第二十八話・病院へ行ってそのまま入院に・後編
気づくとベッドの中にいた。腹痛がまだあるが、強くはない。どうやら個室にいるようだ。そばにダイフクが腰かけていた。
少し吐き気がある。手の甲にチューブがささり、それはベッドわきにつるされている点滴ボトルまでつながっている。
ダイフクが顔をあげた。目のまわりが真っ赤になっている。
「起きたか」
「その目、どうしたの」
ダイフクの目から涙が出た。
「どうしてあなたが泣くの。私は貧血を起こしたようだけど、点滴が終わったらもう大丈夫よ。それでアンキチは?」
「三階の小児科病棟だ。よく寝ている」
「退院は明日ね。今何時ぐらいかな」
「夜中の二時だよ。ねえモナカ、君も入院だよ。手術もしたから。ゆっくり休むといいよ」
「私が? 何の手術だったの?」
ダイフクがモナカの頬を撫でた。手を握る。
「君のお腹の中に赤ちゃんがいてね。でもだめだった」
「赤ちゃんがいた?」
モナカも泣いた。
「ごめんなさい」
「君のせいではない。寝よう。朝になったらお医者さんの説明があるから」
「わかったわ」
朝の回診があり、モナカは改めて医師の説明を受けた。赤ちゃんは四週目に入っていたが、子宮外の卵管にいて破裂してしまったそうだ。子宮外妊娠による卵管破裂をトイレで起こし血圧が下がって失神したという。
子宮外妊娠の場合は、赤ちゃんは諦めるべきだと説明したが、モナカの心は晴れない。しかも卵管を切除したという。開腹なしでの腹腔鏡での手術だった。癒着の心配もあるので、数日間入院になった。
アンキチの喘息は軽快し退院になったが、ダイフクと一緒に見舞いにきてくれた。
「モナカ、泣くなよ。モノは考えようだよ。アンキチの発作がなかったら子宮外妊娠の発見がわからず手遅れになる可能性もあった。救急病院で倒れてすぐ手術できたのだから運がよかった」
「おかしゃん、元気だして」
アンキチは見舞いのつもりか、チラシの裏にマルをたくさん書いた絵をくれた。赤とピンク、黄色に緑色。
「ありがとう、これは何の絵かしら?」
アンキチはまじめな顔をして絵の中のマルを指さす。
「これがおかしゃん。これがおとしゃん。こっちの小さいのがアンキチ。あとはぜんぶカエル」
「上手に描けたわねえ」
退院の日はすぐに来た。驚いたことにアンキチのおむつが完全にはずれていた。入院中に蚊掻たちがトイレトレーニングをしてくれたようだ。アンキチのズボンがすっきりとしたシルエットなっている。もうりっぱなおにいちゃんだ。
モナカが帰宅すると、蚊掻たちは昔はお産で死ぬことが多かった話をしてくれた。
「産婆さんがいても、アカンボが頭からでなく、足からでたり、手だけがでてきたり。昔の話でこりゃダメじゃとなったりで。
無事アカンボが生まれてもお母さんの方があくびばかりする。疲れたのだろうと休ませたら翌日死んでいたりじゃ。逆に生まれては困るアカンボはシメルちゅうて流すのじゃ」
「姉さん、そんな話はやめんしゃい。モナカさんが困っちょる」
「そうじゃのう。でも昔は一人で十人ぐらいアカンボを産むのは当たり前じゃったから、ほんにいろんな話があってのう」
これでも蚊掻たちはモナカをなぐさめているつもりだ。皆八十歳前後で昔のいろいろな話をよく知っていた。
退院したとはいうものの、身体はできるだけ安静にということで横になっていることが多かった。アンキチはモナカの横で、かいじゅうの人形をもってあそんだり、絵を描いたりしていた。
蚊掻のおばあさんたちがきたときは砂場で遊んでもらったりだ。
モナカはマンマエを気遣って南側には布団をよせず、北側に布団をよせている。暑くなってきたので、北側の方が涼しいということもある。そして布団を窓際によせておくと寝ながらにして山と青空が見える。それは新鮮な光景だった。
窓枠と薄い黄色のカーテンが揺れる額縁だとすると、この中にあるものは大自然が描く絵だ。しかも刻々と絵が変わっていく。空の文様、山のざわめき、空を飛ぶつばめに上空はるかにとんびの影。そのもっと上を行く飛行機の影。名画のようだと思った。
モナカは起き上がって、北側に広がっている田んぼや畑を見る。田んぼには苗が稲になりかけている。まだ穂は出ていないが苗が縦にのびて、きちんと隊列を組んだまま大きくなった。風が吹くと隊列は方向性を組み直す。風向きによって、大きな一列のうねりとなる。雨が降ると隊列は直立姿勢で耐えている。
その隊列を縫って、働き者のつばめが低く飛びまわり、ムシをとっている。納屋の屋根にあるツバメの巣には五羽のひなが待っているのだ。子育ても大変だ。モナカは稲もツバメも偉いなあと思う。
それなのにモナカは妊娠したのに気付かず子を流してしまった。己を責める気持ちは一日に数回は訪れる。
ダイフクが一生懸命働いているというのに、寝てばかりいて申し訳なかったが、本当に何もする気がおこらない。そのうちにモナカはあることに気づいた。
それは毎朝早くに国道を渡ってダイフクの田んぼの裏に出勤する池田夫妻の行動だ。彼らもまた軽トラを使用するが、崖に近い家から国道を渡り松元さんや蚊掻シリーズの家の小さな集落をとおって坂道をあがり、マンマエのテルさんの前をとおりモナカの家の裏にある田中さんの家をとおり、つきあたりを右折して池田さんがテルさんから借りている畑に到着する。
つまり池田にとってはテル、モナカの家、そして田中家を通らないと畑に到着しない。そして田中家の前の道は私道だ。紙耐は山をのぞくと、ほぼ田畑なのに池田夫妻はこの小さな畑を借りている。
朝は早くから畑に向かうのはいいが、途中で車を停めていることがある。モナカはそれを不審に思った。




