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2.予感

 穂高 晃。

 ほだかあきら。

 あの絵を描いた人。

 タケやんの友達。

 けいちゃんと元同じクラス。

 成績上位。

 選択授業の美術が同じ。

 関くんと同じ部活動。

 ヒロアキと同じ四組。

 最近よく顔を合わせた人。

 挨拶を無視した人。


 二ヶ月足らずで集まった彼の情報。

 整理していた私。

 ああ。

 なんであの人が穂高晃なのだろう。

 まさかあの人が穂高晃だったとは。

 なぜにあの人が穂高晃だったのか。


「めーぐっ」

「けいちゃん。」

「何考えてるの?」

「べつに・・・」

「うーそ。その顔は考えている顔よ。」

「さすがけいちゃん。長い付き合いなだけある。」

「さあ~、話しなさい、めぐ。奈良まで来て、何を考えているの~?」


 そう、今は修学旅行で奈良へ来ている。

 二泊三日の奈良・京都旅行。

 初日の今日は五重塔で有名な興福寺や東大寺を見学。

 各クラスの集合写真を撮り終え、今は自由行動で奈良公園へ来ている。


「穂高晃。」

「穂高?」

「うん。」

「穂高がどうかしたの?」

「穂高晃だったの。」

「そりゃそうでしょ。めぐ、頭大丈夫?」

「けいちゃーん。」

「はいはい、ごめんて。」


 恵子は萌をからかうのが楽しくて仕方ない。


「で、穂高がどうしたの?」

「なんかしっくりいかないの。」

「あら。どの辺が?」

「穂高晃はあの絵を描くイメージじゃないの。」

「絵?めぐまだ絵の話ししているの?」

「だって。すごく素敵な絵だったのだもの。」


 少々ふてくされ気味な萌に、やれやれといった表情の恵子。


「もえー、恵子、写真撮ろうぜー。」

「ほら、めぐ、行こっ!」


 二宮に呼ばれ、そこで会話は終った。


「鹿だ!鹿と一緒に写真撮るぞ!」

「にの~それ難しくない?」

「恵子―行けー!チャレンジ!」

「無茶だよ~。」

「もえも!笑って笑って!」

「撮るぞ~。」

「めぐ、ちゃんと笑ってよ。」

「ハイ、チーズ!」

「恵子ナイスショットが撮れたぞっ!」

「カメラマンがにのじゃあ、期待は出来ないけどね。」

「いやいや、鹿さんも恵子の威圧感に撮影を許してくれたよ。」

「なんか言った?にの。」

「いえいえ、恵子さんすばらしいですって。」

「もーにの!」


 鹿とはしゃぐ二宮と恵子を見ていると、なんだか悩んでいた自分が小さく思えた。

 せっかくの修学旅行に来ているのだから、楽しもう。

 中学最後の旅行。

 この旅行が終れば夏には受験生になる。

 この時期、皆と過ごせるこの三日間を楽しい時間にしないとね。

 写真を撮って、お土産を買って、美味しいものを食べて、たくさん思い出作らなきゃ。


 旅館に戻り、夕食が終ると温泉に入った。


「やっぱ温泉は気持ち良いね~。」

「いっぱい歩いて疲れた~。」

「よく食べたしね。」

「あ、次ドライヤー貸して。」

「ほいっ。」

「あ、八時までだっけ、私達。」

「そうそう。」

「そろそろ交代の時間だね。」


 クラスごとに入浴時間が決まっていた。

 皆で入る温泉もゆったりしていて気持ちが良かった。


「お風呂上りはやっぱりジュースよね。」

「買って帰ろう。」

「じゃあ、先に自販機行っているね。」

「あ、私も行く。」

「めぐは髪乾かしてからおいでよ。」

「めぐちゃん髪長いものね。風邪引かないでね。」

「ん・・でも・・」

「大丈夫よ、ちゃんとめぐの分も買っておくから。」

「めぐちゃんは何飲む?」

「オレンジジュース。」

「了解!」

「じゃあね、先に部屋戻っているから。」


 そういうと恵子を含む同じ部屋の女子達が風呂場を後にした。

 慌てて髪を拭いて準備をした。


「あれ?」


 おかしいな。

 やっぱりさっきと同じところに出た。

 こっちから来たから・・・


“ドンッ”


「おっと。」


 廊下を曲がったところで人とぶつかった。


「ご、ごめんなさい。」

「椎名さん。大丈夫?」


 慌てて謝り、顔をあげるとなんとぶつかった相手は松岡だった。


「は、はい。ごめんなさい。」

「強く当たったよな、腕の辺り平気?」


 そういうと、松岡は萌の右腕を手に取った。


「大丈夫かな、後から赤くなったりしないといいけど。」

「い、いえ。全然平気です。」


 お風呂上り、半そでハーフパンツ姿なところを見られるのはなんだか恥ずかしくて顔が上げれない。

 ただでさえ、松岡と話すとなると緊張する。


「平気なら良かった。」


 笑顔を見せる松岡。


「椎名さんどこか行くの?」

「えっと、あの・・その・・・」

「うん?」

「実は・・・部屋に戻りたいのだけど場所が・・・」

「え?部屋?」

「は、はい。」

「それなら、あっちの階段を使わないと行けないよ。風呂場は別館だけど、宿泊部屋は本館だから。」

「え、あ。そうだったのか。」

「ははは。紛らわしいよね。」

「い、いえ。ありがとうございました。」

「いーえ。気をつけてね。」

「はい。」


 笑顔で手を振る松岡に見送られ、本館への階段を急いだ。


 は、恥ずかしい。

 修学旅行に来てまで迷うだなんて。

 しかも見られたのがあの松岡くんだなんて。

 呆れただろうな。

 恥ずかしいところ見せてしまったな。

 あ。

 そういえば、松岡くんに腕触られてたっけ。

 太いって思われただろうな・・・

 ガ―ン。

 利き腕の右だったし、テニスでついた筋肉あるし、って言い訳してももう遅いか。


 部屋に戻ると同室の女子が全員いた。


「あ、めぐちゃん、遅かったじゃない。」

「めぐ、まさか迷ったりしてないよね?」


 恵子の鋭いチェックが入る。


「だ、大丈夫だよ。」

「迷う?」

「めぐは方向音痴だからね。小学校の時の旅行も宴会場から部屋に戻れずに迷ってたの。」

「えー、めぐちゃんが?」

「うそー、旅館で?」

「け、けいちゃーん。」

「ははは、めぐちゃんて面白いのね。」

「明日の班別行動もはぐれないでよ。」

「けいちゃん、大丈夫だってば。」


 恵子の話に皆も笑っていた。

 小学校の時の恥ずかしい話しに穴があったら入りたかった。


「そういえばめぐ、明日の班別行動で使うガイドブックは?」

「あっ!にのに貸したままだ。」

「ほら、もうおっちょこちょい。」

「けいちゃん、どうしよう。」

「どうしようじゃないわよ。取ってきなよ、まだ消灯時間まで時間あるし。」

「ええっ?一人で?」

「そうよ。行ってこれるでしょ。」

「でも・・・」

「それともまた迷う?」

「ははは。けいちゃんめぐちゃんには厳しいのね。」


 二人の会話を聞いた周りがまた笑っていた。


「い、行けるもん。」

「よしっ、じゃあ行って来い。」

「わ、わかった。」

「じゃあめぐが迷う方にジュース一本!」

「え、じゃあ、私帰ってこれる方にポテトチップ一袋!」

「私は、迷う方にポッキー一箱!」

「もー、みんなまでひといよぉ。」

「ははは。いってらっしゃーい。」


 同室の女子達に見送られ、部屋を出た。

 別館と本館の階段、もう間違えないもんね。


 階段を上っていると、前から降りてきた人と目が合った。


「あ。」


 思わず口に出てしまった、あ。

 飲み込めばよかった。


「なに?」

「い、いえ。別に。」


 穂高晃だった。

 相変わらず無表情で冷たい態度。

 その場を去ろうと階段を進んだ。


「どこ行くんだ?」


 意外にも呼び止められた。


「に、にののところ。」

「そっちじゃないぞ。」

「えっ?」

「上は自販機しかないぜ。にのの部屋ならこっち。」


 指を指された方向は、まさに今通り過ぎて来た所だった。


「じ、ジュース買ってから行こうと思ったの。」


 なんだか負けを認めるのが悔しくて変な意地を張ってしまった。

 不自然な行動だったかもしれない。


 自動販売機の前に立つとあることに気がついた。

 そしてなぜか穂高晃もいた。


「買わないのか?」

「・・・コーヒーと炭酸飲めないの。」


 こんな状況でさえ自動販売機は味方してくれなかった。ジュース類は全て売り切れのランプが点灯していたのだった。

 ついてないな。


 歩き出した穂高晃に、仕方なくついていくことにした。

 ま、迷ったわけではないもの。

 上に行って部屋がなければ下に降りたもの。

 自分でにのの部屋まで行けたもの。

 穂高晃がいなくても、自分で行けたもの。

 なんだか悔しさを覚えた。


「にーのっ。」

「おっ、もえ。どうした?あれ、晃君も一緒?」

「た、たまたま会ったのよ。そこで。」

「そうか。まあ、入って、入って。」


 慌てて言った言葉に多少無理があったが、二宮は笑顔で迎えてくれた。

 ちらっと横目で穂高晃を見る。

 すでに部屋の奥へ入って、竹田や、関と話し込んでいた。


「もえ、よく一人で来れたな。迷わなかったか?」

「こ、来れるわよ。」

「え?旅館で迷うの?」


 不思議そうに関が聞いてきた。


「もえは昔からよく迷う奴でな。」

「にーのっ。」

「そうそう、小学校の時の修学旅行でも迷っていたよな。」

「亮ちゃん!」

「ほんとのことだろー。」

「へー、椎名さんてしっかりしていると思ったのに。」

「関くん、もえは意外とおっちょこちょいだぞ。」

「もー、二人とも変なこと言うのやめて。」


 つい先ほど、女子の部屋でも同じ会話が起こっていたことを思い出す。

 はあ。

 これでは私が皆から変な風に思われてしまうではないか。

 せっかくの修学旅行に来ているのに、なんだか恥をさらしにきている気がする。


「にのに預けたガイドブックを取りに来たの。」

「おお、そうだったな、今出す。」


 二宮が荷物を取りに行った。

 再び穂高晃を見る。

 さっきの会話で皆笑っていたのに、穂高晃だけは笑っていなかった。

 表情、変わらない。

 どうしたら変わるのかな。

 笑ったり、呆れたり、怒ったり、ふざけたり、しないのかな。

 変な人。

 でも素敵な絵を描く人なのだよね。

 信じられないな。

 穂高晃がこんな人だったなんて。

 やっぱりなんだか違うのだよな。


「穂高くん。」

「穂高。」

「晃くん。」

「晃・・・さん・・・」


 声に出してみたもののやっぱり何かが違う。

 もはや穂高晃とは分けてしまいたいというか・・・


「椎名さん、どうしたの?」


 不思議そうに隣にいた関が声をかけた。


「呼び方。」

「呼び方?」

「そう・・・あ!あきちゃん。」


 発言と共に穂高晃に向かって指をさした。


「あきちゃんにしよう。」

「なんだよ、あきちゃんって。」


 それまで黙っていた穂高晃が口を開いた。


「私がつけたの。今からあきちゃんて呼ぶことにしたの。」

「ははは、あきちゃんか。いいね、それ。椎名さん良いよ!」

「あきちゃんね。うん、いいんじゃない。」


 関と亮が笑いながら言っている。

 当の本人は少し呆れた表情になっていた。

 あ、変わった。

 この人表情変えるんだ。


 でも・・・

 すぐにまたいつもの無表情に変わっていた。


「ほら、もえガイドブック。」

「ありがとう。」


 二宮からガイドブックを受け取った。


「あ、もえ髪濡れたまま。ちゃんと乾かしたのか?」


 そう言うと、持っていたタオルを萌の頭にのせ、拭きはじめる二宮。

 その様子を見ていた、同室の男子達が声をかけた。


「おまえらって仲良いな、付き合ってんの?」

「まさか。」

「それはない。」


 慌てる様子もなく、きっぱりと答えた二人に男子達は期待外れといった感じであった。


「こいつらは小学校の時からこんな感じ。」


 そう言ったのは竹田。


「へー、そうなんだ。」

「確かに、にのお父さんみたいだものな。」

「おいっ、父はないだろ。せめて兄にして。」


 二宮の答えに笑いが起こる。


「ははは。」

「じゃあ椎名さんの好きな人って誰?」

「誰―?」

「俺も聞きたいー。」

「えっ、何でそんな話に・・・」


 突然振られた話に今度は思い切り慌ててしまう。


「君だろ?」

「えー、まじで?!松岡?」

「っていう噂聞いたよ。」

「なにそれ?ほんとに?」

「ち、違うよ。」


 話の展開が速くなっていた。

 男子達が次々と色々なことを言ってくる。


「その噂なら俺も聞いたことあるー。」

「マジ?」

「じゃあ、ほんとなのか?」

「そっか、椎名さんは君が好きなのかー。」

「女って結局顔のいい奴が好きなのかよ。」

「おまけにやつは頭もいい!」

「生徒会長だしなっ。」

「椎名も面食いなんだな~」

「ちょ、ちょっと待ってよ。みんな勝手にそんなこと・・・」


 もはやの話など聞かずにその場は絶好調に盛り上がっていった。


「で、告ったのか?」

「告ったのか?」

「まだならオレ言ってやろうか?」

「松岡君、あなたのことが・・・ずっと・・・」

「ヒューッー」


 なんでそんな話になっているのか。

 わからなくなって、どうしたらいいのか・・・


「おいっ、いい加減にしろ!」


 一瞬で静かになった。


「そんなん噂だろ、もえが違うって言ってんだからやめろよ。」


 二宮の低い声が静かな部屋に重く響いた。

 皆の表情が変わった。


「に、にの。わかったよ。」

「わ、悪かったよ。」

「ごめんな、椎名さん。」

「違うんだよな。」

「にのも、そんな怒んなくてもな。」


 周りの皆が空気を換えようとしてくれているのが判った。


「だって俺は“お父さん”だからなっ。」


 そう言った二宮の笑顔に、その場の雰囲気は更に変わっていった。


「もー、にの驚かせんなよ。」

「あせったー、まじキレさせたかと思ったー。」

「ははは、俺はいつでもマジだぜ。よろしく。」


 いつの間にかまたいつもの空気が流れていた。

 そう、いつもの。

 穂高晃の顔を見たが、彼の表情もいつもと変わっていなかった。


 その夜は眠れなかった。

 穂高晃の無表情。

 晃くんとか穂高君って呼ぶとどうしてもイメージが合わないから。

「今からあきちゃんて呼ぶことにしたの。」そう言っても、変わらなかった表情。

 う~ん。

 笑ってくれたりしないのかな。

 タケやんとか関くんとかと話す時は違うのにな。

 男の子同士だから?

 もしかして女嫌いとか?

 そういえば女子と話しているところとか見たことないな。

 それにしても・・・

 あの時、にのが怒った時も変わらなかったな。他の男子達はやばいって顔、していたのにな。

 別に興味がない話しだったから?

 自分に関係のない事だったから?

 私の好きな人・・・か。

 なぜに松岡くんなのだろう。

 噂で聞いた・・・か。

 あれ?

 前にもそんな事言われた気がするな。

 いったいそんな噂誰が言っているのだろう。



 二日目の朝。

 昨夜よく眠れなかったからかロビーのソファーでボーっとしていた。


「めぐちゃん、おはよん。」

「おはよ、ちなっちゃん。」

「どうしたの?眠そう。」

「ん、なんか眠れなかった。」

「考え事?」

「ん・・・」

「あ、いたいた!しーな、写真撮ろうぜー。」


 ヒロアキがカメラを手に元気にやって来た。


「めぐちゃんとヒロアキの二人で撮ってあげるよん。」

「ヒロアキ、悪いけど写真後でにして。朝は顔が変だから。」


 そう言うとロビーの席を立った。

 迎えに来た恵子と朝食会場へ向かった。


「残念だったね、ツーショット撮れなくて。」

「べつに。」

「大好きなめぐちゃんとツーショット。」

「・・・・・。」

「今日と明日、チャンスはまだまだあるわよ!がんばれっ!」

「べつにって言ってんだろ~。」

「あたしも朝食行こっと。」

「北川―。」


 修学旅行二日目は一日班別の自由行動。

 京都市内をバスや地下鉄を使って観光。

 班毎に先生から説明事項を聞いての出発となる。


「椎名さん、これありがとう。助かった。」

「あ、いいえ。」


 関から貸したテレホンカードを受け取った。

 隣の列に並んでいた晃の姿を見つける。


「おはよう。」


 声をかけてみた。

 目は合ったのだが、返事は無かった。


「おはよう〟あきちゃん〟。最初どこ行くの?」

「金閣寺。」


 今度は返事があった。


「あのな~、関くん。」

「やめて、〝あきちゃんー〝。」


 返事があったのも当然だ。

 あきちゃんと呼んで質問しだのは関くんだったのだから。

 もっとも、関くんは楽しそうにあきちゃんと呼んでいる。

 そんなからかわれているのにもかかわらず、表情を変えない晃。


「おーい、うちの班出発するぞー。」

「はーい。」


 関と二人で返事をする。


「じゃあね、〝あきちゃん〝」


 関の挨拶で晃と別れた。


「よーしっ、京都一日観光に出発!」

「オー!」

「もえははぐれるなよ。」

「にの、わかってるってば。」

「ははは。椎名さん信用ないね。」

「よし、めぐ、ちゃんとついてきなさいね。」

「けいちゃんまで・・・はいはい。」


 二宮を班長とする行動班には、、恵子、竹田、関の五名が揃った。

 旅館を出発し、京都駅前バスターミナルへと向かった。

 六月は修学旅行シーズンの為、学生で混んでいた。

 清水寺へと向かうバスに乗り込む。


「あちーっ。」

「蒸すな。」

「盆地だからね、京都は。」

「盆地?」

「陸に囲まれているってこと。」

「海がないってこと?」

「そうゆうこと。」

「さっすが、物知りタケやん。」

「小学校の頃さ、タケやん物知り博士みたいだったよね。」

「そうそう、栽培委員とかで花壇で花育ててた。」

「うそ、タケやんが?」

「そうだよー。」

「理科の実験とかさ、妙に張り切って準備してたよな。しかも手際が良い!」

「あははは。そうそう!」


 関を除く班の四人が同じ小学校の、同じクラス出身だった。

 話は小学校の思い出で盛り上がる。

 小学校の違う関が皆の話を興味津々に聞いている。


「あとは?にのはどんなだったの?」

「にのは・・・」

「まんま。」


 恵子が即答する。


「まんまって、それだけ?」

「今と変わらずデカイだけ。」

「恵子―、それはないだろ、もっとないの?かっこ良かった話とかさ。」

「身長も態度もデカイのは変わりません。」

「ははは。」

「椎名さんは?」

「えっ?あたし?」

「もえはなー、」

「はい、ストップ。」

「おいおい、恵子止めるなよ~。」

「にのにめぐの話しさせると長いから。ほら、次の停留所降りなきゃ。」

「あ、ほんとだー。」

「早かったな~。」

「俺のもえの話は?」

「いつかね。」

「いつかって、いつ?あとでねとかならわかるけど、いつかっていつ~?」

「はいはい、うるさい班長はほっておいて降りましょ。清水寺までは歩きよ。」


 バスの車窓からは清水寺へ続く長い坂道が見えた。

 三年坂。

 バスを降りた後、高く上った太陽の熱い日差しを浴びながら、清水寺へと向かった。

 清水の舞台でも知られる有名な観光地。

 抹茶ソフトクリームを食べたり、八橋を試食したりと楽しい観光のひと時を過ごした。



「何?」

「落し物?」


 同じく、時間を経てから清水寺へのバス停を降りた穂高晃の班。


「いや。」


 足元に落ちていたテレホンカードを拾い、自分のポケットへと閉まった。



 清水寺の後、金閣寺へ行った。

 こちらも有名な観光名所とあってたくんさんの人がいた。

 うちの学校の生徒も数名いた。

 園内を回っているうちに、前を歩く人山の中に祐也を見つけた。

 こんなにたくさんの人がいる中で、見つけてしまうなんて。

 やっぱりまだ好きなのだな。

 そう思ってしまう。

 徐々にその距離が縮まって行き、祐也と同じ班の千夏が振り向いた。


「めぐちゃんだ!」


 見つけると嬉しそうに走ってくる千夏。


「めぐちゃん、写真撮ろっ!」

「千夏―、俺も一緒に撮るっ!」

「あんたはダメ。」

「そんな拒否することないだろー。」

「嫌。あたしはめぐちゃんと二人っきりで撮りたいの。」

「ダメならまだしも、嫌って。傷つくな、その言い方。」

「はい、にのシャッター押して。」

「はいはい。」

「撮るぞー、チーズ。」


 千夏と笑顔で写真を撮り終えた後、ふと祐也を見る。

 祐也、こっち向かないな。

 気づいてないことはないのにな。

 なんだか表情も硬い。

 怒っているのかな?

 なにかあったのかな?

 まぁ・・・

 私には関係のないことだよね。

 最近、祐也と会っていなかったし、会話すらしていない。

 そういえば、前に祐也にも聞かれたっけ。

 生徒会室で、

 私の好きな人誰かって。

 その時はショックのあまり泣いちゃったっけ。

 あ、

 でもその後穂高晃があの穂高晃だと知って。

 更にショックを受けたわけで。

 そういえば忘れてたな。

 穂高晃の印象が強くて、祐也との事、忘れていた。

 それはそれで、もしかしたら、

 お陰で忘れられたことになるのかな。

 最近、祐也の事悩まなくなったのも、穂高晃の事でいっぱいだったから。

 いつの間にか、祐也の事でめそめそ泣いたり悲しくなったりすることがなくなったな。

 あいつの事を考えてというのがなんだか悔しいのだけれどね。

 あれ?

 ちょっとまって。

 穂高晃の事考えていた?

 穂高晃の事でいっぱいだった?

 それって・・・・

 それではまるで私があいつの事気になっているみたいじゃない。

 ま、

 まさか。

 そんなことは。

 ありえない。

 ありえない。



 その後も嵯峨野へ行ったり、太秦映画村を観光したりして一日が終った。

 お土産もたくさん買った。

 旅館へ戻ると皆部屋で寝そべっていた。

 暑い中、一日中歩き回っていたのだから疲れも出たのだろう。


「めぐー、ジュース買ってきて。」

「けいちゃん、なぜ私が?」

「だって昨日にのの部屋行くのに迷ったのでしょ。」

「うう、な、なんでそれを知って。」

「どうせめぐの事だから迷うわよ。カマかけてみただけ。」

「ひっどーい、けいちゃん。」

「ははは。めぐちゃんはけいちゃんには敵わないみたいだね。」

「私の勝ちよ。だからジュース。」

「もー、わかったよ。」

「めぐちゃん、自動販売機の場所は大丈夫?」

「ちゃんまでそんなこと言うー。」

「ははは。めぐちゃんと話していると面白いからついね。」

「大丈夫。二日目は迷いません。」


 そう言って部屋を出た。

 本館の階段を上がり、自動販売機のある階を目指した。

 階段の踊り場で、すれ違う人に突然髪を引っ張られた。


「いたっ!」


 顔を上げるとそこにいたのは晃だった。


「な、なに?いきなり。」

「にのの部屋なら下だぞ。」

「し、知ってるわよ。ジュース買いに行くの。」

「ふーん。」


 相変わらず無表情な晃の顔から視線を外すと、ワイシャツの胸ポケットに見覚えのあるテレホンカードが入っていることに気づいた。


「あ!それ。」


 指を刺してアピールした。

「これ?拾った。」

「私のだ。今日の朝使った後、失くしたと思って・・・」


 晃の手からテレホンカードを受け取ろうとする。

 ところが晃はその手の位置を上へと上げた。


「拾ってくれてありがとう。」


 お礼を言って受け取ろうとするが再び晃の手が上昇した。


「え?!」

「返してくれないの?」


 不思議そうな表情のに対して無表情のまま届かない位置へと移動させている晃。


「?!」

「返して・・・」


 今度は少し不機嫌な表情をする萌。

 しかし晃の表情もテレホンカードの位置も変わらない。


「返してよー。」


 そう言ってジャンプをして取ろうとした。

 が、なかなか届かない。

 何度もジャンプを試みていると面白そうに眺めているだけの晃。


「ちょっと、返してよ。届かないよ。」

「ずるいよ、身長差があるのだから、届かないよ。」

「もー、返してよ。」


 真剣に取り返すことを考えていた。

 何度ジャンプしても届かないゆえ、意外と身長が高いことに気がついた。


「返してよー。」

「ねえってば。」

「ねえ、返してー。」

「返して、あきちゃん。」

「あきちゃん。」

「あきちゃん。」


 そう呼びながら何度も飛んでいるうちに、自然に笑顔が戻ってきた。

 笑っていた。

 いつの間にか、晃の表情にも笑みが浮かんでいた。


「あっ、タケやん。」


 が指差した方を見る晃。

 その隙をついてテレホンカードを取った。

 指差した方向には誰もいなかった。


「嘘つき。」

「いじわる。」


 晃の発言に即答でそう返した。

 二人の目が合ったまま沈黙が続いた。

 先に目を逸らしたのは晃だった。


「じゃあな。」


 そう言うと階段を下りていく。


「あ、待って。」


 足を止める晃。


「あの・・・この間の事、誰かに話した?」

「いつのこと?」

「前に、放課後教室にいた時の事。」

「覚えてない。」

「そ、そっか。」


 それだけ言うと再び晃は下りて行った。

 覚えてない・・・か。

 この間の事、教室で会った時、泣いていたのに気づかれたかと思った。

 興味ないか。私の事なんて。

 覚えるまでもない出来事だったってわけか。

 私にとってはかなり印象的な出来事だったのだけどな。

 穂高晃の正体を知って。

 あれ。

 やだな、私。またあいつの事考えていただなんて。

 もう今日はこればかりだよ。

 どうしたのだろうな。

 気になっている・・・?



「あとウーロン茶にポカリっと。」


 自動販売機に辿り着くと皆の分も合わせて五本を買うことになった。

 両手に二本ずつ、持ったところであと一本が残ってしまった。

 一度には無理だったかな。

 そうも思ったが、なんとか残りの一本も上に乗せて抱えるように立ち上がった。


「椎名さん。」

「わぁぁ!」


 突然話しかけられたことに驚いて缶のバランスを崩してしまった。


「ごめん、驚かせるつもりじゃ・・・」


 後ろから現れたのは松岡だった。

 落したジュースを拾ってくれる。


「あ、いいよ、松岡くん。」

「持つの手伝うよ。」

「へ、平気です。」

「落したの僕のせいだしね。」

「ち、違います。」

「まあ、持たせてよ。一人じゃ難しい量でしょ。」


 松岡の笑顔に押されて、素直にお願いすることにした。


「あ、ありがとうございます。」

「その間椎名さんとしゃべれるから僕は嬉しいのだけどな。」

「え?」

「椎名さんとは学校ではほとんどしゃべらないからね。」

「はあ。」


 それは私が意図的に学校ではしゃべらないように気をつけているからなのだけれどね。

 とは言っても塾でもほとんどしゃべった覚えも無い。


「僕、椎名さんに嫌われているのではないかってね。」

「い、いえいえ、それはないです。」

「敬語だし。」

「こ、これは、その・・・」


 言葉に詰まってしまっても、優しく笑顔で会話をする松岡。

 思わずこちらも顔が笑うしかなくなってしまう。


「昨日、ぶつかったところ大丈夫だった?」

「えっ?」


 何のことかすっかり忘れかけていた自分が恥ずかしい。


「あ、はい。あ、じゃないや、うん。全然平気でした。」

「良かった。」


 しどろもどろに喋る萌を、松岡は優しい眼差しで見つめていた。


「椎名さんはどうしてあの塾に?学区外でしょ?」

「は、はあ。前の小学校の友達がいるので・・・」

「椎名さんて転校生なの?」

「はい。」

「それは知らなかったな。」


 女子部屋へと続く廊下に差し掛かった時、ふと何か変な空気を感じた。

 なに?

 なんだか違和感を感じる。

 周りがザワザワしているのに気がついた。

 女子の視線。

 こ、これかー、松岡ファンクラブ。

 や、やばいなー、二人で並んで歩いているだけでこれなのか。

 参ったな。

 早くこの場をなんとかしないと、視線が痛い。


「ま、松岡くんありがとうね。もうここで大丈夫。」

「そう?あ、女の子の部屋に入るわけにもいかないよね。」

「う、うん。ありがとうございました。」

「いいえ。椎名さん、また色々話そうね。」


 そう言うと完璧な笑顔で帰っていく松岡様。

 一気に疲れが出た。



 この夜は消灯時間を過ぎても皆起きていた。

 修学旅行最後の夜に、女子達の話は終らなかった。

 いつの間にか恋愛の話になっていた。


「ね、めぐちゃんは好きな人いるの?」

「えっ、私?」

「そういえば聞いたことないね。」

「私あるよ。」


 同室の敦美が言う。


「えっ、誰?誰?」


 同じく同室の加奈子。


「めぐちゃんて松岡君の事好きなんだよね?」

「ええっ?」

「うっそ、そうなの?」

「ちょ、待ってよ。なんでそうなるかな。」

「え?違うの?」

「松岡君は競争率高いよねー。」

「だからね、違うの・・・」

「敦美、それ、誰から聞いたの?」


 それまで黙って聞いていた恵子が口を挟む。


「え?誰って噂だよ。そういう噂が流れているよ。」

「ふーん、噂ねぇ。」

「なに?恵子怒ってるの?」

「べつに。」

「怒ってるじゃない。なんで~?私何かまずいこと言った?」

「けいちゃん・・・」

「だから言ったでしょ、めぐ、気をつけなさいって。」

「はい。」


 急に小さな声になる。

 敦美と加奈子は二人で顔を見合わせている。

 これまでの経緯を二人にも話した。


「なるほどね~。」

「それはめぐちゃん、目つけられちゃったかもね。」

「うう・・・どうしよう。」

「私も聞いたことあるけど、嫌がらせみたいのは一時的なものだから時間が解決してくれると思うよ。」

「うん・・・」

「とにかく、この間から言っているけど、学校で松岡としゃべっちゃだめよ。」

「わかった。」

「よしっ。」


 とはいえ、今日も話していたとはさすがに言えなかった。

 気をつけなければ。

 松岡の話ですっかり場が冷めてしまった。


「気を取り直して。」

「で、めぐちゃんの本命は?」

「えっ、まだ話すの?」

「だって松岡君じゃないってことはわかったから、ほんとは?好きな人誰?」

「い、いないよぉ。」

「嘘だ~。」

「ほんと。」

「失恋したからは当分はいいの。」

「そうだったの?」

「うん。」

「ごめん、めぐちゃん知らなくて・・・」

「ううん、けっこう前の事だしもう平気よ。」

「タイミング悪いなぁ。」

「ほら、私の話だと盛り上がらないから皆の話を聞かせてよ。敦美ちゃんは?」

「敦美は重野君でしょ。」


 加奈子が言う。


「有名よね。その話も。」


 恵子が続く。


「違うの。」

「ええっ?!」


 二人同時に驚いた。


「重野君の事好きだったのは本当なのだけど、石塚君の事いいなって思って。」

「ええー、石塚?いつから?」

「今日かな。」

「きょ、今日?!」


 今度は萌も加わって三人の声が重なった。


「うん。班が同じでね、修学旅行って学校よりも皆と過ごす時間が長いでしょ、朝も、夜も、ご飯も一緒に食べて。だから今日一日、一緒にいたら好きになってた。」

「す、すごいね。」

「その気持ち、わからなくもないね。」

「旅行中の恋かぁ。」

「でもあるよね、そういうの。最初は好きでもなんでもないのに、気がついたら一緒にいる時間が増えていて気になる存在、みたいなの。」


 加奈子が言う。


「確かにあるね。そういう加奈子はどうなの?」


 今度は恵子が聞く。


「私は一途に板橋君よ。」

「すごーい、加奈ちゃん一年の時からずっとだよね?」

「そうよ。」

「ずっと好きなんだぁ。」


 加奈子の一途な想いは尊敬してしまう。


「一途なのは良いけど、いい加減告らないの?」

「うーん、考えてないな。板橋君は私の事あまり知らないと思うし。」

「じゃあ、板橋に彼女が出来たらどうするの?」


 敦美が言う。


「それは・・・仕方ないよ。それでも好きだと思うし。」

「へー、ほんとに一途だね。」

「そういう恵子はどうなのよ?」


 今度は加奈子が恵子に話を振る。


「私はいいよ、今はいないし。」

「うっそー、恵子いないの?」

「ほんと。」

「前のを引きずっているとか?」

「うるさい。」

「図星―。」


 加奈子と美に当てられた恵子は普段見せない恥ずかしそうな表情をしていた。

 女の子同士の恋愛の話。

 皆、それぞれに、それぞれの想いを抱えている。

 人を好きな想い。

 それは時には苦しくて切なくて、悲しくて。

 加奈子が言っていた事を思い出す。

「仕方ないよ。それでも好きだと思う。」と。

 私と同じ。そう思った。

 例え相手が別の人を好きだとしても、

 結果的に誰かと付き合ったとしても、

 そう簡単に終われる恋なんかではないと。

 一途な想いも、叶わない事もある。

 長いはずの夜も、あっという間に過ぎていった。




 修学旅行三日目。

 最終日はクラス毎のバス観光となっている。

 旅館を後にしたバスは二条城へと到着した。

 高さを誇る石垣と、雄大な緑の敷地が続いていた。

 庭園にかかる石橋。

 橋の上からは池を泳ぐ鯉が見渡せた。


「しーなっ!」

「うわっ!」


 呼ばれたと同時に背中を押され、池に落ちるかと驚いた。


「ヒロアキ。脅かさないでよ。」

「写真、撮ろうぜ。」

「いいよ!」

「いくぞー。せーのっ!」


 ヒロアキが右腕を伸ばし、自分でシャッターを押す。


「この池、人面魚がいるらしいぞ。」

「ほんとに?」

「さっき、ガイドさんが言ってた。」

「どこどこー?」


 ヒロアキと二人で池の中を覗いていた。


「うわぁっ!」


 再び後ろから背中を押され、驚く。

 そして後ろを振り返ると更に驚いた。


「あきちゃん!」


 意外にもそこにいたのは晃だった。


「落ちるぞ。」

「押したのはあきちゃんでしょ。」

「あっ!」


 続けて大きな声をあげる。


「写真、写真撮ってない。あきちゃんと。撮ろっ。」

「やだよ。」


 思い出したので明るく提案してみたが、即答で断られてしまった。


「えー、撮ろうよ。」

「やだ。」

「撮ろうよ、ねっ、いいでしょ?」

「いやだ。」

「写真の一枚くらいいいじゃない。あきちゃんのけちーっ。」

「あのなー。」


 けちという言葉に少し表情を変える晃。


「わかった。じゃあヒロアキも入れて三人で撮ろうよ。それならいいでしょ。」


 無言の晃。

 近くのクラスメイトにカメラを渡す。


「二条城バックに撮ってもらおう。はい、入って入って。」

「はい、あきちゃん撮るよ。」

「チーズ!」


 半ば無理やり写真に入れられた晃。

 笑顔のとヒロアキと無表情の晃の三人で写真に写った。


「ありがと。あきちゃん。」


 そう言うと、満足そうな笑みを浮かべて五組の列へと戻っていく。


「写真、二日間あれほど嫌がっていたのに今日は撮るんだな。」


 晃と同じ班の男子が来て言った。


「椎名か。そういえばあいつ松岡の事好きらしいぜ。晃君知ってた?」

「へー。」


 それ以上何も言わない晃だった。



 帰りの新幹線。

 おしゃべりをしようと座席を回転させてボックス席にしたが、旅の疲れからか三十分も経たないうちに皆ウトウトと居眠りを始めていた。

 座席を回転させた為、進行方向とは逆向きに座ることになった。

 さっきまでいた所がどんどん後ろへと遠ざかっていく。

 静かに車窓を眺めていた。

 消えていく山々。

 いくつものトンネルを越えて走っていた。

 時折すれ違う列車は、今来た方向へと向かっていく。

 そんな風景に見とれていると、

 突然、額を叩かれた。


“パシッ”


 そんな鈍い音がした。


「あきちゃん。」


 振り返ると晃がいた。

 背中合わせの席に座っていたのだった。


「前の席だったのだね。タケやんなら寝ちゃったよ。」

「おまえは寝ないのか?」

「うん。昨日そんなに遅くなかったしね。」

「寝たの何時?」

「一時くらいかな。」

「勝った、二時。」

「あきちゃんは眠くないの?」

「全然。いつもそんくらい。」

「えっ、二時?!あ、もしかして勉強?」

「は?」

「だって、あきちゃん頭良いでしょ、見たよ中間テストの順位。」

「起きてるのはゲーム。」

「えっ?ゲーム?勉強じゃなくて?それで五位?」

「おまえもいつも入ってるじゃん。」

「えっ?」


 いつも?

 知ってる・・・の?

 私の順位。

 私が穂高晃を知らなかっただけで・・・

 穂高晃は知っていたの?

 私の事。


「ねぇ、あきちゃんて私の事いつから知っていた?」

「は?」

「ねえ、いつから?」

「いつからって、おまえずっとタケんとこ来てたじゃん。」

「ずっとって?」

「一年の時から。」

「い、一年?!」


 驚いて声をあげてしまった。


「ちょ、ちょっと待って。一年の時って・・・。もしかしてあきちゃん一年生もタケやんと同じクラス?」

「ああ。」

「一年も、二年も、タケやんと同じクラス・・・」


 そこまで言うと言葉を失ってしまった。 

 穂高晃は一年の時から私を知っていた。

 私は名前さえも知らなかったというのに。


「何で?」

「い、いえ、べつに。」


 慌てて発した言葉は声が裏返っていた。

 そして笑顔も引きつった。


「タケ起きた。」


 そう言うと竹田のところへ行って話しを始めていた。

 晃の表情に笑みが出ている。

 竹田と話す晃に視線が向いてしまう。

 

 最近の私、驚いてばかりだな。

 穂高晃の事に関してだけど。

 特に修学旅行のこの三日間。晃の事、色々知った気がする。

 ふいに、昨夜の話を思い出した。

「修学旅行は皆と過ごす時間が長いから・・・一緒にいる時間が増えて」と敦美が言っていた。

 穂高晃と話す時間が増えたこの修学旅行。

 皆のそれぞれの想い。

 色々な出来事。

 少し変わった印象。

 観光地での思い出にのせて、三日間の修学旅行が終わった。




     2


 修学旅行から帰ってくると梅雨入りをした。

 毎日シトシトと降り続ける雨。

 テニスコートに溜まる水が引けることはなかった。

 部活は各自、室内での筋力トレーニングとなった。


「あれ?」

「めぐちゃん、どうかした?」

「靴がない。」

「えっ?靴?」

「うん。」

「さっきここで脱いだ?」

「そう。誰か間違えて履いて行ったのかなぁ。」

「えー、間違えるかな?」

「うーん・・・」


 室内トレーニングが終わり、部員達が次々と靴を履き替え、外へ出て行く。


「奈緒ちゃん先に行っていいよ、私最後まで見てから行く。」

「わかった。」


 数分が経ち、全員が出て行ったがそこに靴はなかった。

 変だな。

 誰か間違えて履いたとしたら一足残るはずなのだけどな。

 次にトレーニング室を使用するバレー部員達がぞくぞくと入って来た。

 顔をあげると穂高晃の姿を見つけた。


「椎名さんだ。」


 声をかけてくれたのは関だった。


「椎名さん、今終わり?」

「うん。今日も雨だからね。」

「いいなー。オレらこれからだもん。」

「頑張ってね。」

「うん、また明日。」


 穂高晃とすれ違うが何も言わなかった。


 教室へ戻ると、今度は傘立てにあるはずの傘が無かった。

 毎日雨が降っているのだから持って来なかった人なんていないはず。

 今朝も雨が降っていた。

 名前も書いてあったのに。

 仕方なく、ロッカーに置き傘してある折りたたみ傘で帰ることにした。

 だが。

 ロッカーの中にも異変が起きていた。

 そこに折りたたみ傘はなく、

 常備しているタオルやポーチ、ノート、ペンケース、ポケットティッシュまでもが無くなっていた。

 まるで、一足早い夏休みを前に、全て中身を持ち帰ったかよのうに。

 ロッカーには何も無かった。




 翌日。


「で、しーなそのまま帰ったのか?」

「うん。上履きで。」

「傘は?」

「余っていた物を借りたよ。」

「他の物は、見つからなかったの?」

「うん。今朝もう一度よく探してみたのだけどね。」


 ヒロアキと千夏に昨日の靴とロッカーの事を話した。


「靴は誰か間違えて履いて帰ったのか?」

「私も最初はそう思ったのだけどね。でも皆帰った後一足もなかったのよ。」

「ロッカーはしーながうっかりして隣の人のに入れていたとか?」

「それならすぐに見つかるでしょ。」

「ミステリーだな。消えた靴の行方は?傘は?ロッカーの中身は?次号に続く。乞ご期待!」

「もぉー、ヒロアキ。」

「よし、じゃあ北川はどう思う?」


 ふざけて楽しんでいるヒロアキの隣で一人強張った顔をしている千夏が口を開いた。


「めぐちゃん、最近他に何か変わったことはない?」

「えっ?」

「おっ!、名探偵北川千夏、登場か?」

「物が無くなった他に、おかしいなって思うこと。どんな小さな事でもいいから思い出して。」


 千夏の表情は真剣だった。

 そんな千夏の表情に改まって考えてみることにした。


「なんだ、無視かよ。つれないな~。」

「そういえば・・・、前に渡り廊下歩いていたら上から水が降ってきた。」

「雨じゃねーの?」

「ううん、晴れていた。」

「その時は、誤って二階から水を捨てたのだと思っていた。」

「まあ、よくあることだな。水道まで捨てに行くのがめんどいとやるよな。ん?ってことはしーな、それ汚ねー水かもしれねーぞ。きったねー。」

「あとは・・・帰りに野球のボールが飛んできたことがあったな。」

「そりゃあるだろ。野球部のだろ。」

「でも、学校からはけっこう離れていたの。」

「じゃあ、近所の野球少年だろ?」

「めぐちゃん、その時の様子詳しく話して。」

「野球少年は謝りに来たのか?」

「ヒロアキは黙ってて。」

「はいはい。」


 千夏に鋭い視線を送られ、それまではしゃいでいたヒロアキが口を閉じる。


「その時は、祐也と松岡くんが一緒で・・・あ、松岡くん。そう、松岡くんの話だ。」

「くん?」

「うん。ちなっちゃんあのね、三年になってから、私の好きな人は松岡くんなのかって聞かれる事が何回かあったんだ。松岡くんとは塾が同じなだけなのだけど、なんか松岡くんには熱狂的なファンがいるらしくて、学校では話さないように気をつけていたのだけれど・・・」

「それだ!」


 千夏の表情が変わった。


「めぐちゃん、君のファンの子から嫌がらせをされてるね。降ってきた水、飛んできたボールも、靴や傘が無くなったのも。」

「うー。・・・そっかぁ。気をつけていたつもりだったのだけどな。」

「女のいじめか。怖えーな。」

「ただ、この嫌がらせの目的がどこにあるのかがわからないのね。」

「目的?北川、難しい話しでわからん。」

「聡一君と仲良くしているのが気に入らないだけの嫌がらせなら、一時的なもので終わるかもしれない。けど、わざわざめぐちゃんが君の事を好きだなんて噂を流すのはおかしいと思わない?」

「そぉか?」

「めぐちゃんがただ目をつけられただけの単なる嫌がらせ。」

「北川、何が言いたいんだ?」

「うーん、なんだか嫌な予感がするのよ。これだけでは終わらないような・・・」


 千夏はそのまま険しい表情をして考え込んでしまった。


「まぁ、しーな、これからも何かあったら言えよ。」

「うん、わかった。」



 それから松岡くんとの接触を避けた。

 嫌がらせの原因が松岡くんと話したり一緒にいたりすることにあるのならば、話さなければいい、会わなければいいと思ったからである。

 ところが・・・


「えーっ!」

「悪い、椎名さん。今日は夏季大会のレギュラー発表だから、悪いけど日誌お願い。」

「うん・・・わかった。」

「サンキュー、椎名さん。いつも日誌任せてごめんな。」

「いいよ。レギュラー発表は大事な事だもの。」

「感謝してます。じゃあ、お先に!」

「うん、お疲れさま。」


 はあ。

 この結果だけは避けたかったのだけれどな。

 同じ生活委員の猪原くんと当番の仕事を終えたが、最後日誌を生徒会室へ持って行かなければならない。

 でも、生徒会室といえば、この時間、生徒会長が滞在しているのは当たり前で。

 生徒会長といえば松岡聡一なのも当然で。

 会ってしまうのはもはや避けられないのだろうか。

 生徒会室の中なら誰かに見られる心配はないのではないか。

 そうも考えたが、前に生徒会室へ行く途中、

 この道で、この時間に、このタイミングで水をかけられたことがあった。

 もし、あの時の事が嫌がらせの一つだったとしたら・・・

 今日も誰かに見られているのではないか。

 生徒会室に、松岡くんに会いに行く私を。

 そんな事を考えていたら生徒会室の前に着いてしまった。


 一呼吸する。

 ドアをノックした。

 と、ここで良い事を思いついた。

 生徒会室のドアを開ける。


「こ、こんにちは。祐也いますか?」


 ドアの先に見えたのは奥に座っている松岡。

 手前に座っていた祐也の名前を呼び、出てきてもらう。

 そうすれば私は生徒会室に入ることはなく、生徒会長と話すこともない。

 この作戦で行くことにした。


「萌ちゃん、どうした?」


 幸い、祐也は出てきてくれた。

 ラッキー!作戦開始!


「ちょっと事情があって、ここで日誌見てもらえないかな?」

「うん?いいよ。」


 ホッ。

 祐也は何の疑いも無く日誌を受け取ってくれた。

 ドアの外で。

 よしっ!

 この勝負もらった!

 そう思った瞬間だった――


「あれ?椎名さん、入らないの?」

「えっと、そ、その・・・」

「入りなよー。」


 そう言って笑顔で向かえ出てくれたのは紛れも無く生徒会長様でした。


「きょ、今日はこ、ここで。」

「そんな事言わずに、さあさあ。」


 松岡の手が肩に触れ、背中を押されて中へと促された。

 い、いや、

 う、うそでしょ?!

 話しを・・

 ううん、話さないとか会わないとかではなく、既に松岡くんのてっ、手が、私に触れているではないか。

 こ、これはまずい。

 これはまずい。

 これはいけない。

 これは危険だぁー!!


「聡、萌ちゃんが困ってるだろ。」


 祐也が松岡の手を振り払ってくれた。

 た、助かった~。


「ほい、萌ちゃん日誌確認したからこれで良いよ。お疲れさま。」

「う、うん。ありがとう・・・じゃあ、そういうことで。」

「あ、椎名さ・・・」


 松岡の呼びとめる声も掻き消される程のスピードで走った。

 逃げ帰るかのように。

 そんな萌を見てため息をつく松岡。


「はぁ。僕は嫌われているのだろうか。」

「?」


 小さな声で呟きながら生徒会室へと戻る松岡に祐也が声をかける。


「聡、萌ちゃんと何かあったのか?」


 何も言わずに座る松岡。


「聡、嫌われるってなんだよ?」

「なんでもないよ。」

「おい、、なんでもないってなんだよ。気になるだろー。」

「気になる・・・ね。」

「聡、答えろよ。何だよー。」


 再び口を閉ざした松岡に、祐也はしつこく聞いていたのだった。



 はぁ、はぁ、はぁ。

 し、心臓に悪い・・・

 渡り廊下を一気に走って教室へと戻ると息が切れていた。

 作戦失敗。

 参ったな。

 誰かに見られていなかったかな。

 はぁ。こんな状態、いつまで続くのかな。

 こんな状態、いつまで続けなければいけないのかな。

 その答えは――

 目の前に出ていた。

“塾を辞めろ”

 教室に戻ってくると自分の席に一枚の紙が置かれていた。

 そこに書かれていた言葉。

“消えろ”

“調子に乗るな”

“ブス!”

 などの中傷文だった。


 なんでこんなことになっちゃったのかな。

 私の何がいけなかったのかな。

 私、そんなに嫌な子なのかな。

 私、どうしたらいいのかな。

 いつの間にか涙が出ていた。

 悲しい。どうして悲しいの?

 悔しい。何が悔しいの?

 わからなかった。

 一粒・・・また一粒、涙が頬を流れていく。


「萌ちゃん?」


 その声を背後から聞いた時、まるで金縛りにあったかのように体が動かなくなった。

 祐也。

 泣き顔見られたくないなら泣き止まなきゃ。

 泣き顔見られたくないなら隠さなきゃ。

 泣き顔見られたくないなら早く笑わなきゃ・・・

 えっ!?

 ええっっ!!?


 教室に入って来た祐也は、萌の顔を覗き込むと泣き顔に気づいた。

 そしてそのまま萌を抱きしめたのだった。


「涙、止まった?」


 耳元で祐也の声がする。


「う、うん。」


 突然の事に驚いて涙はすっかり止まっていた。

 離れようとしたが背中に回っている祐也の手には力が入っていて動くことが出来なかった。


「落ち着いた?」

「う、うん。」

「萌ちゃんが泣くところ初めて見た。」


 萌を離すと椅子に座らせた。

 顔から首、そして体全体が熱くなっている。


「何かあったの?」


 下を向いたまま顔が上げられなかった。


「聡と・・・つきあってるの?」

「えっ?」


 顔を上げると祐也の表情が悲しそうに見えた。


「さっき、二人ともおかしかったからさ。それで様子見に来てみたら萌ちゃん泣いているし。」

「聡の事、好きなの?」


 まっすぐ見つめてくる。


「ち、違うよ。ご、誤解しないで。」

「本当に?」

「う、うん。」

「聡の事好きじゃないの?」

「うん。」

「じゃあ、ちゃんの好きな奴って誰?」

「えっ、」

「誰?」


 真剣な表情の祐也。


「誰?」


 祐也の顔が近づいてくる。


「なんか、こんなこと聞いてると俺がちゃんの事好きみたいだよな。」


 更に近づいてくる祐也の顔。

 えっ!

 ちょっ、

 ちょっと、まったぁ~!

 な、なに?

 なにこれ?

 ゆ、祐也の顔が近いっ!

 再び金縛りのように体が動かなくなる。

 祐也が目を閉じた。

 か、顔が。

 く、唇が近づいてくる。

 えっ、どっ、なっ、まっ、

 わー――――!!


“キーン、コーン、カーン、コーン・・・”


 静かな教室に大きく響くチャイムの音。

 祐也の顔が遠ざかっていく。

 再び下を向く萌。

 沈黙が走る。


「萌ちゃんの泣き顔見た時、抱きしめたいって思った。」


 少し微笑んだ顔になった祐也が言った。


「萌ちゃんの好きな奴が俺だったら良かったのに。」


 これは夢?

 これは夢?

 きっとそうだわ。

 そうにちがいない。

 でなけれな祐也が私のことを好きだなんて・・・

 私も祐也のこと好きだったよ。

 あれ?

 好きだった?

 だった・・・

 好き?

 今は?

 前は好きだったよ。

 じゃあ今は?

 今でも祐也のこと好き?

 目の前にいる祐也のことが好き?

 今言えるの?

 ここにいる祐也は・・・

 ううん。違うね。

 だって、祐也には彼女がいるじゃない。


「だ、だめだよ、からかっちゃ。彼女可哀想だよ。」


 精一杯の笑顔を作って言ったつもりだった。

 その言葉に祐也の表情も変わった。

 険しく・・・なった。


「ごめん、困らせるつもりは無かったんだ。忘れて。今の忘れて。」


 そして、次の言葉は笑顔で言った。


「部活、先に行くね。」


 と言うと祐也は教室を出て行った。

 一人教室に残された。

 また、涙が溢れ出てきた。


 忘れて。今の忘れて。

 二回、言われた。

 忘れての言葉。

 冗談だったのかな。

 からかわれていたのかな。

 変なの、私。

 「萌ちゃんの事好きみたいだ。」

 あれほど聞きたかった言葉なのに、今は苦しくて、悲しくて仕方がないの。

 忘れて。

 忘れよう。

 いまは。

 忘れよう。




 翌朝。

 下駄箱の前で晃と会った。


「おはよう。」


 声をかけたが挨拶は返ってこなかった。

 修学旅行で少しは話すようになったのにな。

 そんな事を思いながら教室へ向かった。

 無言のまま晃は四組へ入る。

 そのまま通り過ぎようとすると、千夏とヒロアキに声をかけられた。


「おはよん、めぐちゃん。」

「オーッス。」

「おはよ。」


 挨拶をし、四組へと立ち寄った。

 そして二人に昨日の紙を見せた。


「おおー!すっげーな。強烈な文字。」

「これね。」

「やっぱり?ちなっちゃんもそう思う?」

「うん。目的はこれだったのねん。」

「おい、この間から言ってる目的って何だよ?」

「ヒロアキはばかねん。」

「バカっていうなよ!」

「つまりね、めぐちゃんに嫌がらせをしているのは、聡一君と話すのがダメとかじゃなく、本当の目的は塾を辞めさせること。」

「塾?しーな、聡一君と塾一緒だったのか?」

「うん。」

「へー、レアだな。しーなの行ってる塾って学区外じゃなかった?」

「そう。前の学校のとこ。」

「そんなあまり知られていないところまで調べるとは熱狂的なファンね。」

「でもよー、相手の要求が塾を辞めることってしーな辞めるのか?」

「ううん、嫌だよ。」

「だろ。ってことはいじめは続くのか?」

「うーん・・・」


 考え込んでしまう千夏。


「あ、そういえばしーな昨日部活出てなかったよな。やっぱこれが原因か?」

「えっ?」

「ショック受けて帰ったのか?」

「えっ、えっと・・・その・・・」

「なんだよ、まだ何かあるのか?」

「ん・・・・・・」

「はっきりしねーなー。」

「めぐちゃん、隠さずに話してほしいな。」


 言葉に詰まっているとすかさず千夏が声をかけた。


「う、うん。実は・・・」


 そこまで言ってあることに気がつく。

 教室には萌、千夏、ヒロアキの三人の他に晃もいたのだった。

 いつも通りの声で喋っていたが、当然晃に聞かれていただろう。

 今までの話は・・・まあ、いいとして。

 ここからは声を小さくし、千夏とヒロアキに近づいて話すことにした。


「祐也と会っていたの。」

「祐也もこれを見たのか?」

「ううん。泣いているところを見られて・・・」


 再び言葉に詰まる。


「なんだよ、どうした?」

「めぐちゃん、祐也君と何かあったでショ。」


 鋭い千夏の視線を感じる。

 やはり、隠し通すのは無理だな。

 呼吸を整えてから話すことにした。


「うん・・・泣いてたら、抱きしめられて、松岡くんの事好きなのか聞かれたから違うって答えた。」

「だ、抱きっっ――」


 ヒロアキが声を上げそうになり、抑えていた。

 千夏は動じず、視線を保ち続けていた。


「それで?まだあるでしょ?」

「ちゃんの好きな奴が俺だったら良かったのにって言われた。」

「なっ、なんだよそれーっ!」

「ヒロアキ声大きいっ。」


 ついに抑えきれなくなったヒロアキの声が四組に響く。


「わ、悪い。で?」

「最後に、忘れてって言われたから、冗談でからかわれていただけたど思う。」

「なるほどねん。」


 今度は言葉が出ないヒロアキに代わって千夏が返事をした。


「めぐーっ、めぐ、来てる?」

「けいちゃん。」


 四組を恵子が覗いて呼んだ。


「ごめん、ちなっちゃん、ヒロアキ、行ってくるねっ。」


 そう言うと教室を出てく。

 残された二人。

 登校時間が近づき、教室には四組の生徒達も増えてきていた。


「どう思う?いまの話。」

「祐也のことか?」

「そう。」


 ざわざわし始めた教室で二人とも目を合わせずに話している。

 平常心を取り戻したヒロアキが口を開いた。


「祐也がしーなのことを好きなのは本当だと思う。」

「どうして?」

「二年の時にクラスの奴らと暴露会したんだ。そん時の・・・祐也の好きな子はしーなだった。」

「なるほどねん。その後祐也君はちゃんとつき合ったのね。」

「どうしてそうなったかはオレにもさっぱり。」


 ヒロアキの話に、千夏の表情が変わった。

 千夏の視線は一度、四組の隅に座る晃の方を見る。

 そして再びヒロアキに、


「まぁ、今あんたに出来ることはめぐちゃんから目を離さないであげることね。」

 そう言うとヒロアキの肩をポンと叩き、教室を出て行く千夏。


「めぐ、これは何?」


 廊下へ出ると恵子が一枚の紙を掲げて待っていた。


「けいちゃん!そ、それっ!」

「朝来たら、めぐの席に置いてあったのよ。」


 恵子が手にしていたのは昨日と同じ中傷文の書かれた紙だった。


「いったいどういうこと?」

「そ、それは・・・」

「なんでこんな事になっているのよ?」

「えっと・・・」

「だいたいね、めぐ、あんたがそうやってハッキリしないのも悪いのよ!」


 恵子の声がだんだんと大きくなるにつれ、周りには登校してきた生徒達も集まり始めた。


「けいちゃん・・・」

「こんな事されて悔しくないの?そもそもあんたがちゃんと言わないからこんな事になるのじゃない!」



「なになに?」

「どうした?」

「ケンカか?」

「めぐちゃんいじめに合ってるらしいよ。」

「いじめ?」

「ほら、あの紙。」

「ほんとだー、椎名いったい何したんだ?」

「椎名さんってほら、松岡君の事。」

「ああ。なるほど。」

「松岡君を好きになるなんて度胸あるよねー。」


 集まってきた生徒達が恵子と萌の様子を見ている。


「でも、なんで斉藤がキレてんの?」

「さあ?」


 四組からは千夏とヒロアキも出てきた。

 登校時間の廊下はいつのまにか人の山になっていた。


「めぐ、黙っていてもわからないでしょ。」

「わかるから。」

「は?」

「わかるから。けいちゃん、あのね、私、これ書いた子の気持ちがわかるから。」

「めぐ、何を言っているの?」

「好きだけど、黙って見ている事しかできなくて。好きだから、その人の迷惑にならないように想い続けることがどんなにつらいか、わかるから。」

「だからってこんな事していい訳ないでしょ。」

「きっとね、想いを・・・その想いをどこへぶつけたらいいのかわからなくなったのだと思う。」


 さっきまでざわめいていた周囲がいつのまにか静かになっていた。

 登校して来る生徒が次々と足をとめていた。


「わからなくて、ぶつけるところを間違えてしまったのだと思う。」

「めぐ・・・」


「じゃあやっぱり椎名は松岡の事好きなのか?」

「そうだそうだー。」

「気持ちがわかるってことは好きなんだろ?」

「ヒュー。」

「正直に言っちゃえよー。」


 周りから野次が飛んできた。


「そんな訳ないだろ、デタラメだよ、デタラメ。」


 そう言って出てきたのは二宮だった。


「おっ、椎名の父、登場か。」

「なんだよ、にの、デタラメって?」

「その噂ならもう古いぜ。もえの好きな人は聡一君じゃないよ。」

「それに聡一君がもえを相手にするわけないだろ。相手にされないって。無理、無理。」


 笑いながら話す二宮に、次第に周囲の雰囲気が変わっていった。


「それもそうだよな。」

「だな。」

「相手にされないのは言えているな。」


 笑いながら言う二宮の意見に、周りが共感し始めていた。


「確かに椎名さんって松岡って感じじゃないよな。」

「言われてみればそうだよな。」

「にのとの方がお似合いじゃん。」

「にのは父だけどな。」

「はははーー。」

「言えてる。」

「じゃああの噂は嘘か?」

「そうそう。信じた奴残念だったな。」


 二宮が明るい口調で答える。


「なーんだ。」

「だっせー。」

「噂は噂かー。」

「誰だよこんな噂流したのー。」

「ガセネタじゃん。」

「はははー。」


 周囲に笑いが起こっていた。


「チャイム鳴ってるぞー、教室へ入れー。」


 HR開始のチャイムが鳴り、廊下には先生達の姿が見えた。

 さっきまでの人山があっという間に無くなった。

 残されたのは恵子と萌、二宮。


「けいちゃん、にの、ありがとう。」

「いーえ。」

「もえの父だからな。」


 三人に笑顔が戻っていた。


「やっぱり恵子は強いな。」

「なに?にの、何か言った?」

「いや。頼りになるなって。」

「まーねっ。」

「あ、でもけいちゃん大丈夫かな?今の・・・私をかばったと思ってけいちゃんにも・・・」

「だーいじょぶよっ、そんなの。」

「でも・・・」

「めぐ、そうやって弱気になっていると相手の思うつぼよ。相手はあんたが傷つくところを見たいのだから。堂々としてればいいのよ。」

「うん。ありがとう。」

「まあ、もうすぐ期末テストだし、そんな事言ってる暇も無くなれば、人の噂なんてしている暇も無くなるわよ。」

「そうだな。人の噂も何とかっていうしなっ。」

「にの、それを言うなら七十九日。」

「おっ、そうだったな。」

「ははは。」



 恵子の言う通り、それから何事も起こらなかった。

 そして翌週から始まった期末テスト。

 テストが終わった頃には誰も噂の事を言う者はいなかった。


 いつもの朝に戻った。


「集団心理って言うんだって。」

「しゅーだしん・・?なんだそれ?」

「ヒロアキに話した私がバカだったわ。」

「なんだよ、北川。気になるだろー。」


 登校してきた千夏とヒロアキが四組で話している。


「洗脳とか、刷り込みとかも一緒ねん。」

「だから難しー言葉並べんなって。」

「小学生レベルよ。」

「うるせーよっ。で、何がいいたいんだ?」

「つまりね、めぐちゃんが聡一君の事を好きだっていう噂を流すことにより、松岡ファンを刺激したの。」

「刺激?」

「そう。聡一君を好きでなくても、憧れている子ってけっこういるのよ。」

「へー。憧れねぇ。」

「松岡聡一はみんなのものよ。みたいな、変な理想像を作っているような子達ね。」

「理解できん。」

「熱狂的なファンは一人か二人でも、その憧れちゃん達に噂を吹き込めば集団の出来上がり。」

「なるほどな。集団か。」

「それで、噂が広まるとめぐちゃんはどうなる?」

「困る。」

「そう。めぐちゃんを困らせる。その為には数々の嫌がらせもした。」

「塾を辞めさせたいためにか?」

「そう。そしてこの噂には二つの効果があったのねん。」

「二つ?困らせるだけじゃなくて?」

「一つは困らせる事。嫌がらせに耐えられなくなっためぐちゃんが自分から塾を辞める。そしてもう一つは噂によって聡一君との仲を気まずくさせる事。」

「噂が本人達の耳に入れば二人は気まずくなると?」

「そう、二人の仲が気まずくなればどちらかが塾を辞める、という二重の効果があったのね。」

「なるほどな。でも、なんで収まったんだ?しーなは塾を辞めてないのに。」


 千夏の表情がそれまでとは変わった。


「たぶん、めぐちゃんの気持ちかな。」

「しーなの気持ち?」

「ヒロアキ、あの時の事覚えてる?人がいっぱいいたの。」

「ああ、覚えてるぜ。野次馬のように皆おもしろがって聞いてたよな。」

「恵子ちゃんは、最初からそうするつもりだったのだと思う。」

「え?」

「恵子ちゃん、わざとめぐちゃんに対して怒った態度をとって、廊下に人を集めた。」

「わざと?」

「そう。面白がって人が集まってきた。もちろんその中には聡一君の憧れちゃん達もいた。そして人がたくさんいるところで、めぐちゃんが話したこと。嫌がらせしている子の気持ちが自分もわかるって。」

「ああ、言ってたな。ぶつけるところを間違えたとかなんとか。」

「それが、聡一君の憧れちゃん達に伝わったのだと思う。だから憧れちゃん達からの嫌がらせが終わった。」

「ほえー、やっぱ女は怖えーな。」

「それにあれだけの人が聞いていたとなれば、熱狂的ファンも動けなくなるでしょ。」

「噂は嘘だってにのも言ってくれたしな。」

「まあ、にのだったってことが悔しいけどね。」

「なんだそれ。まあ、変なことが起こらなくなって良かったな。期末テストも終わったし、平和だー。」


 朝の教室でヒロアキが大きく伸びをする。


「ヒロアキ、めぐちゃんがその気持ちわかるって言ってたの誰の事だと思う?」


 後ろへ反らせていた上半身を起こしながら考えるヒロアキ。

 しばらく考えてから言った。


「祐也か?」

「たぶんね。」

「じゃあしーな、やっぱりまだ祐也の事・・・」

「それは違うかな。」

「は?なんでだ?」

「気持ちの整理がついたから、言える言葉だと思うねん。」

「わっかんねーっ。」

「ヒロアキにはまだ早かったかもねん。」

「なんだよそれーっ。」


 二人に笑顔が戻った時、萌が四組に顔だけ出した。


「おはよー。」

「しーな、おはっ*@#△■!!」

「めぐちゃ・・・」


 二人とも声を詰まらせた。



 そのまま五組へ入った。


「あっ!」

「ええっ?!うっそ~!!」

「めぐちゃんどうしたの?!」


 次々と驚きの声をかけられる。


「うわ、椎名。」

「ばっさりいったな。」


 二宮と恵子も駆け寄ってきた。


「もえーっ、カワイイーっ!」

「げっ、めぐあんた・・・」

「へ、変かな?」


 当の本人は笑顔である。


「もえ、カワイイぞ。」

「うん、めぐちゃん似合ってるよ。」

「めぐちゃん短いのもいいね。」

「めぐ・・・びっくりしたわ。」

「へへへ。」


 皆から騒がれた通り、私は髪を切ったのだ。

 肩よりも上に揺れる髪。


「何センチ切ったの?」

「三十センチくらいかな。」

「そんなにー!でも似合ってるよ。」

「ありがとう。」


 こんなにも反応が大きいとなんだか恥ずかしくなってしまう。



「あ、切った。」

「椎名さん髪切ったの?」

「わー、めぐちゃん短―!」

「めぐちゃんどうしたの?何かあったの?」

「おっ、椎名、失恋でもしたか?」


 朝に続いて、休み時間、移動教室へ向かう途中、廊下ですれ違う友達、掃除の時間と今日一日こればかりが続いていた。



 放課後、ヒロアキを待つため四組へ行くと晃がいた。


「あきちゃん。」


 用事は無いが声をかけた。

 晃は目だけこっちに向けた。

 何も言わない。

 そして視線を戻してしまった。 

 そうだった。

 穂高晃はこういう奴だったのだ。

 私が髪を切ろうが切りまいがそんなの関係ない。

 何か言ってくれるだろうかなんて期待した私が間違っていた。

 周りの人には無関心で、無表情で。そのくせ仲の良い人とは笑顔で話している。

 心を開くとよく言うけれど・・・

 この人はいつになったら私と向き合ってくれるのだろうか。

 あれ?

 待てよ。

 別にあきちゃんと向き合う必要はないのでは?

 こっちが話しかけているのに冷たい態度。

 そっちがそうならこっちもこう。

 話さなければ、向き合おうとしなければいいのでは?

 でも・・・

 ううん。

 気になっているのかな。

 自然に目で追ってしまう。

 気になるの。

 あの絵を描いた人。

 あの絵を描く人。

 もっと話したい、もっと彼のことを知りたい。

 そう思ってしまう自分もいる。


「しーな、お待たせ。部活行こうぜ。」

「あ、うん。行こう。」


 そのままヒロアキと教室を後にした。

 だから、

 晃の表情の変化には気づかなかった。


 部活に行くとまた髪を切ったと騒がれた。

 後輩からも色々言われた。

 そして、祐也にも。


「ちゃん、髪・・・」

「う、うん。」

「切っちゃったんだな。」

「うん。」


 少し沈黙が流れた後で、祐也が言った。


「なんで?」


 祐也の横を通り過ぎながら返事をした。


「暑いから。」


 そのままコートへ入った。

 振り返ることの無いその後姿を、祐也は見つめていた。



 髪を切った理由。

 これといったものはない。

 ただ、新しい自分になりたかった。

 変わりたかった。

 自分を変えたかったのかもしれない。

 失恋で髪を切る。それもそうかもしれない。

 でも、それとも違う何か。

 自分がはっきりしなくて誤解を招いてしまったこと。

 皆の気持ち。

 自分の気持ち。

 正直な自分の気持ち。

 そんな、何かを吹っ切って、新しい自分になりたかったのかもしれない。

 新しい、はじまり。

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