第9話「静かな消耗」
第9話です。
戦いは、撃ち合いだけではありません。静かな時間もまた、人を削っていきます。
紙の上で、ペンが止まった。
アレクセイは小さく息を吐く。
何を書けばいいのか分からなかった。
それでも、書かなければならない。
遠く離れた場所にいる、大切な人のために。
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アーニャへ
こっちは元気だ。
心配はいらない。
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嘘だった。
元気なはずがない。
それでも、そう書くしかなかった。
ペン先がわずかに震える。
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街は少し寒いけど、なんとかやっている。
そっちはどうだ?
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書きながら、自分で苦笑する。
“少し寒い”どころではない。
指の感覚は鈍く、夜は眠れない。
それでも――
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また、落ち着いたら帰る。
そのときは、また一緒に――
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そこで、手が止まった。
“また一緒に”何をする?
森に行くのか。
笑い合うのか。
そんな日が、本当に来るのか。
ペンが動かない。
そのとき――
「……来るぞ」
ミハイルの声。
低く、短い。
アレクセイは顔を上げた。
周囲は静まり返っている。
敵の姿は見えない。
だが、それが逆に不気味だった。
こう着状態。
何も起こらない時間。
それが一番、心を削る。
いつ来るか分からない恐怖。
常に張り詰めた空気。
逃げ場はない。
時間だけが、ゆっくりと流れていく。
アレクセイは手紙を握りしめた。
書きかけのまま。
言葉にできない想いが、そこに残っている。
風が吹く。
冷たい。
嫌な予感がした。
次の瞬間――
轟音。
地面が揺れた。
「伏せろ!!」
ミハイルの叫び。
爆発。
瓦礫が舞い上がる。
耳鳴りがする。
何も聞こえない。
もう一発。
さらにもう一発。
砲撃だ。
「砲撃だ!下がれ!」
誰かが叫んでいる。
だが、音が遠い。
視界が揺れる。
煙の向こう――
黒い影が動いた。
ゆっくりと、だが確実に前進してくる。
鉄の塊。
戦車だ。
地面を踏み潰しながら近づいてくる。
「くそ……!」
ミハイルが歯を食いしばる。
「来やがったな……!」
アレクセイは体を起こそうとした。
だが――
足が動かない。
衝撃で体が言うことをきかない。
そのとき。
誰かが腕を掴んだ。
「立て!」
ミハイルだ。
強引に引き上げる。
「ここにいたら死ぬぞ!」
再び砲撃。
すぐ近くで爆発が起きる。
衝撃。
視界が白くなる。
何も見えない。
体が浮いたような感覚。
そして――
落ちる。
音が消えた。
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どれくらい時間が経ったのか分からない。
遠くで、誰かの声がする。
「……おい」
ぼやけた声。
「おい、アレクセイ!」
肩を揺さぶられる。
重いまぶたをゆっくり開く。
ミハイルの顔があった。
煤だらけだ。
「……生きてるな」
少しだけ笑う。
アレクセイは何も言えなかった。
ただ、息をする。
それだけで精一杯だった。
手の中に、まだ何かを握っている。
ゆっくりと開く。
紙だった。
書きかけの手紙。
端が少し焦げている。
言葉は途中で止まったまま。
アレクセイはそれを見つめた。
そして、静かに目を閉じた。
読んでいただきありがとうございます。
静かな時間と、突然の破壊。
戦場では、その両方が人を削っていきます。
よければ感想などいただけると嬉しいです。




