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熱くて寒い奇跡  作者:
19/29

第17話「照準の向こう側」

第17話です。

引き金を引く理由は、誰にでもある。

その先にいるのもまた、同じ理由を持つ誰かだった。

レニングラード郊外。


雪解けの泥が地面を覆い、足を取られる。


冷たい風が吹く。


だが、それは前線の空気だった。


静かすぎる。


その静けさが、逆に異様だった。


「……来るぞ」


誰かが低く言う。


アレクセイは伏せたまま、スコープを構える。


呼吸を整える。


視界を絞る。


遠く、崩れた建物の影。


そこに、わずかな違和感。


動き。


敵。


「……見えた」


小さく呟く。


引き金に指をかける。


だが――


止めた。


違和感。


ただの兵士じゃない。


同じように伏せ、同じようにこちらを見ている。


スコープ越しに、目が合った気がした。


ほんの一瞬。


距離はある。


顔もはっきり見えない。


それでも分かる。


“同じ種類”の人間だと。


「……狙撃手か」


隣の兵士が呟く。


空気が張り詰める。


一発で仕留められる距離。


同時に、仕留められる距離。


先に撃った方が勝つ。


それだけ。


だが、その一瞬が長い。


アレクセイの中で、時間が伸びる。


視界の中の相手。


動かない。


こちらを見ている。


待っている。


同じように。


――なぜ撃たない。


頭のどこかで声がする。


撃てばいい。


それだけで終わる。


だが、指が動かない。


その理由は、分かっていた。


“相手も同じだからだ。”


守るものがある。


ここに来るまでに、何かを失っている。


撃つ理由を持っている。


それが、分かってしまう。


「……」


風が吹く。


雪解け水がわずかに揺れる。


遠くで砲声が響く。


だが、この空間だけが切り取られたように静かだった。


アレクセイは息を吐く。


ゆっくりと。


視界の中の男。


少しだけ姿勢が変わる。


照準を合わせてくる。


完全に。


次の瞬間には撃たれる。


「……来るな」


小さく呟く。


それは願いではなかった。


確認だった。


ここで撃たなければ、自分が死ぬ。


そして――


守れない。


レニングラードも。


あの人たちも。


アーニャも。


ミハイルの記憶も。


全部。


一瞬で消える。


「……」


指に力を込める。


そのときだった。


視界の中の男が、ほんのわずかに動いた。


撃つ体勢。


完全に。


迷いがない。


その目は、こちらと同じだった。


――ああ、そうか。


アレクセイは理解した。


相手も同じだ。


守るために撃つ。


それだけだ。


違うのは、立っている場所だけ。


「……なら」


迷いは消えた。


どちらが正しいかじゃない。


どちらも正しい。


だからこそ――


勝たなければならない。


守るために。


引き金を引く。


同時だった。


乾いた銃声が二つ、重なる。


世界が一瞬だけ止まる。


反動。


視界が揺れる。


スコープを戻す。


確認。


敵の位置。


そこには――


人影が崩れていた。


ゆっくりと、倒れていく。


雪解けの泥に沈む。


動かない。


「……」


当たった。


確実に。


だが。


胸の奥に、何かが残る。


違和感ではない。


後悔でもない。


ただ、理解。


「……同じだったな」


誰にも聞こえない声で呟く。


そのとき、頬に何かが触れた。


熱い。


遅れて、痛みが来る。


「っ……!」


かすった。


弾が。


ほんの数ミリ。


ズレていれば、終わっていた。


あのときと同じ。


ミハイルのときと。


「……」


息を整える。


まだ、生きている。


だが、それは紙一重だった。


相手もまた、同じように撃ってきた。


同じ精度で。


同じ覚悟で。


「アレクセイ!無事か!」


後ろから声が飛ぶ。


「……ああ」


短く返す。


立ち上がる。


足元が少し揺れる。


だが、問題ない。


歩ける。


戦える。


アレクセイはゆっくりと前に進む。


倒れた敵の位置へ。


近づく。


一歩ずつ。


そして――


その顔を見る。


若い。


自分と、そう変わらない。


目は閉じられている。


表情は穏やかだった。


苦しんだ様子はない。


ただ、終わっただけ。


ポケットから、小さな紙が覗いている。


無意識に手が伸びる。


取り出す。


折りたたまれた手紙。


少しだけ開く。


読めない言語。


だが、分かる。


誰かに宛てたものだ。


家族か。


恋人か。


待っている誰か。


「……」


アレクセイはそれを見つめる。


数秒。


それ以上は見なかった。


そっと戻す。


ポケットに。


「……返してやれよ」


誰かが後ろで言う。


アレクセイは何も答えなかった。


ただ、立ち上がる。


振り返る。


来た道。


守るべき場所。


レニングラード。


「……行くぞ」


短く言う。


足を前に出す。


止まらない。


止まれない。


さっきの男も、同じように歩いていたはずだ。


守るために。


撃つために。


その先に、誰かがいると信じて。


「……」


アレクセイは空を見上げる。


雲が流れている。


変わらない空。


だが、その下で。


同じ正義がぶつかり合っている。


どちらも間違っていない。


それでも。


どちらかが倒れる。


それが戦争だ。


「……分かってる」


小さく呟く。


それでも、自分は撃つ。


守るために。


自分の正義のために。


そして、歩き続ける。


その先に何があるのか、分からなくても。


読んでいただきありがとうございます。

彼が撃った相手もまた、同じ理由で引き金を引いていました。

正義は一つではない。

だからこそ、この戦いは終わらないのかもしれません。

よければ感想などいただけると嬉しいです。

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