第十八話・田植え・後編
軽トラから降りてきたのは飯坂保健師だった。モナカはこの人の軽口が元で不快な思いをした。
前回は公用車での訪問だったが、軽トラ利用ということはプライベートだろうか。それは当たっていた。
「こんにちは。松元さんから何でも屋であったことを聞かされて、説明に伺いました」
飯坂は自分が個人情報を漏らしたわけではないと釈明にきた。
「私が見たのは、生年月日や血液型の確認だけです。信用にもかかわりますし、こういう誤解はやめてください」
「では、言い出したのはどなたでしょう」
「わかりませんが、村を代表してお詫びします」
飯坂は真剣な顔つきだ。
そこへダイフクが来た。トイレに来たが、ダイフクも保健師と知ってはっきりと飯坂に伝えた。
「アンキチの母子手帳を見せたのは、あなただけです。北部の出身らしいが、うわさ話をした人たちも北部と聞いている。疑うのは当然でしょう」
飯坂保健師はダイフクと初対面だったが、言い返した。
「ならば、私がやったという証拠を見せてほしい」
「証拠なんかないですよ。とても残念に思います」
飯坂は顔を歪ませた。
「今度その人たちに会ったら、私からも注意をしておきます」
「ぜひそうしてください」
「今後もアンキチくんのことでこれからも立ち寄ることがありますが、いいですか」
「ええ、それはお願いします」
飯坂は軽トラで帰っていった。モナカたちはそれを見送った。
坂道の下りなので軽トラはすぐに見えなくなった。ダイフクは言った。
「もうこの話は忘れよう」
「そうね、本当のところは誰にもわからないのだから」
ダイフクはモナカに近寄り、小声を出した。
「毎日我が家に来る蚊掻さんたちもわからないからね」
そこへ松元が来た。
「一面しあげたので休憩じゃ」
もう半分仕上がった。時本は次の約束があるとかで帰っていった。時計を見るともう昼だ。最後に田植え機が回せなかった四隅を手で植えていた蚊掻たちも戻ってきた。それで昼食にした。上蚊掻は煮物を鍋ごと持ってきていた。あとはつくだ煮や漬物、大量のおにぎり。モナカはお茶と買い置きのクッキーを出した。
この調子では夕方までには仕上がる。ご飯を食べ終えたころを見計いダイフクが松元たちに御礼を述べた。松元は手を振り、酒瓶を掲げる。
「酒があるぞ、飲もう」
午後からは皆、ほろ酔い気分で田植えをした。呆レの藤期も顔を見せてなかなかにぎやかだ。
今でこそモナカたちは農家らしいことをしている。とはいっても彼らの手伝いがなければ何もできなかった。ダイフクの代掻きも泥面が一定せず、せっかく植えた苗が定着せず浮かんでくる。それを見つけては何度も手で植えなおした。モナカはまた腰が痛くなった。
皆が帰ったあと、田植え機をきれいに水であらい、納屋にしまうともう夜だ。ダイフクは休まず、空になった苗床も洗うという。
「今日の仕事は今日やってしまう。明日も田んぼの様子をチェックするが、畑にじゃがいもを植えないと。梅雨が来る前に全部してしまうつもりだ」
ダイフクは満足そうだった。アンキチは椅子にもたれたまま寝ている。モナカも腰に湿布を貼って横になっている。家の中は早くもカエルの声で満ちている。
「田植えの間は、カエルは静かだったね、どこにいたのだろう」
そこへ寝ていたはずのアンキチが窓を指さした。
「おとしゃん、カエル!」
台所の窓にカエルが一匹へばりついていた。結構大きい。三センチぐらいはある。緑色に灰色の縞模様のあるカエルだ。モナカは立ち上がって窓に行く。
「窓は垂直なのによく落っこちないわね」
「おかしゃん、カエル、ここにもいる」
ダイフクも窓に近寄った。
「窓の明かりで羽虫が集まるのを見越して待っている。窓からだとカエルの吸盤が良く見えるな」
アンキチは窓枠に手をかけてうれしそうにカエルを見上げている。
「おとしゃん、だっこ。カエル見る」
「はいはい」
アンキチは窓越しにカエルの身体を指でつつく。するとカエルがその振動を嫌って移動した。移動先でもアンキチの手が追っかけてガラスをたたく。
「やめてよ。ガラスが割れると困る。さあ、今日はもう寝ましょう」
アンキチはカエルと遊んでいたので不平そうに口を曲げた。
モナカは窓を閉めようとしてはっとした。マンマエの家の二階が見える。カエルに気を取られていたが、マンマエの窓から頭のシルエットが浮かんでいる。それも二つ。
モナカは騒ぐアンキチを制してカーテンを閉めた。ダイフクを見ると、しまったという顔をしている。
「また苦情が来るかな。カエルを見ていただけなのに」
「まあこういうのも気をつけようか」
幸いその夜は、マンマエからの反応はなく、モナカたちは、そのまま休んだ。




