1.ともだち
中学二年の秋だった。
「すごーい、きれいな絵。」
美術室の前に写生大会で描かれた生徒の絵が張り出されていた。
その中で一枚の風景画に目が留まった。
「めぐちゃんー、行くよー。」
校舎や校庭や体育館といった皆が題材にしたメジャーなものとは違い、そこには小さな庭が描かれていた。
一目見ただけではこの学校のどこを描いたのか判らないほどの。
三年間を過ごすこの学びやにも、知らない場所が存在するのだと思った。
「――ちゃん、萌ちゃん。」
名前を呼ばれる声に気づいた。
「は、はい。」
「萌ちゃん?聞いてた?」
「あ、ごめん・・祐也。聞いてなかった。」
「大丈夫?熱でもある?」
そう言うと祐也は手を額に当ててきた。
なっ!
みるみる間に顔が赤くなるのが自分でもわかる。
「熱はなさそうだな。」
心配してくれるなんて嬉しかった。
私に触れてくれることが嬉しかった。
でも、優しくしてはダメよ。
「大丈夫だよ、祐也。ボーっとしていただけ。」
「ならいいけど。」
「ごめんね。私のせいで仕事遅くなって。」
「何言ってんの。萌ちゃんのお陰で今日中に委員会の仕事終るのだよ。」
そう言うと祐也は笑顔を見せた。
優しい笑顔。
優しい言葉。
放課後の教室には二人だけ。
静けさの中に響く祐也の声。
今は、今だけは独り占めできる祐也の声。
「祐也くん。」
教室へ響くもう一つの声。
「智美ちゃん。」
「終りそう?」
「うん、もう少しで終るよ。」
「じゃあ、玄関で待ってるね。」
「うん。」
私だけの時間はそう長くは続かなかった。
わかっていたことなのだけどね。
「祐也、あと私がやっておくから帰っていいよ。」
「え?」
「かわいい彼女を待たせたらダメだよ。」
「ちゃん、それとこれとは・・・」
「いーから。はいっ、帰った、帰った。」
そう言って祐也に無理矢理鞄を持たせる。
「じゃあ・・この埋め合わせは後でするから。」
「はいはい。今度早く上がらせてね。」
「ありがとう。」
「うん、バイバイ~。」
祐也を見送る。
再び静けさを取り戻した教室へと一人戻る。
私だけの祐也の声・・・か。
今までそんなこと考えもしなかった。
こんなにも声を聞けることが嬉しいなんて。
こんなにも一緒にいられる時間が嬉しいだなんて。
こんなにも・・・好きだったなんて。
今さら自覚してももう遅いよね。
この想いはどこへ行けばいいのかな。
こんな想いを知らないあなたの変わらぬ優しい態度に私は忘れてしまう。
あなたのことをあきらめると決めたことを。
優しくしないで。
心配なんかしないで。
そう思う反面、それとは反対のことを望んでいる私もいる。
三月の朝の校庭はまだ冷え込む。
「おはよー。」
「おーっす。しーな。」
「あれ?ヒロアキだけ?」
「悪いか?」
「ううん。」
「寒いものね。皆朝練はしないか。」
「自主性だしな。」
ランニングを終えるとコートへ入る。
「お、祐也だ。」
ヒロアキの目線を追うとそこには祐也と智美の姿があった。
「おはよう。」
「おっす。」
最初に祐也とヒロアキが挨拶を交わす。
「早いな。二人とも。」
今度は祐也の視線が私に移る。
「萌ちゃん、おはよう。」
「お、おはよう。」
「めぐちゃんおはよう。」
「おはよう、ともちゃん。」
挨拶が済むと二人はランニングへ行った。
コートにはヒロアキと入った。
「しーなさぁ。」
「うん?」
「大丈夫なのか?」
「なにが?」
壁打ちで練習をしているとヒロアキが話しかけてきた。
「なにって・・・祐也の事。」
「う~ん・・・」
「顔、やばいぞ。」
「そ、そうかな?」
「泣きそうな顔してる。」
「そ、そっかぁ。」
思わずボールを打つ手がとまる。
「バレバレかな?」
「オレにはな。」
「やっぱり?」
ヒロアキは手を止めることなく返ってくる球を打ち返し続けている。
「まぁ、祐也本人にはバレてないと思うぞ。」
「それならいいのだけど。」
次の球は大きく反れて後ろへ転がった。
「でもまぁ、祐也の前では泣くなよ。」
「うん。がんばる。」
とはいうものの。
実際問題、祐也とは同じクラス、同じ部活、おまけに同じ委員会と見事に一緒にいる時間が多いのが現状である。
祐也に彼女が出来たのは冬休みが明けた頃だった。
以前から彼女、栗原智美との仲の良さは有名だったのだが。
その彼女智美とも同じクラス、同じ部活なわけで。
あと一ヶ月・・・
三年のクラス替えで別々のクラスになることを今は祈るばかり。
やっぱり、やりにくさはある。
正直、祐也とクラスが別れるのは寂しいけれどこのままずっと一緒にいるのもまた辛い。
祐也に彼女ができたと知った直後は、ご飯が喉に通らないほどショックだった。
たくさん涙を流した。
周りの人からも声をかけてもらった。
大丈夫?
元気を出して。
落ち込まないで。
誰にでもあること。
仕方ないよ。
そう言われて、
ああ、これが失恋なのかなんて思った。
でも・・・
失恋てなに?
好きな人に彼女が出来たから失恋なの?
直接振られたわけでもないのに失恋なの?
失恋てなに?
この想いはどこへ行けばいいの?
「めぐちゃん、プリント提出した?」
「プリント?」
「三年生の選択授業の。」
「ああ、まだだ。」
慌てて引き出しの中からプリントを出す。
「三年でめぐちゃんとクラス別れても寂しくないように選択授業は一緒がいいのねん。」
「ちなっちゃん、嬉しい。」
そう言うと千夏と抱き合った。
「で、めぐちゃん何にする?」
「う~ん、今年は音楽だったからね。変えてみようかな。ちなっちゃんは?」
「そだね、美術なんてどう?」
「美術ね~。」
「絵、下手だけど。」
「私も。」
「毎年音楽は大人気だからね~。美術は落ち着いて授業できるかもねん。」
「そうだね、美術にしようか。」
「じゃあ、決まりねん。」
「うんうん。」
「じゃあオレも。」
二人の会話にヒロアキが入り込んできた。
「ヒロアキが?」
「美術?」
「なんだよ。悪いか?」
千夏と二人顔を見合わせて笑ってしまった。
「ははは。ヒロアキが。」
「美術。ははは。」
「イメージな~い。」
「おまえらひでーよ。」
「はははは。」
ちなっちゃん、ヒロアキ、私。
そこにはいつも笑い声があって、賑やかな日々を過ごしてきた。
ちなっちゃんとヒロアキの二人は小学校から一緒で家も近所の幼馴染。
そんな二人の明るい笑顔にいつも励まされてきた。
でも・・・
ほんとはね、もう一人。
祐也。
二年生の大半はいつもこの四人で過ごしていることが多かった。
昨日見たテレビの話、好きな音楽の話をしたり、部活の帰りに寄り道をして、もんじゃ焼きを食べたりもした。
朝から帰りまでいつも一緒に笑っていた。
もう祐也が戻ってくることはないのかな。
そんな風に思うと、また涙が出そうになる。
友達としてでもいい。
祐也と話しがしたい。
と、思いつつも、いざ二人になると緊張してしまって上手く話せなくなる。
「萌ちゃん、六組戸締りOK。」
「はい。六組OKと。」
祐也とは委員会が一緒。
前期・後期共に生活委員を任された。
主に生徒達の風紀問題や校内整備の確認を行っている。
放課後、全教室の戸締りをチェックするのも任務の一つである。
「最後六組で終わりだな。」
「うん。」
祐也と二人になれるこの時間は、私にとって嬉しい時間のはずなのだが。
今では複雑な想いで心が痛い時間でもある。
知らないのだものな。
祐也は。
私の気持ちなんて。
だから、時々切ないことを言ってくる。
「もうすぐ三年だなんてな。萌ちゃんとクラス別れるの寂しいな。」
「そ、そうだね。」
「あ、今の本心?無理言った?」
「そ、そんなことないよ。」
慌てて首を横に振り否定すると、祐也は笑って言った。
「ならいいのだけどね。俺だけが寂しく思っているのかと思ったよ。」
「と、ともちゃんとも同じクラスだといいね。」
言ってしまってから自分で自分を殴りたい衝動に駆られた。
も~、何言っているのよ私。
そんなの余計な事じゃない。
はぁ。どうしよう。
祐也変な風に思ったよね?
「そうだね。そういえば萌ちゃん、三年の選択授業何にしたの?」
「え?あ、美術にしたよ。」
「へぇ~、美術か。」
意外にも祐也はあっさり交わして話題を変えてくれた。
助かった。
六組までの戸締りチェックが終った。
日誌への記入も全て終ると祐也が言った。
「俺も美術にすれば良かったな。」
「えっ?」
「日誌出しとくね。お疲れ。」
そう言うと鞄を持ち教室を後にした祐也。
祐也の発言の意味はわからなかったけど、
これが祐也との最後の当番だった。
2
校庭の桜が咲いた。
ちょうど見ごろを迎えた頃。
中学三年生になった。
「めぐちゃーん!」
「おはよう、ちなっちゃん。」
「めぐちゃ・・・はっ、はっ。」
登校してきたに大きく手を振って走ってきた。
「ちなっちゃん、そんなに息切らして。」
「だってぇ。」
「どうだった?」
「んー、残念。やっぱ別れちゃった。」
「そっかぁ、残念。」
「めぐちゃん五組、あたし三組。」
「三年五組か。」
「でもめぐちゃんのクラス良いよ。にのと、タケやんと亮ちゃんとかいーっぱい知ってる人いるの。」
「え?にのも一緒?」
「もーえっ!」
「うわぁっと、にの!」
嬉しそうに弾んだ声と共に後ろから頭を撫でられた。
「にのっ!一緒のクラス?」
「おうっ、もえと一緒のクラスだなんて小学生以来だな~。」
「うん!やったぁ。」
「あんたいい加減めぐちゃんの呼び方どうにかならないの?」
隣にいた千夏が少し不機嫌そうな表情で話しかけた。
「なんだ、千夏、やきもちか?」
「誰があんたなんかにっ。」
「そっか、そっか。千夏は俺とクラスが離れて寂しいのだよな。」
「寂しくない。」
「じゃあ、千夏も呼び方変えてみるか?二宮英典、ヒデくんと呼んでいいぞ。」
「ばっかじゃないの!」
「まあまあ、ちなっちゃん。にのも。」
二人のやり取りを宥めようと間に入る。
「いいんだよ、俺は昔からもえって呼んでるんだから。なっ、もえ。」
「う、うん。」
「始業式を始めます。各クラス出席番号順に並び待機してください。」
放送が入る。
「じゃあ、めぐちゃんまたね。」
「うん、後でね。ちなっちゃん。」
「よし、俺達は五組のところに行こうぜ。」
「うん。あっ!」
「もえ?どうした?」
「私五組って言っても出席番号知らないのだった。見てこなきゃ。」
「なんだ、もえ掲示板まだ見てなかったのか。」
「そうなの。にの先に行って。」
「おう。」
「めぐなら私の後ろで九番だよ。」
掲示板を見に行こうとしたその時、後ろから懐かしい声が聞こえてきた。
「けいちゃん!」
「おお、恵子も同じクラスだったな。」
「にの、『も』ってなによ?また私と同じクラスじゃ不満?」
「いえ、斉藤恵子さんと三年連続同じクラスで光栄です。」
「よろしい。」
「うわー、けいちゃんと同じクラスだなんて。やったぁ。」
「めぐ、久しぶりに遊べるわね。」
「うん!」
始業式が始まった。
長い校長先生の挨拶。
にの、けいちゃん、タケやんに亮ちゃんと、三年五組には小学校の時に仲が良かった友達が揃っていた。
蓮田中学全六組は、蓮田小、蓮田第二小と、二つの小学校の合併。
ちなっちゃん、ヒロアキ、祐也は蓮田小出身。
私、にの、けいちゃん、タケやん、亮ちゃんは蓮田第二小の出身なのである。
クラス発表の掲示板を見ていない私は、友達がどこのクラスにいるのかを探した。
あ、ヒロアキ見っけ。
左隣の四組の列に並ぶヒロアキの後姿を発見した。
ヒロアキとは二年間一緒のクラスだったが、最後の一年は別々になったか。
と、その隣女子の列に智ちゃんを見つけた。
智ちゃんとヒロアキは同じクラスか。
祐也・・・は?
三組に並んでいる祐也を見つける。
ちなっちゃんと同じクラスなのだね。
皆、クラスは別れてしまったけれど、それぞれの三年生がスタートする。
三年の教室は一階になった。
同じく一階にある美術室の前を通った時、思わず足を止めた。
「めぐ?どうかした?」
「あ、ちょっと・・・。」
「何?絵?」
「うん。」
美術室の前の絵が張り替えられているところだった。
「ああ、新しい学年になったしね、張り替えているのか。」
「うん。」
「何?めぐの絵でもあるの?」
「ううん。あれ。」
指差した方を見る恵子。
「なあに?誰の絵?」
「わからないのだけどずっときれいだなって思っていたの。」
「ふ~ん。」
そう言うと萌は絵に近づいて行った。
「なんだ。穂高のか。」
「えっ?」
「ほら、名前書いてあるじゃん。」
恵子に言われて見に行く。
「ほんとだ。穂高・・。」
「あいつの絵が張られていたとは知らなかった。」
「けいちゃん知っているの?穂高って人。」
「うん、去年同じクラスだったよ。」
「そうなんだ。私知らなかった。」
「だろうね。あいつ目立たないから。」
「そうなの?」
「うん。」
「何部の人?」
「さあ?」
「えっ、部活もわからないの?」
「うん、知らない。」
「えー、同じクラスなのに?」
「知らぬものは知らぬ。」
「そうなんだ。」
「あ、めぐ急がないとHR始まるよ。」
「あ、やばいね。」
走って教室へ戻った。
HRでは簡単な自己紹介をした。
三年になったとは言え、全六クラス、一学年にすると約二百人。
うち、三分の二が蓮田小出身、残り三分の一が蓮田第二小出身なので、未だ名前を知らない人もたくさんいる。
「あーあ、松岡君と同じクラスになりたかったな。」
「三年間一度も同じクラスになれないなんて。」
「誰がクラス決めてるんだろねー。」
そんな女子達の会話が聞こえてきた。
確かに。一年に一度のクラス替え。
三度目になるが、不思議なものである。
三年間同じクラスの者、別々の者、一年の時同じで三年でまた同じクラスになった者。
成績?部活動?何をもってクラスを決めているのかな。
そんな風に思うのは誰でも同じである。
ただ、
三年間一度も同じクラスにならなかった者、部活動も異なり、委員会も異なった者。
そんな廊下ですれ違うだけで顔も名前も知らない者がいる。
そして知り合うことのないまま卒業。
なんて事があるのかもしれない。
そんな事を考えていたら廊下側の窓から声をかけられた。
「タケ呼んで。」
ずばり、顔も名前も知らない人だった。
「タケやん、呼んでるよ。」
「おお。」
竹田のところへ呼びに行くと、二宮とがいた。
「もえは選択授業何にしたの?」
「美術だよ。」
「もえと一緒だ。やったー!」
「にのも美術?」
「おうっ!」
「亮ちゃんは?」
「俺も美術。タケやんも美術。」
「うっそ。そんなことあるの?」
「俺も美術だよ。」
驚いた顔をしていると一人の男子が話しかけてきた。
「おお、関君もか。」
「すごいぜ、このクラス美術多いな。」
「もしかして選択授業でクラス決めしたのか?」
「にの、それじゃあ選択授業の意味ねーじゃん。」
「それはそうだな。」
「あははは。」
関というクラスメイトはもうすっかり皆に馴染んでいた。
ふと、竹田のいる方を見る。
さっき廊下で竹田を呼んだ男子と二人、話していた。
そこには私の知らないタケやんがいた。
男の子同士、何を話しているのかな。
なんだか楽しそう。
タケやんも小学生の時とは変わったのだな。
そんな当たり前のことを思ってしまった。
三年生か。
どんな一年になるのだろう。
最高学年になり、新入生が入ってくる。
行事では修学旅行、夏季大会、引退試合。
そして夏休みには受験生になる。
良い一年になるといいな。
その前に、クラスの皆の顔と名前、覚えなきゃね。
翌日のHRでは前期の係り決めを行った。
学級委員と生活委員は推薦で数名の名前が挙がった。
去年生活委員をやっていたというだけで私の名前も挙がっていた。
「めぐは?このまま生活委員やるの?」
「う~ん、やるのは良いのだけれどね。違う委員会もやってみたい気もする。けいちゃんは?」
前の席の恵子が後ろを振り返って話しかけてきた。
「私は修学旅行委員やってみたいな。」
「いいね、けいちゃんに合っている。」
「関君は?」
恵子は隣の関に話しかけた。
「俺は体育委員がいいな。椎名さんは去年生活委員だったの?」
「うん、そうなの。」
五十音順の出席番号順に並んだ座席には、斉藤恵子、竹田雅史と顔見知りが揃っていた。
恵子の隣の関とも話すようになった。
「椎名さんて真面目そうだものね。」
「そうかな?」
「うん、そう見えるけど?」
「めぐは意外とおっちょこちょいの忘れ屋さんよ。」
「けいちゃーん。」
「方向音痴ですぐ迷子になるし。」
「そんなことないもん。」
「去年も教科書やら辞書やら何度貸したことかしら。」
「けいちゃん、貸し借りはお互い様だよー。」
「あはは。でも本当の事でしょ。」
「もぉーけいちゃん。」
「うそうそ、ごめんって。」
「ははは。椎名さんって面白いのだね。」
「でしょ、関君わかる人ね。」
「けいちゃーん。」
からかって楽しんでいる。
そんな二人を笑顔で見ている関。
結局、その日の係り決めで私は生活委員になった。
放課後、皆それぞれ部活へ行く準備をしていた。
「関君―、」
「四時からミーティングになったから。」
「おお、わかったー。」
廊下から関を呼んだ男子の顔には見覚えがあった。
確か・・・
昨日竹田を呼んでいた男子と同じだった。
そう思って見ていると、その男子のところに竹田が向かった。
二人で話している。
やっぱりそうだ。
昨日の男子だった。
名前、知らないな。
3
新学期が始まり三週間がたった。
三年生になり、最高学年になり、部活も、委員会でも任されることが多くなった。
去年までは祐也と出席していた委員会も、新しくメンバーががらりと変わっている。
部活動では新入生の勧誘をして、新入部員が増えた。
それぞれの場で、新しい出会いがはじまり、人間関係が築かれていく。
新しいクラスにもだいぶ慣れた。
三年五組のクラスメイト全員の顔と名前を覚えた。
この時期、新しい環境にソワソワする。
ワクワク期待している気持ちと、今までと変わってしまう寂しさのような、そんな感情が入り混じってなんだか落ち着かない。
変わることは良いこと?
新しいものを取り入れて、古いものはさよなら。それでは寂しいから、古いものの上に新しいものを築いていけたらいいな。
思い出は、積み重ねていく方が良い。
良いことも、そうでないことも色々あったけれど、新しい一年が動き出している。
そんな環境の変化があり、この時期、変わることに慣れはじめていた。
でも、変わらないものもあった。
「萌ちゃん。」
「祐也。」
「帰るところ?」
「うん。」
「途中まで一緒してもいい?」
「え?ともちゃんは?」
「ははは。今日は委員会だから。」
「そ、そうなんだ。」
突然話しかけられてびっくりした。
驚きからとはいえ、また余計な事を言ってしまった自分が情けない。
「久しぶりだね、萌ちゃんと帰るの。」
「そ、そうだね。」
「クラスも別れちゃったしな。」
「うん。」
そういえば、本当に久しぶり。
こうして祐也と話すのも。
新学期が始まってバタバタしていた。
部活は一緒といえども話す時間はなかった。
「萌ちゃん生活委員になったのだね。」
「うん。これで三期連続。」
そういえば、二年の終わりに祐也は生徒会に入った。
転校が決まった副会長の代わりを、祐也が務めることになった。
「でも良かったよ。萌ちゃんが生活委員で。」
「え?」
「生徒会と生活委員は同じ活動があるからね。」
そう言って笑顔を見せる祐也。
変わらない祐也の笑顔。
やっぱり・・・まだ祐也のこと好きだなって思ってしまう。
でも・・・
複雑な気持ちで、祐也から目を逸らしてしまう。
「祐也、生徒会は忙しい?」
「そうでもないよ。なにせ優秀な生徒会長様がいるからね。」
「それって僕のことかな?」
「聡、いるなら最初から出てこいよ。」
後ろから現れたのは生徒会長、松岡聡一。
「二人の邪魔をしてはいけないと思ってね。」
「後ろ歩いていたのバレバレだったぞ。」
「やあ。椎名さん。」
「こ、こんにちは。」
「あれ?、萌ちゃんと知り合いだった?」
「まあね。祐也の知らないところで椎名さんと出会っていたのさ。」
「なんだ?それ。」
「あのね、祐也実は――」
説明しようとしたその時、
「危ないっ!!!」
シュッとものすごい速さで何かが目の前を通過していった。
祐也が手を出してかばってくれなかったら、そのまま歩いていた私に当たっていたに違いない。
そう考えると今になって恐怖感が襲ってきた。体が震えている。
「萌ちゃん、大丈夫?」
「椎名さん、怪我は?」
二人が心配そうに顔を覗きこむ。
「だ、大丈夫。」
「なんでこんな所にまで野球の球が飛んでくるんだ?」
「学校からは離れているのにな。」
「まあ、怪我がなくてよかったよ。」
「そうだな。」
そうかもしれないけど、良くもないかもしれないよ~。
ゆ、祐也の、
てっ、手が・・・
か、肩に・・・
突然飛んできたボールから私を庇ってくれた祐也の手は、背中を回して肩に触れていた。
勿論、とっさの判断。
祐也にとっては、助けてくれようとして伸ばしただけの手。
でも・・・
私にとっては、温かくて、忘れられない温もり。
祐也に触れられたところが熱いよ。
久しぶりに話した祐也との時間も、最初の緊張とは違う意味で印象の深い日となった。
選択授業が始まった。
二週に一度、選択授業が設けられている。
音楽、書道、美術、家庭科、英会話、体操、社会調査、パソコン、ボランティアから選ぶことになっている。
一選択が二十名前後の定員での活動となる。
同学年の生徒がクラスに関係なく少人数で同じ授業を行う機会となっている。
美術に集まったのは十六人。そのうちの半数が顔見知りだった。
美術といっても、絵を描くだけでなく、彫刻や版画、イラストや漫画作成等幅広く自分で課題を決めて取り組んで良い時間となっている。
もちろん成績に反映されないこの時間は、生徒一人一人がのびのびと取り組めるという長所がある。
いつもの美術室も少人数で使うと広い空間へと変わる。
「では、このプリントをまわしてください。」
担当の先生からプリントが渡される。
適当に座っている生徒達がプリントを受け取ると他の人へと順次渡していく。
萌の前にプリントの束が差し出された。
受け取ろうとした時、
「あっ!」
「ご、ごめんなさい。」
手を滑らせてプリントを落してしまった。
「なにやってんだよー。」
「めぐちゃん大丈夫?」
近くにいた千夏が声をかける。
「ごめんね、拾う――」
落ちたプリントを拾い集めてくれた男子がいた。
「あ、ありがとう。」
お礼を言うがその人は何も言わずに席に戻っていった。
顔を見た。
「あれ?」
見たことのある顔だった。
そう、いつも竹田のところへ来ている・・・
「しーな、プリント。」
「あ、ごめん、今配る。」
「しーなはおっちょこちょいだな。」
ヒロアキが笑う。
プリントを読み終えると皆それぞれの課題に取り組み始めた。
外へスケッチに出掛ける者、粘土を捏ね始める者、絵の具を出す者、バケツに水を用意する者。
私は外へ足を伸ばすことにした。
「美術選んで良かったねん。外は気持ちいー。」
「サボれるな、この授業。」
後ろから千夏とヒロアキがついて来ていた。
「二人とも・・・」
違う意味で捉えてる二人にかける言葉、それは飲み込むことにした。
だって・・・
中庭を、足取り軽く走ったり、回ったり、振り返るとそこには千夏の思いっ切りの笑顔。
そこにいるのが自然なヒロアキの存在。
こうして三人でいれる時間も久しぶり。
今年クラスが別れて、唯一、三人で過ごせる時間となった選択授業。
なんだか嬉しくて。
新しいはじまりの多い時期だけど、こうして変わらず積み重ねていけるもの、これからも大事にしていきたい。
放課後。
教室にあの人が来た。
今度は直接竹田の席へ向かっていた。
そばにいた二宮に話しかける。
「ねえ、にの。」
「ん?」
「タケやんのところにいる、あの人、誰?」
「ああ、晃君?」
「あきらって言うんだ。」
「もえ、どうかした?」
「ううん。なんでもない。」
「なんだー、もえ、ひょっとして晃君に・・・」
「ち、違うよー、そんなんじゃないって。」
ニヤニヤしながらからかってくる二宮。
「なんだよー、そうならそうと俺には言えよなー。」
「だから違うってば。」
「なにが違うの?」
そう言って話しかけてきたのは松岡だった。
「椎名さん、ちょっといいかな。」
「はい。」
「にの、違うからね。」
「はいはい。いってらっしゃーい。」
まだ笑顔で楽しそうにしている二宮に再度告げてから松岡と教室を出た。
「これ、僕の分提出してもらっていいかな。」
一冊の大学ノートを受け取る。
「今日生徒会で遅くなりそうなんだ。お願いできる?」
「あ、はい。わかりました。」
「ありがとう。助かるよ。」
「はい。」
「椎名さん、前から言おうと思っていたのだけど・・・」
「松岡君―、ちょっといい?」
「うん、今行くね。」
教室の中から女子に呼ばれた松岡は、笑顔で応えていた。
「じゃあ、椎名さんよろしくね。」
「はい。」
生徒会長の松岡くん。
もちろん成績も優秀で、いつも順位は上位。
一年の時からずっと学級委員を務め、人脈も厚く、おまけにルックスもかっこいいから女子からも大人気。
そんな松岡くんと話す時は当然緊張してしまう。
憧れだし、尊敬に値する人。
松岡の後姿を見つめながらそう思った。
「めーぐっ。」
「けいちゃん。」
「見たわよー。なあに?それ。」
教室へ戻ると恵子がノートを指差した。
「あ、これは・・・その・・。」
「あんたまさか松岡と?」
「ち、違うよー!」
慌てて否定するが声が大きかったのかクラスの数人がこっちを見ていた。
「違うのよ。これはね、」
今度は小さな声で話す。
「塾の宿題なの。今日松岡くん遅くなるから代わりに私が。」
「めぐ、松岡と同じ塾なの?」
「けいちゃん声が大きい。」
「あ、ごめん。」
慌ててが声を潜める。
「めぐの塾、松岡と一緒だった?」
「ううん、最初は違ったよ。」
「いつから?」
「あのね、この間の春休みから松岡くんが入ってきたの。」
「なるほど。」
「それでね、松岡くん、私と同じ塾に通っていること、皆には内緒にしておいてって。」
「そっか。」
「だからけいちゃん、他の人に話さないでね。」
「話さないわよ。話せるわけ無いじゃない。それより、あんた大丈夫なの?」
「何が?」
「何がって・・・」
「ん?」
きょとんとした表情の萌に、恵子が再び小声で話し始めた。
「松岡ってさ、モテるじゃない。」
「うんうん。」
「熱狂的なファンがいるらしく松岡としゃべる女子には目をつけているらしいのよ。」
「えーっ!」
「けっこう有名な話よ。知らなかった?」
「知らなかった。」
「あたし奴とは去年同じクラスだったからそういう子、何人か見たのよ。」
「ほんとなの?」
「まあね。」
「えーっ、けいちゃんどうしよう。」
「でも今まで松岡とは仲良くなかったのだし、めぐはノーマークのはず。今は大丈夫だと思うよ。」
「これからは?」
「なるべく・・・学校で話すのは避けたら?」
「うん、そうする。」
「女の恨みは怖いからね。」
「けいちゃーん。」
「はいはい。冗談は抜きに、気をつけてね。」
「うん。」
知らなかった。
松岡くんと話すだけでそんなことがあるだなんて。
偶然、そう偶然なの。松岡くんが塾に入ってきたのは。
元々、学区外の塾に通っていた。
勿論、うちの中学から通っているのは私だけ。
そんなところに松岡くんが入ってくるなんて思いもしなかった。
でも・・・
気をつけなきゃね。
学校ではあまり話さないようにしよう。
4
五月になった。
ゴールデンウィーク明けに中間試験。
試験明けには部活再開。
五月から新入部員を迎えた。
汗ばむ陽気となった日。
今日は午前で授業が終る。
午後からは部活がある。
久しぶりに千夏とヒロアキと一緒にお弁当を食べていた。
「やっぱめぐちゃんと食べるお昼はおいしいねん。」
「そうかぁ?別に味は変わらねーぞ。」
「ヒロアキは素直じゃないのねん。」
「どーいう意味だよ、北川。」
「はいはい、二人とも、仲良く食べようよ。」
相変わらずの二人のやりとりに間に入る。
でも、三人で食べるお昼はやっぱり嬉しい。
去年まで同じクラスだったから三人で食べるお昼は当たり前だったけどね。
皆クラスが別れたけれど、こうして時々一緒にお昼を過ごしている。
そんな事を思っていると竹田達が教室に入ってきた。
あの人も一緒だ。
「最近、よく会うよね。」
「誰と?」
「あの人。タケやんと一緒にいる・・・」
「ああ、晃君?」
「あれ?ヒロアキ知り合い?」
「知り合いって同じクラスだぞ。」
「えっ?そうなの?四組だったの?」
「ああ。」
「そうだったんだー。」
「めぐちゃん、知らなかったの?」
「うん。」
「晃君を?」
「うん。」
「うそぉ。」
「ほんと。名前を知ったのもつい最近。」
「あら。」
「三年になってからよく見る顔だな~とは思っていたのだけど。」
「めぐちゃん、マジですか?」
「まじですよ?」
「めぐちゃん前からよく会ってたじゃない。」
「えっ?」
「あんな風に、去年めぐちゃんがタケやんやにののいる三組に行くと晃君いつもいたよ。」
「ええっ?」
千夏の話に驚いた。
「タケやんとにのと同じクラスだったの?」
「そうだよん。」
「ほえ~。思い出せない。」
「今までめぐちゃんが晃君という人を知らなかったからそう思うのかもね。」
あ・・・そっか。
今ちなっちゃんに言われてわかった。
私が今まで知らなかったんだ。
私が気づいていなかっただけで、きっと去年、ううん、中学生になってからもう何回も、何十回も会ったりしていたのだ。
タケやんやにのしか見ていなかった私。
周りを見ようとしていなかった私。
そんな自分がなんだか恥ずかしくなった。
あの人だけに限ったことではない。
もっと周りを見て、色々な人とかかわりながら過ごしていけたらいいな。
中学三年生。今年で卒業するのだから。
この一年はしっかり周りを見てたくさん成長していきたいな。
そんな風に思った。
翌朝だった。
下駄箱で、なんとあの人に会った。
「おはよう。」
思い切って声をかけてみた。
が、・・・
なんとその人はこっちを見ただけで何も言わずに行ってしまった。
せっかく話しかけたのに。無視とは。
私がにのやタケやんと話している時にいたのなら、あの人だって私の事を知っているに違いない。
だからせめて挨拶くらいは。話すきっかけになるかもしれない。
そう思った私が間違っていたのだろうか。
なんだか腹が立ってきた。
「おはよう、椎名さん。」
「おはよう、関くん。」
教室に入ると皆登校していた。
「椎名さん昨日のお笑いリーグ見た?」
「うん、見たよ。」
「あれ、面白かったよなー。俺後半戦ずっと笑い止らなかった。」
「うん、うん。」
関くんとはだいぶおしゃべりをするようになった。
色々な話題を持ちかけてくれて、笑顔で話してくれて、話しやすい。
いい人だなって思う。
「めぐ、おはよ。」
「けいちゃん、おはよー。」
「掲示板見た?」
「ううん。」
「中間テストの結果、出ていたよ。見に行く?」
「うん、行く!」
と一緒に教室を出た。
先日行われた中間テスト、成績上位三十名の名前が掲示板に貼り出されていた。
「めぐ、すっごーい十一位!」
「頑張りました。」
「一位はやっぱり松岡か。」
「すごいよね。ここのとこずっと一位を取り続けているよね。」
「化け物だな。」
掲示板の前には大勢の生徒が集まっていた。
自分の六つ後ろの順位に祐也の名前を見つける。
祐也、順位少し落したかな。
生徒会が忙しいのかな?
去年はよく祐也と二人でこの掲示板を見ていたな。
順位を競っていて。勝った方がジュースをおごる。なんてしていた頃もあったな。
なんだか懐かしい。
そんなことを思い出しながら順位表を見ていると、ある名前に目が留まった。
「あれ?」
「どうした?」
「けいちゃん、あそこ・・・」
「うん?」
「五位の人・・・」
「五位?」
掲示板に目を凝らす。
「ああ、穂高ね。」
「けいちゃん、穂高晃って・・・」
「穂高がどうかした?」
「前に美術の絵で。」
「絵?」
「ほら、始業式の日、美術室の前で見た絵。」
「ええ?思い出せないなぁ~。そんなことあったっけ?」
「うん・・・」
思い出そうと考えている恵子。
穂高晃。
印象に残っているあの絵を描いた人。
こんなところで名前を見つけるだなんて。
もしかして今までもずっと名前、載っていたのかな。
「ねえ、けいちゃん。」
「思い出さないわよ。」
「うん、そうじゃなくて、けいちゃん穂高って人と去年同じクラスだったよね。」
「そうだっけ?」
「言っていたよ。」
「そうだったかな~、そうだったような、そうでないような~。」
「もぉー、けいちゃん。」
「はいはい、ごめんて。でもね、穂高って忘れてしまうくらい目立たない奴だったのよ。」
「穂高って人頭いいの?」
「そうね、そういえば・・・良かったかもね。」
「かも?けいちゃーん。」
「だって穂高に興味ないし、思い出せないのだもの仕方ないでしょ~。」
半ば投げやりになってくる恵子の答え。
「なあに?めぐ、まさか穂高に興味あり?」
「そんなんじゃ・・」
「ん?ん?」
面白そうにからかってくる。
いつものように慌てて反論してくるのを楽しみにしている。
「興味ある。」
「!?!」
が、予想に反し返ってきた言葉に絶句していた。
自分でも驚いた。
なぜ、興味あるだなんて言ったのか。
恵子は苦笑いで、
「今度いたら教えるから~」と言っていたが。
最近ね、自分の周りをよく見ようと思ったから。
だからかな。
だから。
名前も顔も知らない人。
名前は知っている人。
あの素敵な絵を描いた人。
気になっているのかもしれない。
5
生活委員の当番がまわってきた。
同じく生活委員になった猪原と全クラスの戸締りチェックをしていた。
「五組戸締りOK。」
「はい、OK。」
日誌に確認の印を記入していた。
すると唐突に猪原が話しかけてきた。
「椎名さんてさ、」
「うん?」
「聡君の事好きなの?」
「ええっ?」
驚いて大きな声を出してしまった。
放課後の教室に響き渡る。
「なに?猪原くん、突然・・・」
「いや、そんな噂が流れてるからさ。聞いてみようと思って。」
「う、噂?!」
「そ。噂。」
「そう。」
「で?本当なの?」
「ち、違うよ。」
「否定するところがまた怪しい。」
「もう、猪原くん、違うってば。誰がそんな事言ったの?」
「噂だからね。」
「だれ?」
「だから、ただの噂。はい、六組戸締りOK。」
「もー。」
「悪いけど椎名さん、日誌の提出お願いしてもいい?俺部活急がないとまずいんだ。」
「いいけど。」
「サンキュー。次は俺がやるから。じゃあお疲れ。」
「お疲れさま。」
そう言うと猪原は行ってしまった。
日誌を生徒会室へ提出しに廊下を歩いた。
噂かぁ。
私が松岡くんの事を好きだなんて。
誰がそんな噂を流したのだろう。
そんな噂、もし・・・
松岡くんのファンの子達に知られたら・・・
”バシャッ“
「ひゃあ!」
突然、体に冷たさを感じた。
何?
なにこれ?
水?
渡り廊下を歩いていたら突然上から降ってきた水。
間違えて誰かこぼしたのかな。
上を見るが誰もいない。
それなら一言謝ってくれればいいのに。
悪いと思ったから逃げたのか?
そんな事を考えているうちに生徒会室の前まで来た。
少し、緊張する。
だって、このドアの向こうには祐也がいるのだから。
大丈夫。日誌を出すだけ。
いつも通り、日誌を出すだけ。
「失礼します。」
ドアを開けると祐也の姿が見えた。
「萌ちゃん。ご苦労さま・・ど、どうしたの?」
「えっ?」
祐也の言葉に自分が驚いた。
「どうした?その頭・・・」
「ああ、そこの廊下で上から水が。」
「水がって・・・」
「誤って撒けちゃったのじゃないかな。」
「撒けるか?普通。」
「大丈夫。日誌はこの通り濡れてないから。」
「別に日誌なんてどうでもいいよ。それより萌ちゃんの方が心配だ。」
そう言って祐也がタオルをかけてくれた。
髪に・・・
祐也の手が私の髪に触れて。
ドキドキした。
ドキドキして、とまらなかった。
心臓の音が大きくて、祐也に聞こえてしまうのではないかと。
でも・・・
優しくしてはダメだよ。
優しくしないで。
でないと私、まだあなたの事が・・・
「萌ちゃんてさぁ。」
席に戻った祐也が言った。
「な、なに?」
「好きな奴とかいるの?」
「えっ?」
突然の事に心臓を打つ音が速くなった。
「な、何?いきなり。」
「いや。いるのかなって思って聞いてみた。」
ど、どうしよう。
こんな質問されるだなんて。
思ってもみなかった。
いないって言おうか。
それとも・・・
笑って、
「祐也の事が好きだったんだよー」って言っちゃおうか。
でも・・・
「い、いないよ。今はいない。」
「今はってことは前はいたの?」
「う・・・」
言葉に詰まってしまった。
まさか自分の発言の裏を取られるとは。
「いたの?」
「う、うん。」
苦し紛れに答えた。
すると、祐也は何も言わずに日誌の確認を始めた。
そんな祐也を見て、私も借りたタオルを元に戻した。
改めて祐也を見る。
日誌に目を通している祐也。
久しぶりに見る祐也の横顔は・・・
なんだか私の知らない顔をしていた。
日誌の確認が終り、生徒会室を出ようとした時、祐也が言った。
「そいつは幸せ者だな。ちゃんに好かれているだなんて。」
そいつはおまえの事だぞ。
なーんてね。
そう言えたら良かったのに。
好きだったよ。
そう言えたら良かったのに。
あなたの事が・・・好きでした。
あ、あれ?
やだな、涙出てきた。
生徒会室から教室へ戻る途中、いつの間にか目から涙が落ちていた。
今でも祐也の事、想っている。
嫌いになんかなれない。
あきらめることなんてできない。
そんな自分が情けなくて、悔しくて。
祐也に気がつかれないようにって、泣かないように我慢して。
必死に隠そうとしていた。
でもね、
隠すことが大事なの?
最近、そう思うようになってきたんだ。
「おい。」
「おいっ。」
教室で一人机に顔を伏せていた。
泣き顔のまま部活にはいけない。
そう思ってサボっちゃった。
「おい。」
誰かに呼ばれている。
顔をあげた。
「椎名。」
“ガタンッ”
驚いて立ち上がると、勢いで椅子を倒してしまった。
顔を上げた目の前にいたのはなんとあの人だったから。
「な、なに?」
「いや。」
「何か用?」
「べつに。」
「べつにって・・・」
呼んだのはあなたでしょ。
そう言いたいところだったが、そんな元気は私に残されていなかった。
あ。
泣き顔、見られたかな。
慌ててうつむいた。
すると何も言わずに立ち去ろうとしたので、
「ちょっと、あきらくん。」
思わず声をかけてしまった。
立ち止まり振り返った。
「あきらくん、だよね?」
「そうだけど、晃くんって・・・」
そういえば、この人さっき私の事「椎名」って呼んだ。
やっぱり知っていたのか。私の名前。
私の事。
それなのにこの間朝挨拶を無視するだなんて。
「だって私あなたの苗字知らないもの。皆があきらくんて呼んでいるから・・・」
「穂高。」
「えっ?」
「穂高晃。」
う、うそぉ。
今、なんて?
ま、待て。
よく考えるんだ。
穂高・・・晃。
私はしばらく頭の中が混乱していた。