綺麗なお姉さんは、こわいです。
ライブ感覚の勢いで書いてる3話目です。
「おはよう、逸人くん」
朝起きて一階に降りると、スーツをきっちり着こなした麗しき女性が、ダイニングテーブルの上で庶民的にレジ袋を広げていた。
「あれ?箱崎さん、朝からなにしてるの」
彼女の名前は箱崎郁子。親父の秘書をしていて、たまに家まで出迎えに来ることがある。
秘書業務に限らず企画やマネジメントでも有能で、かなり優秀なスタッフらしい。
家でも母や姉から全面的に信頼され、LINEまで交換していたことに親父が恐怖していた。
「アルマちゃんが使う日用品をね、いろいろと持ってきたのよ」
どれだけ買い込んできたんだ。そう思わせるほどの量を次々と取り出す彼女。
「そんなに買い込まなくても、日用品なら切らさないようにストックしてあるのに」
何気なくそう言うと、箱崎さんはいきなり真顔で詰め寄ってきた。
「逸人くん?あなたうら若い少女に、まさか男性用のシャンプーやソープを使わせるつもり?本気なの?正気なの?あの綺麗な髪や肌が荒れたりしたらどうするの!そんなの社会の損失よ!現代文明の敗北よ!」
「お、おう」
「他にもスリッパやハブラシ、タオルと必要そうなものをいろいろ見繕って持ってきたわ。いまは奥さまも留守なんだから、せめてわたしが気をまわさないと!でないと愛想を尽かされるわよ、もっと危機感もちなさい」
なんなんだ、この実家に帰省したときの婆ちゃんのような甲斐甲斐しさは。
親父とおなじ。いや、あれはアルマの特別な事情込みでの世話焼きだ。純粋に感情移入している分だけ、箱崎さんの方が段違いで熱い。うん、恐い。
「とにかくあんな良い子に苦労させちゃだめよ。男の子なんだから、きちんとアルマちゃんを守ってよね。逸人くん」
片手を腰に当てながら、ピシっとこちらを指差す箱崎さん。その表情は真剣そのものだ。
セミショートの髪型で、すっきり通った鼻筋に切れ長の目元。まさに綺麗なお姉さんの凛々しい顔は有無を言わさぬ迫力がある。
「……あの、わたしが、なにか?」
すでに制服に着替えて階段を下りてきたアルマが、ちょうど自分の名前を聞き止めたようだ。
ブラウンのブレザーにホワイトシャツ。エンジのリボンと、下はブレザーより濃いブラウンを主体にしたタータンチェックのスカート。
一ケ瀬高校の制服は近隣の女子中学生にとって「いちばんの志望理由」と言わせるほど評判だ。いわゆる「かわいい」と人気なわけだが、アルマが着るとちょっと別格になる。
昨日は周囲もおなじ制服ばかりだったので意識しなかったが、彼女独りだけだと写真集のワンシーンのようだ。
「アルマちゃん、おはよう。なんでもないのよ。それより準備もできてるようだし、食事したら出かけましょうか」
「はい」
「うん?学校は?」
「ああ、今日はお役所の方でアルマちゃんの書類手続きがあるのよ。本人確認も必要だし。朝霞代表は朝からミーティングなので私が代わりにね」
「お手数をおかけして、申し訳ありません」
こいつって、ずっと謝ってばかりだなあ。
それは昨日、クラスで質問攻めにあっているときの反応でも感じたことだった。
これがアルマの素なのか、それとも異世界から日本に放り込まれて一年以上経っても治らない萎縮なのか。
後者ならば、なんとかしてやりたいとは思う。
トーストとハムエッグとミルク。箱崎さんが手早く用意してくれた朝食を済ませると、二人は親父のクルマで出かけていった。
おれもスウェットから制服に着替えると自転車で高校に向かう。
朝のホームルームで担任から「アルマくんは所用で欠席だ」と伝えられると、クラスメイトたちは一斉に意気消沈した。こいつら今日も質問攻めにするつもりだったようだ。
まあ、それでもいままでと変わりなく、一日は過ぎていった。
放課後。
帰宅部のおれには、とくに予定もない。おなじように暇な連中としばらく話してから図書館に寄り、のんびりと自転車置き場に向かう。
校門を出ていつもの帰り道。ふとバス停を見ると、今日はいないはずの姿を見つけた。
間違いない、アルマだ。
はて?彼女は役所で書類手続きがあるんじゃなかったのか。
なにか呆然と立ちすくんでいる様子に違和感を覚えつつ、近づいていく。
「アルマさん」
とつぜんの呼びかけに驚いたのか、びくりと振り返った彼女。声の主がおれだとわかって、安心したような表情を浮かべる。
「あっ、逸人さん」
「どうしたんだ。箱崎さんは?」
「急なお仕事が入ったみたいで。朝からお役所をいくつかまわったんですけど、最後が学校の近くでしたから、もう大丈夫ですと言って先に帰ってもらったんです」
「ふうん。で、ここでなにしてたんだ?」
「それが……」
なんてことはない。ただバスの乗り方がわからなかったらしい。
不安だったので最初は乗る人を観察していた。けれど「整理券」と書かれた箱から紙片を受け取る人、別の場所にカードをかざす人、財布をかざす人、スマホをかざす人とまちまちで、自分がどうすれば良いのかわからず立ち尽くしていたというのだ。
「なるほどね」
「……すいません」
まただ。
また謝る彼女の言葉を聞いて、おれはなぜだか苛ついた。
彼女自身にではなく、彼女が背負わされているものに。
その理不尽に、なにかが吹っ切れた。
「ちょっと、ここで待ってろ」
そう言ってから全力でペダルを漕いで学校に戻り、自転車置き場に自転車を放り込む。さらに全力ダッシュでバス停まで引き返した。
財布から、地元でいちばん普及している交通系ICカードを抜き出してアルマに見せると、彼女もおなじものを持っているという。親父の会社から支給されたらしい。
ならば話はかんたんだ。ちょうどやってきたバスに乗り、ICカードの使い方を実演する。
それを恐る恐る真似ると、あたりまえだが彼女も無事に乗車できた。
ほっとしたような彼女と横並びで、おれたちは空いてる座席に腰掛けた。
「お手間を取らせてしまって、申し訳ありませんでした」
また彼女の口からは謝罪の言葉。
「……もしかしてアルマさんってさ、異世界から日本に来たこと、転移してきたことをなにか悪いことだと思ってる?」
「え?」
「昨日からずっとさ、だれかに謝ってばかりだなと」
なるべく強い口調にならないように。そう注意しながら問いかける。
「それは、その、やっぱりこの世界の人にとってわたしたちは異世界人ですし、勝手に入ってこられたら迷惑ではないかと」
「そりゃまあ無法なことをされたり、暴れられたら困るけどさ。転移者の人たちって、みなそれぞれの職について、こちらの世界に馴染もうとしてくれてるよね」
「たしかに他の人はそうかもしれません。けどわたしは教育期間を終えても独り立ちできず、朝霞さんとか箱崎さんのお世話になってばかりで。いまも逸人さんに」
なるほど。そういうことか。
どうやら彼女は根っから真面目で、気配りしすぎて気疲れをためていくタイプなんだ。
そう感嘆したとき前方でピンポンという音が鳴り、電光掲示板が点灯した。次に停車するバス停の表示だ。
「ねえ、あの掲示板に『新庄』と点いたよね」
「あ、はい」
「その下に路線図があるけど読める?」
「ええ。目は良いので」
「新庄の先は加納、鶴見橋、菱川、江崎、三笠……。あれ、どれもここらの地名なんだよ」
きょとん。そんな音が聞こえそうな表情をしながら、首をかしげるアルマ。おれは、それに構わず話を続ける。
「ということはさ、このバスって、いろんな場所に入り込んで、立ち止まって、また出ていくわけだ。そんなバスって悪者、迷惑なの?」
「いえ、それとこれとでは、話が……」
「違わないよ。バスが通るおかげで、いろんな人が便利になって、助かってるんだ。転移というものがどんなシステムかは知らない。バスにだって事故とか騒音とか、デメリットが皆無なわけじゃない。それでも、善悪ひっくるめて否定しまったら、だれも幸福にはなれないと思う」
もちろん個人的には、この「転移」とかいう事象だか現象だかを、そのまま許容する気にはなれない。かといって「転移者」たちは不可抗力による被害者だろうに。そこにわざわざ、自ら追い打ちをかけなくても良いはずだ。
「けれどわたしが、みなさんにご迷惑をかけていることは事実です」
「そういうときも、あるかもしれない。けどさ……」
ひどく恥ずかしいことを、いまから言おうとしている自覚はある。
だからつい、天井を見上げて彼女からの視線をわざとはずしてしまう。
それでも。
たとえだれかの受け売りだとしても、これは伝えておきたいことだから。
「どうせ言葉にするなら『すいません』より『ありがとう』の方が、みんな嬉しいんじゃないかな」
いまどんな顔で、アルマが自分を見ているのか。
呆れているのか、馬鹿にしているのか。
もちろん、それを確かめる勇気もない。
ただ、彼女の小さくつぶやく声だけが聞こえてきた。
「……ありがとう……ございます」
そのままバスは街なかを走り抜け、静かになった二人を運んでいく。
やがて自宅から最寄りのバス停に着き、アルマに降り方もレクチャーしながら下車する。
そういや、このまま帰って夕食どうするか。
そんな他愛もないことを考えられるぐらいには、平常心を取り戻したようだ。
アルマにも聞いてみるか、と後ろを振り返ったとき。
その先になにか気配を感じた。
100mほど離れた自販機の陰か。
あらためて、周囲を察知してみると……。
(ひい、ふう、みい、あわせて4人)
後ろだけでなく、いまバスが通り抜けた交差点にも3人。
どうやら、だれかに待ち伏せされて、すでに囲まれているようだ。
さてと、どうしたものか。
いや、ほんと。いよいよ本格的に、めんどくさいんですけど。
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