第一話 始まり
僕は本当に健常者であるのでしょうか、と偶に思いますし、検査等はしないにせよ大部分の方々は他人との違いが取柄、コンプレックス等であったりして、自負心や劣等感が屡苛むと思われます。
僕自身、俗世で云う全うで無い価値観を有する事に、改めて実感する事柄は多く、思い悩む日々です。
「叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて……」
俗に云う恐怖サイトが僕は好きで掲示板やSNSを通い詰める内に、「怪奇!奇跡!恐怖倉庫」というサイトの存在を知りました。
「怪奇!奇跡!恐怖倉庫」トップの紹介ページでは、出来の悪いびっくり系のフラッシュから宗教戦争等の問題提起の動画まで取り揃えた、恐怖系の大手サイトと書かれており、フラッシュ、動画、題名、タグ毎に分類され、見やすいようにまとまっている第一印象でした。
「叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて死んじゃった、叩いて壊れて……」
碌に事前情報も集めなかった為、少し構えて最近UPされた「叩いて壊れて」をクリックすると、不吉な単語達が、耳障りな音量で無機質な音声により復唱され、見る者は例外無く不愉快な気分にさせられます。
不愉快と云うよりどことなく不安を覚えるような、そう言うのが正しいのでしょうか。
心の奥底の何かが疼くのです。
疼いているのは心臓の奥底の魂……なのかも知れません。
僕が見たのは左端に居る黄地のシャツに赤地の短パンを履く少年が槌を持ち、延々と右端の画面外から流れる骸を、振り回した槌で次々に叩き壊している動画で、何時からか骸を壊す度に赤が画面に飛び散り、最後には赤一色になって赤以外視認出来ぬようになる動画で、徐々に血塗られる槌にケタケタといった笑い声までもが含まれていき、非常に悪趣味であると感じます。
僕の周囲は、この動画を薄気味が悪いで済ませて通り過ぎていきますが、僕はこの言い様の無い薄気味悪さに心地好さすら覚えていたのです。
人間の隠し切れぬ狂暴性、攻撃性を体現したような動画に、魅せられてしまったのかも知れません。
どれだけ大人しく従順な人間であろうが、天地開闢から有る本能に何人たりとも抗う事等適わないのです。
そしてその本能は、いとも簡単に暴走してしまうのです。
僕は知らぬ間に、誰彼が作ったこの動画に隠された本能というものに、精神が塗り潰されてしまったのかも知れません。
教育が人を如何様にも変えるように、僕の精神はこの動画の狂気に染められてしまったのでは、と恐ろしさに駆られてしまいそうで……
自サイトに「叩いて壊れて」の評価を書いている最中、「篤、御飯だよ」と母の僕を呼ぶ声がして、集中が途切れました。
母の声が僕の部屋が有る二階に迄、喨喨と響き渡っています。
まるで母の顔が綻んでいるさまが思い浮かぶようでした。
案の定、母は僕の部屋の真前迄来るとお玉を持ちながら首をかしげ、「今晩はカレーよ」と用件を言い終えると、駆け足で階段を降りていくのでした。
普段は清貧で御淑やかな母親なので、何故此れ程迄元気なのか理由は直ぐに分かりました。
携帯電話を見て友達からのメールが一件届いており、簡単な返事をして一階に降りました。
「あっ君、皿洗いはしてね」
「うん」
降りて居間へ行くと、唐突に直緒姉は言いました。
僕、家の所用を忘れた覚えが無いのだけど。
寧ろ直緒姉の方が気を付けるべきなんじゃ……言い掛けましたが、直緒姉は抜けた部分を頑として認めないのは知っているので、反射的に飲み込んでいました。
僕がそんな直緒姉と然程意味の無い問答をしていると、母の鶴の一声が僕を動かしました。
「篤、直緒……どっちでも良いから先によそってくれた方に、好きな付け合わせ作っちゃおうかな〜……なんて」
僕はそれを聞いて直ぐ
「二人は座ってていいよ、僕が遣るから」
と言うと、二人ともそれを見越していたのか、早々に椅子に座って駄弁っているのでした。
「あっ君は、本当に分かりやすいね〜」
「直緒、そう言うんじゃないの……有り難うね、篤」
直緒姉の言う通り、僕は本当に分かりやすいのではと、恥ずかしさと直緒姉の無神経な言葉と態度に多少苛立ち、よそっている最中に話し掛けられても、背を向けたままよそいました。
小さな頃からよく面倒を見てくれた直緒姉の余裕綽々に笑う表情も、この時ばかりは不快でしょうがなく、悪感が込み上げて来てしまい、時折口を噛み締め、苛立ちを押さえるのでした。
ですが後でとやかく言われるのは御免なので、盛り付けの指示等は大人しく従いました。
勿論、立場が誰であろうが変わりありません。
端的に言えば、数には勝てないのです。
「あっ君、本当にニンニク焼き好きだね〜」
「少し体調が悪いから食べたいんだよ」
「御免なさい篤、臭いのキツい物はあの人が……ね」
「母さんは気にしないで良いよ」
僕の食べたい付け合わせはこういった機会にしか、作っても作らせてもくれません。
父は其処迄厳格では在りませんが、異様に口数少なで目が据わっており話し掛けずらく、母すらもそれを窮屈に感じながら僕達を大事に育て上げてくれているのです。
互いに歩み寄りが出来ぬのは、母の問題でも有るので父ばかり責める気はありませんが。
そんな父の帰りが遅いと母は重圧から解放され、主婦業を少しばかり手抜きするのです。
最も手抜き料理の余り物も父は一言「美味い」と言い、母はそれを聞くと目を閉じ一度だけ深呼吸して、父の休み前の日には程よく酔わせて、夢見心地の中で父を拘束しているのです。
母は父への悪口や失言を一度もせず、本当に家族から見ても傍目から見ても立派なのですが、周囲は見抜けずとも僕や直緒姉は見抜いていました。
母は父が怖いのでしょう。
母の家庭内での立派さは、父への恐怖の裏返しなのです。
料理の手抜きは父に僕達を引合いに出されて、さも正論であるかのように親類や父の友人等から責められぬ為、悪口や失言をせぬのは僕達から広がるのを恐れて、つまり母は誰一人として家族を信頼等していないのです。
これっぽっちも信頼していないからこそ、中間の存在で在り続けるのです。
母の不気味さは家庭内でしか察し得ぬ、無味乾燥とした、だが何らかの恐れを抱かずには居れないのです。
僕の性格が悪いからこう結論付けるのだろうと云われれば、僕はごもっともと返します。
が、肉親への思いは、長年の勘は、人間としての本質は、大した知識も無い原人の頃から、変わらず相続されているのではないでしょうか。
其の類の本能は何処迄上手く装い取り繕っても、隠し切れぬものだと僕は考えております。
父への恐怖が母を動かしている原動力で有り、その母は僕達姉弟を飴と鞭で操って、家庭内は保たれているのです。
家庭内の秩序では、僕達個人の感情等必要性が無く、家族の合意の元で僕達の言葉が封殺されていくのです。




