第十五話・うわさ話のタネ・中編
モナカはアンキチを連れて、軽トラで中央公民館に行った。そこが紙耐での公園デビューになる。都会ではペーパードライバーだったので運転が心配だった。しかし、道は狭くとも渋滞どころか行きかう車自体が少ない。なんとかやっていけそうだ。
家から下りの坂道を行くとテルを見かけた。会釈をしたが、無視をされた。一番の隣人のはずなのに、残念だが今は運転に集中したい。モナカはまっすぐ前を向いて運転を続けた。
坂道が平坦になると松元家につながる通りになる。家が数軒固まっているが、蚊掻たちの家だろう。村道から国道まで両側が田んぼになる。遠くにはまだ田植え中の人がいた。つばの広い日よけ帽子を目深にかぶりマットに植えつけられている苗床を田植え機にセットしていた。
しばらく人家がなく川沿いにある田んぼにはサギがきていた。一羽だけ青味がかった灰色のサギがいて目立つ。モナカはハザードランプをつけて車を止めた。アオサギは優雅なしぐさで田んぼの中を歩き時折身をかがめて何かをくちばしで探っている。
「アンキチ、窓から身を乗り出したらだめよ、危ない」
モナカはアンキチのシートベルトを締めなおした。昼からチャイルドシートを買いに行くがもっと早くにすべきだった。こういう時のために必要だ。
国道に出るとき際の信号も黄色の点滅信号だ。おそらく紙耐の住民がこの国道を突っ切りたいときにだけボタンを押して赤にするのだろう。
国道に出るとすぐ右に振興センターがある。その隣が中央公民館だ。広い駐車場には、軽トラが一台、軽自動車が数台止まっているだけ。そのうち数台にチャイルドシートが見える。公園に来ている人たちだろう。
果たしてその通りだった。公園は狭く、遊具はブランコと小さな滑り台、小さい砂場、木製のベンチが二つ並んでいるだけだ。先客の親子が二組いたが、その中に波瀬を認めてほっとする。
波瀬もモナカとアンキチを認めて手を振ってくれた。
アンキチは公園の滑り台に突進していった。滑り台は小さく階段も五段ほどのものだ。しかし、アンキチにとって、この高さを一人で上ったことは初体験だったようだ。喜びのあまりか両手をあげて背中をそらす。そのため後ろ向きに頭から滑り台から落ちそうになり、あわててモナカは抱きとめる。
「すべり台は、上まで登ったら、座るのよ。それからゆっくりとすべってね」
アンキチが座ると、モナカはそっと手を離した。下まで滑るとアンキチは得意そうな顔をしてモナカを見上げた。
「つべれた」
「そうね、えらいね」
アンキチは同じ動作を繰り返した。そこへ女の子がよってきて滑り台の階段をのぼってきた。波瀬の娘、ミイナだ。確か四歳だったはず。モナカは話しかけた。
「こんにちは」
そこへもう一人、女の子が来た。アンキチが階段から動かないので、ぎゅうぎゅうだ。
「ミイナちゃんたちが後ろで待っているからすべってね。順番よ」
アンキチはミイナと見知らぬ女の子と交互にすべっていた。
気が付くと波瀬たちが赤ちゃんを抱っこしてモナカのそばに立っている。
「はじめまして、移住したばかりの喪井です。この子はアンキチといいます。どうぞよろしくお願いします」
波瀬がお互いを紹介してくれた。
「この人は矢駄さん。うちのミイナと同じ年で、名前はジュリナちゃん。あちらにいるのが北本さんとミライくん、もうすぐ一歳になるわ」
矢駄も北本も二十代前半に見える。茶髪でつけまつげをしていている今どきの若いママさんだ。特に矢駄ははっきりとした目鼻立ちだ。ジュリナは矢駄にあまり似ていない。
北本のミライくんは、まだよちよち歩きなのに、全身黒のつなぎの服をきせている。北本の服装が黒づくめなので、あわせているのだろう。彼女は片手で火のついた煙草をもっている。そのままの姿勢で近寄らずにモナカに会釈をした。
波瀬は、ざっくりとした薄手の長そでセーターにホットパンツで地味な姿。赤ちゃんを前抱っこしているので、着やすい服になるのだろう。モナカの服装も長そでシャツにデニムのパンツだ。
双方のあいさつはあっさりとしていた。あとは子どもたちの遊びを眺めているか、スマホで何かを見ている。ただ矢駄は、来月引っ越しをするそうで、短いつきあいになると言った。波瀬も残念そうに言う。
「ご主人が九州の会社に戻られるそうですよ」
矢駄は笑った。
「いえ。実家が建築関係の会社なので戻って手伝えというの」
モナカも話に加わる。
「後継ぎなのですね、大変そうですね」
「義父母と同居になるので、今から気が重いの。親子だけで暮らせる紙耐の方が気楽よ」
波瀬が声を出して笑うと、矢駄は肩をすくめた。
「波瀬さん、あなたは家付き娘だから同居の苦労がないだけいいよ。私達は同居が無理そうだったら大阪に行くつもり」
「大阪ですか」
「うちの人は、紙耐の林業をやる前は大阪で土方していたの、その前は静岡。」
矢駄夫婦は若いが土地を転々としているようだ。そしてモナカに紙耐に慣れたかどうか聞いた。
「車はあの軽トラだけなの」
「はい、松元さんから借りたものだけです」
「乗用車は買わないの」
「農業が軌道にのって、わたしもパートに出るようになったら考えます。それまで節約です」
波瀬と矢駄は子どもたちの遊びを見守りながら、桃園温泉に保育園があること、町のスーパーの情報を教えてくれた。北本は世間話に加わらず、煙草をふかしながら、ミライくんを見ていた。
「紙耐の売店は一軒だけで、何でも屋という。町のスーパーでの買い忘れがあったときに利用しているけど、定価販売だから高い」
「何でも屋って頼もしそうな名前ですね」
波瀬は土地の者らしくいろいろと教えてくれる。
「あのね、何でも屋は小倉さんの家なの。この通りの一番端の奥にあるわ。奥さんは妙子さんといって婦人会の会長さん。まあ妙子さんも、気さくな人よ。私も副会長で家もすぐ近所なのでしょっちゅう打ち合わせをしているの。あなたも一応顔をだして挨拶した方がよいと思うわ」
「わかりました、帰りによってみます」
この中央公民館は国道沿いにあるが道沿いに振興センターやJAの出張所がある。その一番端に郵便局があり、その奥に何でも屋さん。村の中心地が国道沿いに全部揃っている。
紙耐を一巡するローカルバスがあり、その発着場が振興センターで車を持たない北部の老人たちが皆利用するのだという。利用料金は一律百円だという。
「振興センターの次の停留所が何でも屋なの、それから小刻みに北へあがり、あなたたちの住むところにも回る。過疎で不便なようでも結構便利よ。バスは時間がかかるけど、軽トラが農作業で使えないときは、この公園に来る時にバスを使ってみて」
「そうします」
矢駄が注意をした。
「でもそのバス一日二本しかないからね」
波瀬が説明を補う。
「午前便と午後便よ。県庁まで出たいならそれも振興センターから桃園温泉経由で三時間かかるけどちゃんとあるから。時刻表をチェックしておいた方がいいわよ」
「わかりました。ありがとうございます」
波瀬の胸元に抱かれているツヨシが泣いたのを契機に、モナカは何でも屋に挨拶をしてくると場を離れた。
すべり台から離れたくないアンキチをなだめつつ、軽トラに乗せる。
国道沿いだから迷子にはならない。郵便局は簡易郵便局と会って普通の家とは変わらないが赤い郵便ポストとマークでそれとしれる。ここが波瀬の家だ。その裏が何でも屋さん。名前は妙子さんだっけ。
モナカは何でも屋の駐車場に車を停めた。
婦人会長への顔あわせだが、何も買わないのは気がひけるので、アンキチ用のオヤツか卵を買うつもりだ。
なんでも屋の前に錆びだらけになった小さな看板があった。そこには小倉商店とある。それにしても小倉という名字も多い。
店の前に教えられた通り、バス停があった。「紙耐循環バス」 とあって、時刻表を見ると午前十一時と午後三時だけだ。一日二本。それで終わり。待ちあい用の木製のベンチがあったが誰もいない。
過疎地でのバスの運行はこういうものか。もちろん国道に出て乗り換えたら町に出ることはできる。それでも三時間近くかかるという。一日で往復するとバスの異動で六時間もかかる。やはり乗用車が必要だ。
モナカはアンキチの手を引いて何でも屋の前に立った。木造の小さな家を改築したらしい。曇りガラスの戸も小さい。自動ドアなぞなく、客が戸を自分で開けてお店に入る。
店内は意外と広かった。「何でも屋」 と言われる通りなんでも揃っている。手前が食料品、横側が衣料品、洗剤やなべやカマ、殺虫剤などの生活必需品。赤ちゃん用のおむつ、大人用おむつまであった。
奥にはクワやすき、肥料の大きな袋まで積んである。農具もここで扱っているようだ。
駅の小さな売店やコンビニに負けぬ品揃えだ。ただし新鮮な魚や野菜がない。魚や肉は冷凍庫にしかない。山間地なので新鮮なお造りなどは入荷しないのだろう。野菜もないが、周辺は農家で出荷する立場なので不要なのだろう。
出入り口すぐ横にレジがありおばさんが一人いた。この人が妙子なる婦人会の会長さんだろう。モナカが名乗ると微笑んだ。
「喪井さん。紙耐に、そしてこの店にようこそ。まずはゆっくり見て行ってください」
「ありがとうございます」
レジまわりに、古い木製のイスが三つあり、それぞれに三人のおばあちゃんたちが座っていた。どの人も八十代ぐらいのお年寄りで来ている服も茶色か灰色系でくすんだ色合いだ。また三人とも椅子に浅く腰かけているがウエストが全くなくお腹が出ていて足がだらしなく広げて放り出している。中身が見えない白いビニール袋を持ち、それぞれ丸く膨らんでいる。
何を買おうかと思いきや、アンキチがお菓子の売り場を見つけて歩いて行った。ラムネやチョコレートのカラフルな売り場もコンパクトにまとめている。定価販売と聞いたがやはり高い。お菓子だけでなく卵が一パック三百六十円もする。
アンキチのためにアメを買ったが、普段スーパーでは百十円だった袋アメがここでは二百三十円もした。ほぼ倍額だ。だけどその値段が本当の値段なのだろう。モナカは卵とアメをレジに持って行った。
レジ横の三人のおばあちゃんたちはモナカたちの動向をじっと見ていた。モナカはレジに近づいて再度会釈をする。何でも屋は、おばあさんたちにもモナカを紹介してくれた。
「喪井さんは、松元さんの近くに移住してきた人じゃ」
何でも屋は、六十歳過ぎの女性なのだが、笑うと目じりからあごにかけてたくさんのちりめんじわが寄っている。快活な人のようだ。
レジ横のおばあさんたちがアンキチに話しかける。
「お名前は?」
「アンキチ」
ぺこりと頭を下げるアンキチ。おばあさんたちは目を細めてアンキチをながめる。
「ほんに、かわいらしい。あんたも良かったのう、こんなにかわいらしいコを世話できて」
「世話……そうですね、まだ二歳でいたずら盛りですが、幸せです」
一番端にすわっているおばあさんがモナカの顔をじっと見る。
「やっぱり似てないね」
「えっ」
真ん中に座っているおばあさんもモナカを凝視する。
「そりゃ、実の子じゃないけん」
「えっ……」
さっきのおばあさんも言葉を継ぐ。
「奥さんもまだ若いし、そのうちにあんたの本当の子供も生まれてくる。この子を邪魔にして虐待とかしたらいけんぞ」
「あんたは不倫で一緒になったのか。まあせっかく結婚したのだから仲良く添い遂げんしゃい」
「それはどういう意味ですか」
いきなり外からプアーという音がした。循環バスだ。すかさずレジの何でも屋が大声でおばあさんたちを誘導する。
「さあさあ、乗ってください」
おばあさんたちは、ゆっくりした動作で店を出た。中身が詰まったビニール袋の音をたて、重そうに持ちながら。
モナカは、ひどいことを言われたという感情でいっぱいだった。アンキチの手をぎゅっと握る。アンキチが不思議そうな顔をしてモナカを見上げた。