第20話「崩れる防線」
第20話です。
守るために撃つ。
だが、その守るものが崩れ始めたとき――
人は、何を選ぶのか。
夜明け前。
空はまだ暗く、街は静まり返っていた。
だが、その静けさは長く続かなかった。
遠くから、低い音が響く。
地面がわずかに震える。
「……来るぞ」
誰かが呟く。
次の瞬間――
轟音が空を裂いた。
爆発。
建物が揺れる。
窓ガラスが砕け散る。
叫び声が一斉に上がる。
「砲撃だ!!」
怒号が飛び交う。
レニングラードの防線が、再び火を噴いた。
「持ち場につけ!!急げ!!」
兵士たちが走る。
泥を蹴り、武器を掴み、位置につく。
アレクセイもその中にいた。
ライフルを握る。
だが、その手は以前とは違っていた。
重さを知っている。
意味を知っている。
それでも――
「……行くしかない」
小さく呟く。
走る。
爆発の中へ。
⸻
前線。
煙が立ち込め、視界が悪い。
砲撃は止まらない。
むしろ、増している。
「敵の進軍が早い!押し返せ!」
指揮官の声が響く。
だが、その声には焦りが混ざっていた。
「くそ……!」
隣の兵士が吐き捨てる。
「数が多すぎる……!」
アレクセイは伏せる。
スコープを覗く。
敵の影。
一つや二つではない。
次々と現れる。
止まらない。
「……」
引き金に指をかける。
撃つ。
一人倒れる。
だが、すぐに次が来る。
また撃つ。
また倒れる。
だが――
減らない。
「後退だ!一時後退!!」
ついに命令が出る。
ざわめきが広がる。
「後退!?」
「ここを捨てるのか!?」
混乱。
だが、選択肢はない。
押されている。
完全に。
「撤退しろ!!早く!!」
兵士たちが走り出す。
後ろへ。
街の奥へ。
アレクセイも立ち上がる。
だが、その足が一瞬だけ止まる。
頭をよぎる。
アーニャの顔。
あの場所。
「……っ」
歯を食いしばる。
走る。
今は生き残るしかない。
それが守ることに繋がると、分かっているから。
⸻
その頃。
収容施設。
地下の薄暗い部屋。
ハンスは座っていた。
外の音が響く。
爆発。
遠くではない。
近い。
「……始まったか」
小さく呟く。
静かに目を閉じる。
感じ取る。
戦場の空気。
これは――
ただの攻撃じゃない。
「……押している」
自分の側が。
分かる。
音の質で。
間の取り方で。
長く戦ってきたからこそ分かる感覚。
「……」
胸の奥がわずかにざわつく。
喜びではない。
安心でもない。
ただの事実。
だが、その事実が重い。
「……」
ふと、手紙に触れる。
胸の内ポケット。
そこにある。
確かなもの。
「……帰れるのか」
小さく呟く。
その言葉に、自分で答えは出せなかった。
⸻
地上。
街は崩れ始めていた。
建物が燃える。
瓦礫が道を塞ぐ。
人々が走る。
叫び声。
泣き声。
「逃げろ!!早く!!」
兵士が叫ぶ。
だが、どこへ逃げるのか分からない。
安全な場所など、もうない。
アーニャは走っていた。
息を切らしながら。
後ろを振り返る。
炎。
煙。
「……」
足が震える。
それでも止まれない。
止まれば終わる。
分かっている。
「……アレクセイ」
小さく名前を呼ぶ。
届くはずもない。
それでも。
その名前だけが、前に進む理由だった。
⸻
前線の一つ手前。
臨時の防衛線。
アレクセイたちは再び構えていた。
だが、状況は悪い。
「弾が足りない……!」
「援軍は!?」
「来ない!!」
絶望が広がる。
それでも撃つ。
撃つしかない。
「……」
アレクセイは息を整える。
撃つ。
また一人倒れる。
だが、次が来る。
止まらない。
「くそ……!」
歯を食いしばる。
このままでは――
突破される。
街に。
人々の中に。
「……」
そのとき。
ふと、頭をよぎる。
あの部屋。
ハンス。
「……」
一瞬だけ考える。
あの男なら、この状況をどう見るか。
どう撃つか。
「……」
すぐに首を振る。
考えている場合じゃない。
今は――
「守る」
それだけだ。
⸻
収容施設。
外の爆発が近づく。
振動が伝わる。
天井の埃が落ちる。
「おい……これ……」
見張りの兵士が顔をしかめる。
「ここも危ないぞ……」
もう安全ではない。
戦線が近づいている。
「……」
ハンスはゆっくりと立ち上がる。
身体はまだ万全ではない。
だが、立てる。
歩ける。
「座っていろ」
兵士が言う。
銃を向けながら。
「……逃げる気か?」
ハンスは首を横に振る。
「逃げない」
事実だった。
逃げても意味がない。
外は戦場。
どこにも行けない。
「……」
再び爆発。
今度は近い。
壁が揺れる。
「っ……!」
兵士がバランスを崩す。
その瞬間――
外から怒号が聞こえる。
「突破された!!敵が来るぞ!!」
空気が一変する。
最前線が――
崩れた。
⸻
アレクセイはその声を聞いた。
「……っ!」
最悪の報告。
防線が破られた。
ここまで来る。
街の中心まで。
「全員、退け!!包囲されるぞ!!」
命令が飛ぶ。
だが、もう遅い。
敵はすぐそこまで来ている。
「……」
アレクセイは振り返る。
街の奥。
その先にあるもの。
守るべき場所。
アーニャ。
「……」
足が止まる。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬が長い。
逃げるか。
戻るか。
戦うか。
選ばなければならない。
「……くそっ!」
歯を食いしばる。
拳を握る。
そのとき――
遠くで、大きな爆発が起きた。
方向。
収容施設の方角。
「……!?」
胸がざわつく。
理由は分からない。
だが、分かる。
何かが起きた。
「……」
アレクセイは目を閉じる。
一瞬だけ。
そして、開く。
決意が宿る。
「……行く」
誰に言うでもなく呟く。
足を動かす。
仲間とは逆方向へ。
崩れた街の奥へ。
⸻
収容施設。
煙が充満している。
壁の一部が崩れている。
混乱。
叫び声。
銃声。
「くそっ……!」
見張りの兵士が叫ぶ。
何が起きているのか分からない。
だが、確実に――
ここはもう“安全”ではない。
「……」
ハンスはその場に立っていた。
目の前には、崩れた壁。
その向こうに、戦場が見える。
自由。
だが――
同時に地獄。
「……」
手紙に触れる。
考える。
ここで出るか。
残るか。
そのとき。
足音が近づく。
煙の向こうから、一人の影。
こちらに向かってくる。
その歩き方。
その気配。
見間違えるはずがない。
「……」
ハンスの目がわずかに見開かれる。
影が、はっきりする。
アレクセイだった。
⸻
二人の距離が、再び縮まる。
今度は――
銃ではなく。
選択として。
読んでいただきありがとうございます。
戦場は崩れ、境界は消え始めています。
次に彼らが選ぶのは、引き金か、それとも――。
よければ感想などいただけると嬉しいです。




