第25.5話「温もりの残り火」
第25.5話です。
戦場で戦う者がいるなら、
その帰りを待つ者もまた、戦っている。
スープの湯気が、ゆっくりと立ち上っていた。
薄い。
具も少ない。
それでも、温かい。
「……」
アーニャはその鍋を見つめていた。
木のスプーンで、ゆっくりとかき混ぜる。
それだけの動作。
それでも、手は止めない。
止めてしまえば――
何かが終わってしまう気がした。
「……今日も、これだけか」
小さく呟く。
誰もいない部屋に、声が落ちる。
外では風が吹いていた。
遠くで、鈍い音が響く。
砲撃。
もう、日常の一部になっていた。
「……」
窓の外を見る。
灰色の空。
煙が流れている。
どこかで火が上がっているのだろう。
「……」
アーニャは目を閉じる。
思い出す。
あの森。
静かな朝。
アレクセイが笑っていた顔。
「……」
ゆっくりと息を吐く。
そして、目を開ける。
「……生きてるよね」
答えはない。
それでも、問い続ける。
それが唯一の支えだった。
⸻
配給所には、長い列ができていた。
人々は静かに並んでいる。
誰も話さない。
話す余裕がない。
「……」
アーニャもその中にいた。
手には小さな袋。
中には、ほんのわずかな食料。
それを手に入れるために、ここにいる。
「次」
係の声がする。
一人ずつ、前に進む。
機械のような流れ。
「……」
前に立っていた女性が、突然崩れた。
音もなく。
ただ、倒れた。
「……っ」
誰も叫ばない。
誰も駆け寄らない。
ただ、列が少しずれるだけ。
「……」
係の男が無言でその身体を横に動かす。
そして、また声を出す。
「次」
それだけ。
「……」
アーニャは目を逸らさなかった。
逸らせなかった。
これが現実だから。
ここで目を逸らせば、何も見えなくなる。
「……」
自分の番が来る。
差し出されるのは、ほんの少しのパン。
それでも、大切な命。
「……ありがとうございます」
小さく言う。
返事はない。
それでもいい。
⸻
夜。
部屋は暗い。
灯りは小さい。
節約しなければならない。
「……」
アーニャは机に向かっていた。
紙を広げる。
ペンを持つ。
だが、すぐには書けない。
「……」
何を書けばいいのか。
分からない。
「……」
それでも、書く。
ペンを動かす。
ゆっくりと。
⸻
“アレクセイへ”
それだけ書いて、止まる。
手が震える。
「……」
伝えたいことはたくさんある。
でも、書けない。
「……」
考える。
もし、この手紙が届いたら。
もし、彼が読んだら。
何を思うのか。
「……」
ペンを動かす。
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“こっちは元気です”
嘘だった。
元気ではない。
だが、それを書いてはいけない。
「……」
“寒いけど、なんとかやってる”
それも半分嘘。
でも、必要な嘘。
「……」
“あなたも、無理しないで”
それを書いて、少しだけ笑う。
戦場で無理しないなど、できるはずがない。
それでも、書く。
「……」
ペンが止まる。
最後の一文。
何を書くべきか。
「……」
ゆっくりと、書く。
⸻
“帰ってきて”
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それだけ。
それ以上は書けなかった。
「……」
紙を見つめる。
涙は出ない。
もう、出なくなっていた。
「……」
そっと折りたたむ。
胸に当てる。
それだけで、少しだけ温かかった。
⸻
ある日。
街の空気が変わった。
ざわめき。
人々の動き。
何かが違う。
「……?」
アーニャは外に出る。
人が集まっている。
広場の方。
「何かあったの?」
近くの人に聞く。
「……押し返したらしい」
「え?」
「ドイツ軍を」
その言葉に、心臓が跳ねる。
「……本当に?」
「さあな。でも、そう聞いた」
確かな情報ではない。
それでも――
「……」
アーニャの胸に、小さな火が灯る。
消えかけていた火。
それが、少しだけ強くなる。
「……」
そのとき。
空に音が響いた。
サイレン。
空襲警報。
「……っ!」
人々が動き出す。
走る。
逃げる。
叫び声。
「……」
アーニャも走る。
地下へ。
避難場所へ。
足がもつれる。
それでも止まらない。
「……っ」
息が苦しい。
怖い。
それでも――
「……」
頭に浮かぶのは、あの顔。
アレクセイ。
「……帰ってくる」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく。
ただ、自分に言い聞かせる。
⸻
地下。
暗い空間。
人々が身を寄せ合っている。
静かだ。
だが、その静けさは重い。
「……」
アーニャは壁にもたれる。
目を閉じる。
上では爆発が続いている。
地面が揺れる。
「……」
怖い。
当たり前だ。
だが、それだけではない。
「……」
もし、このまま――
そんな考えが浮かぶ。
すぐに振り払う。
「……」
違う。
まだ終わっていない。
「……」
手を握る。
自分の手。
少し冷たい。
「……」
思い出す。
あのスープ。
あの温もり。
あの時間。
「……」
守りたい。
その思いが、心の奥で静かに燃えている。
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やがて。
爆発音が遠のく。
サイレンが止む。
人々がゆっくりと動き出す。
「……」
アーニャも立ち上がる。
足が震える。
それでも、歩く。
地上へ。
「……」
外に出る。
街はまた、壊れていた。
煙が上がる。
火が残る。
だが――
「……」
空を見る。
灰色の向こう。
ほんのわずかに、光が差していた。
「……」
アーニャはその光を見つめる。
何も言わずに。
ただ、静かに。
⸻
その頃。
アレクセイもまた、空を見ていたことを。
アーニャは知らない。
⸻
だが。
同じ空の下で。
二人は確かに、同じ方向を見ていた。
⸻
戦争は終わっていない。
何も終わっていない。
それでも――
生きている。
それだけで、意味があると。
信じるしかなかった。
読んでいただきありがとうございます。
戦場と日常。
二つの場所で、それぞれの戦いは続いています。
よければ感想などいただけると嬉しいです。




