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第3話 生理的に無理

「どうした、来ないのか!?」


「……」

 ヘルツは漆黒の闘気を溢れさせながら小刻みに震え、じっとしている。


「読み合いは性に合わない! そちらが動かぬのなら、こちらから行くぞ!!」

 最初は様子を見ようとしたガングリュックだったが、いつまで経っても一切動かないので痺れを切らし、リスクを承知で自ら打って出ることにした。


 その瞬間、再び部屋中が漆黒の闘気に覆われる。


「しまった! 謀ったな、勇者ヘルツ!! 騙し討ちなど卑怯だぞ! バカ!!」

 相手の結界内では、すべてが相手に有利に働く。実力が拮抗している両者にとって、これは敗北を意味する状態である。

 完全に後手に回ったガングリュックにもはや為す術はなく、罵声を浴びせるのが精一杯だった。


「……ふ……と……だよ」

 そんなことはお構いなしに、相変わらず小刻みに震えながらじっとしているヘルツ。何やら小声で呟いている。


(これは攻撃魔法の詠唱か!?)


「くっ! 我が運命もここまでか……!?」

 絶体絶命の状況に死を覚悟するガングリュック。だが――。


「余には、武人としての誇りがある! 全力を出せないまま、死んでたまるか!!」

 魔王の矜持として、ただでは負けられない。先ほど出しそびれた自身の切り札、最終奥義「絶・超大魔道極滅獄烈波」の構えを見せる。


「いくぞ!! 絶・超大魔……」


「だから!! 『フラれたくらいで』とは何事だよ!!」

 いきなり大声で叫ぶヘルツ。その目からは涙が溢れ出ていた。


「へっ!? 今そこ!?」

 切り札を放とうとした瞬間、今さらの話題をぶり返され、ショックを受けるガングリュック。


「むしろそれしか頭にないよ!! お前の格好悪いポーズとか全然見てないよ!!」

 しっかり見られていた。


「やめて!」

 そのポーズを決めるまでに四年の歳月がかかっていた。


「と、とにかく人の失恋の傷を軽んずるなよ!」


「そりゃ軽く見るだろ!? 魔王と勇者の最終決戦だぞ!? たかだか恋愛ごときで世界の趨勢を投げ出しおって!! 余がどれだけ楽しみにしてたと思ってんだよ!?」

 ガングリュックは、この場での戦闘も覚悟しており、闘志の昂ぶりは最高潮に達していた。

 だがヘルツがいきなり泣き出してしまったことで、嬉々として振り上げた拳の降ろしどころを完全に失い、あまりのやるせなさにガングリュックまで少し泣きそうになっている。


「知らねえよ、そんなの! ていうか『怒らない』って約束しただろ!?」

 しかしヘルツはそんなことお構いなしに自己主張を展開していた。


「でも、そんなの怒る怒らない以前に驚くだろう! このカオス的状況!!」


「た、確かにそうだけどさぁ……」

 ガングリュックの剣幕に、少し押されるヘルツ。


「むしろこっちの方がショックだよ。この何日間もずっとワクワクドキドキしながら待ってたんだぞ!? まさか恋愛“ごとき”を優先してるとは思わなかったよ……むしろこっちがフラれた気分だよ」

 あまりに情けなさすぎて、気づけばガングリュックの目からも涙が零れていた。


「“ごとき”とは何だよ! こっちは決戦前に死ぬかもしれないと思って、悔いのないように勇気を出して、生まれて初めて告白したんだぞ! それを“ごとき”って……ううっ!」

 涙はおろか、すでにヘルツの顔面からはすべての汁が溢れ出ている。


「おいおい、泣くなよ……」

 自分より派手に泣く者を見ると、逆に冷静になってしまうもの。ガングリュックの目に、もはや涙はなかった。


「うわ~ん!! もうヤダ!!」

 子供のように大号泣を始めるヘルツ。足をバタバタさせている。


「わ、分かったからさぁ……確かに“ごとき”ってのは言い過ぎた。悪かったよ。でもさ、お前は勇者だし、世界を救おうとしてるんだから、そこはもうちょっと我慢しようよ」


「じゃ、じゃあ聞くけどさぁ……仮にお前に負けたとして、死に際で『あぁ、やっぱりコクっとけば良かった……』って思いながら死ぬの、嫌だろ? もっと世界とか心配して死にたいじゃん」


「確かにそれは嫌だな」

 思わず納得してしまうガングリュック。


「だろう? だからコクった訳よ。そしてフラれちゃった……」


「あぁ……」


「ということで涙が枯れたので、もう寝ます」

 そのままベッドにダイブするヘルツ。


「いやいや、そこは一念発起で頑張ろうって!」


「無理」


「なんで?」


「だって、『生理的に無理』って言われたんだよ」


「うわぁ……」


「お前が引くなよ」


「でもだって、『生理的に無理』って、恋愛云々の前に人間関係の完全拒絶じゃん……」


「だよねぇ……死にたい……」


「待て待てって! ちょっと冷静になって考えてみようよ」


「何を?」


「そ、そうだなぁ……なんか変なこととかしなかったか? 心当たりない? 普通、ここまでのセリフ、相手に使わないよ」


「何にもしてないよ」


「ほんとかぁ? 例えば目の前で鼻くそ食べ続けたとか?」


「それは俺でも嫌いになるけど! てか、そんなことするか!!」


「そうだよな。お前、結構ウザいけど、そこまで非常識じゃないもんなぁ」


「ウザい!?」


「い、いやイケメンって言ったんだよ! き、聞き違えだよ!」


「だよねぇ! むしろ……むしろだよ。俺、言いたかないけど、勇者だよ? そしてこの街も何度も救ってんだよ」


「知ってるよ。余、切られたから」


「そうそう、そうなのよ! これって普通、勝ち確定でしょ!?」


「それはそうだと思うよ」


「そんな俺に『生理的に無理』は厳しすぎるでしょ?」


「それは確かに厳しいな」


「だろ? しかも手応え百パーセントと思ってた相手に半笑いで『生理的に無理』って言われたら……普通、もう戦えないよ。お前は戦えるの?」


「そ、それは……確かに戦えないかもしれんな……」


「だろ?……まあ、そういうことだから、俺、寝るね。お見舞いありがとう」

 こうして勇者は、再び漆黒のオーラに包まれたベッドの闇へと沈んでいった。


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