第18話「目覚めの向こう側」
第18話です。
撃つ理由は、それぞれ違う。
だが、その始まりはいつも、誰かのためだった。
――夢
風が穏やかに吹いていた。
草原が揺れる。
遠くに見える家。
煙突から立ち上る白い煙。
その景色を、ハンスは静かに見つめていた。
「遅いぞ、ハンス!」
背後から声が飛ぶ。
振り返ると、笑いながら手を振る男。
エーリヒだった。
幼い頃からの友人。
「今行く」
ハンスは軽く手を上げて応える。
足取りは軽い。
土の感触が柔らかい。
戦争なんて、まだ遠い世界の話だった頃。
ただの日常。
ただの時間。
エーリヒは笑いながら言う。
「また外したんだろ?」
「外してない」
「嘘つけ」
二人は笑う。
ハンスは肩をすくめる。
その手には、小さなライフル。
村の外れで、的当てをしていた。
「お前、もっとちゃんと狙えよ」
「狙ってる」
「じゃあなんで当たらない」
「……風だ」
「風ってなんだよ」
また笑いが起きる。
どうでもいい会話。
どうでもいい時間。
それが、何より大事だった。
「なあ」
エーリヒがふと真面目な声を出す。
「もし戦争になったらさ」
ハンスは少しだけ目を細める。
「行くのか?」
その問いに、すぐには答えなかった。
風が止まる。
草が揺れなくなる。
遠くの煙が、静かに消えていく。
「……分からない」
それが本音だった。
だが――
エーリヒは笑う。
「俺は行くぞ」
軽く言う。
まるで、遠くに遊びに行くみたいに。
「守らないといけないだろ」
その言葉は、軽くて、重かった。
ハンスは何も言えなかった。
ただ、的に向き直る。
ライフルを構える。
息を止める。
狙う。
引き金を引く。
乾いた音。
的の中心に、弾が当たる。
「おお、やるじゃん」
エーリヒが笑う。
「当たるじゃねえか」
ハンスは何も言わなかった。
ただ、的を見ていた。
中心に開いた穴。
そこに、目が吸い込まれる。
「……当たるな」
小さく呟く。
その言葉の意味を、この時の自分はまだ知らなかった。
――景色が変わる。
空が曇る。
煙が立ち込める。
音が増える。
爆発音。
叫び声。
銃声。
同じ場所ではない。
だが、同じ国。
戦争は、現実になっていた。
「ハンス!」
誰かが叫ぶ。
振り向く。
そこにいるのは、もう笑っていないエーリヒだった。
泥にまみれ、息を荒げている。
「伏せろ!」
その瞬間、地面が爆ぜる。
土が舞う。
耳鳴りが響く。
視界が揺れる。
「くそっ……!」
エーリヒが歯を食いしばる。
「なんでだよ……!」
その声には、怒りと、恐怖と、理解できない現実が混ざっていた。
ハンスは何も言えなかった。
ただ、ライフルを握る。
重い。
あの時とは違う。
ただの道具じゃない。
命を奪うためのもの。
「撃て!」
誰かが叫ぶ。
ハンスは構える。
だが、視界が揺れる。
遠くに見える影。
人。
同じように伏せている。
同じようにこちらを見ている。
撃てば当たる。
分かる。
でも――
指が動かない。
「撃てよ!!」
エーリヒが叫ぶ。
その声に、身体が反応する。
引き金を引く。
銃声。
人影が倒れる。
動かなくなる。
「……」
静寂が一瞬だけ訪れる。
その後、また音が戻る。
だが、ハンスの中だけが止まっていた。
今、自分が何をしたのか。
理解が遅れてやってくる。
「ハンス……」
エーリヒが呟く。
その声は、さっきとは違った。
何かを越えてしまった音だった。
「……当たったな」
ハンスはそう言う。
感情はなかった。
ただ、事実だけ。
だが、その言葉はどこか遠かった。
――また景色が変わる。
時間が進む。
ハンスは一人で伏せている。
周りに人はいない。
静かな場所。
狙撃手。
それが今の自分だった。
息を整える。
狙う。
撃つ。
外さない。
外さなくなった。
その理由も、分かっている。
迷いが消えたからだ。
いや――
消した。
守るために。
何かを守るために。
それが何かは、もう曖昧だった。
ただ、撃つ理由だけが残っている。
「……」
ポケットに触れる。
紙の感触。
手紙。
誰かに宛てたもの。
まだ渡せていない。
まだ終わっていない。
「帰らないと」
小さく呟く。
それが、今の自分を繋ぎ止めている。
――そのとき。
視界の中に、誰かが入る。
伏せている影。
こちらを見ている。
同じだ。
同じ目。
同じ構え。
同じ距離。
「……」
息を止める。
狙う。
相手も動かない。
分かる。
こいつも同じだ。
撃つ理由を持っている。
だから――
撃つ。
その瞬間。
世界が白く弾けた。
⸻
――目覚め
「……っ」
息が詰まる。
視界がぼやける。
重い。
身体が動かない。
冷たい天井。
知らない場所。
鼻に入る薬品の匂い。
「……ここは」
声が出る。
かすれている。
喉が痛い。
腕に違和感。
包帯。
胸にも。
「目が覚めたか」
低い声。
横を見る。
知らない男。
見慣れない軍服。
敵。
その認識が、ゆっくりと浮かぶ。
「……」
思い出す。
あの瞬間。
同時に撃った。
相手の目。
そして――
「……負けたのか」
小さく呟く。
男は何も言わない。
ただ見ている。
「……捕虜か」
それもすぐに理解する。
逃げ場はない。
武器もない。
ただ、生きている。
「……」
ハンスは天井を見上げる。
夢の残像が、まだ残っている。
草原。
エーリヒ。
あの声。
そして、あの最初の一発。
「……当たるな」
同じ言葉が、口から漏れる。
だが今は、意味が違う。
外せなかった。
外さなかった。
だから、ここにいる。
「……生きてるのか」
それが不思議だった。
あの距離。
あの精度。
本来なら、終わっていたはずだ。
「……」
ゆっくりと目を閉じる。
そしてまた開く。
現実は変わらない。
ここにいる。
敵の中に。
だが――
胸の奥に、何かが残っている。
あの男。
スコープ越しに見た目。
同じだった。
「……」
ハンスは小さく息を吐く。
「……あいつも、生きてるのか」
答えはない。
だが、なぜかそう思った。
理由は分からない。
ただ――
同じだったからだ。
読んでいただきありがとうございます。
彼もまた、守るために撃っていました。
その結果、彼は今ここにいます。
次に待つのは、再会か、それとも――。
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