痛いの痛いの、跳んできた。
じつは格闘描写は苦手なのだと実感。
考えてみれば、当然だ。
転移者の出現なんて、スケジュールにアラートされるわけでも、マップにマーキングされるわけでもない。
だれだって見知らぬ土地に放り出されたら、だれかの保護を求めるしかない。だから自然と遭遇が発生するだけだ。
けど転移者が、そんな保護を必要としない強者だったら?
自力で生存する手段を見つけだすのは、不可能ではない。
それが悪徳の類であったとしても。
強者ゆえの生存戦略は、いずれ社会の闇と結びつくだろう。
──その実例が、いま目の前にいる男だ。
「なあ、提案だがよ」
「……」
「おたがい痛い目みるのも嫌だろ?だから、その女を素直に渡してくれねえか」
「そんな言葉に従うとでも?」
「その女は、生きたまま本国まで連れてくるよう厳命されてるらしい。心配しなくても、命まではとられやしねえだろうよ」
命までは、か。
日本が独占している異世界転移者の情報を、他国が執拗に狙っているのは知っている。
魔法やスキルといった未知の技術、つまり未来の脅威を排除するためだ。そうなると、拉致されたティル姉は実験動物として生かされるだけだ。
──そんなこと。許すわけがないだろ。
「それに、おめえも気づいてんだろ。じきに護送組の連中が上がってくる。そうなりゃ、意識のない足手まといを一人きりで守れるわけがねえ」
「どうかな。こっちの人間相手になら、どうにでも手はあるさ」
「たいした自信だ。たしかに、おめえの底はどうにも計り知れねえがよ」
実際のところ、こいつを相手にしながら、同時に複数人を相手取るのは難しい。
やつも、それは理解している。
だからこそ、こうした無駄な交渉で、護送組とやらの応援が到着するまで時間稼ぎしているわけだ。
その狙いどおり、地下3Fのフロアで3人ほどの敵意が気配察知に反応する。逃げ場のない非常階段で、挟み撃ちにされてしまった。
仕掛けるなら早いほうが良い。
ただ、その隙を与えてくれそうにもない。
すでに身体強化された聴覚には、階下から駆け上ってくる足音も聞こえはじめた。
「このまま、ここに釘付けでも良いんだけどよ。手を抜いたと思われるのも癪なのでな」
やつは、軽く腰を落とし、両手を前後に構える。最初の一撃以上のスピードとパワーで押し切るつもりらしい。
「そろそろ、いかせてもらうぜ」
とにかくティル姉に危害が及ばないよう、おれもポジションを調整して身構える。
ともに緊張が極限まで高まった、その瞬間──。
通用口のドアが叩きつけられるように激しく開く。
飛び込んできたのは、アルマだった。
彼女は、鍔のついた特殊警棒を振りかぶって、鋭い一閃で相手の首元を狙う。
驚いた男は左手をかざして、すばやくガード。
先日ミリタリーショップで購入した、カーボンスチール製で曲げ強度2tを誇る軍用品。その強打を、苦もなく受け止めやがった。
しかも動揺することなく、前傾になったアルマの足を狙って、払うような回し蹴りを繰り出してくる。
すかさずアルマも反応し、足技をジャンプで飛び越える。そのまま非常階段の手すりを足場にして方向を変え、相手とおれとの間に着地した。
うん。みごとな三角跳びだ。芸術点10点をプラスしたくなる。
「大丈夫ですか、ハヤト」
「ああ。よく気づいてくれた。ありがとう」
ここ数日、おれはアルマに剣術やスキルのトレーニングをしていた。
もともとのスペックが高いだけに、彼女の剣技はみるみると成長し、身体強化などの精度もあがっていた。
ただ気配察知だけは、識別精度があがらなかった。身近な相手の気配はともかく、敵意というものの特徴がよくわからないらしい。
そこで、密かにアルマの携帯にワン切りをしておいたのだ。
気づくかどうか、間にあうかどうかは賭けだった。
つまり、おれもおなじく時間稼ぎをしていたわけだ。
「いつのまに……」
男は、アルマの飛び出してきた通路を横目でにらむ。すると不意打ちの原因に気づいたようだった。
「なるほどな。どうしてどうして、器用な真似をするもんだ」
これもまた、認識阻害魔法であるハーミットの応用だ。
通常は自分への認識を遮断するバフ効果だが、かつておれは、これを相手へのデバフとしてアレンジした。効果時間は短くなるが、自分だけでなく周囲全体への知覚を阻害でき、集団戦ではこちらの方が有用だ。
しかし、魔力壁を展開しているやつには、いまのおれの魔力量ではデバフが機能しない。
そこで、ハーミットをフィールド設置型に改造したものを利用した。
一定エリアにいる対象について、他者からの認識を著しく低下させる。これを非常階段につながる通路に設置したため、アルマの接近を敵は察知できなかった。
そうするうちに、階下からの足音が大きくなってくる。
「いたぞ!」
「あそこだ!」
敵の応援部隊も、こちらの存在を発見したようだ。
「アルマ。ティル姉……この女性を頼む」
「はい。わかりました」
そのままポジションを交代。アルマがティル姉の横で階下を見張り、おれが男と対峙する。
「ったく、どうなってんだ。日本てのは、実戦経験もろくにない素人ばっかじゃなかったのかよ。ハヤトっていうのか、てめえ何者だ」
「魔王を倒した勇者さまだよ」
「はっ。ふざけやがって。女に手助けさせといて勇者とはね」
うっ。なかなかに痛いところをついてくる。
しかし日本はな、男女平等社会なんだよ。
むしろ女性上位と言ってもいい。さっきの買い物が証明している。
「まあいいや。おい、どうせタイマンなら場所変えねえか」
「……どういう意味だ」
「こんな狭いとこでチマチマ削りあうより、この上の屋上で一気にけりつけようぜ」
男は階段の上を顎で示し、仲間に声をかける。
「おい!こっちの面倒なやつはおれが引き受ける。大の男が雁首揃えて女一人に負けんじゃねえぞ」
なにを勝手なことを。
アルマひとりに任せて、この場を離れられるわけがない。
「いってください。ハヤト」
しかし背後から、当のアルマが力強い声で言ってきた。
さらに、特殊警棒をもう一本取り出し、軽く降ってフリクションロックを外す。
二刀流。彼女なりの覚悟をしめす意思表示なのだろう。
「わたしなら大丈夫です。それよりも、あの人の願いを聞いてあげて」
願い?どうみても、そんな態度には見えないのだが。
おなじ異世界人として、なにか察するものでもあるのだろうか。
「わかった……。おい、その提案にのってやるよ」
「んじゃ、ついてこい。って、そのまえに。おめえら、いますぐ耳をふさげ!イヤープラグがなけりゃ、ティッシュでもなんでもいい。耳に詰めておけ!」
こいつ、おれのさっきの行動を見ていたのか。
しかもスウェイの原理まで見抜くとは、敵ながらおそれいる。
「アルマ、やつらは拳銃をもってる。気をつけろよ」
「はい」
イヤープラグを携帯しているということは、そういうことだ。
とはいえ、狭い非常階段で跳弾がティル姉にあたる可能性を考えれば、不用意に使えないとは思うが。
うん?まさかこいつ、拳銃の準備があることをあえて教えてくれたのか……。まさかな。
男の後をついて階段を上り、おれたち二人は屋上に出る。
半分以上のスペースに空調の室外機が並べられているが、それでも非常階段とは比べものにならない広さが確保されている。
男は、さっさと距離をとってから向き直った。
「さてと。勝負は単純だ。いまから全力でおめえを殴る。躱すなり、ガードするなり好きにしろ。その一発をしのげれば、ハヤト、おめえの勝ちで良い」
「そりゃ、わかりやすい。てか、ここまでつきあったんだ、名前ぐらい教えろよ」
「勝負が終われば、教えてやるよ。生きてればな」
もはや問答無用とばかりに、男のまとう空気が一変する。
しかし、非常階段のときとは打って変わって、姿勢は自然体のまま。
ゆったり左右に身体を揺らしながら、一歩一歩近づいてくる。
躱そうとする相手の読みを絞らせず、静から動へのタイミングを測らせない動きだ。おれは、とにかく初動を見落とすまいと集中する。
そうした刹那、男のまとう魔力が一気に膨張し、爆発した。
まさに弾丸のような速度で迫ってくる相手は……。
(──笑ってやがる)
限界まで高めた動体視力でとらえた顔には、心底楽しそうな笑みが浮かんでいる。
構えられた拳の軌道をよんで、おれがガードで左手を掲げたときも「片手で止めれるものなら止めてみろ」と言わんばかりの表情だ。
たがいの距離が限りなくゼロになる瞬間。
受け止めたおれの腕には、予想を超えた激痛が走る。
たんなる打撃の衝撃ではない、別のエネルギーが左腕を焼いた。
電撃。
男の拳はピリピリと火花を散らせている。
どれほど高圧の電気が流れたのか。
通常ならば、感電によって全身が硬直し、たとえガードしても意味をなさないだろう。超高電圧のスタンガンで殴られるようなものだ。
あとは、そのまま拳を振り抜けば、どんな相手でも吹き飛ぶに違いない。
──しかし男が、その拳を振りぬくことはなかった。
驚いたような顔をしながら見下ろす視線。
そこには、相手に向けられたおれの手のひらがあった。
「バレット」というスキルがある。
名前の通り、魔力の弾丸を飛ばす遠距離攻撃で、特別めずらしいものでもない。
熟練者になると数百mの距離を射抜けるし、望遠スキルとの併用でkm単位を飛ばすやつもいる。
ただ、距離が伸びるほど、魔力の拡散によって弾丸の威力は減衰する。なので、実用距離は100m未満というところだ。
近接戦闘スキルに乏しいスカウトというジョブであるおれは、このバレットを近距離用に改造した。
飛翔用の魔力を魔力弾のサイズに振り向け、弾丸サイズをボールサイズにした。飛距離は望まず、あえて撃つのではなく置くような形で射出。すぐさま魔力を破裂させる。いわば巨大な散弾だ。
こいつを腹部に食らうと、衝撃が筋肉を貫通し、内臓が多大なダメージを受ける。
魔力を手から直接叩き込むという似たスキルもあるが、こいつは10~30cmとはいえ“飛距離”をもつため、高速度な格闘戦になるほど初見では間合いが狂う。
だから、男は拳を最後まで振りぬけなかったのだ。
「……ガルロアだ」
腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべながら、男はつぶやいた。
なんのことだ?
「おれの名前だよ。ちくしょう」
「ああ。てことは、おれの勝ちで良いんだな」
「一回きり、て約束だしな。どうやら腹の中がズタボロでリベンジなんて気にもなりゃしねえ」
それは、おたがいさまだ。左腕の激痛になんとか耐えながら、心のなかで苦笑いする。
「でもまあ、楽しかったぜ。こんな生ぬるい世界に飛ばされて腐ってたんだがよ。ひさびさに全力をだせたからな」
「なあ、いまさらだけど……」
「心を入れ替えろとでもいうんなら、ありえねえぜ。昔から、こんな荒事の世界でしか生きていけなかったんだ。こっちでも好きにやらせてもらう。まあ、そんな転移者もいるって覚えとけや」
「……」
これまで世間的に知られている転移者は、みんな、この日本の社会や制度を受け入れて、協力的でいてくれた。
しかし、それは表面的な妥協なのかもしれない。
おれが知っているだけでも、異世界というのは日本と比較にならないほど暴力的だった。未開地には魔物が跋扈し、人間社会でも戦争や紛争は日常的だった。
ガルロアのような生きざまのやつは、決して少数派ではない。
「おめえだって、案外こっち側の人間じゃねえのか。あんなに無表情で肩の関節を壊せるやつなんて、こっちの世界じゃ少ないだろ」
たしかにそうだ。生き抜くために異世界に適応した5年間は、おれという人間の価値観や行動を変えたに違いない。
おれとガルロアは、いわば合わせ鏡のような立ち位置なのかもしれない。
「さてと。退散するとするか。おめえも、あの嬢ちゃんが気になってんだろ。あいつらでは束になってもかなわねえと思うがな。まっ、その気持ちが、いまのてめえの境界線なんだろう」
なにを知ったように。そう思ってはみたものの、なぜか否定の言葉もでてこなかった。
「あばよ。またな」
そう言うとガルロアは、やすやすと屋上のフェンスを飛び越える。次々とビルを移動し、視界から姿を消した。
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