第19話「言葉の距離」
第19話です。
撃つ理由は語れないこともある。
だが、語らなければ分からないこともある。
静かな部屋だった。
窓は小さく、光は弱い。
外の音はほとんど届かない。
時間が止まったような空間。
その中で、ハンスは目を開けていた。
身体はまだ重い。
だが、意識ははっきりしている。
ここがどこかも、もう理解している。
捕虜。
敵の中。
そして――
「……」
扉の向こうに、気配がある。
足音。
止まる。
一瞬の沈黙。
扉が開く。
軋む音がやけに大きく響いた。
入ってきたのは、一人の兵士だった。
無言で立っている。
その姿を見た瞬間、ハンスの呼吸がわずかに止まる。
見覚えがあった。
距離は近い。
だが、間違えるはずがない。
「……」
スコープ越しに見た目。
あのときの男。
「……お前か」
ハンスが先に口を開いた。
声はかすれているが、はっきりしていた。
男――アレクセイは答えない。
ただ、じっと見ている。
何も言わず。
数秒。
沈黙が続く。
「……生きてたんだな」
ハンスが言う。
確認ではない。
納得に近い声だった。
アレクセイが、わずかに息を吐く。
「……お前もな」
短い返答。
それだけで、十分だった。
あの瞬間を共有した者同士の言葉。
余計な説明はいらない。
「……」
また沈黙。
だが、さっきとは違う。
重さがある。
言葉にするべきものが、そこにある。
「……なぜ撃った」
ハンスが言う。
まっすぐな問いだった。
責めるでもなく、探るでもなく。
ただ、聞いている。
アレクセイは一瞬だけ目を伏せる。
そして、すぐに戻す。
「……守るためだ」
迷いのない答え。
短く、強い。
ハンスは小さく息を吐く。
「……そうか」
それだけ言う。
否定も肯定もない。
ただ、理解したという反応。
「……お前は」
今度はアレクセイが口を開く。
「なぜ撃った」
同じ問い。
返ってくる。
ハンスは少しだけ天井を見る。
考える時間は長くなかった。
「……同じだ」
静かに言う。
「守るためだ」
その言葉は、アレクセイと全く同じだった。
部屋の空気が、わずかに変わる。
お互いに分かっている。
同じ答え。
同じ理由。
「……なら」
アレクセイが言う。
声は低い。
「なぜ、俺を狙った」
その問いには、少しだけ棘があった。
ハンスは目を細める。
「……そこにいたからだ」
即答だった。
「撃たなければ、撃たれる」
「それだけだ」
淡々とした声。
だが、その奥にあるものは重い。
アレクセイは何も言わない。
否定できない。
自分も同じだったからだ。
「……」
また沈黙が落ちる。
だが今度は、逃げるためのものではなかった。
考えるための沈黙。
理解するための時間。
「……あのとき」
ハンスがぽつりと呟く。
「お前、撃つのを一瞬止めただろ」
アレクセイの目がわずかに動く。
図星だった。
「……分かるのか」
「分かる」
ハンスは小さく笑う。
「同じだったからな」
その一言で、全てが繋がる。
あの一瞬。
撃たなかった時間。
迷い。
そして、その後に撃ったこと。
「……」
アレクセイは何も言えなかった。
否定できない。
理解してしまうから。
「……それでも撃った」
ハンスが続ける。
「俺も、お前も」
その言葉は責めではない。
ただの事実。
そして、その事実が重い。
「……ああ」
アレクセイが答える。
「撃った」
それ以上は言わない。
言えない。
言葉にすると、何かが崩れる気がした。
「……」
ハンスはゆっくりと息を吐く。
そして、視線を横に向ける。
机の上。
そこには、見覚えのあるものがあった。
折りたたまれた紙。
「……それ」
小さく呟く。
アレクセイも視線を向ける。
手紙。
あのとき、ポケットにあったもの。
「……読んだのか」
ハンスの声は、わずかにだけ変わった。
初めて、感情が混ざる。
アレクセイは首を横に振る。
「読んでいない」
はっきりと答える。
「……そうか」
ハンスは目を閉じる。
ほんの少しだけ、安堵のようなものが浮かぶ。
「……返してくれ」
静かな声。
命令ではない。
願いでもない。
ただの要求。
アレクセイは少しだけ考える。
そして、机に手を伸ばす。
手紙を持つ。
数秒。
見つめる。
中身は知らない。
だが、重さは分かる。
それを、ハンスの方へ差し出す。
ハンスはゆっくりと受け取る。
指が震えている。
わずかに。
だが確かに。
それを見て、アレクセイは何も言わない。
言う必要がない。
分かっているからだ。
「……」
ハンスは手紙を胸に当てる。
目を閉じる。
数秒。
静かに息を吐く。
「……帰らないとな」
ぽつりと呟く。
その言葉に、アレクセイは反応する。
「……帰れると思うのか」
現実的な問い。
冷たいとも言える。
だが、それが事実。
ハンスは目を開ける。
アレクセイを見る。
そして、わずかに笑う。
「思うさ」
「思わないと、撃てない」
その言葉は、強かった。
どこかで聞いたような響き。
アレクセイの中で、何かが揺れる。
「……」
言葉が出ない。
代わりに、理解が広がる。
この男も。
同じように。
信じて撃っている。
帰る場所を。
守るものを。
「……」
長い沈黙。
だが、もう気まずさはなかった。
ただ、重いだけ。
それぞれの背負っているものが、そこにある。
「……名前は」
アレクセイが言う。
ハンスは一瞬だけ驚いたように目を動かす。
そして、すぐに答える。
「ハンスだ」
短く。
アレクセイは頷く。
「……アレクセイ」
それだけ言う。
名乗る必要があるのか分からない。
だが、言った。
なぜかは分からない。
「……」
二人はしばらく何も言わなかった。
ただ、そこにいる。
敵同士として。
同じものを見た者同士として。
「……またな」
ハンスが言う。
軽く。
まるで別れ際のように。
アレクセイは一瞬だけ考える。
そして、短く返す。
「……ああ」
それが何を意味するのか。
再会か。
別れか。
分からない。
だが――
確かに、言葉は交わされた。
撃ち合った二人が。
初めて。
読んでいただきありがとうございます。
二人は撃ち合い、そして言葉を交わしました。
理解は、争いを止めるのか、それとも――。
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