心の傷にもヒールをしてくれ。
緩急の緩というわけで、今回書き溜めたのはここまでです。ただ、できるだけ間を開けずに続けたいと思います。
「アルマ、大丈夫か」
屋上でガルロアを見送ったあと。おれは電話を一本かけてから、非常階段に戻ってきた。
「あっ、ハヤト。無事でしたか」
アルマは、さっき別れたままの場所から微動だにしていない。にもかかわらず、階下で三人の男たちが昏倒している。
なるほど。ガルロアの言う通り、束になっても敵わなかったようだ。
もっとも手前で倒れている男が、やはり拳銃を手にしていた。
威嚇して投降させようとしたところを、剣撃の飛翔技ディバインで瞬殺されたのだろう。
警棒が相手なら距離をとっていれば安全。そう考えたのだろうが、ご愁傷さまだ。
倒れている三人組に近づき、一人ずつ階段手すりの柱を後ろ手で抱えるように座らせる。そして魔力で親指同士を拘束した。手錠ならぬ指錠だ。これで目が覚めても逃げすことはできない。
ふたたびアルマのもとに戻ったとき、ティル姉が目を覚ました。
「う……うぅん。……ここ、は……」
まだ意識が朦朧としているのだろう。焦点のあわない眼で周囲を見回してから、おれとアルマの存在に気づく。
「えっ?逸人……くん?」
「おはよう、ティル姉。ひさしぶり」
「あ、うん。ひさしぶり。……って、ここはどこ?わたし、たしか洗面所で」
「とりあえず、もう安全だから安心して。それから、彼女はアルマ。ティル姉とおなじ異世界からの転移者だよ」
「安全って、なにが……。あっ、はじめまして。ティルナ・ファーライルです」
「こちらこそ、はじめまして。アルマ・ローレントです」
とりあえず再会と紹介を済ませたところで、現在の状況を説明しようとしたのだが……。
ティル姉が、おれの左腕に目を留めた。
「ちょっと逸人くん!なに、その赤斑。腕を見せて」
脱いだジャケットを持つふりをして誤魔化していたのだが、さっき負った左腕の怪我を見つかったようだ。
「ひどい熱傷……。いえ、電撃傷?高圧電線にでも触れたの?とにかく、すぐに治療しないとますます壊死するわよ」
彼女はあわてて、横に置いてあったバッグをあさりだす。
最初の三人組から救出するとき、一緒に回収しておいたものだ。
「さあ、はやく腕をだして。とりあえず消毒するわ」
バッグから取り出したタオルを床に敷き、そこに包帯やガーゼ、薬瓶などを並べはじめる。
「痛いけど、がまんしてね」
「ああ」
「痛覚遮断」スキルで、局所的に痛みは消していたのだが、あらためて見るとなかなかにグロい状態だった。
皮膚が爛れて、一部が炭化までしている。そんな傷口を見て、アルマも隣で言葉を失っている。
「こんなに重傷だと、ほんとうは局所管理だけでなく心臓や腎臓の検査も必要なのだけど……」
これでも被害は抑えたほうだ。
ガルロアと最初に交戦したとき、紙一重でかわしたものの頬に痺れるような痛みを感じた。だから、やつが拳に電撃を纏わせていることは推測していた。
そこで屋上での対戦では、中空の魔力シールドを左腕に展開し、その内部を真空状態にしておいた。万全ではなかったものの、真空による絶縁効果がなければ、もっと酷い怪我を負っていただろう。
ティル姉は慎重に、ガーゼと消毒液らしきもので処置してくれる。
彼女の真剣な表情を見ながら、おれは「もう、しっかりとお医者さんなんだな」と妙な嬉しさを感じていた。
「さすがにドレッシング材は用意していないし。せめてデブリドマン処置のできる施設にいくまで壊死の進行を遅らせられれば……」
応急処置をしながらも、彼女はいろいろと対処法を検討してくれる。
そしてしばらくすると、意を決したようにおれの方に顔を向けた。
「ねえ、逸人くん、そしてアルマさん。いまから見ることを絶対に内緒にすると約束してくれる?」
いったい、なにを見せる気なのか?
そんな疑問を、嘆願とも、哀願ともとれる真摯な光を宿したティル姉の視線が霧散させた。
アルマも、大きく頷いている。
「水くさいよ、ティル姉。秘密にしろというなら、どんなことでも厳守するさ。昔、一緒に冷蔵庫に見つけて食べたプリンのようにね」
「ば、ばか。そんなこと、いつまで覚えてるのよ!」
ちなみにプリン消失事件は後日犯行がバレたが、いまだにおれの単独犯ということになっている。
「でも、ありがとう。じゃあ、いくね」
そう言うと、ティル姉は傷口に向けて両手を掲げ、目を閉じた。
(うん?)
その手の先に、とてもやわらかな魔力が集中していく。
これは、かつて異世界で何度も助けられた、あの魔法の兆しだ……。
まさか?と思ってティル姉の顔を見上げたとき、彼女は唱えた。
「ヒール──」
放出された魔力が、おれの左腕で発光現象をひきおこす。
その光を浴びて、グロかった傷口がみるみると修復されていった。
爛れていた皮膚も、そこから覗いていた皮下組織も、血液が凝固していた毛細血管も。すべてがまるで早送り映像のように、正常を取り戻していく。
わずか数秒の奇跡。
最後にポトリと、壊死あるいは炭化した部分がカサブタのように剥げ落ちた。
これは……、治癒系ジョブが使う「ヒール」そのものだ。
ティル姉について詳しいプロフィールなどは、親父から聞かされていなかった。
知っていたのは、異世界転移者であることと、医者をめざしていることぐらいだ。
治癒魔法が使えるということは──。
おそらく「賢者」ではないにせよ「神官」あたりのジョブだったということか。
「すごいよ、ティル姉。こんな魔法が使えたんだ」
あくまでヒールされるのが初体験のように、驚いたふりをする。
しかし、ティル姉はというと。
なぜか、おれよりもさらに驚愕した表情で呆けていた。
「どうかしたの?」
「え?いや、あの……、これが、ヒール?いままでは、せいぜい切り傷の治りが速くなるぐらいで。こんな重傷を、しかもこんなに一瞬で治療できるなんて。何度も動物実験してきたけど、はじめてだよ……」
──なるほど。
いままで経験したことのないヒールの効果に、衝撃を受けているのか。
理由は推測できる。
まず彼女が医学を学んだこと。そして実験とはいえ何度もヒールを使用してきたことが原因だろう。
魔法にせよ、スキルにせよ。決して超常現象なんかではない。
これは魔王フィルからの受け売り、というか日本から異世界に転移したノマ博士の構築した理論によるものだ。
この世界に宇宙規模で遍在する魔力というエネルギー場。そこから生じる魔素という素粒子を媒介に、自然現象や物理法則に干渉するのが魔法やスキルなのだと。
とはいえ、そんな技能を容易く習得できるわけもない。
ノマ博士は、魔法やスキルをオートマチックな技能として獲得できるジョブシステムこそ「ほんとうの超常現象と呼ぶべき」と言っていたようだ──。
また、干渉する自然現象や物理法則への理解や、反復による習熟も、効果的な運用には重要らしい。
このことは、おれのスカウトとしての経験則にも合致する。
つまりティル姉は、医学によって人体の仕組みや構造を理解し、動物実験で習熟することで、知らぬ間にヒールの効果を向上させていたのだ。
あとは、知人を助けたいという想いの強さ。それが、魔力操作の量と質を高めるきっかけになったのかもしれない。
そこはまあ、ロマン要素?
「でも助かったよ。ティル姉。ほんとにありがと」
「い、いえ。どういたしまして。というか、まだ安心しちゃだめだよ!ちゃんとした病院で精密検査を受けないと」
そう言いつつ、治療された左腕をじっと見つめるティル姉。
まるで脱毛したかのようにツルツルになった素肌を注視されるのは、妙に気恥ずかしい。
しかし、ヒールでは発毛促進まではしないのか。もし可能なら、頭髪に悩める人への福音として、大きなビジネスチャンスになったのに。残念だ。
そうこうしていると、階下の気配が騒がしくなる。
どうやら拘束している連中が、意識を回復したようだ。
おたがいに会話をはじめているが、日本語ではない。
「あの人たち『仲間に連絡』とか『容赦しないぞ』とか言ってるけど、どういうこと?」
「ティル姉、あいつらの言葉がわかるの?」
「うん。北京語だけど訛もないから、わたしでも少しは」
そんなこちらの会話が届いた瞬間、やつらはまた急に静かになった。
会話を理解できるやつがいると知って、情報が漏れることを恐れたのだろう。
「ちょっと包帯を借りるね」
三人の様子を確認しがてら、指錠の方法を魔力から包帯に変えておく。
それから、ここまでの経緯をティル姉に説明しておいた。
誘拐される現場を、おれが発見したこと。まずは実行犯を倒して、ティル姉を救出できたこと。その後、応援が来たけれど、アルマも手伝ってくれて対処できたこと。
……そしてガルロアの件は、とりあえず伏せておいた。アルマも何も言わなかったので、イレギュラーな転移者との遭遇をまだ知られたくない、という意図は察してくれただろう。
「そんな危険な目に!?傷もそのときに負ったものだったのね。違法なスタンガンでも使われたのかな」
「そんなとこかな。まあ、ほぼアルマのおかげだよ」
「アルマさんも、巻き込んでごめんなさい。でも、ほんとにありがとう」
「いえいえ。ハヤトの方が大変でしたから」
「……そういえば、二人はもう呼び捨ての仲なんだ。へえ。ふ~ん」
これこれ。嬉しそうにニヤついた顔を向けるのは、やめなさい。
おれたちの関係を詮索しようとするより先に、自分のおかれた状況に危機感を持った方が良い。
「はい。わたしもハヤトには危ないところを救けられたので」
「おお。さすがは赤胴の似合う少年剣士だね」
まるで「やるじゃない」と言わんばかりに肘でつつかれる。
親父による強制コスプレまがいの黒歴史は、いつまでまとわりつくのだろうか。
さらに、階下から新たな足音が響きはじめる。
どうやら、さっき電話した相手が到着したらしい。
制服の警察官をひきつれた逞しい短髪の男性は、手を上げながら近づいてくる。
「やあ。またせたかな。少年剣士」
その呼び名に、あらためて頭を抱える。
助けを求めたことを後悔するおれの肩を、一等陸尉の小鷹氏はバシバシと叩いた。
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