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いつだって想定外だけが想定内だよ。

個人的にティル姉はお気になので、もっと書きたい。

「逸人くんは、なにしてるの?」


 当時は小学校低学年だったおれに、ティル姉は話しかけてきた。

 ウッドベンチに寝転がり、のんびりと空を眺めていたおれの横に立って、ニコニコとやさしく覗き込んでくる。

 実の姉ではないけれど、家族でのイベントにはよく参加してくれて、すっかり打ちとけている彼女。父の紹介によると、外国からやってきた留学生らしい。


 この日も、市街からクルマで2時間ほどかけてやってきた家族キャンプに、ティル姉は同行していた。


 見渡すと、芝生が敷き詰められたエリアは広大で、展望デッキやテニスコートなんかも用意されている。渓谷をはさんだエリアには宿泊用のコテージもあり、本格的なキャンプというよりもファミリー向けのレジャー施設という趣の施設だ。


 すでにテントの設営も終わり、父と姉は魚釣りにいった。母は、共用の炊事場で夕食の下ごしらえをしている。


「んとね。雲に乗ってる」

「えっ、雲に?どうやって?」


 幼いおれの返答に、ティル姉は真剣に驚く。

 子どもの言うこと、だなんてバカにしない。いつでも、だれにでも、まじめに向きあってくれる人だった。

 だからこそ姉も、おれも、彼女のことが大好きだった。


「こうして空にね、浮かぶ雲をずうっと見るとね。雲じゃなくて、ぼくがゆっくり動いているみたいな気になるんだ。ふわふわ、とさ。なんか、雲に乗ってるみたいな。そんな感じに、なるんだよ」


 たどたどしく、つたない言葉で説明するおれを、ティル姉は好奇心いっぱいという表情で見つめてくる。


「ほんとうに?わたしもやってみよ!」


 すぐさま隣にある空いたベンチに腰を下ろした彼女は、そのまま横になって空を見上げた。

 晴れた初秋の陽射しはうららかで、呑気に寝転がる二人をあたたかく包んでくれる。


「ほんとうだ……」


 しばらくしてから、ティル姉は小声でつぶやく。

 いま感じている、この心地よい不思議な気分を、声を出すことで失いたくない。

 そんな気持ちも伝わるような声色だった。


「……すごいよ、逸人くん。これは大発見だね」


 そんな大げさなことじゃないよと思いながら、素直に称賛してくれたことが子ども心にも嬉しかった。


 小賢しく成長したいまのおれなら、たんにリラックスした三半規管からの知覚情報を、雲の動きに集中した視覚情報が上書きした「錯覚」だと説明できる。

 でも、このときに二人一緒に感じていた浮遊感は、まぎれもない実感だった。


「……あの子たちにも、教えてあげたいなあ」


 さらに小さく呟いたティル姉の言う「あの子たち」が、だれなのかは知らない。外国にいる家族なのか、あるいは学校の友人なのか。

 彼女が教会の孤児院で育ち、幼い子どもたちと暮らしていたことを知ったのは、ずっと後のことだった。


 このときはただ、二人で静かに空をながめていること。空を見上げるのではなく、見下ろすような気分を共有していること。その心地よさが、すべてだった。



 ──さて、そんなティル姉が、いまおれの目の前で、不審な男三人組に拉致されようとしているわけだ。


 トレイのある通路の先、通用口のドアを抜けた向こう屋内非常階段になっていた。下っていけば地下駐車場につながっているようだ。おそらくは、このままクルマを使って逃走する気だろう。


 ティル姉を運ぶ作業を他の二人に任せて先導している男は、インカムでだれかと会話している。おそらく駐車場に待機させたクルマと連絡しているに違いない。つまり、ここにいる三人以外にも仲間がいることになる。


 クルマに乗せられてしまうと救出は絶望的。だから、なんとか合流前に対処したい。


(急がないとな……)


 気配遮断のスキルを使い、見つからないよう三人組を監視。そして、やつらが踊り場に到着したタイミングを見計らってスペルを唱える。


「スウェイ」


 まずは、ティル姉をかついでいる二人、そして先導役の男が順に姿勢を崩し、床に膝をついていく。


 この魔法の理屈はかんたんだ。やつらの耳内の気圧を変化させてやったのだ。

 こうすると三半規管を流れるリンパ液の動きが激変し、その情報によって保たれている平衡感覚を容易に失う。つまり、激しいめまいで立っていられなくなる。

 あの日、高原のキャンプ場で感じた浮遊感とは比べものにならない。顔を苦悶にそめているのは、おそらく激しい頭痛にも襲われているのだろう。


 そんな三人の様子を確認してから、身体強化スキルを最大にして手すりを飛び越える。

 いつものようにハーミットで視力を奪い、顔を見られないようにしてから、やつらの肩に関節技を決めて脱臼させていった。

 これで、たとえどこかに武器を隠しもっていても、ろくに使うことはできないだろう。


 手早く三人を無力化したおれは、ティル姉を抱き起こした。

 呼吸は安定しているので、どうやら薬品かなにかで眠らされているようだ。見たところ外傷もなさそうで、ひとまず安心する。

 彼女を抱きかかえ、一刻も早くこの現場を離れるために階上へと向かった。


(さて、このあとは、どうするか)


 とにかく人目のある場所まで、ティル姉を連れていくのが最優先だ。

 そうすれば、ひとまず、相手もかんたんには手出しできなくなるだろう。


 そのうえで対策を考えるなら、なによりもやつらがどんな組織に所属するのかを知ることだ。しかし、あの手の実行役が身バレするようなものを所持しているわけがない。

 使っていたインカムは手がかりになるかもしれないが、GPSでも仕込まれていればこちらの居場所が筒抜けになる。


 とりあえず、顔がわかるような写真はスマホで撮っておいた。

 前回、アルマと二人のところを襲撃してきたのは白人系で、今回のやつらはアジア系の顔立ちをしている。となると、関係性は薄そうだ。


(小鷹さん……あの人にでも相談するか)


 陽気に笑う一等陸尉の顔を思い浮かべながら階段を昇り、最初の曲がり角から目的の通用口ドアを見上げたとき。


 そこをふさぐように、背の高い人影が立っている。


 だれだ?と目を凝らした瞬間。その人影は、こちらに向かって階段を駆け下りてきた!


 不規則なステップを踏みながら、一気に眼前まで迫ってくる。そして左右から拳撃を繰り出してきた。

 あまりにも疾すぎる動き。なんとか紙一重でかわしたものの、相手の拳が右頬をかすめた瞬間、ビリッと熱い衝撃がはしった。


 思わず背後に避け、反動で体勢を崩さぬよう壁で背中を支える。そして、ふさがった両手の代わりに足をかかげて間合いをとった。


 まさに一瞬の攻防。

 「ちっ」と舌打ちした相手は、身体をこちらに向けたまま階段をバックステップで駆け上った。そうして高所の優位をふたたび確保する。


「おいおい、いまのを躱すのかよ」


 MA-1ジャケットにカーゴパンツ、そしてブーツ姿の男は、どうやらこちら以上に驚いた様子で声をあげる。


 おれの察知にひっかからず、こちら世界の基準からすると人外のような身のこなし。

 それはまるで、気配遮断と身体強化を駆使した異世界人のような戦いぶりだ。


「……おまえは、何者だ」


 声に威圧をこめて警戒しながらティル姉を床におろし、壁のコーナーにもたれかからせる。


「てめえこそ何者だよ。どうやら身体強化を使ってるみてえだし、さっきから妙な魔法を飛ばしてきやがる。見たところ日本人のようだが、こんなやつを相手にするなんか聞いてないぜ」


 たしかに男が飛びかかってきてから、おれは何度もジャミング系の初級スペルを試していた。しかし、それらはすべてレジストされている。

 つまり、相手も魔力をまとった戦い方を熟知しているということだ。


「その口ぶりからすると、あの男たちの仲間なのか」

「仲間というほどの関係じゃねえけど、サポートを頼まれたんでな。仕事だよ」


 まさか。転移者が、こっそりと違法行為に手を貸しているというのか?


「どうやら異世界からの転移者らしいけど、こんなことがバレたらただでは済まないぞ」

「はっ。異世界、ねえ。おれにとっちゃ、こっちが異世界なんだがな。それにな──」


 口調が、それまでの軽いのりから一変して、憎々しげなトーンになる。


「こちとら、いきなり飛ばされてからこっち。日本とかいう国の世話になったことなんかねえんだよ」


 なんだと!?

 日本政府の世話になっていない?

 つまり転移してきたあと、どこにも登録されてないってことか。

 しかし、それって……。


「いわば“はぐれ者”なのさ」


 ──男は肩をすくめ、自嘲するかのように笑った。


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