはない。そんな気力も体力もなくなった。
あんな目にあうとは思わなかった。
モナカたちの味方は誰もいなかった。
田舎なんか大嫌い。