ボビー(白)?
青い。いや、やっぱり赤いかもしれない。
一体何の話をしているんだと問われるだろう。夕方の空の話をしている。
上を見上げれば赤っぽい微妙に紫な空が。
下を見下ろせば湿った地面が。
右、左、前、若々しい木。
後ろに…
――雪柳 華恋。
並野市にある私立皐月高校一年三組28番。
突然だが、華恋は自分の苗字があまり好きではなかった。
「雪柳」という花をご存知だろうか。この花の花言葉は愛嬌。
年中無休で無表情な彼女には、縁のない言葉である。
友人にも
「アンタ名前は可愛らしいし、それなりに顔も整ってるような気がする。でも無表情は止めたら?」
と言われてるくらいだ。
…しかし、彼女には深いトラウマがあったのだ。
その昔、彼女は家族から虐待を受けていて、そのショックで表情を失ってしまったのだった。
などという小説のような展開はない。
理由は単純なのか分からないが、いつの間にかこうなっていたのだ。
平凡だった彼女が、どうして無表情になったかなんて忘れてしまった。
まぁ、前置きのような彼女の自己紹介はここまでにしておこう。
今から話すのが本編だと考えてもらっても良いかもしれない。いや、むしろ本編だと思って欲しい。
今は放課後。
初夏の夕暮れどきであり、東の空はほんのりと青紫になり始めているころだ。
校舎裏にいる彼女は眼を伏せながらも、現状を受け入れる。
「あのっオレ、あなたの事が好きなんです!」
--後ろに。
……後ろに、告白している男子が一人。
所謂、告白シーン。
放課後の校舎裏。こんな状況でなければ、ここは在り来たりすぎてつまらない、と思うのが彼女だ。
だが今は違う。
「え、う、嘘でしょ。…佐藤君」
こう答えたのは、彼女ではなかった。
彼女は、雪柳華恋は本来の髪の長さは肩辺り。
所謂セミロングという長さであろうか。
しかし、先ほど声を発した人物の髪は腰辺りまである。
そして、彼女の顔には恥らっているのか。
少し顔を赤くして微笑んでいる――――表情がある。
このロングヘアーの持ち主は、花咲里香。
華恋と同じクラスの美少女様である。
まさに一軍女子筆頭と言ったところか。
大和撫子という言葉が彼女以上に当てはまる女性を華恋は見たことがなかった。
サラサラの黒髪に、濡れるような漆黒の瞳。
物腰も穏やかで、差別なく平等に与える優しさ。
彼女は女子生徒の憧れだ。
彼女に憧れて、髪を伸ばす女子も少なくは無いはずだ。
などと言う風に冷静に彼女を褒め称えてはいるモノの。
華恋の冷汗は止まらない。
彼女は無表情ゆえに冷静に見える。
そう、見えるだけなのだ。
(落ち着いてなんかないです。誰よりもテンパっているのはこの私なんです!
ちょ、誰か助けてください。居た堪れないんです!
見るつもりなんて1mmもありませんでした!!)
……どうしてこんなことになったのか。
思い返せば、それはほんの5分前のことだった。
今日も彼女はいつも通り起きて……というのは戻りすぎである。
放課後の部活動。
彼女は園芸部の部室とも言える小さな温室に行っていた。
温室には彼女のほかは誰もいない。
園芸部は実質、華恋ひとりの部活であった。
まず華恋の通っている学校である皐月高校は、生徒全員が部活に入らなくてはいけない。
他の先輩、同級生は一応いる、のだが…
全員帰宅部志望で、それがないから園芸部に…という感じなのである。
顧問の先生はもう一つ部活を掛け持ちしてて、園芸部ほったらかしだ。
功績も残していない以前に部活に来ているのが一人という現状にも関わらず廃部にならなかったことはまさに奇跡である。
まぁ、彼女はまったくと言っていいほど気にしていないのだが。
…と、話が逸れてしまった。
彼女は園芸に使う土が足りなくなったので、校舎裏にある土を取りに来たのであった。
校舎裏の土は何故だか園芸にぴったりの土なのだ。
なので、スコップとバケツを持って校舎裏にやってきたのは良い。
さぁ土を取ろうとしようとしたところで、話声が聞こえてきたのでつい隠れてしまったのだ。
こういうとき、疾しいことをしていないのに隠れてしまうのが彼女であった。
一種の癖なのである。
で、それから二人が来てそのまま出るに出られず、今に至るというわけだ。
華恋は、そんな二人の横にある大きな木の後ろにいる。未だ二人に気付かれないということは、死角になっているようだ。
ちなみに木の後ろをこのまま直進し、彼女から見て向かって左に行くと園芸部の温室がある。どうでもいい情報だ。
「…うん、良いんだ、花咲さん。無駄な時間を取らせてしまって、ごめんね」
気づけば二人の話は随分と進んでいた。
佐藤君は俯いて、寂しそうな笑顔で言った。
どうやら花咲嬢は断ったようだった。
(佐藤君、次の恋を頑張って探してください)
心にもないことを思う。まぁ人間、そんなものだろう。
「じゃあ、本当にごめんね、花咲さん」
「ううん、別にかまわないの」
(終わりました、よね?)
そう思っていたら、花咲嬢はその場で考え事をし始めた。
いや、どこか悩んでいるようにも見える。
(でも、その悩み事に集中している今だったら、この場から離れれますかね?)
そう思って、そろりと腰をあげた瞬間。
「………あのっ」
花咲嬢が声を出した。
しかし、次の言葉を出すのを躊躇っているようにも見える。
「そこに、誰かいますよね?」
ぎくり、と。漫画だったらそんな効果音がつく場面だ。
どうやら花咲嬢は気づいていたらしい。なんてことだ。
(仕方がない)
華恋が意を決して腰をあげた瞬間に、前の茂みの方からガサリと。
何かが動く音がした。
「俺、何も見てない」
「……!」
動いたモノ、いや立ち上がった人を見て、彼女は驚き息をのんだ。
彼の名前はイカリ――碇晶。
中学に上がってから、一度も話さなくなった華恋の幼馴染だった。
最近、クラスの女子の恋バナを盗み聞きしたとき、彼の名が上がったことを覚えている。
彼から私は見えていなければおかしいのに、彼は私を素通りして花咲さんの元に行く。
(もしかして、庇ってくれたのでしょうか)
だが、花咲嬢の次の言葉で私はさらに驚くことになった。
「なぁんだ、晶だったんだ。
変なトコみせちゃってごめんね」
「俺は、何も見てないって言っただろ?」
知り合い、なんでしょうか?
そう思ってもおかしくないくらいに、二人はとても親しげだった。
実際、とても親しいようだ。
「でも聞いていたんでしょう?私、やっぱり晶が好きなんだ」
「そんくらい分かってるよ」
「他の男の子って怖いじゃない?だからさ、晶がいてくれれば安心するんだ」
「…で?遠回しの付き合って?」
そう言うと、トンと華恋とは反対側の木の面にイカリがもたれかかった。
こちら側からではイカリの表情が見えない。けれど花咲嬢は急に眼の色を変えて。
「そうだよ、晶。付き合って下さい!」
彼女は堂々と言った。とても清々しい告白で、聞いている華恋が花咲嬢に惚れそうになった。
それに対しイカリは、
「良いぜ?」
偉そうにそれを了承した。本当に偉そうな物言いに当事者でもない華恋がイラっとした。
「本当っ!?」
けれども花咲さんは笑顔で、イカリに抱きついて…
そこからは見る勇気も聞く勇気も彼女になかった。
他人の恋路を邪魔する奴はなんとやら。決して二人がいかがわしいことをしているわけではない。
体育座りをして、顔を伏せていれば、いつの間にか二人もいなくなくなっていた。
華恋は安心したのか、少しの間放心していた。
「…そういえば私は、土を取りに来たのでしたね」
さっきの事が強烈過ぎて忘れていたが、ここに来た目的とはそれだ。
華恋はスコップを右手に持ち、質の良い土をバケツの中に入れていく。
バケツの5分の4くらいまで入れてから、
「そろそろですかね」
と無意識に呟いてしまってから立ち上がる。
土がどっさり入ったバケツを持ちながら、先ほどの事を思い出す。
佐藤君が花咲さんに告白をして、
花咲さんはそれを断った。
その様子を聞いていたらしいイカリが花咲さん仲良くなって――
「いえ、思い出すのはやめて忘れましょう」
華恋は大きく頭を振った。
イカリにとっても、花咲嬢にとっても、佐藤君にとっても、そして彼女にとってもそれが一番なのだ。
正直、誰かに話してこの3人のうちの誰かに嫌われたりしたら…?
と思うと、チキンな彼女は言わないでおこうと決める。誰かに恨まれたりしたくはない。
「………あ、そう言えば白丁花の苗があるんでした」
一番、と言ったところで何故か彼女の中で花が思い浮かんだ。
そのまま彼女の脳内は花に占領されていく。
(さっさと植えましょうか。
あれは温室じゃなくて温室の横に植えた方が良いですかね。
そう、椿の隣とか良さそうです。
そういえば白丁花と言えば、沈丁花と名前が似ていますよね。
最も、沈丁花は沈丁花科で、白丁花は茜科ですが。
個人的には白丁花の方が好きです。白くて小さくて可愛らしいですし)
彼女は早くももう先ほどのことなど忘れ、愛おしい花々を愛でることに専念していた。