6.とまどい
廊下の窓から見える空はすっかり秋模様。
だけれど私の心は晴れ模様。
あきちゃんへの想いを貫こうと決めた。
だからもう迷わず積極的に動こうと思った。
話しかけることも、会いに行くことも躊躇わずに。
迷惑かもしれない、嫌われるかもしれない。
それでもいい。
今は一生懸命恋愛したい。
この想いを伝えたいから。
あきちゃんに。
タケやんから聞いた、あきちゃんの進路。
彼は東京に行くかもしれない。
すごいね、やりたいこと、自分のこと、将来のことしっかり考えているのだね。
私は地元の高校に進学する。
だからもしかしたらあきちゃんとは離れる――もう会えなくなるかもしれない。
卒業まであと四ヶ月。
あきちゃんと知り合って八ヶ月。
いまやるべきことは?
答えはもう決まっている。
登校中信号待ちをしていると芳沢と会った。
「椎名さん、おはよう。」
「芳沢くん。おはよう。」
「椎名さん早いね。いつもこの時間?」
「うん。朝練していた時の癖でね。この時間になっちゃうの。」
「そうなんだ。じゃあ自分もこの時間にしよ。」
「え?」
「いや。あ、寒くなったね、最近。」
「うん。朝は特に寒いよね。」
「椎名さん、委員会のまとめ始めてる?」
「うん、終わって持ってきたよ。」
「えっ、全部?」
「うん。」
「うわ、がんばったね、大変だったでしょ。」
「ううん。芳沢くんの教え方が上手いからコツつかんで出来たよ。」
「よしよし。偉いぞ。がんばったね。」
そう言うと頭を撫でてくれる。
男の子に頭を撫でてもらうのは初めてではない。
にのにもやってもらうことがある。
でも、芳沢くんのはなんだか違う感じがする。
芳沢くんと学級委員の仕事をするようになって一ヶ月。
教え方も丁寧で分かり易く、出来たことを誉めてくれる。
話し方も接し方も優しい男の人。
なぜか安心してしまう。
下駄箱で登校してきた晃と会った。
「あきちゃん、おはよう。」
笑顔で挨拶。
これが今の私の出来ること。
返されても返されなくても、朝会えなくても必ず挨拶だけは交わそうと決めた。
今日は朝から会えるなんてラッキー。
教室まで一緒に歩いちゃお。
隣を歩いていると、晃の方から話しかけてくれた。
「五組はあれ、何て歌?」
「流浪の民だよ。」
「ふーん。」
「聞いてくれたの?」
「聞こえてきた。」
「合唱コンクール楽しみだね。その次は写生大会、それから校外学習。」
「そうか?行事続きでダルイだけ。」
「写生大会はあきちゃんも楽しみでしょ?」
「別に。」
「あきちゃん今年はどこ描くの?」
「おまえは?」
「テニスコート。」
質問したつもりが逆に聞かれてしまい、結局聞き出すことはできなかった。
でも、話せたことが嬉しかった。
あきちゃんを好きな想いを大事にしようと決めたから、素直になれた。
積極的に話しかけようと決めたから、できるだけ一緒にいられるようにしている。
そしたらね、自然と向き合えるようになったの。
嫌われることを恐がって隠れてしまっていた臆病な私はもういない。
今は、明るく前向きに進んでいる。
想いを伝えるゴールを目指して。
例え途中で道に迷おうとも、きっと乗り越えてみせる。
どんな障害が目の前に立ちふさがろうとも、きっと・・・
放課後芳沢と委員会の仕事をしていた。
「最近髪縛っているね。」
「うん、肩についているからね。」
「学級委員だし?」
「あ、わかった?やっぱり意識しちゃうの。私が規則破っていたらいけないだろうって。」
「自分は髪ほどいていた方が好きだな。」
「え?」
「明日はほどいてきてよ。」
笑顔で言う芳沢。
「お疲れー。」
教室に松岡が入って来た。
「二人ともご苦労様。」
「聡、もうすぐ終わるから。」
「うん。椎名さんは?終わった?手伝おうか?」
「い、いえ。大丈夫です。」
「もうすぐ合唱コンクールだね。五組は金賞候補なんだろ?」
「聡、椎名さんに話しかけるなよ。困ってるだろ。」
「そんなことないよなー、椎名さん。」
微笑む松岡につられてつい微笑んでしまう。
こんなところを誰かに見られたら、また変な噂が立ちそう。
翌日―――
芳沢くんに言われたから?
自分でも良くわからないけれど、髪をおろして登校した。
「やっぱりね、椎名さんは髪おろしている方がかわいいよ。」
こっちが恥ずかしくなるくらいのセリフを平然と言ってしまう芳沢くん。
あきちゃんはどう思うかな?
挨拶をしようと四組へ向かう。
扉を前に足が止まる。
少しだけ開いていた扉から見えたのは、あきちゃんと話している祐也の姿。
なんだろう。
心臓を打つ音が速く、大きくなっているのがわかる。
緊張が走る。
「入らないのか?」
そう言って後ろから登校して来たヒロアキが扉を開ける。
中の二人が気づいた。
話を止め、祐也がこっちに向かって歩いてくる。
「オッス。」
「はよ。」
祐也とヒロアキが挨拶を交わす。
そのまま祐也は三組の教室に戻っていった。
あ、あきちゃんに挨拶しなきゃ。
「あきちゃん、おはよう。」
笑顔を作って声をかける。
祐也とのことが気になってはいるけれど、挨拶は明るく笑顔ですると決めたのだから。
「ああ。」
返事は返してくれたものの、表情が硬い。
何を話していたのかな?
祐也と・・・
何かあったのかな?
髪型、何も言ってはくれなかったな。
2
最近、朝芳沢くんと登校することが多くなった。
最も、同じ小学校出身で家も近所なのだから同じ道を登校するのは不思議な事ではない。
部活を引退してからは朝錬が無くなり、早く学校へ行く必要はないのだが、変わらず同じ時間に家を出てしまう。
すいている通学路が好きというのもある。
この季節の朝は空気が澄んでいるのも好き。
芳沢くんとはよく途中の交差点で出会う。
「椎名さん、おはよう。」
「あ、おはよう。」
「あと少しだね、合唱コンクール。」
「中学最後だものね。金賞とりたいね~」
「椎名さんは体育祭でも大活躍だったものね。」
「そ、そんなことないよー。あれは皆で頑張ったから。」
そう言うと、芳沢がくすっと笑っていた。
「椎名さんと学級委員出来て良かったな。」
「えっ?」
「クラスのこと、皆のこと考えてて、一つ一つの行事を大事にしている椎名さん、僕は好きだな。」
相変わらず恥ずかしくなるような台詞をストレートに伝えてくる人だな。
これには調子が狂ってしまう。
「ど、どれもね、中学校最後の行事なんだなって思うとね。そんなこと言い出したらきりがないのかもしないけれど。」
話を元に戻すことにした。
最初は学級委員の仕事の話が多かったが、今では昨日見たテレビ番組の話や、好きな歌手、歌の話など話題も豊富になってきた。
「椎名さん、こっち。」
そう言うと車の通らない歩道側を譲って歩いてくれる。
そんな優しさが伝わってくる。
この人と学級委員を務められていることが私にとっては自信にもなっている。
放課後、久しぶりに二宮と竹田と一緒に帰った。
「久しぶりだな、もえと帰んの。」
「そうだね。」
「学級委員忙しい?」
「うーん、でも慣れてきたかな。」
「そっか、無理すんなよ。」
「うん平気。芳沢くんに親切にしてもらっているのに迷惑はかけられないしね。」
「そのことなんだけど・・・」
「ん?」
「もえさ、最近よっちゃんと仲良いじゃん。」
「それは学級委員だからね。」
「いや、そうじゃなくて。その、な。」
どこか言い難そうな表情の二宮。
黙って聞いている竹田。
何だろう、この空気は。
「何?にの、言いたいことがあるならハッキリ言ってよ。」
「おお。」
軽く咳払いをし、二宮が話し始めた。
「よっちゃんともえが付き合ってるんじゃないかという噂が。」
「なにそれ?!」
「いやね、噂だからさ、また変なことになっても困るしさ。」
「当たり前よ。だって芳沢くんとは全然そんなんじゃ・・・」
「わかってるって。もちろん、だってもえはな、好きな人いるしさ。」
「うん。」
「だから変な噂に気をつけろってことと、またなんかあったらすぐに俺に言えよってことが言いたかったの。」
「わかった。にの、ありがとう。」
驚いた。
そんな風に思われていたなんて。
噂の威力は経験済みだからね。
もうあんな思いはしたくない。
気をつけなきゃ。
それに、誤解されたくない。
あきちゃんに。
帰り道が別れ、二宮とバイバイをする。
近所の竹田と二人で歩いていると、
「今日髪おろしてるんだな。」
「う、うん。」
目を付けられたかとぎっくりする。
なんとか笑顔で誤魔化してみた。
「明日から縛るよ、生活委員の竹田くん。」
「いや、そうじゃなくて。晃が気にしていたからさ。」
「え?うそ?」
思わず大きな声を出してしまった。
ハッとして口を手で覆うが遅かった。
おそるおそる竹田の顔を見る。
「お前の好きな奴は晃か?」
「バレてる?」
「とっくにな。」
そういえば今までタケやんにきちんと気持ちを話したことはなかったな。
タケやんはあきちゃんの親友だし、つながりが深い分言い難かった。
きっと、ううん、絶対にタケやんはあきちゃんの味方をするから。
「元はと言えばね、夏にタケやんがあきちゃんが私のことを気にしているって言うから…。」
「違うだろ。おまえが勝手に好きになったんだろ。」
「やっぱりそう思うよね。」
「当たり前だ。」
「でもタケやんが・・・」
「あ?」
「な、なんでもないです。」
だめだ。
やっぱりこの人には勝てない。
全てを見透かされていそうで、
全てを知っていそうで、
誰よりもあきちゃんの近くで、
誰よりも私とあきちゃんの状況を見ている。
そして最後はあきちゃんの見方をする。
「あきちゃんが髪気にしていたの?」
「そう。晃はショートが好きだからねー。」
「意地悪。」
「元から。」
「知ってる。」
「言ってやろうか?うまくいくように、晃に。」
「いーい!それだけは断る。」
「ふーん。」
迷わず、自然に言葉が出た。
この想いは自分で伝える。
自分で伝えなければ意味がない。
「じゃあ一つだけネタをやるか。」
「え?ほんと?」
「タダというわけには・・・」
「ジュースでよければ。」
そう言って、目の前の自販機を見る。
「まぁ・・・ジュース一本では安い気もするが、優しい竹田様は今回はそれで許そう。」
「ありがとうございまーすっ。」
竹田に缶ジュースを一本おごる。
情報料ジュース一本分なんて確かに安いよね。
おかしくなって笑ってしまった。
「おまえの修学旅行の写真を晃に一枚二百円で売ってやった。」
「プフッーー、に、にひゃく?」
「椎名、汚ねーよっ。」
思わずジュースを噴出してしまった。
「に、二百円?た、高い。」
「まいどありっ。だろ?」
「じゃなくて、そもそもなんであきちゃんが私の写真を?」
「だって晃カメラ持ってなかったもん。」
「そうだったの?」
「晃写真嫌いだからな。」
「えっ?」
「とくに写るのは。」
「そ、そうだったの?」
「夏休みおれんち来た時、晃が修学旅行の写真見てるから珍しいと思ったら、おまえの写ってるページだったからさ。売ってやった。」
「う、売ってやったって・・・」
「まっ、そういうことだ。良かったな。」
そう言い残して竹田は帰っていった。
修学旅行の写真を。
私の写真を。
あきちゃんが買った。
おいおい、買ったって・・・
変な顔してなかったかな。
私、どんな風に写っていたのだろうか。
それを見たあきちゃんに、私、どんな風に写っていたのだろうか。
3
夢を見た。
あきちゃんがいなくなる夢。
病気?事故?
わからないけれど泣いている私。
学校生活の中でずっと泣いている私。
これからどうすればいいの?
そう叫んでいる。
そばにいたのは祐也だった。
支え続けてくれた祐也に心を取り戻すという夢―――
夢って怖い。
これだけ鮮明に覚えている夢を見るのは久しぶりだった。
眠れなかった。
この日は合唱コンクールだった。
体育館であきちゃんの姿を見た時はなぜかホッとした。
夢なのにね、考えすぎだよ。
全校生徒、父兄が見守る中、一年生からステージが始まった。
出演クラスが半分終わったところで休憩時間になった。
寝不足が効いて頭がボーっとしていて働かない。
椅子にもたれかかって座っていると、後ろから頭を叩かれた。
〟コツン〟
すぐにあきちゃんだと思って振り返った。
「あきちゃん。」
何も言わず見つめてくる。
間が長い。
「どうかしたの?」
話しかけるがあきちゃんは何も答えず、ただ表情が不機嫌になっていくのがわかる。
「今日変だぞ。」
「え?」
「緊張してるのか?」
「ううん、特には。」
「じゃあ何だ?」
「え?何が?え?」
私何かしたかな?
必死で思い出そうと今朝からの行動を振り返ってみる。
「ああっ、――おはよう。」
「挨拶していなかったね。」
笑顔で挨拶を忘れていた。
変な夢見たからかな、朝の挨拶を忘れるなんて。
当たっていたのか外れていたのか晃は何も言わない。
「今日は縛ってるんだな。」
「あ、髪?」
この間の竹田との会話を思い出す。
「ねえ、あきちゃん。」
「ん?」
「あきちゃんとタケやんが話す時に私のことって話題になったりするの?」
「時々な。」
「この間ね、あきちゃんが私の髪型気にしているってタケやんが言っていたの。」
「寝癖か?」
「違うだろ、ショートにしたらかわいいだろうって言ってたろ。」
突然竹田が隣に来て言った。
え?
あれ?
この間と言っていること違くない?
「ああ、ショートにしてって言ったらするかいくら賭けるかって話?」
「ごまかすな、晃。」
「あきちゃん長いのと短いのは短い方が好きなの?」
「椎名お前も変な質問をするな。」
「あきちゃんは?あきちゃんの意見聞きたいな。私、長いのと短いのどっちが似合うと思う?」
「だってさ。答えろよ、晃。」
珍しくあきちゃんを困らせているタケやん。
今日は私の味方なのかな。
そんな風に思うと、なんだか和んできた。
嫌な夢も忘れるくらいに。
「伸ばす…俺だったら。」
そう言うと席へ戻っていく。
嬉しかった。
挨拶のこと、気にかけてくれていたなんて。
あきちゃんの言葉で言ってくれたこと。
嬉しかったよ。
髪、このまま伸ばすね。
この日の合唱コンクールで五組は金賞に選ばれた。
4
最近、あきちゃんと過ごすことが増えた朝の時間。
四組ではヒロアキとちなっちゃんとのおしゃべりが定番だったが、最近はあきちゃんが早く登校してくるので話す時間が増えて嬉しい。
あきちゃんの前の席に座って後ろを向き、向き合いながら話すことも許してくれている。
特別に何か話すわけではないけれど、向き合ってあきちゃんを見ていられる朝の時間が幸せなのだ。
「おまえ何で俺の前だと笑ってる?」
「笑っている?」
「ほら、笑ってる。」
「そうかなぁ。」
一緒にいるのが幸せだから。
あきちゃんのことが好きだから。
だから嬉しくて笑顔になっているのだよ。
胸のポケットに入れていた生徒手帳が落ちた。
拾おうと手を伸ばしたが晃の方が早かった。
「ありがと――あ、あれ?」
お礼を言って受け取ろうとしたが予想に反して晃は手帳を自分の手の中に入れた。
「あきちゃん?」
「何か書いてあんのか?」
「ううん。何も――って勝手に見ないでよー。」
パラパラとページをめくり始めた。
「これ誰?」
「あ、プリクラ?左が私だよ。」
そう言うと貼ってあったプリクラとの顔を見比べている晃。
「おまえか?何か違うぞ。」
「私だよー、はいもう終わり。返して。」
「何か書いて返す。」
「え、そうなの?」
机の引き出しに生徒手帳をしまう晃。
そして代わりに1枚のプリントを出した。
〝進路希望調査〟
あ。
聞いてもいいのかな、あきちゃんの進路・・・。
教えてくれるかな。
「どこの高校行く?」
晃の方から聞いてきたので驚いた。
「T校かI校かな。」
「ふーん、地元か。」
あきちゃんは?
そう思い切って聞いてしまいたい。
でも、言葉にするのに勇気がいる。
あきちゃんは地元の高校には進まないとタケやんから聞いていたから。
でも・・・
本当なのか、あきちゃんの口から―――
「しーなちゃん。おっはよー。」
北山が割り込んできた。
「あきちゃんもおはよう。」
「俺はついでみたいだな。」
「まあまあ。あきちゃん約束は順調に行っているかな?」
「見ての通り。」
「そっか。それならいいのだけどね。」
「約束?」
二人の顔を交互に見た。
相変わらず無表情のあきちゃん。
意味深な笑みを浮かべている北山くん。
あきちゃんと北山くんの関係性を不思議に思った。
そういえば・・・
夏祭り以降北山くんとのかかわりが薄くなっている。
選択美術で会っても話しかけられたり、首をくすぐられたりもしなくなった。
あきちゃんともっと話したかったけれど、北山くんをきっかけに登校してきた他生徒が集まってきて二人の時間は終わった。
放課後、五組の前に晃がいた。
「あきちゃんだ。」
思わず話しかけた。
「タケやん待っているの?呼ぼうか?」
「いや、おまえ。」
「え?私?」
生徒手帳を差し出される。
「あっ。」
「落書きしといたから。」
そう言うと行こうとする晃を呼び止めた。
「帰るの?」
「ああ。」
無視されるかと思っていたら、再び振り返って答えてくれた。
「バイバイ。」
笑顔で手を振った。
すると・・・
振り向いて、手をあげてくれたの?
バイバイに応えてくれたね。
ありがとうあきちゃん。
満足そうな笑みを浮かべて教室へ戻る。
委員会の仕事で芳沢の隣の席へ行くと、
「椎名さん何かいいことでもあったの?」
「え?」
「かわいい顔してる。」
「えっっと、う、うん。」
芳沢くんってストレートにかわいいとか誉めてくれるからこっちが照れちゃう。
「ふーん。」
「あ、そうだ。さっき知らされたのだけど、金曜四時から第一会議室で委員会ね。」
「金曜四時ね。」
忘れないように生徒手帳に記入しようとページをめくった途端。
目に入ってきたのはあきちゃんの字だった。
十月七日の欄に『プレゼントなんかくれ by穂高 』
びっくりした。
一度手帳を閉じ、もう一度おそるおそる開いてみる。
確かに書いてあるあきちゃんの字。
初めて見るあきちゃんの字。
意外とかわいらしい文字になんだか嬉しくて。
悔しいけれど、悔しいけれど好き。
大好き。
どうしてこんなに好きなの?
生徒手帳が宝物になっちゃうよ。
「椎名さん。おーい。」
「――あ、ごめん。何だっけ?」
「自分の話聞いてた?」
「ご、ごめんなさい。聞いてなかった。」
「素直でよろしい。」
「ごめんね。」
つい生徒手帳に目が止まって自分の世界に浸っていた。
恥ずかしい・・・。
ごめんね、芳沢くん。
「今日の仕事はこれで終わりだけれど、何か質問ある?」
「あ、はいっ。」
「男の子って何もらったら嬉しい?」
「へっ?」
「あ、プレゼントとかって・・・」
「あ、質問ね。仕事じゃなくて。」
「あ、仕事、ご、ごめんなさい。」
会話が噛み合っていないのに気づき恥ずかしくなる。
それでも笑って私に合わせようとしてくれる芳沢くん。
優しいなぁ。
「そうだなぁ、やっぱり手作りとかかな。自分の場合は。」
「手作り?」
「お菓子とか、椎名さん得意そう。」
「得意ではないけれど・・・」
なるほど。
手作りか。
お菓子、あきちゃん甘いもの好きなのかな?
「自分はいつでも受付中だよ。」
「え?」
「作ったらちょうだい。なーんてね。」
「えっと・・・」
何と答えて良いのか困っていると二宮と竹田が教室に入ってきた。
「もーえ、終わった?」
「あ、うん。」
「よっちゃん、聡一君が生徒会室で待ってるって。」
「なんだよ聡の奴、五組って言ったのに。じゃ、椎名さんお疲れさま。」
「あ、お疲れ様。」
芳沢が教室を出て行く。
「にの、タケやん、待っていてくれたの?」
「外暗いしな。」
「うれしい。」
そう言って二宮の腕に抱きついた。
「おっと、もえ。はしゃぐなはしゃぐな。」
「勘違いされんぞ。お前らが。」
そう言うと先に歩き始める竹田。
もしかして、芳沢くんと二人になることに気づかって待っていてくれたの?
「タケやんありがとう。」
そう言って竹田の腕にも抱きついた。
「邪魔だっつーの。」
そして三人で歩き始めた。
「いやに機嫌がいいじゃん。」
「もえ、何か良いことでもあった?」
「へへへ。」
「不気味。」
「ふふふ。あ、そう、タケやん、あきちゃんって甘い物好き?苦手?」
「晃?苦手じゃないだろ。俺晃の作ったケーキ食ったことあるし。」
「「ええっっ!」」
二宮と二人で驚いた声が揃う。
「お前ら今変な想像したろ。」
「あきちゃんが・・・」
「タケやんに・・・」
「ケーキを?」
「手作りで?」
「食べさせて?」
「変な想像すんなって。去年クリスマスパーティーした時に晃がうちで作ったんだよ。野郎ども六人くらいで食った。」
「そうなんだ。」
「なるほどな。」
「あ、じゃああきちゃんお菓子作りするんだ。」
「お前もすんのか?」
「ぎく。わかった?」
「バレバレ。」
「ううう。」
「まぁ、頑張れや。」
あきちゃんがお菓子作りをするとは意外だった。
ということは下手なものあげられないな。
一応、私も昔からクッキーやカップケーキ作っていたけれど、好きな人にあげるのなんて初めてだ。
でも・・・
誰かのために作るってなんだか幸せだよね。
週末。
プレゼントを用意した。
クッキーを二種類。
ラッピングするまでは楽しかったのだけれど、いざ完成して渡すこと考えたら緊張してきた。
もらってくれるだろうか。
もしかして手帳に書いたことは冗談だったのではないか。
だってもうあきちゃんの誕生日はとっくに過ぎているし。
今日あげたら迷惑なのではないか。
考えはじめたらキリがなかった。
週明けの学校。
四組に晃が登校してきた。
「おはよう。」
「はよ。」
いつも通り挨拶を交わす。
今渡すべきか?
でも、ちなっちゃんもヒロアキも四組の生徒も数人いる。
無理だ。
渡せない。
緊張して顔が固まる。
そんなの顔を不思議そうに見つめてくる晃。
苦し紛れに会話を変える。
「この間の模試、どうだった?私数学が大変なことになっているよ。」
「とくになし。」
「さすがだね。」
「俺理数系は平気だから。英語がやばいかな。」
「とか言っていてもあきちゃんいつも成績上位に載っているじゃない。」
と言ってしまってからしまったと思った。
前回の試験ではあきちゃん順位を下げていた。
二学期が始まってからあきちゃんの様子が変わったのは、もしかしてそのことも原因の一つになっているのではないかと考えていたから。
成績が下がったのは私みたいな子がそばで騒いでいたから・・・
勉強の邪魔をしていたから・・・
そう思い、晃の顔を見上げてみるが、表情に変化は見られなかった。
「おまえは英語得意なんだろ?」
「得意じゃないけど。」
「髪にゴミ―――」
そう言って晃が二つに縛っている片方の髪束を手に取る。
緊張が走る。
「ひゃぁぁx▲@x」
「まだくすぐったいのか?」
「もぉ。やめてって言っているで―――」
あれ?
そういえばすごく久しぶりだ。
あきちゃんに首くすぐられるの。
「バカだなー。」
そう言った晃の顔には笑みがあった。
あ。
笑っている。
あきちゃんの笑顔は私に元気を与えてくれる。
大丈夫だね。
プレゼント渡せるね。
そして放課後――
晃が一人になるタイミングを待った。
後ろに隠した紙袋を持って。
「あきちゃん。」
一人の時に渡した。
何も言わずに受け取ってくれた。
「胃薬、用意した方が良いかもしれない。」
笑いながら言ったら、
「俺より下手だったら・・・明日学校休むから。」
晃も笑顔で答えてくれた。
うれしかった。
冗談を言い合えることも嬉しかった。
「おまえ、今からしていたらこれからどうする?」
そう言ってマフラーを指差す晃。
「寒いのだもん。」
「冬苦手?」
「苦手。」
「晃―、まだ?早く帰ろうぜー。」
健太が廊下から呼んでいる。
「今行く。」
そう言うと支度をして教室を出る晃。
あ、バイバイ言わなかった。
でも・・・
どうして健太くん教室であきちゃんを待っていなかったのだろう。
どうしてあきちゃんは健太くんを教室で待たせておかなかったのだろう。
もしかして、気づいていたの?
私がプレゼント持ってくるって。
だから一人になるまで待っていてくれたの?
まさか・・・ね。
とにかく無事渡せてなにより。
受け取ってもらえてよかった。
翌日――
朝会うのが怖くて四組に行くのを避けてしまった。
食べてくれただろうか。
口にあっただろうか。
美味しくなかったらどうしよう。
そんなことを思っていたら何か言われるのが恐くて会うのを避けてしまった。
しかし、1時間目が終わり音楽室から急いで教室へ戻る途中、あきちゃんと廊下で会った。
私は急いでいたので、そのまま下を向き走り去ってしまおうと考えていた。
そしたら・・・
「きゃぁ。」
前から歩いてきた晃に髪を引っ張られた。
「あきちゃん。」
「走ってるとあぶね―ぞ。」
「危ないのはあきちゃんの方だよぉ。」
その後も移動教室の多い1日だったので、会うこともなく過ぎていった。
そして掃除の時間。
教室掃除の私は雑巾を洗いに一人で水道へ向かっていた。
すると同じく教室掃除の晃に四組から呼ばれた。
「おい。」
「あきちゃん。何?」
手招きされた私は廊下側の窓から教室をのぞく。
「ペンギン、これ。」
そう言って、自分の席にかかっていた鞄を開けてペンギンのぬいぐるみを見せてくれた。
「これいるか?」
「ほしい!」
何も考えず即答してしまった。
「かわいいねー。」
「終わったら取りに来い。」
「うん。わかった。」
嬉しかった。
とても嬉しかった。
あきちゃんが私に何かくれるなんて思っていなかったから。
クッキーのお返しかな。
そんなことを思うと顔がにやけてしまう。
ホームルームが終わると鞄を持ってすぐに四組に行った。
「甘かったよ。」
晃が言う。
クッキー食べてくれたのだね。
良かった。
何も言わずに喜んでいると、晃が見つめてくる。
「な、何?」
「いや、ほんと俺といると笑っているなと思って。」
「そ、そうかな?」
恥ずかしくなってうつむいてしまう。
見透かされているようで。
「これ、ほしい?」
もう一度ペンギンのぬいぐるみを指差す。
「うん。」
返事をすると何も言わずにぬいぐるみを手渡してくる。
「ありがとう。」
今ね、すごくあきちゃんに気持ち言いたくなった。
大好きだよって。
それくらい私はあきちゃんにたくさん優しさをもらって、勇気をもらって、幸せな気分になっていたのだ。
この瞬間までは―――
「あれー?晃君それめぐちゃんにあげちゃうの?」
出た。
市井里美。
相変わらずあきちゃんと仲良く話しているところをよく見かけている。
「この間遊んだ時に取ったやつ。」
この人はワザと言っているのだろうか、私に聞こえるように。
「この間遊んだ」・・・か。
いっちゃんとあきちゃん、健太くん達で休日遊んでいるというのは時々耳にしていた。
でも、こう目の前で言われるときついな。
いっちゃんは多分あきちゃんのことを想っている。
それはきっと私があきちゃんを好きになるずっと前から。
気づいたのは夏頃かな。
あの最後の試合の日。
好きじゃなかったら泣かないよ。
想っていなかったら泣けないよ。
ボーイッシュなイメージの彼女が涙を流すなんて。
でも、その想いは男でも女でも同じもの。
性別は関係ない。
人を想う気持ち、それは大事なもの。
それは私も良く知っているものだから。
だから彼女の想いにも気がついた。
同じ想い。
今日はもう話せなそうだし帰ろう。
次の日は雨だった。
四組と五組の間の窓際から外を見つめていた。
「おい。」
「あきちゃん、おはよう。」
「寒くないのか?」
「うん、寒いよ。」
晃の手が首に向かっているのに気づき、よけた。
するとちょっと不満げな表情をしてさらに両手で首をくすぐられた。
「ちょ、あきちゃ@▲※○X」
気のせい?
いつもよりエスカレートしてくすぐられている中で、あきちゃんが私の頭を撫でてくれているような気がした。
勘違い、思い込みかな。
でもうれしかった。
あきちゃんの方からかかわってくれることが。
ふとあきちゃんが言った。
「おまえ、何で昨日沈んでた?」
「え?」
「帰り沈んでたじゃん。」
「そう?」
「そんなことないよ、だってあきちゃんにペンギンもらって嬉しかったもん。」
「俺もおまえのクッキー食べて顎強くなりそうだぜ。」
「ええ?あ、硬かった?」
「ちょっとな。」
「へへへ、ごめん。」
沈黙が流れる。
窓には雨が滴っている。
「明日晴れるかな。」
問いに答えることもなく黙っているあきちゃん。
でもちゃんと聞いてくれているのは知っている。
今は会話がなくても不安ではない。
こうして二人で過ごせる時間がうれしいから。
5.
翌日―――
校内写生大会だった。
しかしあいにくの雨。
外で描くのを断念し、教室の中での写生となった。
午前中、もくもくと描き続ける生徒達。
中学校最後の写生大会が室内というのは残念だが。
事前に下絵は描いてあった。
「椎名さんはやっぱりテニスコートなんだね。」
隣の席の関が話しかけてきた。
「うん。関くんは校庭?」
「そう。」
「体育館じゃないんだ。」
「まあね。」
「椎名さん、あきちゃんはどこ描いたか知ってる?」
「中庭…かな。」
「さすがだね。調査済み?」
「へへへ。前に美術の時間に中庭に座っているの見たのだ。」
「恐れ入りました。」
バケツの水を取り替えに教室を出た時、四組で描く晃の姿を見た。
今日は一言もしゃべってないな。
そんなことを思いながら、水を替え終え戻る時、ふと四組を見ると今度は晃と目が合った。
口ぱくで、お・は・よ・う。
と言った。
伝わったかな?
写生大会は午前で終了した。
片付けを終え、廊下へ出ると関が晃と話していた。
「あ、椎名さん。いいところに来た。今日午後ヒマ?」
「えっ?」
「あきちゃんとボーリング行こうかって話あるんだけど、椎名さんも行かない?」
「ほんとに?誘ってくれているの?」
「もちろん。ねえ、あきちゃん、ってアレ?」
「いなくなっちゃったね。関くん冗談でしょ?」
「いや、さっきあきちゃんも言ってたよ、椎名さん午後空いてるかねって。戻ってきたら本人に聞いてみるといいよ。」
「うん。」
本当なのかな?
私を誘ってくれているの?
「しーなー。」
ヒロアキがやって来た。
「ヒロアキも行くか?ボーリング。」
「おお、関くんとボーリング行ったことないな。しーなも行くのか?」
「私は・・・」
答えに迷っていたその時、晃が三組から出て来たのが見えた。
そのまま一直線でこっちへ向かってくる。
え?
あまりにも突然のことで理解不能になった。
「おまえが祐也に言ったんだろっ!!」
いきなりヒロアキの胸元をつかみ、怒りを表す晃。
見たこともない表情、怒りに充ちている。
これは何?
これは誰?
これは何?
何が起こっているの?
何が・・・
頭がおかしくなりそうだった。
目の前で起こっていることをただ見ている私。
この現象は事実?
あきちゃん・・・?
止めに入ったのは関くんだった。
みるみる間にあきちゃんの表情が変わっていく。
いつものポーカーフェイスのあきちゃんに戻るまでにそう時間はかからなかった。
まるで何事もなかったかのように。
教室へ戻るあきちゃん。
下を向いたままヒロアキも教室へ入っていく。
関くんも後に続く。
残されたのは私ただ一人。
なに?
何があったの?
何が・・・
祐也。
そう口にしていたよね、あきちゃん。
祐也が関係しているの?
ここ最近あきちゃんが三組を出入りしていた。
祐也と会っていたの?
祐也と・・・何があるの?
知りたい。
三組へ向かった。
午前で写生大会は終了したので教室には数人の生徒しか残っていなかった。
その中に祐也を見つける。
「祐也。」
久しぶりに口にした名前。
どこか懐かしささえ感じてしまった。
呼ばれて、一瞬驚いたような顔を見せる祐也。
「萌ちゃん、どうした?」
そう声をかけてきた祐也に違和感を感じた。
あれ?
この人、こんな表情していたかな。
あれ?
私の好きだった人、祐也。
あれれ?
何かが違う。
何かピンとこない。
頭の中の回線が一つ、つながっていない。
「この前言ったと思うけど、俺もちゃんに話しあったからちょっと向こうで話そうか。」
そう言われるまま、階段の踊り場へ移動した。
「久しぶりだね、萌ちゃんとこうやって話すの。」
「う、うん。」
祐也、少し太ったかな?
身長も伸びた?
がっちりした体型になったね。
見た目も変わったけれど・・・
なんだろう。
何かがひっかかる。
「あ、あのね、私、さっき、あきちゃ・・じゃない、穂高くんがね、」
「俺、栗原と別れたよ。」
思い切って話し始めると突然祐也が話をさえぎった。
驚いて話を止めてしまった。
「知ってた?」
「あ、う、うん。聞いた。」
「そっか。」
「あのね、祐也、私・・・」
再び話し始めようとしたその時だった。
え?
祐也に正面から抱きしめられた。
「ちょ、祐也――」
何?
なにこれ?
どうして?
その時、私は気づいていなかった。
私が背を向けている廊下側に、あきちゃんがいることを。
祐也とあきちゃんは向き合っていた。
祐也の表情にはどこか余裕があった。
そして後に私は気づく。
あきちゃんが後ろにいたことを―――
「祐也、離して。」
祐也の手にさらに力が入り私を強く抱きしめる。
「俺はずっとちゃんのことが好きだ。二年の頃からずっと。」
祐也の手から力が抜ける。
慌ててその手を振りほどく。
離れたと同時に、信じられない光景を目にする。
振り返るとそこにはあきちゃんがいた。
「あきちゃ・・・」
どうして?
どうしてあきちゃんが?
見ていた?
今の見ていたよね、あきちゃん。
見られていた。
何も言わずに去っていく晃。
どうしよう、
あきちゃんに、一番見られたくない人に・・・
ショックだった。
その場を逃げるように去った。
涙が溢れて来た。
どうして。
どうして。
何が起こったの?
状況を理解するのに頭がついていかなかった。
しばらく一人でいた。
誰にも会うことが出来なかった。
ちなっちゃん、
ヒロアキ、
けいちゃん、
にの、
タケやん、
あきちゃん・・・・
皆の顔を思い浮かべるものの、涙を止めることは出来なかった。
誰かに助けを求めたい気持ちと、もう誰に頼ったら良いのかわからなくなっていた。
この事を、いったい誰に、どうやって話せばいいのか。
ただただ落ち着くことを待った。
自分で自分を。
廊下には笑い声も、女子達のおしゃべりの声も、徐々に響かなくなっていた。
生徒達の気配が消えた。
鞄を取りに教室へ戻ると芳沢が一人残っていた。
「椎名さん。」
泣きはらした顔をしていたので気づかれたかな。
「きょ、今日は委員会の仕事はないよね。ごめんね、私いつも仕事遅くて迷惑かけているね。」
笑顔を作って明るく答えたつもりだった。
「椎名さん、」
「芳沢くんは帰らないの?あ、松岡くんを待っているのかな?」
「椎名さん、」
「あ、じゃあ私帰るね。急いで帰らないとドラマの再放送始まってるー。」
芳沢の会話を挟まないよう一方的に話し続けた。
そして教室を出ようとした時――
「覚えておいてね、自分は椎名さんのこと好きだから。」
もうわからない。
何が起こっているの?
戸惑いながらも必死に探している―――
見えない出口を。