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第1話 勇者が来ない

「ハハハッ! 我が宿敵とも、勇者ヘルツめ! ついにここまでたどり着いたか! 果たして余の前に立つことができるかな!? ヌハハハハッ!!」


 偵察から「勇者ヘルツが数多の魔族を打ち倒し、ついに魔王城に通ずる最後の街エンデへ到着した」との一報を受けた魔王ガングリュックは、危機的状況であるにもかかわらず、いつになく昂ぶっていた。


 それもそのはずである。

 ヘルツが勇者として活躍し始めて十年。これまでガングリュックは魔王軍を率いて大規模な侵攻を三度行ったが、すべてヘルツに阻止された。そしてその戦役の最中、六度にわたり直接対決。いずれも壮絶な戦いとなったが決着はつかず、直近の戦いでは深手を負わされ、退却を余儀なくされている。


 武人として誉れ高いガングリュックの五百年の生涯において、数多の戦闘を経験してきたが、傷を負うことなどほとんどなく、ましてや深手を負わされたのはヘルツが初めてであった。

 このためガングリュックは、魔王である前に武人としての本能がヘルツとの戦いを欲していた。その渇望から来る激しい感情は、単なる敵意をはるかに超え、いまや友情に近い何かへと昇華していた。

 それは部下たちも同じである。四天王と呼ばれる最高幹部たちもヘルツとは幾度も激しい闘争を繰り広げており、「我こそはヘルツの首を取ってやる」と息巻いている。


 こうして魔王軍は、長年の宿敵である勇者ヘルツとの最後の決戦に向けて、魔王城において一致団結し、万全の準備を整えて待ち構えていた。


 ――しかし、待てど暮らせど来ない。


「もうエンデに着いてから一週間以上も経つというのに、勇者ヘルツはまだ街を立たんというのか!?」

 偵察の報告によると、街を出るどころか、ここ数日は宿屋からすら出てこないらしい。


「ヘルツは一体何をしておるのか!?」

 待ちに待った決戦に水をさされ、ガングリュックは苛立ちを隠せなかった。


「街の者たちも事情が分からず、病気説まで流れており、エンデは騒然としております」


「び、病気だと!?」


「い、いえ! それはあくまで噂でございまして、実際を知る者はいない模様です!」


「そ、そうか……しかし仮に病気であるなら厄介だな。万全のヤツでなければ戦う意味がない……もう少し様子を見よう」


 ヘルツとの決戦を心待ちにしていたガングリュックは、万全の状態のヘルツと戦いたいがため、もう少し待つことにした。すると――。


「今こそ好機なり! 勇者ヘルツが病に伏しているとなれば、エンデ諸共強襲すれば敵を一網打尽! 魔王様、ぜひとも私めに出撃のご許可を!!」

 四天王の一角である獣王ミノタウロスが、鼻息荒く攻撃許可を求めてきた。


「確かに一理ある」

 沈着冷静を旨とする、もう一人の四天王・黒騎士スクラウドが重い口を開く。


「そうだろう!? 黒騎士!!」

 勢いを増すミノタウロス。


「だが、罠という可能性もある」


「なにぃ!?」


「今までも我らはヘルツや人間どもに対し、戦力で圧倒的に優勢な局面において、連中の奇策により撃破されたことが数知れず。我らの同胞である四天王、『不滅のゴーレム』ことゴンゴールも奇策によって滅ぼされた。違うか?」


「た、確かにそうだが……」


「四天王がここに我ら二人しかいないのも、魔王様の頬に大きな傷があるのも、みな奴のせいだ」


「俺の左目も……だからこそだ! このまま指をくわえて座して待てというのか!? 好機やもしれんのだぞ!!」


「逆を言えば、そうでないかもしれんだろ? 個人的な感情を踏まえすぎだ!」


「し、しかし……」

 猪突猛進を旨とするミノタウロスは、自身の拙速な案を論破されたものの、まだ襲撃を諦めていない。


「そうだ! ならば拠点となっているエンデを襲撃するのはどうだ!? 中長期的にも効果があると思うのだが……」


「エンデはダメだ!」


「なぜだ!?」


「エンデはここから非常に近く、我々魔族が比較的簡単に潜伏でき、人間側の情報を効率的に収集できる。こうしてリアルタイムでヘルツの動静が確認できるのも、エンデという街があってこそだ。中長期的に考えれば、なおさら襲撃すべきではない」


「ぐぬぬ……」


「とにかくだ! 私は魔王様のおっしゃる通り、今一度情報収集に当たるのが得策だと考える。良いな?」


「う、うむ……」


「よし! それでは一旦、エンデ侵攻計画は保留とし、引き続きヘルツの動向調査を行うこととする!!」


「はっ!!」


……


「何故来ない!?」


 それからさらに一週間――。

 勇者ヘルツは、いまだに宿から出てこない。


「ま、まさか本当に重病なのか!? 秋って食中毒とか流行る時期だっけ?」

 いよいよヘルツのことが心配になってきたガングリュック。ここ数日はヘルツのことが気になりすぎて、政務にも身が入らない。


「それが何とも……」

 偵察に尋ねても、ヘルツの部屋には強力な結界が張られており、魔王軍随一の偵察であるクロカゲでもそれを破ることはできず、外からは様子を伺えないという。


「致し方ない……余が直々に参る」

 ついに痺れを切らしたガングリュックは、自ら偵察に赴く決断を下した。


「おやめください、魔王様! 魔王様自ら赴かずとも、結界なら私が何とかいたしましょう!」

 スクラウドが名乗り出る。


「いや、今回は余が行く。敵情をこの目で見ておくのも、最高指揮官としての責務だ」


「しかし、魔王様は来るべき決戦に向けて万全を期していただいた方が……」


「それを言うならお前の方だぞ、スクラウド。……最近眠れていないようだな」


「ご、ご存じでしたか。実は私、ヘルツとの対戦が待ち遠しく……待ち遠しすぎて、気づいたら千羽鶴を作っておりました。魔王様の仰るとおり、多少入れ込んでいるやもしれません」


「まあ、無理もあるまい。ミノタウロスなど、待ちきれず城壁を何枚も破壊したことか……とにかくお前らこそ休養が必要だ。ここは余に任せておけ!」


「しょ、承知いたしました。ご武運を」

 スクラウドは、自作の千羽鶴をガングリュックに手渡した。


「うむ! お前の気持ち、しかと受け取った!」

 ガングリュックはその腕を軽く払うと、颯爽と魔王城を後にした。


 こうして魔王ガングリュックは人間の姿に変身し、抜け駆けする気満々で、単身エンデへと向かった。

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