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熱くて寒い奇跡  作者:
15/29

第14話「帰る場所の形」

第14話です。

前に進むことと、戻ること。そのどちらも戦いの一部でした。

後退の命令は、あまりにもあっさりと出た。


「ここは持たない。下がるぞ」


誰かが言った。


それだけだった。


理由も、説明もない。


ただ、事実だけがそこにある。


アレクセイは何も言わなかった。


命令に従い、装備をまとめる。


手の動きは正確だった。


無駄がない。


まるで最初からそうだったかのように。


「……随分、慣れたな」


別の兵士が呟く。


感心したような声。


アレクセイは小さくうなずいた。


「まあな」


それだけ。


短い返事。


それ以上、会話は続かなかった。


周囲の兵士たちは、どこか疲れていた。


誰もが無言で動く。


負けている。


その事実は、言葉にしなくても分かる。


じわじわと押されている。


一歩ずつ、確実に。


だが――


アレクセイの中には、焦りがなかった。


不思議なほどに。


ただ、やるべきことをやる。


それだけだ。


恐怖も、怒りも、どこか遠い。


「……おい、大丈夫か」


ふいに声をかけられる。


振り向くと、若い兵士が立っていた。


不安そうな顔。


「何がだ?」


アレクセイは聞き返す。


「いや、その……」


兵士は言葉を濁す。


「さっきから、ずっと……」


そこで止まる。


何を言いたいのか分からない。


アレクセイは首をかしげた。


「普通だろ」


そう言うと、兵士は何も言えなくなった。


「……そうだな」


小さくうなずく。


だがその目には、わずかな違和感があった。


気づかないのは――本人だけだった。


部隊はゆっくりと後退していく。


瓦礫の街を抜け、さらに奥へ。


やがて見えてきたのは――


見慣れた景色だった。


壊れてはいる。


だが、どこか覚えがある。


「……戻ってきたな」


誰かが言う。


レニングラード。


出発した場所。


守るべき街。


アレクセイはその光景を見つめた。


何も感じない。


懐かしさも、安心も。


ただ、“戻ってきた”という事実だけ。


だが、周囲は違った。


安堵する者。


疲れきった顔で座り込む者。


ここが拠り所なのだ。


まだ戦いは終わっていない。


だが、ここで立て直す。


そういう場所だった。


「しばらく休めるらしいぞ」


誰かが言う。


補給、再編成、防衛準備。


次の戦いのための時間。


アレクセイは歩き出す。


足は自然と、ある方向へ向かっていた。


理由は分からない。


ただ、体が覚えている。


通りを抜ける。


壊れた建物の間を進む。


そして――


一つの家の前で止まった。


扉は半分壊れている。


壁にも傷がある。


それでも、形は残っている。


ここだった。


手を伸ばす。


扉を押す。


軋む音を立てて開く。


中は暗い。


静かだ。


誰もいないかもしれない。


そう思った、そのとき。


「……誰?」


声がした。


聞き覚えのある声。


アレクセイの動きが止まる。


ゆっくりと中に入る。


そして――


そこにいた。


アーニャ。


以前よりも少し痩せている。


顔色も良くない。


だが、確かにそこにいた。


「……アレクセイ?」


信じられないという顔。


目が見開かれる。


数秒の沈黙。


そして――


「本当に……?」


アレクセイはうなずいた。


「……ああ」


それだけだった。


それ以上の言葉が出てこない。


アーニャはゆっくりと近づいてくる。


一歩ずつ。


確かめるように。


目の前まで来て、立ち止まる。


そして、手を伸ばす。


アレクセイの頬に触れる。


温かい。


「……生きてた」


小さく、震える声。


アレクセイは何も言わなかった。


ただ、そこに立っている。


アーニャの目に涙が浮かぶ。


「よかった……」


その言葉を聞いても。


胸は動かなかった。


嬉しいはずなのに。


帰ってきたはずなのに。


何も感じない。


それが分かってしまった。


「……どうしたの?」


アーニャが不安そうに聞く。


「何でもない」


すぐに答える。


自然な声だった。


自分でも驚くほどに。


「少し疲れてるだけだ」


嘘ではない。


だが、本当でもない。


アーニャは少しだけ黙った。


そして、うなずく。


「……無理しないで」


その言葉に、アレクセイは小さくうなずいた。


部屋の中は静かだった。


外では遠くで砲撃の音がする。


戦いは終わっていない。


ここも、いずれ戦場になる。


それでも――


今この瞬間だけは、違った。


アレクセイはポケットに手を入れる。


何かが触れる。


ミハイルのドッグタグ。


指でなぞる。


冷たい。


「……?」


アーニャが首をかしげる。


「それ、何?」


アレクセイは一瞬だけ考えた。


答えようとして――


言葉が出てこなかった。


ミハイルのこと。


何があったのか。


どう説明すればいいのか。


分からない。


「……仲間のだ」


それだけ言った。


短く。


それ以上は言えなかった。


アーニャは何も聞かなかった。


ただ、静かにうなずいた。


分かっているのかもしれない。


聞かなくても。


失われたものがあることを。


沈黙が続く。


だが、不思議と居心地は悪くなかった。


何も感じないはずなのに。


ここにいることだけは、否定できなかった。


アレクセイは窓の外を見る。


空が広がっている。


あの日と同じ空。


変わらない。


変わったのは、自分だけだ。


「……また、来る」


アレクセイが言う。


アーニャは少し驚いた顔をした。


「うん」


それでも、笑った。


「待ってる」


その言葉を聞いても。


やはり、大きな感情は動かなかった。


それでも――


その言葉は、どこかに残った。


アレクセイは振り返り、外へ出る。


戦場へ戻るために。


守るために。


何を守っているのか、分からなくなりながら。


それでも、歩き続ける。


それが“生きる”ということだと、信じるように。


読んでいただきありがとうございます。

再会は喜びであるはずでした。

ですが、アレクセイの中では、何かが確実に変わっています。

それがこの先、どんな形で現れるのか――。

よければ感想などいただけると嬉しいです。

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